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訪れた転機

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

「そっちは何とかならんのか,将軍」

 覆面の為に表情はうかがい知れないが,疲れ切ったようなうんざりしたような憮然としたような響きがルマールの声には色濃く現れている。

 ここ何回かの定期連絡で,次第にそれは強くなっている。そしてそれは即ち,帝国の状況が次第に悪くなっている事を物語っていた。

「せめて将軍か,封印か,何とかならんのか」

 封印の事も,いよいよ冗談抜きにあてにしたくなっているのだろう。今ではもはや何の抵抗もなく言ってのけるルマール。

「…こればかりは,な…」

 いつもと同じ返事をするこちらも,次第次第に心苦しくはなってきている。

 侵入者を駆逐しルトリア領の支配権を奪還するには,現状では黒軍の力が必要だ。自分一人でルトリアへ行ったとて,バナドルスの指揮でどうにもならないものを劇的に改善できるとは思えない。

 だが黒軍はアリシアから離れられない。それは父祖との約を違える事となり,アリシアが再び連合側へ戻る事を意味する。計画は全て水泡に帰し,伝説の成就へ向かって加速するだろう。

 しかし封印はユーリエが握ったままだ。それを聞き出すことは,すなわち彼女の命を差し出せと言うに等しい。彼女の幸せを守るのがハンの使命であり自分の役目である以上,それもどうにもならない。

「く…!このままではどうにもならん!」

 ダンッ!と卓を叩くルマール。本来ならばそんな言動は,ルマールにとってもっとも見せたくないもののはずだ。

「バナドルスもバナドルスなら,無能レヤーネンも無能だ!」

「…」

 ルマールは,旧ルトリア領への締め付けを強化していた。現状でそこからしか収入を見込めないのは明らかで,それは理屈としてはしょうがなかった。

 しかしルトリアと共闘するバナドルスにとって,それは本末の転倒した死活問題だった。収入を増やしたところで彼らの協力が得られなくなれば戦線を維持できないのだ。当然彼は最後まで抵抗し,どうしようもなくなると最後の手段に出た。

 逃亡を黙過したのだ。苦しい状況でも踏みとどまって共に戦ってくれる者に最大の敬意を払いつつ,耐えきれなくなった者が逃げる事にも理解を示したのである。

 表向きそれに妥協せざるを得ないルマールではあったが,こちらはそのまま見過ごすわけはない。彼らが逃亡する先はエリティアで,それは即ち人的資源の面からジリ貧であった連合の体力を増強してしまう事になるのだ。バナドルスの顔を潰さぬようにしながら,しかしルマールはレヤーネンに命じてマイシャ近辺でそれを捕えさせ,本国へ送って労働力にしようと画策した。

 ところがそこはレヤーネンである。連合側の精鋭部隊がそれを手引きしているという情報もあるにはあるが,ほとんどそれを捕えることができなかった。そればかりかその失敗を隠蔽にかかり,そんなものは影も形も現れないと言い張った。

「無能め,分かっているのか!?徹底して事に当たらねば自分の首を絞めるだけだという事が!」

「…こちらの責任にして逃げ切るつもりなのだろうな」

 レヤーネンが最近,こちらとの環境の違いに不満を漏らすようになった事は聞いていた。やはり根本的には相いれない存在の妖魔に頼らざるをえず,不気味に戦力を増強していく連合の影に怯えながらの毎日を送る自分と,およそ占領下とは思えないほど穏やかなアリシア領。普通に考えれば差は歴然だ。

「将軍…他人事ではないぞ」

 溜息をつきながらルマールが言う。

「現帝国領のなかでは,もっともアリシアが安穏としているのだ。それが将軍の手腕と努力の賜物だとはいえ…本国の苦しさを尻目にそれでは不平も出よう」

「…」

 痛い所を衝かれる。それがハンの使命でもあり父祖との約束でもあるとはいえ,黒軍がもうかなりの期間何の戦果も挙げず楽をしているのも間違いは無いのだ。

「女王か封印,あるいは騎士の剣でも構わない。さっさと何とかして伝説の成就を完全に阻止してしまえば,将軍がアリシアに留まっている必要もなくなるだろう?」

「…そうだな…」

 とはいうものの,どれも無理難題だ。

 書庫で文献を読み漁るうち,騎士の剣をはじめとする伝説の武具には恐ろしい特性があるらしいと分かった。父祖のような自我こそ無いが,要は龍戦士の力そのものを封じ込めて作られているようなのだ。

 不用意な扱い,たとえば破壊しようとしたりすると,ものによっては封じ込められていた龍戦士の力が暴走をするらしいとも記されている。古ハイアムのシャルルの最期に起こった大破壊も,本人の力にその得物の力が加わってあれだけの規模になったのではないかという仮説すら立っていたのだ。

 真偽のほどは定かではないが,あの晩騎士の剣を即座に破壊しなかった事は正解だったと言うべきだろう。暴走してしまった場合にはこちらも龍戦士の力を使うしかなかっただろうが,規模の分からないものに不意を衝かれて無事でいられる保証はどこにもない。

「…できれば剣を何とかしたいところだが…」

 言葉を濁す。現時点で破壊の選択肢は全く無いが,リリーがその仕組みを解明しようとしているのは事実だ。

「悠長な…。極論,帝国が滅んでしまっはアリシアどうこうどころの話ではないだろう?」

 溜息をつくルマール。

「…かといって,アリシアの国力が丸ごと連合に戻ってはいよいよはね返せまい。ならばとここを焼き尽くし破壊し尽くすのでは大義が失われる…」

「そこは…私が陛下を説き伏せる」

 意外な言葉。

「…ルマール?」

「前々から言おう言おうと思っていたのだがな。もういい加減夢ばかり見ている場合では無いだろう?」

「…」

 確かにそれはその通りだ。だがハンはそれを聞き入れるのだろうか。帝国はハンの国なのだから決めるのはハンだ。そう思ってその先を考える事は避けてきたが,ルマールは遂にそこへ踏み込むつもりだ。

 帝国はどこへ進んでいくのだろう。そして自分はそれを受け,どう決断していくのだろう。

「まぁ頑固だからそう簡単に折れるとは思わんが,こちらはこちらでやれる事をやるだけだ。そっちは何かどうにかできんのか?将軍」

「…とりあえず,レヤーネンの様子を見てみよう」

「無能の?」

「…さしあたって,連合へ人的資源を流出させなければ良いのだろう?」

 多くは無いが,捕まった者たちはルトリアへ送り返すわけにもいかないから本国へと送られる。そうなると,収入を増やすための過酷な労働に従事させられるのも見えている。

 だから気は進まないが,かといって連合が国力を増強してしまうのを見過ごすこともできない。

「…おそらくは,初歩的な失策をしているだけだろう。元来マイシャの地の利は確固たるものだ。そうそう何度も何度も突破されるようなものではない」

 だからこそ,近隣からの徴収も含めて妖魔をそこに隔離してしまう発想が生まれたのだ。

「ちっ…それはそれで余計に腹が立つがな」

 不快感を隠そうともせずに言うルマールだが,その腹立ちは分かる。初歩的なミスを修正するよりも言い訳をすることの方が楽だと言われているようなもので,それはレヤーネンに見くびられ足下を見られているという事だ。

「…クラルフが…」

 思わず口に出してしまう。クラルフさえ無事であったなら,まだやりようはあったかも知れない。

「そのクラルフだがな。生前の功績を称えて,彫像を作る事になった」

 また予想外のルマールの言葉。

「…彫像を?」

「ああ。国民の厭戦気分を逸らし戦意を高揚させるためにな。建国の英雄,赤心将軍の称号も追贈する」

「…そうか…」

 国の在り方としては常道だろう。だが何となく空々しく感じてしまうのも事実だ。

「そうあからさまに嫌そうな顔をするな」

「…いや…」

 顔に出てしまったらしい。ごく自然にそれを消す。

「国としては,まだまだクラルフに頑張ってもらわねばならぬからな。本人もきっと苦笑ものだろうが,それだけ帝国は苦しいという事だよ」

「…」

 と,そこでルマールに近寄った騎士が何かを耳打ちする。

「すまんな,野暮用が入った。今回はここまでとしよう。…無能は任すぞ」

 そう言ってルマールは通信を切った。

「…さて」

 部屋を出ると,かつてトルサに伝説の龍戦士の存在を探った見張り部屋へ行く。この時間はカールが担当だったはずだ。

「将軍…?どうしたんです?」

 こちらの姿を認めると,カールは目を丸くする。

「…カール。これからお前にはマイシャへ行ってもらう」

「ええ?マイシャへ?しかし…良いんですか?」

 カールの驚きは無理もない。黒軍はアリシアの鎮定にかかりきりになっているという触れ込みなのだ。下手に外へ出るのは危険である。

「…本国からの要請でな」

 状況を手短に伝え,こちらの作戦も伝える。

 おそらく,敵の少数精鋭部隊はこちらと同じ手を使っているはずだ。つまりは闇に紛れて巡回の兵を眠らせ,その隙に難民を手引きしているのだろう。眠らされた兵は正直に言えば叱責,悪くすると粛正が待っているから,異常なしと虚偽の報告をしているに違いない。

「…それを代わりに伝えてやれば良い」

「なるほど,それなら最小限で済みますね」

 チョーカーを起動して極秘裏に巡回に同行してこれを監視し,異常が発生したらそれを報せるのだ。

「…敵を止める必要は無いぞ」

「ですね。逆恨みされるのがオチでしょうし」

 こちらが片をつけること,それはたとえレヤーネンにその手柄をそっくり譲ったとしても暗黙の了解として彼の心の中には残る。それが感謝であるうちは良いが,いつ何時どんな斜め上への変化をするか知れたものではない。上策はやはり,極力接点を減らして距離を置いておく事だろう。

 だがそれにも増して,やはり難民を捕らえる作戦には積極的には加担したくないというのが本音だ。無論カールもそんな程度は承知の上だ。

「…頼んだぞ。さすがに,一度やってみせれば後は自分でやるはずだ」

 それはメンツの問題だ。いかにレヤーネンといえどそのまま同じ事を繰り返すわけにはいくまい。

「はっ」

 敬礼してカールは部屋を出ていく。思い出し笑いをこらえるようなその表情に少々不安も感じるが,レヤーネンに対して親切に友好的に接する必要があるという点においては最も適任だ。

「…」

 自分だけとなった見張り部屋の窓から外を見やる。

 この時はまだ,この日が引き返せない道への分岐点だったとは夢にも思わなかったのである。

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