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女王と将軍

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 父祖の手ひどい叱責から数日が過ぎた。あれ以来,父祖は沈黙を守っている。

 落ち込んでしまったユーリエはなかなか立ち直れずにいた。口数が減り,俯き加減になっている事が増えた。

 それを見るにつけこちらも胸を痛めはするものの,そんな姿を見せようものならますます落ち込むのは見えている。決して楽ではないがユーリエの前ではさして気にもしていないふうを装っていた。

 もちろん感情としては,釈然としないものがある。苦しい決断だろうと自分で決める方が幸せだ,との父祖の言葉自体は決して理の通らぬものではない。だがだからと言って,全く突き放してしまうのは辛すぎるのではないか。どんな事情があるにせよ後見人たるクマルー卿を排除してしまった以上,父祖がもう少し支えてやっても良いのではないだろうか。そんな気持ちはある。

 だがそんな事を言おうものなら,その状況を作ったのは帝国なのだとやり返されてしまって終わるだろう。こちらが原因なのも重々承知であり,そのくせその屋台骨を揺るがしてしまうところだったというのも全くの事実だ。

 だが理性で考えれば収穫もあった。

 現状ではこちらの統制下がもっともユーリエの安全に寄与すると父祖が認識している。そしてその維持のために,ユーリエに自制と熟慮を求めている。この事実は大きい。

 あくまで現状では,という限定はもちろんある。そこには当然,伝説の龍戦士の反応がかなり弱くなっているとのこちらからの情報提示も影響しているだろう。だが少なくとも,今ユーリエが軽々しい行動に出ようとすれば父祖がそれを止める,という事は実証されたのだ。

 それはつまり,こちらがユーリエの監視を緩め,より自由に振る舞う事を認めることができるという事を意味している。

 必要に迫られてリリーが長時間側付きをしている事は,しているリリーにとってもされているユーリエにとっても負担は決して軽くない。それが緩和されるのだ。一緒に居なければならないのと,一緒に居てもいいのとでは随分違う。

 だから父祖のあの物言いは,冷静に見れば見るほどむしろこちらへの配慮ですらあったのかも知れないと思えてしまうのだ。

 ともかく今は,一日を午前午後夜間の三つの時間帯に分け,一日のうち必ずどこかはユーリエが一人で過ごしても構わない時間とした。

 午後。新しい装備の研究をするというリリーを城館に残し,ユーリエと二人で再び書庫へと赴いた。

「…すまないな,女王」

「やむを得ませんから」

 お決まりのやりとり。おそらくユーリエにとっては今が最も気まずい時間帯だ。

 だが自分が帝国を背負って元凶の立場に居る以上,どんな慰めも効果はまず見込めまい。

「今日はどのような文献をお探しで?」

「…そうだな。では…」

 ちょっと逡巡する。おそらくそれを告げればユーリエはまた表情を曇らせるはずだ。

 だがそれを知らないままというのも,いずれどこかでユーリエの心痛を招くことになるだろう。そう思い直す。

「…ハイアム,それから竜騎兵団に関する文献が見たい」

「!」

 案の定,硬直するユーリエ。

「…理由を,お聞きしても?」

「…父祖にせよ貴女にせよ,その単語に並々ならぬ思いがあると感じたからだ。前にも言ったが,私はアリシアの事をもっと良く知らねばならぬ」

「やむを得ませんね。…こちらです」

 小さく溜息をついて,ユーリエは歩き始める。

「…辛そうだな。アリシアにとって,あまり…」

「今のアリシアができるきっかけとなった,悲しい過去です」

 こちらの言葉を遮って言う。

「…今の?」

「昔のアリシアは,今のような専守防衛の国ではありませんでした。大きな軍事力を持ち,どちらかと言えば野心的な国だったのです」

「…ほう」

 という事は,その時代には父祖は居なかったのだろうか。

「ですが,それゆえに戦いが起こり…不幸な結末となりました。その時敵となってしまったのがハイアム王国,ハイアム軍の中で圧倒的な戦果を挙げた部隊が竜騎兵団です」

「…アリシアにとってあまり縁起の良くない名前を,我々黒軍が思い起こさせてしまったということか」

「詳しい事は…お読みになって頂ければわかります」

 そこでまた溜息をついて,ユーリエは立ち止まる。

「あれです」

「…感謝する」

 指さした先にある本を取り出して,近くの椅子まで戻る。

 それに腰掛けて本を開く。書かれているのは,この世界では上位古代語と呼ばれている文字だ。だが自分にとっては元の世界で見慣れていた文字に過ぎない。

 難解な単語が使われている割に初歩的な文法を間違えているところから見て,龍戦士が直接書いたものではあるまい。おそらくはこの世界の者が,あまり広めてほしくないという願いも込めて敢えてこの文字を使ったのだろう,などと先ほどのユーリエの様子から推測する。

 前回は自らも文献を手に取ったユーリエだが,今回はそのつもりがないようだ。別な椅子を適当に離れたところまで持って行ってそれに腰掛け,おとなしくしている。装置が起動している現状では父祖の目が届かないわけだから,こちらを見張る事に集中しようとしているのかも知れない,そう思ってそれきり意識を文献に向ける。

 普通の者ならこれを読むのにはかなり時間がかかるだろう。初歩的な文法の間違えもそれと分からないかもしれないため,その解読にはさらに時間がかかるかもしれない。

 だが自分にとってはほとんど問題にならない。まるで歴史の読み物でも読むかのような感覚で読んでいく。

(…これは…)

 アリシアの双子姫のうち妹姫のエレーナが,なかば政略結婚のような格好でハイアム王へ嫁いだこと。その直後から続いたハイアム王族の立て続けの不審死で,エレーナが謀略の片棒を担いでいると一方的に疑われたこと。夫であるハイアム王の死によって幽閉されてしまい,アリシアとハイアムの戦端を開くきっかけとなってしまったこと。これだけでもかなりの悲劇だ。

(…これが竜騎兵団か…)

 劣勢のハイアム軍の中にあって絶大な戦果を挙げた部隊。龍戦士の子孫たちで構成されたその部隊は,まるで我々黒軍だ。

(…なるほど,これでは…)

 さらに読み進めて,思わず溜息をついてしまう。

 深紅の鎧に身を包む竜騎兵団の団長,シャルル=ナズル。エレーナ姫に捧げた剣にかけて激戦につぐ激戦に身を投じ,それゆえにあらぬ疑いをかけられて守るべき姫を失った悲劇の龍戦士。アリシアの書というところは多分にあるだろうが,姫に献身的であったがゆえに実に好意的な書かれ方をしている。

 これでは父祖やユーリエが複雑な思いになるのも無理はない。たしかに竜騎兵団もシャルルもハイアムの軍だ。受けた損害も計り知れない。だが彼らはただエレーナ姫を,その思いを守るために戦っていただけに過ぎず,敵というには不憫すぎる。

 そこへきて我々のあの物言いだ。だからこそ事の成否に良い影響を与えたのかも知れないが,父祖やユーリエがこちらを竜騎兵団の再来と錯覚してしまうのも無理はない。

 違うのは,それを率いているのが紅の鎧の男ではなく自分であるという点。

 だがそれで良かったのかも知れない。これで自分が紅の鎧など着ていようものなら,勝手に救国の英雄と祭り上げられてしまっていたところだ。もしかしたら例のメダルを光らせた事でそれに近い,こちらからすれば苦笑ものの期待を持たせてしまっているのかも知れないが,そんな空想の類で勝手にこちらを判断されるのも困りものだ。

(…まてよ)

 ひっかかる。確かあの水晶球の中に居た男,アリシアの姫と結ばれるべくして落ちてきた伝説の龍戦士も紅の鎧を着ていた。奇妙に符合する。無論全てではないが,符合しないのはまさにあの狙撃作戦のせいなのではないか,とすら思わせてしまうような思わせぶりな一致。

(…?)

 だがそこで,ユーリエの様子がおかしい事に気づく。こちらが顔を上げた瞬間,視線を逸らすのが視界の端に見て取れたのだ。

 見張っているのならば逸らす必要などない。つまりは何かそれ以外の理由でこちらを見ていたという事だ。

(…観察している…?)

 再び下を向き,文字に目を走らせる素振りを見せながらそれとなく様子を伺うと,ユーリエは確かにこちらを,どんな反応を示すのかを見ている。

「…」

 しばらく静かな時間が流れた。だがそれ以上の何の進展もない。いつまでもこうしているわけにも行くまい。

 ぱたん,と本を閉じ視線を上げる。

「いかがでしたでしょうか…?」

 するとユーリエは,それを待っていたかのように口を開いた。

 様子を探るような雰囲気。こちらの感情の機微を見逃すまいとする意志のようなものを感じる。

「…なるほど,よく分かった…」

 何を期待しているのだろうか,あるいは何を警戒しているのだろうか。こちらもそれとなく様子を探りながら言葉を繋ぐ。

「…我々の存在が奇妙に竜騎兵団と重なっている事で,父祖や貴女に余計な心痛を与えてしまったようだな」

「いえ…こちらこそ,申し訳ありません。あなた方の与り知らぬところで勝手にこうだと決めつけていたようなものです」

 これまでならば狼狽していたようなこちらの言葉に,意外にも冷静に言葉を返してくるユーリエ。

「…それはある程度やむを得ない事だと了解している。自分で言うのも何だが,こちらはおよそ常識からは外れた事をやっているのだ。多少なりとも似通ったものを基準にして判断したいと思うのは,ごく自然な事だろう」

「あの…将軍…」

 そこでユーリエが唐突に,決意を固めたような表情を見せる。

「お尋ねしたいことがあるのですが,よろしいでしょうか?」

「…尋ねたいこと?」

 聞き返す。私を帝国の,言わば意に添わぬ服従を強いてくる支配者の象徴として捉えていたようなユーリエが,なぜ突然そんな事を言い出すのだろう。

「はい。…もちろん,そうすることを許して頂けるならばの話ですが…」

「…前にも言ったが,我々は貴女の意に添うつもりだ。だから許すも許さぬもない」

「ありがとうございます。ですが…その前に約束して頂きたいのです」

「…約束?」

 今度は約束か。一体何を言い出すつもりなのだろうか。

「答えたくない事を,無理に答えようとするのは止めて下さい」

「!」

 なるほど,そういう事か。瞬時に何を言いたかったのかを理解する。

 ユーリエは先日の父祖の叱責を,自分なりに受け止めたのだろう。だからこそ,自分で判断する材料を得るために尋ねようとしている。だが一方で,こちらが際限なく譲歩し秘密を明かしてしまうのも避けようとした。そのための約束だ。

「…分かった,約束しよう」

「感謝いたします…では」

 早速ですがと断って,ユーリエは質問をぶつけてくる。

「どうして将軍は,そこまで私たちに,アリシアに配慮してくださるのです?」

「…先の説明では納得できない,という事か?」

 そう聞き返すと,ユーリエは頷いて口を開く。

「それでは将軍が次々とご自分を追い詰めていく理由が分かりません」

「…」

 確かにそれはそうだ。ハンの使命が常識外れであることをさておいても,普通に考えて,帝国の将軍が自らの地歩を危うくするような事をするわけがない。身命を賭すくらいの心酔でもしていない限り,自分の身を滅ぼすような真似をするなど理解に苦しむのは間違いない。

「あの…答えにくければお答えにならなくとも…」

「…私が,龍戦士だからだろうな」

「えっ?」

「…いや…あくまで私がそうだというだけで,龍戦士が皆そうとは限らぬか」

 苦笑する。

「どういうことです?」

「…私は,否応なしにこの世界へ飛ばされてきた。元の世界の全てを…確かにそれに満足していなかったのも事実だが,ともかく捨てさせられた。つまりは…ここで生きる意味が希薄なのだ」

 黙ってこちらを伺うユーリエ。

「…自分が何のためにここに居るのか。ここへ来た事に何か意味があるのか。そして…いつまでここに居るのか。全てが不確かだ」

 では元の世界に何か確かなものがあったのかと問われればそれは無い。だが一度現実離れした体験をしてしまった今では,いよいよ確かなものなど何もないという気にさせられてしまうのだ。

「…だからこそ,他者を妨げてまで通すようなものは今の私には無い。陛下の使命しかり。アリシアを見守り続けてきた父祖しかり。そして…貴女しかり」

「では将軍は…生きる意味がないから,自分を殺しても構わないと?見つからないから,どうでもいいと?」

 踏み込んで来るユーリエ。

「…そう…だな。少なくとも,元の世界で捨てた以上の何かは必要だろう。自分で捨てたわけではないのだからな。そのうち何かが見つかるかも知れないが,今はとりあえずそれでいい」

 それがハンとの約束だった。

「では…それを見つけようとはなさらないのですか?」

「…」

 見つかったのだ。確かにあの時は。だがそれは永遠に失われてしまった。

「将軍…」

 我知らず心情が表情に出てしまったのだろう。踏み込み過ぎたのかと気まずい表情を浮かべるユーリエ。

「…とりあえず今は。貴女の幸せを守るのが私の目的だ」

 精いっぱいの優しい笑顔を見せる。

「!?で,ですからそれで将軍が…!」

「…もし,私が私の為に行動することを許してくれるのならば…」

 ハンのかつての言葉を思い出す。アリシアの書庫ならば,己が使命の手掛かりが得られるかもしれない。

「…自分が何者なのか,何をすべきなのかも含めて,ここにある文献を見ることを許して欲しい。何が手掛かりになるのかは分からないが…な」

それを聞いてちょっと考え込むユーリエだが,やがて静かに口を開いた。

「分かりました。将軍のために,できる限りのお手伝いをいたします」

「…感謝する」

 自分で暴露しておいて言うのも何だが,妙な話になってきた。だがユーリエの気持ちに虚勢ではない,自然な張りが出てきたようにも見える。ならばそれも良いのかもしれない,そう思う事にした。

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