長い夜再び・糾弾
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
リリーのもとを訪れ,不可解ないろいろに多少なりとも指標を見出そうとした私だが。二の句を継ごうとした私は早々に主導権を奪われてしまう事となった。
「応えてあげたの?ユーリエ様に?」
「!?」
こちらに何をも言わせずにリリーはそう言って主導権を奪い取り。
「なんて事は無いよねぇ…そしたらそんな顔のわけ無いもの」
と独りで突っ込みを入れて溜息をつく。
「…な…」
絶句してしまう。やはりリリーは状況を把握している,そんな思いがまた心の隙間へと滑り込んでくる。
「…違うの?」
しかしそこで目を丸くするリリー。
それを見て再度,状況認識を修正する。要はリリーが面白がってあらぬ事を言い出しただけか。いや,それに近い事は確かに起こったが,それを知っていたわけではなくただ空想しただけか。単なるいつものお約束で,今の私にそれを受け流す心の余裕が無いというだけの話か。
「…悪い冗談だな…女王がそんな事をするわけが…」
「でもさボス。そのくらいの事でも起こらない限り,ボスがそんな表情でこんな時間にここへ来るなんてあり得ないでしょ?」
しかしこちらの思考をも遮って,リリーは言う。
「…それは…」
確かにそこに反論の余地は無い。リリーの空想も,出発点自体は確かにその通りではあるのだ。
「それに…」
と,リリーは気まずそうでありながら悪戯っぽい,何とも得体の知れない笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「ボスがそれに気づけない程ショックを受けているのも分かるけど,ちゃんと証拠も残っているし…」
「…証拠?」
「ボスの体に…ユーリエ様の残り香が,ね…?」
「!?」
まさか。自分はその程度すら認識できない程平静を失っているのか。
「ほら…」
「…!」
苦笑するリリーにハッとする。それが残っていようがいまいが,こちらの反応を見れば一目瞭然ではないか。
「…リリー…」
「ゴメン。でも全くの誘導尋問ってわけじゃないよ?扉を開けた時にほんの一瞬,そんな感じがしたの。ほんのちょっとだったから,自信もそれほどあったわけじゃないけどね」
そう言ってペロリと舌を出すリリーだが,しかしすぐに真顔になる。
「でもさボス。ユーリエ様にそこまでさせて,これは無いでしょ」
「…どういう意味だ…」
「えー…?だって,それに応えていたら今ここには居ないでしょ?なんで応えないのよ」
「…何を言うのだ。私は皇帝の名代で,敵なのだ…」
困ったような顔で言うリリーに,我知らずこちらも困った顔になる。
「それ男としてどうなの?ほら,昔から言うじゃない…えーと…『男は黙ってメガ盛り完食』みたいな…」
「…何だそれは…」
「目の前にご馳走があったらまず食えいいから食えとりあえず食え,みたいな何かがあったよね?」
「…それを言うなら『据え膳食わぬは男の恥』だ」
こめかみを押さえる。
「知ってるならなおさら何で!?」
「…何でも何も,それは今は不実な男の屁理屈の部類だぞ…」
「あぁもぅ…」
ぼりぼりと頭をかくリリー。
「ボスがそんなだからユーリエ様も苦しむんじゃないのさ」
「…苦しむ?」
「当たり前じゃない。ボスったらどこまで行っても敵であろうとするんだもの」
「…それは動きようのない現実だ。私が帝国の将軍でなければここへ来る事も無かったし,ここに居続ける事もできない。それに…そうする事が女王にとっても気持ちの整理がつきやすい…」
「いつの時点の話をしてるのかな…」
溜息をつくリリー。
「じゃぁ質問を変えるけど。ボスは,ユーリエ様の事をどう思っているのかな?」
「…どう?」
「好き?嫌い?」
「お,おい…」
「二択だよ?他の選択肢はないからね?」
「…」
絶句する。
「そんなに悩むところ?嫌いなの?」
「…いや…」
「じゃぁそれ宿題で,先にもう一つ。ユーリエ様は,ボスの事をどう思っていると思うかな?好き?嫌い?」
「!」
「これも二択だよ?さあどっち?」
「…あり得ない質問だ。我々は敵同士なのだ。強いて言うならき…」
「それダメ」
そこでこちらを遮るリリー。
「今は立場の話はナシ。そこが話をややこしくしてるんだから,それは今は考えちゃダメ」
「…」
静寂が室内を満たす。
「…もう…ヤレヤレだね」
またぼりぼりと頭をかきながら溜息をついてリリーは言う。
「じゃぁそれも宿題。まず先に,私の予想…というか,推測で言うよ。それを聞こうとして来たんでしょ?」
「…ああ」
微妙に違うような気もするが,全く違うというわけではない気もする。それを冷静に分析する心の余裕が失われたまま,どちらともとれる曖昧な返事をする。
「まず…ユーリエ様がボスの事を好きだと仮定すると」
人差し指を立てながらリリーは言う。
「…おい」
「まぁまぁ。仮定の話なんだから気楽に聞いてよ。好きだとすればユーリエ様はボスにも自分を選んで欲しいよね。それこそ,帝国とか将軍とかそんなのよりも,さ?」
「…」
「じゃぁそれを直接そう伝えたとして…まぁ常識的な手段でって事だけど,それでボスがそうする事ってあり得るかな?」
「…無い…な」
「だよね。常識でいったら,理性的に理屈で考えたら,ボスが筋を外す事なんかありえないよね」
ちょいちょいと指を振りながらリリーは言う。
「そこで…その強固な自制を一瞬でも白紙にしちゃえるような強烈な手段を,って考える可能性はあるでしょ」
「…待て,いくら何でも女王がそんな…」
短絡的な,後先考えない手に出るなど…。
「とった行動は短絡に見えるかも知れないけど,考えている事もそうとは限らないんじゃない?」
今度はちっちっと指を振るリリー。
「ユーリエ様の性格から考えて,自分の立場だけ守ってボスにだけ立場を捨てろって言えると思う?」
「!…そ…れは…」
無い。こちらに一方的に譲歩される事に心を痛めてきたユーリエが,何をどう間違っても自らそれをするわけがない。
「極端に言って…お互い何もかも捨てて添い遂げてってくらいの覚悟をしたって事じゃない?」
「…ぐ…」
嫌な汗が背筋を伝う。リリーの推測の真偽は定かでないが,少なくともあの行為には並々ならぬ覚悟が必要だったはずだ。そして確かに,知ってしまった秘密もまさに世界の命運を握るものだ。
「でも今ここに居るって事は,ボスはそれに応えなかった。私がまず言いたいのは,ボスはそれでいいの?って事だよ」
容赦なく押し込んでくるリリー。
「…」
「ユーリエ様の幸せを守ると言ったボスが,ユーリエ様にそこまでさせて,ここに来てていいの?おそらく…ボスが自分を選んでくれようがくれまいが,自分は全てをボスに差し出す,くらいの覚悟だったんじゃないの?応えてあげなくていいの?」
「…だが」
それはあくまで,ユーリエが自分に好意を持っているという前提に立ったただの推測に過ぎない。立脚点からして不確かなのだから,それに囚われて物事を考えるのは避けるべきだ。
推測とリリーは言うが,それは憶測と言った方が良いのではないだろうか。
「うーん…」
再びぼりぼりと頭をかくリリー。
「もし立場が無かったら応える?ってのはとっても大事だからすぐにでも訊きたいところだけど,それはもうちょっと先延ばしするね。まずもう一つの推測の方から言うよ」
「…ああ」
上手くはぐらかされたような気もするが,まずは聞こう。そう思って異論を差し挟むのは止める。
「ユーリエ様がボスの事を好きでなかったとすると…事態は余計に深刻だと思うんだ」
さらっと不穏な事を言い出すリリー。
「…深刻…?」
「だってそうでしょ?ユーリエ様はアリシアの女王として,ボス…帝国から一方的に譲歩されるのを何よりも苦にしていた」
またちょいちょいと指を振りながらリリーは言う。
「ところが,ユーリエ様が譲れる…差し出せるものなんてほとんど無い」
「…っ」
先ほどのユーリエの言葉が蘇る。
「そこへきて,ボスは自分と帝国との間で板挟みになり,口にこそ出さないものの眉間にはしわが寄っている」
ひょいと指さされた眉間に,思わず手をやってしまってハッとする。
ほらほら,とでも言わんばかりに苦笑するリリーは,しかしすぐに真顔に戻って続ける。
「ユーリエ様からしたら,自分を犠牲にしているボスへの正当な対価って意味でも…当然自分自身を差し出すしかないんじゃない?」
「!…バカな…」
そんな事を考えさせてしまった時点で,自分は女王の幸せを守れなかった事になる。そしてユーリエの側から見ても,そんな事が何の解決にもならないのは明白だ。全てを台無しに…。
「…ぐ…ぅ」
再び漏れるうめき。夢の時間を終わりにしようとは,つまりそういう事なのか。
「まぁでも,これでボスが応えていたら,ある意味ユーリエ様は楽だったんじゃないかな?立場的には」
しかしリリーは重ねて意外な事を言い出す。
「…なに…?」
「今の図式としては,悪逆非道の将軍と体を張って抵抗する女王,だったよね?」
「…ああ」
「自分の身体を差し出してボスが,まぁ形の上だけでもいいんだけど,そこで堕ちてくれれば。アリシアは守れた…って格好に収まった可能性もあるんだよね…」
「…まさか」
再び嫌な汗が噴き出す。
「それは訊かないでおくけどさ…自分の身体と引き換えにしても守りたい何かが,そこにはあった…」
「…う…っ」
「まだ残っているものが二つで,どちらかを差し出さないと立ち行かないと考えてしまったとして…先に差し出そうとした自分自身を拒否されたら…ねぇ?」
重苦しい沈黙が室内を満たす。
「…あ…り…え…ぬ…」
声を上げねばその沈黙が全てを肯定してしまうように感じて,必死に絞り出す。
「うん…まぁあくまで私の推測だから」
ぺろり,と舌を出しながら苦笑するリリー。
「…」
しかしそれがこちらに気を遣った所作である事は明白だ。少なくとも彼女の中では間違いのない事実。
さらに悪い事には,現状ではそれ以外の信憑性ある可能性を全く思い描く事ができない。ユーリエ自身にその真意を尋ねて否定してもらうのが最も確実な方法だが,否定されるとは限らないし,いずれにせよ待ったなしの状況に追い込まれるのも明白だ。
「…どんな形になるのか分からないけど,とにかく変わり始めてるよね…」
「…」
遂に終わりが見え始めたという事か。だが運命はやはり意地が悪い。思い描いていた形とはかけ離れた,苦しいものになりそうな予感しかしない。
しかしやる事は変わらない。いや,変えてはならない。真意はともかくユーリエにそこまでさせてしまったという現実があるからには,なおのことそれに報いなければならない。
うろたえ混乱した状況の中で,それでも頭は最適解を導き出そうと必死の努力を始める。
「ボス…紅茶,どう?」
控えめな言葉と表情。リリーがこちらを気遣ってくれているのが分かる。それが,じんわりと心にしみわたっていく。
「…ああ,頼む」
ともかく落ち着こう。そして,考えよう。カップをリリーに差し出した。




