長い夜再び・告白
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
「ユーリエ様は…きっと,もうずっと前から。ボスに…好意を持っているんだ」
ぽつりぽつりとリリーは話し始めた。
「多分最初は,自分でも言っていたとおり,人質の…敵のつもりだったんだ」
「…」
あの晩の凛とした,しかしどこか張り詰めた危うさを感じさせたユーリエの姿が思い起こされる。
「でもそこは…帝国の作戦勝ちだった。ユーリエ様が,”風”のエリィに感情移入していた幸運もあったよね。私は大した苦労もなく,すんなりと,すぐに…ユーリエ様と友好的な関係を作る事に成功した」
体調を崩してリリーが寝込んだ時には,確かにすでにそんな関係だった。
「でもその頃にはもう…ボスに対しても,敵意と言うよりは申し訳なさの方が勝っていたんだ」
「…」
二人もろともに父祖から叱責されたのはその時だったか。
「だからユーリエ様は,何とかボスの役に立とうとした。それで…ボスの事を知ろうとした」
書庫でのやり取りだ。その後ユーリエはリリーからこちらの情報を聞き出した。
「で…知れば知るほど,ボスに惹かれていったんだ」
それでユーリエは自分の秘密を暴露し,武道に手を染め,黒軍を受け入れた。
「…っ」
それが今のこの状況だ。帝国が押し切っていれば良かった。そうなるものとばかり思っていた。だが,現実は甘くなかった。そしてそれが,彼女を苦しめる事となった。
「でも,ユーリエ様には…どうしても踏み込めない点があった」
だがそこで,予想外の方向へ話の流れが向いた。
「…なに…?」
記憶に間違いがなければ,ユーリエは部下すら躊躇うような部分に勇気を以て踏み込んだ,はずだ。もしかしたら失礼な物言いにあたるのかも知れないが,その彼女が踏み込めない点が自分にあるとは到底思えない。
「あー…ボス?それ失礼だよ。ユーリエ様にデリカシーがないわけないでしょ?」
「…いや…踏み込むも踏み込まぬも,私に秘密など…」
言いよどむ。短期的に見れば,たとえばシャルルが伝説の龍戦士であることをはじめ全くなかったというわけでもないし,今も一つ抱えているのは間違いない。
いや,それは厳密に言えば違う。踏み込まれたくない個人の領域ではなく,あくまでユーリエへの配慮なのだ,と思い直す。
「あーもー…別にボス側どうこうじゃないじゃない。ユーリエ様が知らないボスの何かを,聞きづらいと思ったらそれは踏み込めない何かでしょ?」
「…まぁ,そうだな…」
だがそれは遠慮などせず聞いてくれれば良い事だ。別に隠すつもりなどない。そう付け加えるとリリーは溜息をついた。
「それがボスの心の傷を抉る可能性があるのに?遠慮しなくていいの?」
「…傷を…?」
「ほんとボスって…疎いね」
ぼりぼりと頭をかくリリーは,また一つ溜息をついて続ける。
「ユーリエ様が踏み込めないと思っている点はね。簡単に言うと,ボスの好きな人が誰かって事なんだよ」
「!?」
目を丸くする。
「…私…の…?」
そこでハッとする。
「…リーの事か…」
そこでびくり,と体を震わせるリリー。こちらの様子を伺って,特に何の変化もないと分かると一つ息を吐く。
「ここの学院を卒業した魔法使いの…」
「…そうだ」
「そこは私も,今まで踏み込むのは避けてた」
なぜかほっとしたようにリリーは言う。
「…今更だと思うが…」
それはすでに,周知の事実のはずだ。
「違うよ。問題は,ボスが今もその女性ひとすじかって事」
「!」
そうか。何となく話が見えた。
「ユーリエ様じゃなくとも,もしそうだったらそこは何とかボスにこっちの世界へ戻ってきてもらわないといけないじゃない」
しかしリリーは斜め上の事を言い出す。
「こっちの…?」
「そりゃそうでしょ。武道の件もそうだけど,何とかこっちに拠り所を作らなきゃ,ボスがそっちへ行っちゃうかも知れない」
「!」
ではユーリエは,私の拠り所をアリシアに作ろうとしていたのか?
「でも,私もそこは今の今まで踏み込めなかった」
「…そうか」
確かにそれはそうかも知れない。私が現実離れしていればいるほど,それは生に執着していないと取られる可能性はある。
その意味で,今の立ち位置ほど現実離れしたものはそうそう考えられるものではあるまい。
「…その点については,心配は要らない。先日女王に諭されたからな…」
「ああ,ボスが行っちゃったら悲しまれるかも知れないってアレ…っと」
そこで慌てて口を押えるリリーに苦笑する。やはり筒抜けになっていたか。
「…そうだ。少なくともそれはもっとも彼女を悲しませる事になる。すぐに追いかけるような真似はしないさ…」
「なるほどね。じゃあそこはまず解決として…その先なんだけど…」
そこでちょっと口ごもるリリー。
「…?」
「その…どうも…ユーリエ様は…」
「…どうしたのだ?」
「…」
頬を染めて上目遣いにこちらを見るリリー。だがやがて意を決したようにつぶやいた。
「ボスにとっての二番目…つまりこっちでの一番目が,私だと誤解してるんだよ」
「!?」
目が点になる。
「違うって言ってるんだけど…全然信用してくれないんだ…」
「…」
「ね,ボ,ボスだって迷惑でしょ!?」
言葉を失って呆然とリリーを見ると,彼女は慌てて言葉を繋ぐ。
「だいたい,私はボスに命を救われたからボスの為に命を張るってだけの話で!全然そういうんじゃないんだ!だいいち私がボスに釣り合うわけないじゃないか…」
下を向いてもにょもにょとつぶやくリリー。
(…ん?)
引っかかる。以前にもこんな事があったような…。
だが今はそれを考えている場合ではないだろう。
「…何を言うのだ,リリー」
「えっ?」
自分でも信じられないような優しい声が出て。それを聞いたリリーが驚いて顔を上げる。
「…自分を卑下するものではない。お前は,十分に魅力的で十分に素晴らしい女性だ」
「ふえっ!?」
目が点になり,みるみるうちに顔を赤くするリリー。
「ちょ,ちょ,ちょ,ボス!?な,な,な,何を…」
「…少なくとも,女王にそう思わせるだけの…」
「ストップ!」
そこでこちらを制するリリー。
「…リリー?」
そのまましばらくの静寂。俯いてこちらを見ないようにしていたリリーは,そうやって心を落ち着けていたのだろう。やがて顔を上げる。
「この話はここまでにしようね?ボス」
「…」
「ボスにそんな事言われたら,分不相応にその気になっちゃうから…」
「…何を言うのだ。自分を卑下するなと…」
「私は,ユーリエ様と恋敵になるつもりはないんだってば」
悲しそうに言うリリー。
「!」
「それが,私がここで作っちゃった唯一のしがらみ。私から見てもユーリエ様は素敵な人だよ。ボスの好みじゃないって言うならともかく,嫌いじゃないんでしょ?」
「…」
「ユーリエ様にも,ボスにも,幸せになってもらいたいもの。前にも言ったよね?ボスの背中は,世界一安心できる,世界一大きい背中。…私が独り占めするには広すぎる背中なんだ」
あれは,アリシア王城へ突入するための潜入作戦の時だったか。
「きっとボスの背中は,もっともっとたくさんの人を守るためにあるんだ。だから…ここへ来ることになったし,ユーリエ様がボスに惹かれたんだ」
半分夢を見ているかのように言うリリーは,しかしそこで少し調子を落として言葉を繋ぐ。
「私は…そんなボスを見ていられればそれでいい」
「…ダメだ」
しかしそれへ割り込む。
「えっ?」
予想外の言葉だったのだろう。きょとんとするリリー。
(…ああ…そういう事か…)
そこで唐突に,先ほどの引っかかりの正体が判明する。
「…リリーにも,幸せになってもらわなければ困る。それが…私の願いだ」
あの時も,そんな事を言ったな。
「ボ…」
ぽろり,と一粒の涙をこぼすリリー。しかし彼女はすぐに目をこすって,にっこりと笑う。
「でもね。やっぱりユーリエ様に応えてあげてよ」
「…リリー」
「私の大好きなボスはこんなに凄いんだぞ!って自慢したいもの。やっぱり,逆玉は譲れない」
ちっちっと指を振りながらリリーは言う。
「…おい」
「あ,でもね?もしかするとそれで,全部丸く収まるかも知れないのよ」
「…?」
「ほら,昔の王様なんかは,奥さんがたくさん居たじゃない?」
「…まさか」
「そう!ボスが王様になってくれれば,ボスのお情けにすがって私が二号さんに…」
「…」
一夫多妻が意味を持つのは男系が王位を継ぐ国の場合だ。アリシアでは全く意味をなさない。
「あ,別に王位継承権とかそんなのはどうでもいいんだよ?私はただユーリエ様と争いたくないだけだから」
また指を振りながら,リリーは言う。
「…そうか」
ふっ,と顔がほころぶ。思えばこの気安さに随分と助けられて来たな。
カティがこの気安さに素直に感謝できる下地を作ってくれたと,そう思っていたが。リリーにカティと似たところがあるだけなのかも知れない,と苦笑する。
「ま,まぁ脱線は措いといて。この辺の事…特にボスが何を考えているのか不確実だったから,ユーリエ様に勧めたんだよ。直接確認してみたら?って」
「…なるほど,それがあれだったわけか」
「随分極端な手段に訴えたみたいだったけど,それはつまり,それだけユーリエ様が思い詰めていたって事だからね?」
「…そうだな」
不遜な物言いになるかも知れないが,ユーリエは確認を取ったのだろう。自分の事をどう思っているのか,そのどこまでが職責でどこまでが個人的な思いなのか。そして,最終的にどちらをとるのか…。
「だからさ,ボス。すぐに行ってあげてよ」
「…ん?」
「きっとつらい思いをしてるよ,ユーリエ様。かなり時間も経ってるし…」
「…それは,できない…」
「な,何で!?」
目を丸くしたリリーは,すぐに抗議の声を上げる。
「…どうしてよっ!?それじゃユーリエ様がかわいそうじゃ…」
「…今の私には,彼女の思いに応える資格が無い…」
「…え?」
「…私は帝国の将軍として彼女へ近づいた。だから,それを捨てるわけにはいかぬ」
「結局仕事を取るの!?」
「…いや。彼女の真摯な思いに応える者が裏切り者であってはならないと言うことだ」
「ちょ…」
唖然とするリリー。
「…同様に。彼女に全てを捨てさせるような不実な男であるわけにもいかぬ」
「そ…それって…無理押しでしょ!?」
「…帝国が勝たぬ限りは…無理だな」
「それが難しくなってきたからユーリエ様はっ…!」
「…だからこそ,その時は全てを元に戻そうというのだ」
真っ直ぐにリリーを見つめて言う。
「ボス…っ!」
「…帝国の敗北…それはつまり,陛下の夢の終わりだ。私は帝国の将軍として,最後までその夢の実現に全力を注ぐ。だが…それが叶わなくなった時には,責任を取らねばならぬのだ」
「注ぐったって…できる事なんか…」
「…この上は,祈る事くらいしかできないがな…」
自嘲気味に笑い,そして表情を引き締める。
「…リリー,これは命令だ。最悪の局面に備えて…女王の記憶から私への好意とそれを作った経緯を消し去る装置を開発するのだ」
「…!」
息を飲むリリー。
「…最優先だ。我々に残された時は少ないかも知れない」
「か…簡単に言わないでよっ!あの装置だって,奇跡的に上手くいってるってだけなんだ!まだまだ解明できていない所だって多いんだよっ!?そんな都合よくほいほいと…」
「…それは分かっている。それを承知で言っているのだ」
「せ…っ,責任取れないよっ!?どんな悪影響が出るかも知れない!そんな…」
椅子を蹴って立ち上がり,まくしたてるリリー。
「…その悪影響が女王とアリシアにさえ向かなければそれで構わない。私の負うべき責任だ」
それを見上げ,しかしいかなる反論も許さないとの決意を持って言う。
「ボス…!」
「…決定権は私にある」
立ち上がり,正面から泣きそうな顔のリリーを見据えて言う。
「…直ちにとりかかれ。いいな…」
そう言って,リリーの部屋を後にした。




