純白の舞姫・その壱
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
私はユーリエへの誕生祝いとしてもう一度”紅き流星”の説得を試みようとした。味方にならずとも良い,ただ絶望的な戦場に身を投じて命を無駄にしなければ良い。
それはある意味では傲慢なのかもしれない。みすみす目の前で犠牲が出ることを見過ごせと言われて,それができるとも到底思えない。だがせめて生き延びてほしい,そんな願いを込めてやれるかぎりの事をやろうと思っていた。
だがそれはついに叶わなかった。出発の準備を整えていた私のもとへ飛び込んできた報せ,それは”紅き流星”がいずこへともなく失踪したというものだった。
ユーリエの言によれば,どうやらさらなる強さを得るために一度エリィのもとを離れたということだった。
そしてそれから,ひと月が過ぎた。
確かに私には全く歯が立たなかった彼ではあったが,それでもエースはエースである。苦境に立たされた連合にとっては戦力として外せない存在だったことは間違いない。ところが,にも関わらず彼は失踪した。
無論彼はもともと傭兵,しかも冒険者の傍らで副業としてそれをやっていただけの者であるから,エリティアとの契約状況の如何によってはそれも十分にありうる話で,彼がそれをどうこうと言われるのは筋違いもいいところなのかもしれない。
しかし世の中はそうは見ない。アリシアまでを完全に抑えられた連合の,世界の命運は風前の灯である。邪神の復活を目論む悪逆非道の帝国をこのままにしておけば取り返しのつかない事態を招く,そんな状況で行方をくらますなど,常識的に考えてあり得ない事なのだ。
当然その風当たりは,彼の属していた”風”に,ひいてはその代表であるエリィに向けられることとなった。たとえば仲間に逃げられた残念なリーダーなどと陰に日向に非難され,黙ってそれに耐えるエリィ。
その様子をつぶさに見ていたユーリエの心痛も,察して余りあるものだった。もちろんユーリエは,あの夜の邂逅以降”流星”とエリィに何が起こったかを当事者並みに,いや,こちらの裏を知っているがゆえに当事者以上と言ってもいいが,詳細に把握している。だからどこをどう見てもほかの選択肢を考えられない状況だったということも分かっていた。しかし感情はやはりなかなかそれを納得できない。
もっともユーリエは,それをこちらに言うことだけは断固としてしなかった。言えばかつて父祖に叱責されたことの繰り返し,つまりはこちらが際限なく譲歩して限りなく地歩を危うくしてしまうことがこれ以上ないほど分かっていたからだ。
それでも一人で抱えるには大きな精神的負担である。いきおいユーリエの話し相手はリリーが務めることとなり,ますます二人の結びつきは強くなっていった。
◇
いっぽうの帝国は,着々と攻略に向けた準備を進めていた。
「いよいよ決戦だ」
水晶球の中の仮面が言う。
先の侵攻作戦は失敗に終わり,帝国は決して少なくない損害を受けたわけだが,ようやくその回復に成功したのだ。
「まぁ兵の補充は比較的すぐできるがな。どちらかと言えば,あの無能の調教に時間がかかったのだ」
「…目途が立ったのか?」
だからこその今回の作戦なのだが,思わずそう聞き返してしまう。
「大丈夫だ…と信じたい」
「…」
十分に気を遣い,丁寧に対応したのだとルマールはため息交じりに言う。不信感も不満も,まして対抗心や反発をも決して抱かせぬよう,時間を惜しまずひとつひとつ足場を固めて作戦を練り上げたらしい。
「先日将軍に赤をまとめて止めてもらったおかげで,ずいぶんと安心もできるようになった。これならば何とか,エリティア王城の陥落までこぎつけることができそうだ」
「…そうか」
一瞬脳裏にエリィとユーリエの顔が浮かんでしまう。
「どうした?将軍。浮かない顔に見えるが?」
「…できればこちらも,時を同じくしてマヒロ側から攻め入りたいところだが,な…」
不審がるルマールに無難に返答する。だが決してその言葉にも偽りはない。レヤーネンのあれさえなければすでに勝敗は決していたかも知れないし,二人の苦悩もなかったかも知れないのだ。
「気にするな。確かにそれは理想の形だが,少なくともマヒロの防備に兵を割かねばならない状態にしておけるだけでもかなり助かるからな」
「…すまないな。で,いつ決行を?」
「すでに兵は送った。近日中には陣容が整う。レヤーネンにはマイシャを守らせるから,間違いも起こるまいよ。」
「…そうか。では良い知らせを待つとしよう」
通信を切って,大きく溜息をつく。
「…さて。気は進まぬが,伝えねばなるまい…」
部屋を出て,二人が居るであろうテラスへと向かう。
「あ,ボス」
差し向かいで談笑していた二人だが,ユーリエの背後側からだったこともあってまずリリーがこちらに気づく。
「…」
こちらを振り返ったユーリエの表情は柔らかい。それを曇らせることになるのが分かっているだけに,どうしても気後れしてしまう。
「あの…どうかなさいましたか?」
無論なし崩しの産物ではあるが,そろそろ付き合いも長くなってきた。ちょっとした間合いや表情の微妙な変化で,ユーリエはこちらの思いを何となく把握するようになっていた。途端にその表情が曇る。
「…帝国が…いよいよエリティア攻略軍を動かすらしい」
「!」
緊張が走る。
「てことは…トルサを?」
「…そうだ。兵力の出し惜しみはせず,ほぼ全軍での総攻撃になるだろう」
「…」
顔面蒼白となるユーリエ。無理もない。エリィはトルサ駐在だ。帝国の威信と連合の信念が真っ向からぶつかり合う決戦,壮絶な戦場に身を置くこととなるのは間違いない。そして”流星”は居ないのだ。
「ね,ねぇボス…何とかならないかな…」
リリーが思わずそれを口に出す。
「…自分の身の安全を第一義とするならばそれほど心配は要らない。あれほどの手練れだ,余計な事に気を取られなければどうとでもなる。だが…」
状況的に見て,逃げることを許されるのか。冒険者としてやっていくためにはそれなりに評判は重要だ。たとえ畑違いのものであれ,それが彼女の選択に少なからぬ影響を与える事も考えられる。
「ボス…」
ユーリエは正面に向き直ったためその表情はもちろん分からない。だがそれとこちらとを交互に見るリリーの様子がそれを如実に表している。
「…密かに潜入して意識を失わせ,戦場から遠ざけてしまう方法はある」
「そ,そっか!それなら…」
「いけません」
しかしユーリエが割って入る。
「えー…?」
「将軍,それが帝国の勝利をより確かなものとするための戦術ならば何も申し上げる事はありません。ですが将軍は,明らかに私への配慮で動こうとしています」
「…だが…私には貴女の幸せを守るという大義も…」
そうは言っても歯切れは悪い。戦術と言われてはじめてそれなりに理もあると気づく時点で,それはユーリエの言っていることが全くの正解であることを意味していた。
「将軍のお気持ちは嬉しく思います。ですが将軍は仰いました。何が幸せかは私が決める事だと」
「…」
「同様に考えれば,”風”のエリィも…その幸せは自分で決めるべきです」
「!」
それも確かにその通りだ。自分の職責とユーリエの幸せだけで動こうとしていたが,広い意味でのハンの使命で考えればエリィの幸せも考えなければならない。
「ですから…私も,彼女の決断を尊重して…見守ることにいたします…」
「…女王,貴女は…」
強いな,と言おうとしてそれをやめる。その細い背中が小さく震えていたのだ。
「これまでも…そうだったのです。特に変わりはありません」
(…?)
言葉の端にかすかにまじる,恨みのような響き。
「…何か私に,できる事はあるか?」
「何も…いえ…もし許されるなら…」
こちらを振り返り,まっすぐな瞳を向けてくるユーリエ。
「その時は,私とともに…見届けては頂けないでしょうか…」
「…エリィを?構わないが…それでいいのか?」
「そうです…あ,その…」
そこでちょっと落ち着きを取り戻して我に返り,気まずく思ったのか,ユーリエは取り繕うように言葉を繋ぐ。
「将軍が,私に隠れて手助けしてしまうかも知れません…から…」
「…なるほど,私も見張っていないと危ないという事か」
反論の余地もない。苦笑する。
「…分かった。約束しよう」
「ありがとうございます…」
ユーリエはそこで,ほっとしたような表情を見せた。
◇
それから数日。私は極力ユーリエの傍にいることにした。当のユーリエは私が城に寝泊まりし続けるのは心苦しいと言ったが,極秘にここを離れたりしない事の証を立てるためにはやむを得ない,と言って押し切った。
エリィは案の定,トルサに留まることを選択した。状況を見守り続けるユーリエの言によれば,仲間たちはずいぶんと説得を試みたらしい。だが追い詰められた彼女にはやはり選択肢は残されていなかったのだ。
だが救いは,当然と言えば当然だが,本人が是が非でも生き延びるという決意を固く持っていた事だ。諦めさえしなければ望みはある。それはユーリエの心痛をも随分と軽減した。
そして,運命の日。
「…ここか?」
呼ばれて出向くと卓の上には水晶球。その前には二つ並んで置かれた椅子。その片方にはユーリエが座っている。
「隣に居てあげてよ」
リリーが設えたらしいその配置。ちらりと視線をユーリエに送って了解を取り,そこへ座る。
「…どうなっている?」
後ろに陣取って立つリリーに尋ねる。
「すごい兵力らしいよ。陛下大丈夫?ってくらいの」
「…そうか」
中ではすでに緊張感のみなぎる叫び声が飛び交っていた。そこから判断するに,帝国はトルサを完全包囲しているらしい。
(…ルマール…)
自分ならば必ず逃げ道を用意する。損害を極力出さず,ハンの威光を際立たせる王道で勝利するために。
だが連合が持てる兵力のほとんどをここに集めている以上,ここで殲滅してしまう方が敵の戦意を削ぐことができるのも確かだ。ルマールならば明らかにそちらを選択するだろうし,先のルトリアの一件以来帝国の方針がそちらへ傾いているのも事実だ。
圧倒的なのは兵数ばかりではない。全ての入り口に巨人か,あるいは蟹が投入されているようだ。前回のようにエースが複数いればこそ対応もできようが,エリィ一人ではいかにも分が悪い。全てを同時に止めることなど到底不可能であるから,間違いなく市街戦に突入するだろう。
水晶球に映るエリィは,しかし実に落ち着いていた。新調したらしい鎧に身を包み,目を閉じて静かに佇んでいる。まるでそこだけ時間が止まっているかのような錯覚に陥る。
それを見守るユーリエ。よく見れば小さく震えているが,気丈にまっすぐエリィを見つめている。
「…」
不謹慎だが,二人のその様子がまるで一枚の画のように見えて心を奪われる。
「始まった!」
そこへ飛び込んでくる,彼女の仲間のものと思われる叫び。
かっと目を開くと,エリィは走り出した。




