女王の趣味
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
我々がアリシア王城の制圧に成功してから,数日が過ぎていた。
今のところ,アリシアにはさしたる混乱はない。それはリリーの開発した装置が,龍戦士の力をふんだんに使っているのではないかと心配したくなるほどの絶大な効果を発揮していたからだ。
城内で働く使用人たちは,自分たちや女王への我々の対応にまずは一安心したようだ。これまでと同様に,それぞれの務めを果たす。だが一歩外へ出ればその記憶は失われ,帝国に制圧された城館の中で自分が何を見聞きしていたかは再び中に入るまで思い出す事ができない。
それは政務を担当する大臣たちも同じであった。
アリシアの運営についてはさすがに全く同じと言うわけにも行かない。帝国の占領下であることを意識した上でそれに当たるよう心がける事を通達している。だが逆を言えば,心がけてさえいれば後は好きにして構わないという事でもあり,彼らは城内ではこちらのあり得ないほどの寛大な処置に感謝すらしている状態だ。しかしそれも外へ出れば,女王が身体を張ってそれを守り続けているからだ,という認識に変わる。
問題があるとすればユーリエの精神状態だった。城内ではこちらに感謝すらしている使用人や大臣が,一歩外へ出ればそれを忘れ去って推測でこちらを非難し,それが国民にも広まる。帝国に単身立ち向かい国民の安寧を守り続ける女王,というこちらの狙い通りの構図が出来上がっていくことを割り切れていないのだ。
ユーリエは心のよりどころとして,一方的な善意の押し付けを拒否し対等な関係を保ち続ける事を目指しているようだった。だから立場の強弱を痛感すればするほど,そのバランスを取ろうとして極端な事を言い始める。
あの夜の,リリーの情けない声の原因がまさにそれだった。ユーリエは使用人たちに,我々の朝食と寝室の支度を命じようとしていたのだ。夜襲をかけてきたはずの敵兵に国賓並みのもてなしをしようとする女王。実情を理解する前の使用人たちにとって天地がひっくり返るほどの衝撃だった事は,その表情が如実に物語っていた。
その時のこちらの説得の様子を見たからこそ使用人たちは安心もしたのだが,ユーリエは頑としてそれを譲らなかった。しかし間もなく後続の部隊がやってきて使用人たちの負担が増えるという事を理由に,それはあくまで暫定的な措置としてもらい,代わりに城下の宿屋を借り上げてもらってそこを拠点とした。
アリシア王城の陥落にともなう連合のマイシャ放棄で経路が確保され,それを受けて二日後には後続の黒軍が到着した。今のところ反乱の気配もない事から,全軍を四班に分け,三交代で王城の防衛にあたっている。
破格の扱いを受けたのはリリーであった。身辺を常に警護し続けるという性格上,どうしても女王の側に居続ける必要がある。その為,専用の部屋を設けてもらったばかりか,女王の寝室に寝台まで運び込まれる事態となった。
「ボスぅ~,何とかしてよぉ~」
だがリリーはそう言って泣きついてきた。彼女に言わせると,高級ホテルのスイートルームは自分へのご褒美くらいがちょうど良いのであって,そこ暮らしでは精神が崩壊するとの事。
「…というわけで,何とかしてもらえないだろうか」
その要請はひどくユーリエを落胆させる事にはなったが,他ならぬリリーのためと説き伏せた。かくして王城の一室が,リリーの監督の下,彼女が根城にしていた例の武器屋の地下室そっくりに改装されるという前代未聞の珍事が起こった。そればかりか,食事の面でも宮廷料理人が市井の料理を作るという異常事態。
「へへ…ごめんね,女王様」
「いたしかたありません。健康を損ねさせるわけにも行きませんから」
ぺろりと舌を出すリリーに,苦笑しながらそういうユーリエ。要請しておいて何だが歴史と伝統ある王城をそんなふうにして良いのだろうか,というこちらの心配を他所に,そこには特に気にしたふうも見られない。
何が原因なのだろう。そう心に引っかかり続けていた疑問は,ある日唐突に解消される事となった。
◇
「将軍,お願いがあるのですが…」
その日。部屋を訪れた私にユーリエはそう言った。
「…大きな話なのか?」
ちらりと傍らのリリーを見ると,彼女はうんうんと頷く。
「私が外の様子を見ることを許して欲しいのです」
「!」
確かに大きな話だ。
「実は…私はかなり以前から,水晶球によって,市井の様子を見ていたのです」
「…女王の責務として国民たちの様子を見ていた,と?」
「あ,いえ…」
ちょっとそこで口ごもるユーリエ。
「ある特定の人物の様子を,たまに眺めていたのです」
「!?」
驚く。
「…覗くのが趣味なのか?」
「ちょ…!」
思わず出てしまった言葉に慌てるユーリエ。
「決してそんなやましい心根ではありません!私はただ…その…」
「…もしや…」
反射的に伝説の龍戦士を思い浮かべる。運良くこの世界へ留まった事を何らかの方法で確認したアリシア側が,その動向を確認しているのか?だが自分ではないが,かなり前からというならつじつまが合わない。
「ちっ…違います!殿方ではありません!」
「…?」
赤面しながら必死に否定するユーリエ。微妙に誤解されているようだ。
「ごめんボス…私がその話を聞いた時に言っちゃったんだ。美丈夫物色してるの?って…」
そこでリリーが言葉をはさみ,ぺろりと舌を出す。
「…なるほど…。すまないな,気分を害させてしまったのなら,リリーの分まで謝ろう」
「いえ…私も取り乱してしまいました」
「…で。なぜその女性を見続けているのだ?…無論,差し支えなければで良いが…」
「その女性は…明るく,まっすぐに,日々を精いっぱい生きているのです。彼女を見ていると,私も頑張らなくてはと自然に思えてくるのです」
そう言ってにっこりと笑うユーリエ。
「…そうか」
初めて見る,その心情を率直に表出した表情に,思わず引き込まれてこちらも微笑してしまう。
「先日来戦闘続きで,多少心配ではあったのですが…」
「…なに?」
だが次のユーリエの言葉で,すぐに心も表情も引き締まる。
「その…将軍にお話しすべきと思ったのはそこが大きく絡んでいるのですが…彼女は今,傭兵としてエリティアと契約を結んでいるのです」
「…ということは…我々とも何度か戦っているという事か…」
「はい。ルトリア王城を奪還せんとした戦闘にも参加しています」
「…そうか。無事で良かった」
「えっ?」
予想外の言葉に目を丸くするユーリエ。
「…あれはこちらにとってもギリギリの戦闘だった。魔獣による殲滅を選択せねばならぬほどの,な。…だがそれゆえに力の加減が全くできなかった。魔獣は陛下の使命などお構いなしなのだ。貴女の元気の源という意味でも,陛下の使命という観点から見ても,その女性には生きて幸せになってもらわねばならない」
「将軍…」
「…余計な事を喋りすぎたな。…そういう事ならば問題はない。判断はリリーに任せる」
美丈夫物色などと連想してしまうリリーの判断で良いのだろうか。そんなささやかな疑問を心の奥底に沈めて言う。
「あ,いえ…将軍にも一度,直に見て頂きたく…」
「…私がか?」
その必要は無いと言いかけて,考え直す。その女性が反帝国に身を置いて戦い続ける限り,直接対峙するという可能性はゼロではない。そしていかにハンの使命に関わると言っても,背に腹が代えられなくなる可能性もまたゼロではないのだ。
とすれば自分にできる最善は,その女性を識別できるようにしてその可能性を限りなくゼロに近づける事。いや,自分がその可能性を知らず知らずのうちにゼロにしてしまうことを回避すると言った方が適当か。
「…良いのか?」
「はい。…もしよろしければ,これから…」
「…分かった」
準備を始めるユーリエ。
「楽しみだなぁ,見る前からわくわくしちゃうよ」
にこにこしながら言うリリー。
「最近できた新しい仲間と,かなり親密な間柄になってきているのです。この先どうなっていくのかがとても気になっていて…」
「おおー,それは確かに気になるネッ!」
「…おい」
不安を感じる。リリーの感覚になぞらえて言えば,恋愛ドラマを見ている若い娘の会話に聞こえるのだ。元の世界の自分とは全くの対極。
「ご,誤解はなさらないでくださいね!?決して下世話な興味本位などではなく…そ,そう!妹の行く末を見守ろうという姉の情のような…」
慌てて弁解するユーリエ。
「…そ,そうか…」
やや気まずい沈黙。
「コホン…で,では映しますね」
「…ああ」
時間的には考えにくいが,俗に言う濡れ場だったらかなり気まずくなるのではないだろうか。そんな事を考えて,自分の決断を後悔する。
「はっ!」
「!?」
だがそこで突然の,気合の乗った叫び声に驚く。アリシアの水晶球は叫んで起動させるのだろうか。古いテレビに手刀を叩き込む古典的な画を連想する。
「この方です」
「…」
どうやら違ったようだ。ユーリエではなく水晶球の中の女性が発した声らしい。
声の様子からみてもユーリエの様子からみても濡れ場とは考えにくい。そう判断して後ろからそれを覗き込む。
「…ほう…これは…」
思わず感嘆の声が漏れる。その女性は,行く手に群がる妖魔を片端から薙ぎ払ってどこかへ向かっていた。その踊るような身のこなしから繰り出される鋭い蹴りが,ほとんど何もさせずに敵を蹴散らす。
「強いねー。龍戦士なのかな?」
「いえ…少なくとも龍戦士そのものではありません。素質そのものは受け継いでいるかも知れませんが」
「…龍戦士の子孫,という事か…」
だがなんとなく,これまでの物言いと併せて,ユーリエがリリーに対して好意的である理由は分かったような気がする。
水晶球に映るこの女性は,元の世界の感覚で言えば格闘系のクラブに所属する快活な女子。それを長いこと好意的な目で見てきたと言うなら,それに近い雰囲気を持つ,といっても外向内向の別という意味でだが,リリーが実際に目の前に現れた事は嬉しい事なのかも知れない。
(…この女性に感謝しなければならないな…)
ふっ,と微笑して水晶球に意識を戻した時,そこではちょっとした変化が起こっていた。
「あ,誰か後ろに付いたよ?」
「この方が,最近仲間になった方です」
「おおー」
「…」
影のように付き従い,完全に援護役に徹するその男。
「この人もできそうだね。わざと最小限度に抑えているようにも見えるなぁ」
意外だ。素人のはずのリリーが,女性の方はともかくこの男までそう評するとは。こちらの目にはどことなくぎこちなさが目立つが,全くの素人でない事は確かだ。そしてその状態こそ,素人であるリリーには一番見分けがつかないはずなのだ。
「残念なのは,ちょっと趣味が悪くて…」
「あー,そうだね。たしかに紅一色はちょっといかがなものかだね」
「…」
しかしそんな感心もつかの間,やはりドラマ視聴者のようになってきている二人に絶句する。
その間に中の二人は敵中を突破し,巨人と対峙した。
「く…っ!」
女性が巨人の膝に蹴りを入れるが,さすがに相手が悪い。顔をしかめる。
「…あ」
怒った巨人が斧で女性の胴を薙ぎに来たが,足にダメージの残っていたらしい女性はそれを受けようとして体勢を崩す。
「ああっ!!」
こちらではユーリエが悲痛な叫びを上げ,リリーが目を閉じて顔を背ける。
だがその時,付き従っていた男が斧と女性の間に割って入り,その左腕と左脚で苦も無くそれを受け止めた。
「!」
その瞬間,確かに身に覚えのある感覚が伝わってくる。
(…この男…!)
「ふえぇ…凄いねこの人。片足立ちで,これ止めちゃうの…?」
怖いもの見たさか比較的すぐに目を開けたリリーが,目を丸くする。
「実力はかなりのものですよ。先日は巨大な蟹と一対一で戦っていましたし」
ほっと一安心のユーリエの言葉。
「え…」
思い当たったリリーがそれでまた目を丸くする。
だが,こちらはもはやそれどころではなかった。
「…女王。この女性を見続ける事は全く問題ない」
「あ,はい。ありがとうございます」
「…私は少々急用を思い出したので,すまないがこれで失礼させてもらう。リリー,頼んだぞ」
「う,うん。任せて」
きょとんとする二人を後に,急いで部屋を出た。




