つかの間の安息
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
ある日の昼下がり。
「…飽きたらいつでも見るのをやめて戻るといい」
そう断って,狂っている調子を修整する。
だが実際問題としても,かなり妙な展開にはなっていた。ユーリエが武芸に興味を持ち,鍛錬の様子を見たいと言い出したのだ。
おそらくは先日エリィに対して思わずつぶやいてしまった失言が元凶だったのだろう。だがそれを契機としても,なぜそのような結論になったのかはよく分からない。
元の世界ならば板張りの道場で,見学は正座で,となるところだが。こちらにはそんな環境もないし,慣れていないユーリエに正座などさせるわけにもいかない。
うららかな日差しの降り注ぐ敷地内で,木の根元に楽な姿勢で腰を下ろした彼女。それがこちらを見つめている状態での鍛錬は,確かに調子を狂わせるほど日常とはかけ離れた環境であった。
余人が見れば何を言い出すか分からない。だからこそ例の装置を起動しているわけだが,それはそれで密会のような状態でもある。その意味では父祖の監視下にあることが救いと言えた。
(…だがあるいは,これこそが正しい環境なのかも知れないな…)
道場での鍛錬に慢心や気のゆるみがあったわけではないが。常在戦場の気構えが第一義と言うのならば,むしろこのような,緊張感のかけらもない環境の中でこそ集中を保つ鍛錬が大事なのではないか。
鍛錬の間じゅう,ユーリエはずっとこちらを見ていた。中座するのが悪いという様子もなく,真剣なまなざしに感じられた。
「…以上だ。長々と付き合わせてしまったな」
ふぅ,と息をついてそちらへ向き直る。
「いえ。素人目ですが,将軍の強さが分かるような気がいたしました」
あの…とそこでちょっと言いよどむユーリエ。
「ご迷惑でしたでしょうか?」
「…いや。むしろ良い刺激になった」
「そ,そんなわけありませんでしょう?」
素直に述べると,ちょっと赤くなりながら言う。
「…嘘ではない。だが,なぜ突然?」
「流派によっては門外不出,秘密性を重視しているところもあると聞きます…もしそうだったら申し訳ないなと…」
「…なるほど」
随分と気を遣ってくれるものだ。
「大丈夫だ,心配は要らない」
元の世界では広く門人を募って教えていたのだ,と付け加える。
「あの…将軍は,こちらの世界でもそれを誰かに伝えたりはなさっているのですか?」
「…いや。こちらの世界では刀にお目にかかったことは無いからな。伝えても意味はあるまい」
「そ,そうですか…」
そこでなぜか,ちょっと残念そうな表情を見せるユーリエ。
「…だが…」
その表情が何となくひっかかって,意味もなく言葉を継ぐ。
「…理由として大きかったのは,こちらの技術レベルで刀を再現するのが難しいことだった。だが,腕の良い職人とも知り合えたし魔法をうまく使えば何とかなることも分かったので,やろうと思えばやれないことは無い」
いつの日か,蛟龍を手放す日が来るのかもしれない。だが結局,自分には他にできる事もない。傭兵か冒険者か,あるいは用心棒,どのみちずっと刀を振るってゆくのだろう。
「そうですか」
途端に表情が明るくなるユーリエ。
「…女王,どうしたのだ?」
そう言うと彼女はハッとして,ちょっとこちらの様子をうかがうようにして,控えめに口を開く。
「あの…お笑いに,ならないで頂けますか?秘密に,して頂けますか?」
「…約束しよう」
そういうと,それでもユーリエはしばらくもじもじとしていたが,やがて意を決して言った。
「あの…もしご迷惑でなかったら,それを私に教えていただけないでしょうか?」
「!?」
目を丸くする。だがそれに見合うだけの意外な発言だったのは間違いない。
まさか魔法の総本山とも言えるアリシアの女王が,肉弾戦の手ほどきを所望するとは。
「…女王?」
「その…ここだけの話なのですが…私は,あまり魔法の才が無いのです」
もにょもにょと言うユーリエ。
「…だが?先日のあれは…」
流れるような美しい詠唱,だったはずだ。
「必死に練習したのです。まさかアリシアの女王が,魔法が苦手ですと公表するわけにもいきませんから。ですが…絶対的な素質の不足は,埋めようがないのです…」
ユーリエの話によれば,それはどうやら先代からの問題らしい。先々代には三人の子が居たが,魔法の才を最も色濃く強く受け継いだのが末っ子のクマルー卿,ごく普通に受け継いだのが今は亡き長兄,そして先代女王が最もそれに恵まれなかったと言うのだ。
「特にお母様とクマルー卿は,男と女が逆だったら良かったのにと陰では随分言われていたそうで…」
「…そうか…」
まさかここにもあったとは,という思いは措いて。聞いてみればどこにでもよくある話だ。
「私も,学院にぎりぎり入学を許される程度の素質しか持ちあわせていないのです。父祖と話せるようになったのも歴代の女王の中では遅い方で…」
消え入りそうな様子でユーリエは続ける。
「クマルー卿に上手く計らっていただいたお陰で秘密となってはいますが,その…」
「…つらい話をさせてしまったな。すまない」
だが,それと今回の一件とどう関係があるのだろうか。
少し考えて,今までばらばらだった欠片がそれなりにまとまりを見せる。
「…なるほど,なんとなく話は分かった」
やはり原因は先日のあれだ。あれだけの事をしてのけたエリィが,ユーリエの中に思うところをもたらしたのだろう。
「…だが,良いのか?」
なんとなく想像はつくが,確認を取る。
「このような機会でもなければ,決して許される事でもないでしょう」
予想通りの答え。
もしかしたら,全力を以て何かに当たることに飢えているのかもしれない。
そしてそれも,ある意味こちらが強いた,もたらされた環境によるものかもしれない。
「…分かった。ではさしあたり,体術の方からやるか。剣の方は,それを見てから決めることにしよう」
ならば,ユーリエが少しでも張り合いを感じられるようにする手伝いをするのは責務であろう。そう結論付けて言う。
この世界の,しかも女王という点にはかなりの引っ掛かりはあるが,護身術程度の体術を身につけておいても損はない。
(…)
侵入者が…などと考えて心の中で苦笑する。自分こそまさにその侵入者だったではないか。
「ありがとうございます!」
ぱっと明るくなるユーリエの顔。
それがあまりに良い表情だったので,だが…と続けて口に出しかけた言葉を引っ込める。
仮によほどの素質があったとしても,ものにするのは厳しいだろう。しょせんは限られたわずかな時間なのだ。
◇
「えー…私?」
案の定,リリーは困ったような声を上げた。
女王に武芸の手ほどきをするにあたり,その稽古の相手としてリリーに白羽の矢が立つのは分かり切った事だ。しかしまさかそんな矢が立つとは夢にも思っていなかっただろう。
「…女王の希望だが,どうしても組手が必要なのだ。さすがに女王と組み合うわけにはいかない」
「差別はんたーい!武芸を志す者に男も女もないよっ!」
「…お前のように考える者ならともかく,相手は封建制の女王だぞ?」
封建制の女王に護身術など…と思ったさっきの自分は棚に上げる。いや,女性への配慮は古今東西変わらないはずだ,と自分を納得させる。
「あー,生まれとか時代とか思想信条とかで差別すんのー?いよいよ差別はんたーい!」
「…」
「あ,あの,将軍…そのあたりのことは承知も覚悟もしていますので…」
「そーだそーだ!女王様,もっと言っちゃえ!」
拳をつくって殴るまねをするリリー。
「…」
「あーもう!ボスってば甘やかしすぎだよぅ!もっと厳しく接しなきゃ!」
「…おい」
溜息をつく。さすがに一国の女王に対してそんな接し方ができるわけがない。
「娘ができたら絶対溺愛してダメな子にしちゃうタイプだよ,ボスは!しっかりした女性もらいなよ?」
しかしリリーはこちらの機先を制して,いつも通り,あらぬ方向へと突っ走る。
「そんな気がしますね…あっ…」
そこで反射的にくすりと笑いながら言ってしまい,ユーリエは気まずそうに,しかし笑みを押し殺しきれないままでこちらを見る。
「…」
警戒を解いてくれるのは有り難いが,砕け過ぎはいかがなものか。気品と聡明さで鳴らしたアリシアの女王が世俗ずれしてしまい,その元凶とされてしまってはいろいろとまずいようにも思う。
当初の目的は達成したとみてよいだろうし,リリーの言葉とは別の次元で,そろそろ接し方を変えた方が良いのだろうか。だが…。
(…今日は,よく残り時間を考えさせられる日だな)
ふっとそう考えて心の中で苦笑する。
「まぁ…しょうがないかー」
その沈黙を,おそらくは例の過去に結びつけたと判断したのだろう。リリーが溜息をつきながら譲歩する。
「すみません,私がわがままで…」
「あーいいのいいの。私らも結構楽しんでやってるから」
ユーリエの言葉を遮ってリリーは笑う。
「それに…ちょっといい事思いついちゃったからね」
「いい事?」
「うん。せっかくだから,自習装置を考案してみようかなと思ってね」
にやにや笑いながら,ボスに協力するんだからボスも私に協力してよね?とこちらに言ってくるリリー。
「…分かった」
毎度のことながら,その好奇心と探求意欲には舌を巻く。だが確かに,魔法の力を借りればそんな事もできてしまいそうだ。およそ考えもしなかった事にかり出すのだ,そのくらいの見返りはあっても良いだろう。
「私は…」
と,そこでユーリエの表情が沈み込む。どうやらリリーの言葉が,自分には何も返せるものがないという彼女の心の地雷を踏んでしまったようだ。
「あ,いいのいいの気にしない…」
「そうだ!」
しかし。あわててなだめようとしたリリーを遮るように,ぱっと明るくなったユーリエが言う。
「ね,せっかくですからリリーさん。宮廷舞踊をおぼえてみませんか?」
「!?」
さしもの突っ走り上手にも予想外だったようで,目を丸くするリリー。
(…そういえば…)
大臣たちから定例の舞踏会の開催について相談をもちかけられていたな,と思い出す。
「え,で,でも…」
「大丈夫ですよ,簡単ですし」
「ボスぅ…」
困ったようなすがるような目でこちらを見るリリー。
「…そうだな。ちょうど良い機会かも知れない」
「ちょ!?」
そこでまた目を丸くするリリーに,懸案となっていた舞踏会の経緯を告げる。
「…我々が誰一人参加せず見張るだけの会では殺伐としてしまうが,さりとて我々に舞踊など無縁だったからな」
参加できるとなれば障害はなくなる,と付け加える。
「ま,待ってよボス!庶民の私に舞踏会なんて…」
「…生まれで差別するのはよくないのだろう?」
「うっ…」
ぐっと言葉につまるリリー。
「だ,だって舞踏会なんて,上流階級の淑女たちが集まるんだよ?私なんかが…」
「…大丈夫だ。もっと自信を持て」
「!?」
そこでリリーの目が点になり,次の瞬間顔が真っ赤になる。
「ボ,ボ,ボ,ボスっ!?な,なな,何を…」
「決まりですね」
にっこりと笑うユーリエ。
「しっかり修得して,しっかりおめかしもして,当日は将軍をびっくりさせてあげましょう?」
「うー…今日はいろいろと厄日かも…」
目に涙を浮かべながら頬をふくらますリリー。
「…では,頼むぞリリー」
微笑しながら言う。
「何を仰っているのですか?将軍」
だがそこでまたも予想外のユーリエの言葉。
「…女王?」
「当然,将軍にもお教えいたしますよ?」
「!?…しかし…」
しまった。確かに貸し借りの面で行けば自分も対象だ。墓穴を掘ったか。
「そもそも,帝国の漆黒将軍ともあろうお方が,宮廷舞踊のひとつやふたつおできにならないでは示しがつきません」
「そーだそーだ!」
さっきの泣き顔はどこへやら,にやにや笑いながら同調するリリー。
「…私はもともと一介の武人に過ぎぬ。それこそ無縁の世界だ」
将軍などという肩書きは,事が終わればなくなるはずだ。そしてそれはそう遠くない未来のはずだ。
「あら…それは敗北宣言でしょうか?」
「…なに?」
「先日将軍が褒めていらしたエリィですが。彼女の修める舞神流は,この世界のあらゆる舞踊を取り込んで編み出されたとも,また逆にあらゆる舞踊の原型とも言われる流派です。皆伝の彼女は,宮廷舞踊に関しても私など足下にも及ばぬほどの達人のはずですよ?」
「…」
優雅に舞っているようなあの動きにはそんなわけがあったのか。
だがやはり,先日の失言がユーリエに与えた影響は大きかったと言わざるをえまい。
「…やむを得んな。せいぜいお手柔らかに頼む」
苦笑しながら言う。
しかし今日は,つくづく残り時間を考える日だ。そう思いながら肩をすくめた。




