姫と舞姫
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
それから一週間が過ぎた。
アリシアの封印の秘密を私に語ってしまった事で,ユーリエには大きな変化が現れた。
当然と言えば当然だが,それはアリシアにとっては重大な裏切り行為である。本来命を捨ててでも守るべき秘密を明け渡したわけだから,自分を信じてくれていた国民たちに顔向けができなくなるのも当然だ。
だから大臣や侍女をはじめ,アリシアの国民たちに接する彼女の表情は罪悪感に裏打ちされた愁いが見え隠れするようになっていた。
しかしその変化に気づく者は居ても,なぜそう変わったのかを知る者は居ない。軍機を口実にして,それを言う事をこちらが禁じているためだ。
もちろんそれを気取られぬようにとも言ってはあるのだが,命令とするにはさすがに心苦しく,そちらは注意に留めてある。本人もそれを守ろうとしてはいるようだが,さすがに完全に隠しきる事はできていない。
事情を知らずにユーリエを心配する心優しい者たちの陳情は,他の誰もがどうする事もできないわけだから,これも当然の如く私へと集まってきた。
「…大丈夫だ。あまり刺激はしないよう,そっと見守っていて欲しい」
しかし私にもそう言う事しかできはしない。彼らがユーリエを心配すればするほど,そして何らかの行動を起こせば起こすほど,それは逆に彼女を追い詰める結果になるだろう。厳密に言えば,私の心労を見かねて決断をしたユーリエにとって,私がこのような陳情を受ける事そのものも負担のはずなのだ。
だがその一方で,彼女は劇的に美しくなった。
「ボスそれ不謹慎」
うっかり口を滑らせてしまうあたり,それに当てられてどこか調子が狂っていたのかも知れないが,ともかくリリーにはそう苦言を呈された。
確かに言われてみれば全く反論の余地は無い。私が彼女に感じる美しさとは,つまるところ最期の時まで潔くあらんとする武道家のそれに通じる,凄絶なまでに透徹した覚悟のそれだ。その原因を作ったのが他ならぬ私なのだから,不謹慎の極みである。
以前も似たような事が…と思い当たり,エリィを思い出す。あれはトルサ攻防戦の時だったか。
(…なるほど)
それが自分の性癖というか,好みなのだろう。そんな事に思い至って,不謹慎ついでと苦笑する。
しかし後で振り返れば,この時ユーリエに抱いた感情は,これまでどこか理性的でどこか事務的な全ての理屈を根底から粉砕してしまうほど強烈なものだった。
◇
常識的に考えれば不自然なのだろうが,あの長い夜が明けた翌日以外は,それ以前と変わらぬ日常が続いていた。その理由は,覚悟を決めたユーリエがごく普通の日常のままその時を迎えようとした事が一つ。たとえ何があろうと彼女の意に添うと決めたこちらがそれを尊重したことが一つ。だから表面上,我々の振る舞いに余人が変化を認める事はできなかった。
しかし変わらないのはその様式上の事だけで,中身には劇的な変化を感じ取っていたらしい。だからこそ私への陳情が増加したのだと,後でそれを聞かされて知った時には,さすがに苦笑せざるを得なかった。
彼らによればいよいよ我々の関係が,アリシアの女王と帝国の将軍のそれとは思えなくなったとの事。これまで引かれていた一線というか,隔てられていた壁が取り払われたように感じたというのだ。
気取られぬようになどと気取っておいて,要は自分も隠し損ねていたわけだ。
そんなある日。
私はユーリエのもとを訪れ,エリィの様子を見る事となった。
今のこの状態を作り出すきっかけとなった,エリティア軍大尉の接触。その後どのような展開を見せているのかはいろいろな意味で実に興味深い。
「では…いきますね」
そう言うと,ユーリエは水晶球に魔力を送り込んで起動する。
「…」
その場の二人に悟られぬようにと気を遣う余裕こそあるものの,ごくり,と唾を飲んでしまう自分が居る。連合の作戦が動き出せば,今のままでは居られない。無論良い方向への変化ならば歓迎すべきなのだが,その可能性は極めて低い。
「ってか,呆れてんだよ俺は!何だよそのいい加減な作戦はっ!?」
画像が映るより早く,耳に飛び込んで来る音声。
(…いきなり核心部分か…)
毎度毎度良いタイミングだ。何か仕掛けでもあるのだろうか,と疑ってしまう自分に苦笑する。
「つったってお前,現状で姫さんしか居ねぇじゃねえか!」
ようやく映った画像の中で,すらりとした体躯の男が猛然と抗議している。
「サナリアもルトリアも王族は全滅!アリシアは未だに漆黒将軍が押さえてて手が出せねぇ!そんなんでどうやって総決起すんだよ!?」
(…何?)
ぎくりとする。
王族と総決起,この二つからでも連合の思惑は容易に想像できる。おおかた,劣勢をはね返す為のなりふり構わぬ策として四王家の総決起を掲げ,義勇兵なり資金なりの調達を目論んでいるのだろう。
だがそうだとすれば,姫さんしか,という単語が気になる。確かエリティア軍の最高司令官は王妹のクリミアで,姫さんが彼女の事を指すのは間違いない。だが,王族総決起という事ならば兄のエリティア王が除外されているのはおかしい。
(…前線へ,という意味か?)
病弱なのは知っている。先頭に立って旗頭の役割を果たせるのがクリミアだけという事ならば問題は無いが,まさか…。
「ボス…どうしたの?」
背後からリリーの心配そうな声。
「…いや…この男,以前どこかで見たような気がしてな」
エリティアの封印が解けているかも知れない事は,明かすべきでも悟られるべきでもない。そちらを振り返り,微笑んで見せながら言う。
(…ん?)
だが言葉にしてみて,初めて自分がこの男に対するひっかかりを持っていたことに気づく。
「え?何度か映像にも出てるじゃない?いつもおいしい所を狙ってる感じで…」
「…もっと前だ。私がアリシアへ来る前に…」
だが直接刃を交えていたなら,こんな漠然とした感覚にはならないはずだ。
「ふーん…?まぁ具合が悪いんじゃないならいいけどね?」
その件自体には興味は無い,と言わんばかりにリリーが笑う。
「…心配させてすまないな」
確かにその通りだ。それはここではどうでも良い。今度は苦笑する。
「アリシア女王の影武者に,エリィ殿を当てようという作戦なのですよ」
「!?」
しかし。耳に飛び込んで来たその言葉に,一瞬にして意識が切り替わる。
視線を水晶球に戻すと,そこには間の抜けた声を上げるエリィが映っている。
「…エリティア軍の女性兵士をという案もあるにはあるのですが,国際問題を考慮すると…」
例の大尉と思われる人物が詳細を説明する。
(…これが…)
なるほど確かに,このゴーグルはこちらの世界では馴染みの無い物だ。という事は,この大尉はもしかすると龍戦士なのかも知れない。
しかしそれにしては,何の力も感じない。以前”紅き流星”を見た時は,水晶球越しにも関わらずごくわずかにその力を感じたはずだ。それが元々の彼の力の大きさのゆえだったのかは分からないが,龍戦士と接点があるだけのただの人という可能性もあり得る。
「てかよう…魅力以前に,女王様とお嬢ちゃんじゃまるでタイプが違うだろ?女王様が前線に出ちまうってのもおかしな話だし,お嬢ちゃんに引っ込んでろって言ったら前線回らんだろ?」
それにしても。やはり連合にも余裕が無いのだろう。こんないい加減な作戦を立てるとは。もちろんそうするわけには行かないが,もしルマールにこれを伝えたら,帝国にも余裕が無いのを措いてでも怒り出すだろう。あるいは怒りを通り越して笑い出すかもしれない。
「…そこは,実はかなり早い段階でアリシアを脱出していた女王が,奪還のために慣れぬ武道に手を染め決死の修練を積んだ事にしろと…」
「!?」
次々と驚くべき言葉が耳に飛び込んで来る。
「ぷっ…くくっ」
そこで吹き出すリリー。
「慣れぬ武道…ねぇ…?」
「…」
何となく申し訳ないような気持ちになってちらりと隣のユーリエを見やると,やはり気まずそうなユーリエの視線とぶつかってしまい,お互い言葉を失う。
しかしその心の間隙に,巧妙に誘惑が滑り込んで来た。
(…もし…)
エリィがユーリエの代わりを演じて帝国を押し返し,その連合へユーリエを返す日が訪れたとして。武道に手を染めた女王という今感じている後ろめたさが,まったく無関係なところで後付けされた誤魔化しによって解消する可能性が出てきたとするならば…。
(…救えぬな)
そんな自分に呆れる。消さねばならないユーリエの記憶は,もっとも重要な部分で言えば,帝国に封印の秘密を明かしてしまった事に尽きる。その記憶が残る限り彼女は苦しみ続けるのだ。そこだけを消すなどというご都合主義は難しいと,リリーも確かにあの晩そんな意味の事を言ったではないか。
「問題は姫に,そのような状態を受け入れる覚悟があるかという事ですよ」
「!」
また狙いすましたかのような言葉が耳に飛び込んできて,びくりとする。それは思いがけずしばらく見つめ合う形となっていたユーリエも同様だった。
「…」
それでより一層気まずい思いとなり,どちらからともなくそそくさと水晶球へ向き直る。
「姫,ここは落ち着いて考えなければなりませんよ?アリシアの将兵をはじめ国民が,どれだけユーリエ様を慕っているか。どれだけアリシアという国に誇りを持っているか。単純に刺客を打ち倒せば良いという問題ではなく,その背後にある彼らの思いをどう受け止めるかが最も大切なのです」
「!」
そこで,おそらくユーリエにとっては致命的な言葉。悟られぬよう十分に注意しながら,再びちらりと横へ視線を走らせる。
「…っ」
案の定,今にも泣き崩れてしまいそうな表情のユーリエ。
それにどんな言葉もかけてやる事ができない自分を不甲斐なく思う。
「私が一番懸念するのは…姫がアリシアの女王を一生演じて行かねばならなくなる事です」
「!?」
しかしそれは長くは続かない。水晶球の中から立て続けに予想外の言葉が飛び出す。
「ちょ!?何言い出すのこの人!?」
目を丸くするリリー。
エリィがアリシアの女王に,だと?この男は何を言い出すのだ。それではユーリエはどうなる?
「最悪の状況としては考えておかねばなりませんよ,姫?姫が女王を名乗る事で,確かに実情を知る帝国は姫に刺客を差し向けると思いますが…可能性としては,逆にユーリエ様を偽物と判断して殺害してしまう事もあり得るのです」
「…馬鹿なッ!」
「!」
びくり,と身をすくめる二人。
「そんな事があってたまるものか!やらせるものか!」
思わず我を忘れ椅子を蹴って立ち上がると,返事などあるはずもない水晶球へと叫んでしまう。
「ちょ…ボス,落ち着いて…」
「…くっ」
ハッと我に返る。
「…すまない。みっともない所を見せてしまった」
倒してしまった椅子を元に戻し,それに座り直す。
「将軍…」
ユーリエのかすかなつぶやき。しかしそれを無言でやり過ごす。
「要は,全てを捨ててすら構わないと言うほどの感情を向けられて,それにどう応えるかという事ですよ,姫」
「う…うん…」
こちらなどお構いなしに話は進む。中では気まずそうなエリィ。
「…」
しかしこちらはこちらで気まずそうなユーリエ。
いや,気まずいのはこちらもだ。結局こちらも,彼女にそれだけの感情を向けられて返答をうやむやにしているのだ。何とも微妙な空気が周囲に漂う。
「でもさ…」
そこでリリーが口を開く。
「いっそ入れ替わっちゃうのも良いかもね」
「!?」
ユーリエともども,目を丸くしてリリーを見る。
「だってさ。そしたらボスもユーリエ様も,細かい事気にしないで楽に生きて行けるじゃない。当然私もついていくけどさ,三人で…こっそりと,ひっそりと冒険者でもしながら暮らそうよ」
「!」
頭を殴られたような衝撃。それは,この世界での私の原点だ。最も幸せだった頃の思い出が蘇る。殴られてできた心の間隙に,それは想像を絶する甘美な響きをもたらした。
「…そうできたら,どれほど素晴らしい事でしょう…」
しかしぽつりとつぶやいたユーリエの声が,その夢への憧れにも関わらず,意識を重苦しい現実へと引き戻す。
「…ですが,それはかなわぬ願い。何より…私個人の問題でエリィを犠牲にする事など…」
「…女王」
そうだ。冷静に考えれば,彼女にそんな事ができるはずもない。
帝国側としてもそうだ。エリィが身代わりとして連合の先頭に立ち,そのままそれを続けるためには,ユーリエが殺された,少なくとも殺された事にしなければならない。それは仮にアリシアがその誤魔化しのまま続いて行ったとしても,帝国の汚点として永劫伝えられていく事になる。
制御が途絶え,水晶球はもはや何も映してはいない。沈黙が周囲に満ちる。
「何か,上手い解決方法がありそうな気がするんだけどなぁ…」
その静寂に抗うかのように,諦めきれない様子のリリーは言う。
「あの人…いろいろ仕込んでるみたいだし,引き出しも多そうだし。協力できたら結構大きなどんでん返しができそうなんだけど」
「リリーさん…」
あの人とはつまり,ノーブルと呼ばれた仮面の魔法使いの事だ。
「…しかし,状況は…それを許してはくれまい」
ちらちらとこちらの様子を窺うリリーに,しかし自分の淡い期待をも突き放すように言う。
確かにあの発言の数々は何か途方もない逆転の発想を導き出しそうな期待を抱かせるものであり,大きな誘惑だ。しかしそれは,全てを根底から覆す大きな博打になる事をも意味している。ほぼ確実と思われた帝国の勝利すら揺らいでしまった現状で,それが良い方向への転換をもたらすと信じるだけの楽観は無い。
「…こちらから彼に会いに行くわけにも行くまい。呼ぶなどは何の冗談かと思われるだろう。逆に…彼がここへ来るとはつまり,我々が女王を彼らへ返す時が来たという事なのだ」
「!」
どこかそれに縋ろうとしていたかのようなユーリエの顔が,絶望に曇る。
「…すまないな」
その表情を明るくできる何物をも今の自分は持ち合わせていない。その無力感が精神を苛む。
「わ,私は諦めないよ!何か,何か手があるはずなんだ!」
「…そうだな」
そう答えるのが精いっぱいだった。




