アリシア王城の長い夜・その伍
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
「…女王?」
思わずそう口に出す。
「将軍。やはり私は,貴方の言を信じることができません」
「…それは,無理もないが…」
「私はアリシアの女王として,貴方に抗い続けます」
きっぱりとそう言い切るユーリエ。
「…分かった。信じられないものを無理に信じろと言うつもりもない。それは…時が決める事だ」
不確かなもののなかで,自分のよりどころをはっきりさせていたいのだろう。そう理解する。
「…では女王,今夜の今後の事だが。…まずは,使用人たちの事だ」
「…?」
いきなり予想外の事だったのだろう。気を張っていたユーリエはしかし,それでも思わず目を丸くする。
「…申し訳ないが,制約をつけさせてほしい」
「言葉の意味を,測りかねますが…?」
「…簡単な事だ。先ほど話した通り,我々は貴女を人質にしていなければならない。彼らに余計な事を漏らされては全てが水の泡になる」
「何をどうするおつもりです…?」
「こんなこともあろうと,用意しておいたものがあるのよねー」
そこでリリーが口をはさむ。
「この館の全ての入り口に,装置を仕掛けるんだ。そうすると,ここから出た瞬間に暗示がかかって,こっちの都合の悪い記憶は全部抜けちゃう。話そうとしても思い出せなくなっちゃうんだ」
「そんなことが…それも,龍戦士の力なのですか?」
突拍子もない話に,思わず聞いてしまうユーリエ。
「んー,ちょっとその辺は自信ないなぁ。私たちの居た世界にあった,催眠術を再現しているだけのつもり」
「そもそも…なぜ,そんな回りくどい事を…?」
ハッと我に返り,居住まいを正して聞いてくる。
「…貴女の城内での生活を,なるべく以前と変わらないものにするためだ」
「…!ですから,敵にそんな情けは…」
「えー…」
言いかけたユーリエだが,そこで残念そうな声を上げるリリーに意識を取られる。
「せっかく作ったんだけどなー…」
「え…ですが…しかし…」
(…?)
そこで気まずそうな表情になるユーリエに驚く。リリーが何か,彼女に対して優位に働く特性を持っているのだろうか。
ちらり,とリリーに目配せする。
「どうせ誰かにはやってもらわないといけないんだし,探す手間も省けてこっちも助かるんだけどなー…」
「分かりました。好きにしてください」
ちょっと悩んだだけで,意外にあっさりと折れるユーリエ。もしかすると,一方的に自分たちだけが配慮される格好になるのがまずいのだろうか。
「へへ…ありがとね,女王様」
「…感謝する」
「…」
にっこり笑うリリーには苦笑を返すが,こちらには仏頂面を返すユーリエ。その落差に釈然としないものも感じるが,女王の身の回りを任せるリリーに敵対的でないだけでも良しとしよう。
「…ではリリー,さっそく準備にかかってくれ」
「了解っ」
そういって軽く敬礼すると,ぱたぱたと駆けていくリリー。
「…さて次だ,女王。私を…騎士の剣まで案内して欲しい」
おもむろに言う。
「!」
苦笑しながらリリーを見送っていたユーリエが,途端に表情を強張らせる。
「それは…」
「…なぜそうするかは先ほど話した通りだ。我々も,単なる慈善事業でここにいるわけではない」
「…っ,そんな事は分かっています!」
「…ならばいよいよ選択の余地はあるまい…」
「…」
選択肢など残っていない。邪神の封印と自分の命,そして龍戦士の命と騎士の剣。そのどれかを差し出せと言われれば,答えは火を見るより明らかだ。
それでも何かを悩んでいるようなユーリエに心が痛み,思わず口を滑らせる。
「…龍戦士と帝国が争わぬ道が選べれば話は変わるのだがな…」
「え…っ」
目を丸くするユーリエ。しまった,と思いつつ口を開く。
「…夢物語だ。忘れてくれ」
そんな道が選べていたら私がここへ来ることも無かった,と付け加える。心の底にわだかまる思いなど,夢のまた夢だ。口が裂けても言えるものではない。
「分かりました」
ちょっと考え込んだユーリエは,しかし顔を上げ,意を決したようにきっぱりと言う。
「こちらです」
「…感謝する」
「感謝するのは,まだ早いかも知れませんよ」
先頭に立って歩き出したユーリエは,しかしこちらに背中を向けたまま妙な事を言う。
「…どういう事だ?」
「いかに貴方が稀代の龍戦士とはいえ…騎士の剣を扱うのは難しいという事です」
「!?」
予想外の返答にうろたえる。自分の内心を見透かされたというのか?
「…言っている意味が,分からんな…」
慎重に言葉を選び,尋ねる。
「騎士の剣は,相手を選ぶ剣です」
「…それで?」
「それに触れた者の器が足りなければ,その者には災厄が訪れる,と言われているのです」
ですから…と言葉を継ぐ。
「あれが,正解でした」
ユーリエの指さす先を見ると,扉の前に二人の部下。後回しにはなっていたが発見には成功していたらしい。
「持ってこいなどという指示を出していたら,どんな災厄に見舞われていたか」
「…なるほど,そういう事か」
それで,ルマールの言葉が蘇る。要は,騎士の剣もかなりのへそ曲がりという事だ。そしてユーリエの言葉は,剣に認められなければ動かすこともできないという意味だったわけだ。
「一説によれば,何者かに影を奪われた事が災厄の始まりと言われています。ですが真偽のほどは定かではありません」
「…だが,なぜその話を私に?」
「龍戦士の力を開放されては困ります。それに…騙し討ちのような真似をしたとあっては,我がアリシアの沽券に関わります」
「…女王。貴女は…優しい方なのだな」
思わず,率直な感想を述べる。
「!?」
びくりと身を震わせて立ち止まるユーリエ。
「な…何をわけの分からない事をっ!なぜ私が敵に情けをかけなければならないのですかっ!どこをどう聞いたらそんな誤解が生まれるのです!」
次の瞬間,くるりとこちらを振り返ったかと思うと猛烈にまくしたてる。
「…どこをどう聞いてもそう聞こえるのだが…」
「そんなわけないでしょう!我がアリシアが,貴方たち帝国に借りを作りたくないだけです!」
「…なるほど」
結局はやはり,優しくされただけでは申し訳ないという事だ。
だが確かにそれが敵からともなれば,情にほだされる事には危険もつきまとう。人の上に立つ者としては,どこかに線を引いておくべきかも知れない。
「…女王。貴女は…聡明な方なのだな」
しかしそこで,ついうっかり口を滑らせてまた言ってしまう。
「!?」
目を大きく見開いて硬直したユーリエは,しかしまた猛烈にまくしたてる。
「な…何なのですか貴方は!!私は敵なのですよ!?そうやっておだて上げれば何とかなるとでも…」
「…すまない,失言だった…だが心にもない事を言っているわけでは決してない」
「…!!」
もはや泣きそうになっているユーリエ。
「…」
ちらり,とユーリエ越しに奥をみやれば,部下たちが苦笑交じりにこちらを見ている。
「あ…っ」
そんなこちらの様子でハッと我に返ったユーリエは,反射的に後ろを振り返る。
しかしそのあたりは,日頃リリーとのやりとりを見慣れている部下たちの方が早い。こちらを見ていたことなどまったく感じさせない,ごく自然な様子を作っている。
「…お前たち,ここはもう大丈夫だ。隊に合流しろ」
「了解」
気まずい時間を長引かせないために,部下に指示を出す。だが,万一に備えて極力人を遠ざけておいたほうが良いのも事実だ。
一礼して脇をすり抜けて去っていく部下たち。
落ち着くまでしばらく待つつもりではあったが,意外に早く立ち直ったユーリエは,こちらに背を向けたまま二言三言つぶやいて扉を開く。
「どうぞ…」
そのまま中へ入るユーリエを追うようにして入室する。
「…これか」
後ろ手で扉を閉めながら,つぶやく。部屋の中央には台座があり,その上に浮遊している一振りの剣。
「…こういうのは,一度だけでも遠慮したいのだが…」
これをどうにかするためには,結局これに触れねばならないという事だ。要は蛟龍の時と同じだ。溜息を一つついて歩み寄る。
「あ…いけません」
それをユーリエが引き止める。
「いきなり触れるのは危険です」
「…しかし?破壊しようというのでもなければ,結局は触れねばなるまい?」
「騎士の剣には,その所有者に相応しいかどうかを判定するための物があります」
「…ほう」
蛟龍にはそんなものは無かったが,あるいは長い時間の間に失われてしまったのかも知れない。
「これです」
ユーリエは壁の方へ歩いて行くと,くぼみから何かを取り出して戻ってくる。
「…これ,か…」
手の上に載っているのは,それなりの大きさのメダル。
「実際に見たことはありませんが…騎士の剣に認められた者は,このメダルを輝かせる事ができると言われています。逆に,災厄に見舞われるような者はこのメダルに弾かれるとか」
メダルを見つめながら言う。
「…そうか。女王,感謝する」
「ですから!私はただ…借り…を…」
顔を上げてまた抗議しかけたユーリエだが,こちらの表情を見てその言葉は尻すぼみとなる。
「あの…将軍,何か…?」
だがもはやそんな声はこちらの耳には入っていなかった。いよいよこの時が来たという思いが,他の事に気を向ける余裕を悉く奪っていたのだ。
(…もし私が伝説の龍戦士なら,このメダルが光を放つ…)
ここまでの時間も,そして悲劇も。運命に翻弄された結果という事だ。そしてこの後もそれは続く。伝説の成就は帝国の滅亡,その鍵を自分が握ってしまうのだ。
(…いや,待て…)
自分がもし伝説の龍戦士だと言うなら,むしろ話は簡単かもしれない。自分が帝国の敵に回らなければいいだけだ。
(…だが…)
そう考えても不安は拭えない。結局自分は,あの狙撃で弾かれたにも関わらず今ここに居る。何をしようが帳尻を合わせられてしまうと仮定すれば,自分が帝国と事を構える日が来てもおかしくない。
ハンをはじめ苦楽を共にしてきた者たちと,否応なしに戦う事になった時。自分はどうなってしまうのだろう。何を考えるのだろう。
「く…っ」
嫌な汗が流れる。喉が渇く。ごくり,と唾を飲み込んでそれを潤そうとするが,全くと言っていいほど効果がない。
だが,その時。
〈大いなる慈愛の女神よ,この者の心に安らぎと平穏を与え給え…〉
「!」
小さな声で囁くような,しかし流れるような古代語の詠唱。すぅっ,と緊張が溶けて消え去り,落ち着きが戻ってくる。
「余計な事でしたでしょうか…?何だかとてもお辛そうでしたので…」
控えめに聞いてくるユーリエ。
「…いや…感謝する」
「え…?」
つう,と液体が頬を流れる感覚。それを見たユーリエが目を丸くし,驚きの声を上げる。
「…すまない。好意に甘えておきながら失礼な物言いだが,少々思い出のある魔法だったのでな」
努めて平静に振る舞いながら,それを拭う。
「…感謝する」
もう一度言う。先ほどまでの喉の渇きが嘘のように,自分でも驚くほど優しい声が出た。
しかしすぐに気持ちを引き締め,メダルに意識を集中する。
「…では,試させてもらおう」
意を決し,ユーリエの掌の上にあるそれにそっと触れる。
その時,異変が起こった。




