長い夜再び・模索
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
思い詰めたユーリエのなかば自棄とも言える行動に打ちのめされ,リリーの推測に事の重大さを痛感させられた私は,最適解を見つけなければならない状況へと追い込まれていた。
「…」
心を落ち着けるように,意識してゆっくり,味わいながら紅茶を飲む。逸る気持ちはすぐに答えを見つけ出そうとするが,それを押しとどめ,ともかく完全に意識が沈静化するのを待った。
「…ふぅ」
ごくり,と最後の一口を送り込み,一息。空になったカップをじっと見つめる。
「もう一杯…」
「…いや,いい。ありがとう」
「はーい」
そう言って,リリーは控えめにこちらの様子を窺っている。おそらく,こちらの思考は極力妨げず意見を求められた時だけそれに答える心づもりなのだろう。正直,今はそれがかなりありがたい。
ともかくまずは状況の整理だ。
まず,現在帝国の置かれている状況はかなり厳しい。旧ルトリア領では未だ一進一退の攻防が続いている。自分達を不倶戴天の仇と見なす帰還者に対抗する必要からルトリアの民は一時的にバナドルスと共闘し,今では信頼関係もそれなりに生まれてはいるが,それが背に腹を代えられない彼らのギリギリの選択であることも事実だ。
仮に連合にマイシャを抜かれ,ルトリア領のかなりの部分まで押し返されたとすると,彼らはやはり連合へ戻る事を選択せざるを得まい。世界の認識としては帝国は闇の側であり,それに与する事は世界への裏切りに等しいからだ。
彼らの中には,おそらくルトリアの残党,現在エリティアに資金を回している者たちの復権を快く思わない者も多いだろう。だが二者択一を迫られればやはり答えは明白だ。
ルトリア残党が復権すれば間違いなく帝国の殲滅を熱望するはずだ。継戦能力を取り戻した連合は,帰還者の出方にもよるが攻撃の手を緩めはすまい。となれば,対話のテーブルを設ける事など許されぬ帝国は,妖魔を手放せないままとなり,連合との距離も埋められないままとなる。大義とも本意ともかけ離れたところで不毛な戦いを続けていくのみとなるだろう。
となれば,今のユーリエをその流れの中に放り出すわけにもいかない。帝国に情を移してしまったユーリエが己の立ち位置を顧みない行動に出る可能性は高く,下手をすると彼女のみならずアリシアまでが孤立してしまう。
「…っ」
自然に顔が険しくなり,二度三度と頭を振る。
傲慢な言い分ではあるが,アリシアが,ユーリエがこうなってしまった以上,やはり帝国が勝利するのが望ましい結末だろう。だがその可能性が乏しくなってしまったからこそのこの状況だ。
何か起死回生の手段をと考えれば,やはり真っ先に浮かぶのが邪神の封印だろう。それを解いて妖魔を動員すれば,戦線を再び押し込むことができる。さしあたり帰還者たちを駆逐してしまえば,延び延びになっていたエリティア攻略の軍を起こすこともできる。
だが。やはりそれは無理な話なのだ。三つ目の封印とはつまりアリシアのそれだ。解いてしまえばおそらく,命惜しさにそれを明け渡したと見なされたユーリエは二度と日の当たる場所で生きていく事はできまい。
それはすなわち当初の,アリシアを平和的に返還するという計画そのものの破綻をも意味している。
「…く…」
先ほどのあれが思い返され,また表情が険しくなる。まさかユーリエが全てを捨てるような真似をするとは。
(…だめだ)
今はそこに囚われている場合では無い。挫けそうになる気持ちを奮い立たせるべく再び頭を振る。
不確定要素はエリティアの封印だ。もしも,もしも解けているなら,アリシアの封印を解く必要はなくなる。いや,それどころか絶対に解いてはならないものとなる。それを知れば,秘密を帝国側に明け渡してしまったユーリエの心痛は今の比でなくなってしまうだろうが,また父祖に事情を話して,それを秘密にしておけばよい。
「…」
苦笑する。要は,そんな不確かなものにすがりたくなるほど現状が厳しいという事だ。どんな展開になってもユーリエが苦しむ未来しか見えない。
(…ん?)
だがそこでふと気づく。帝国に情を移してしまった事でユーリエが苦しむというなら,その前の状態へ戻せば良いのではないか?
いや,難しい事を考える必要は無い。要はユーリエを城館から外へ出しさえすれば,つまりは例の装置の前を通してその効果で,ユーリエの意識をアリシア国民のそれと同じにしてしまえば良いという事だ。
悪逆非道の漆黒将軍と,それに付き従う有能な職業軍人たち。その図式ならば,部下たちがここへ留まるという道も残る。
(…基本的にはそれで何とかなるか…)
残る問題は,ユーリエがこちらに,封印の秘密を明かしてしまったという問題だ。その事実を残したままその図式にしてしまっては,罪悪感に押しつぶされてしまう。
しかし少し考えて,それも何とかクリアできそうだと気づく。現状で,それが何故なのかはともかくリリーの存在に関する記憶だけは完全に消されているのだ。その技術を応用すれば,ユーリエから秘密を明かしたという記憶を消してしまう事も可能なはずだ。念のために私からもそれに関する記憶を消せば,ユーリエが漆黒将軍の苛烈な責めに耐え抜いて秘密を守り通した,という格好になる。
(…よし,これだ)
一から全てを作るとなれば時間的に厳しかっただろうが,これなら基礎研究はできているはずだし,蓄積もあるだろう。それほど時をかけずに作れそうだ。
「…リリ…ィ?」
早速リリーにそれを,と顔を上げると,こちらを真っ直ぐ見つめている彼女と視線がぶつかる。
「…待たせた…か?」
今更ながらに,リリーの部屋で長々と居座っている事を自覚する。
「ううん。ボスの真剣な表情を見ているのは楽しいからね。ぜーんぜん」
そう言ってにっこり笑うリリー。
「…そ,そうか…」
その言葉になぜか平静を失う。
「で?結論,出たの?」
「…ああ,リリーにやってもらわねばならぬ事が…」
「断る」
ところがリリーはツン,とそっぽを向いて短くそう言い放つ。
「…な…に…?」
ついさっきとの落差の大きさに一瞬頭が真っ白になる。
「断る,と言ったの」
「…まだ何も言っていないぞ」
「聞かなくたって分かるよ。この状況で,その表情で,ボスが出す結論なんてひとつしかないもの」
やれやれ,と肩をすくめるリリー。
「どうせ,記憶を消せ!とか言うつもりでしょ?」
「!…確かに,そうだが…」
「ダメよ。それ,いろいろダメ」
「…なぜだ,他に方法など…」
「うーん…」
ぼりぼりと頭をかきながらリリーは唸る。
「ツッコみ所満載なんでどっから言おうかってところはあるんだけど…それって,そもそもユーリエ様の気持ち完全無視でしょ?」
「!」
痛い所を衝かれる。
「ある意味チートでしょ?これって。そんなんで当人の気持ちを誤魔化しちゃって,それが幸せって言える?」
「…だが,そこはそもそも,我々がそう仕向けてしまったゆえの悲劇であり苦痛だ。それを取り除くことは…」
そう言うと,リリーは呆れた目をこちらに向ける。
「ふーん…じゃぁ,さ。無神経な事言うようで悪いけど,ボスは…過去の悲劇を忘れたら幸せになれるの?」
「!!」
雷に打たれたような衝撃。
「…ぐ…っ」
「無理矢理忘れさせちゃって良いって事かな?その方が,さらっと新しい幸せを見つけに行ける?」
「…それは…」
「なーんて言っても,実は無理なんだけどねー」
そこでがらりと調子を変え,ペロリと舌をだしてきまり悪そうな顔をするリリー。
「…無理?」
「二つ目の問題。最近分かった事なんだけど…この装置は,私の力に余る効果は出せないみたいなんだ」
「…何?」
「つまりね…相手が私より高性能だと,無効化されちゃうんだよ。だから,たとえばボスの記憶を消すことは私にはできない」
ちょいちょいと指を振りながら説明するリリー。
「でね,実際問題として,父祖も私より高性能みたいなんだ。だから父祖の記憶を消すこともできない」
「!つまり…」
「そ。ユーリエ様の記憶を消す事を,父祖が認めるかな?って話になるわけ」
「…そこは,認めてもらわねばならぬ」
即座に言う。
「えっ?」
「…他に方法が無いのだ。女王を,アリシアを平和的に連合へ戻すにはそれしか無い。その為に敢えて隠さずに話しているのだ。無責任と非難されるのは甘受する。消去法なのも分かっている。だがそれでも,その方法がもっとも…」
「本当にそうなの?肝心な所が抜けてないかなぁ…」
またぼりぼりと頭をかくリリー。
「…なに?」
「もし私が父祖だったら,<体のいい厄介払いの口実だな>とか言うかも」
「…なん…だ…と…?」
さすがに少々腹に据えかねて,リリーを見る目が鋭さを増す。
「お,怒らないでよぅ,そもそもボスが大事な問題を棚上げしてるんだから…」
「…すまない」
ハッとして謝る。
「…だが,棚上げとは…?」
「さっきの宿題」
ちょっと頬を膨らませながらリリーは言う。
「ボスは,ユーリエ様の事を好きなの?嫌いなの?」
「!」
「本当にユーリエ様の事を考えてそう言っているのか,それとも結局自分の身が可愛くて,適当な事を言って逃げようとしているのか。ユーリエ様や父祖から見たら,ボスのそのあたりは不透明だよね」
「…ぐっ…」
「そんな悲しそうな顔しないでよぅ。アリシア側から見たらそうでしょ?って話なんだから。ボスが仕事だからそうしているのか,それとも仕事抜きで愛してくれているのか,そこが知りたいんじゃないの?」
「…っ」
また先ほどの光景が脳裏に蘇る。
「まぁ正直,私もはっきりさせておきたいかも。そこ次第で随分変わるし…」
「…分かった」
「え?」
「…そこまで言うなら正直に話そう」
ないまぜになったままのさまざまな思いを,確かに整理し総括しておく必要があるのかも知れない。
「う,うん…じゃぁまずちょっと休憩ね…」
ごくり,と唾を飲み込んでリリーは言った。




