渡河作戦
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
アリシア王城突入部隊の選抜は済んだ。私とリリー,カールとシェスターをはじめとする八人の部下たちの総勢十名。残る黒軍の者たちは,王城を制圧し防衛システムを無力化した後に合流する運びとなる。
夜を待った我々は月明かりの中を,マイシャ迎撃軍を挟撃するためのリザードマン部隊を連れてガイカースを出発した。
木立の中を進み,それが途切れて見張り塔からの視界に入る直前で進軍を止める。
「…リリー,頼むぞ」
川のこちら側はルトリア領であるから,さすがにここまでは入れていないとは思うが。相手がアリシアだけに目視だけでなく範囲型の探知魔法を仕掛けている可能性がある。また例の防衛システムの範囲も不明だ。
それを逆探知するためのアイテムをリリーは作っていた。ハンの寝室に忍び込む際,ルマールの魔法の範囲を探るために使ったのだそうだ。
「まかせて」
リリーはごそごそと肩からつるしたバッグを漁り,卵ほどの大きさの球体を取り出す。
「へへ…」
ひょいっと前方へ放る。地面にぶつかったそれはぽんっとはじけ,中から小さな人型の何かが現れる。
「!」
リリーそっくりの何か。ぺこりと礼儀正しくお辞儀をするその小さなリリーに,おお,と驚きの声が上がる。
「…これは?」
「自律機動型逆探知システム,”もう一人の私”。先に進ませて,魔力を探らせるんだ。探知するとはじけて消える」
ちなみに投げた人そっくりになるんだよ,とリリーは付け加える。
(…ハンミョウのようなものか…)
ミチオシエとも呼ばれる元の世界の昆虫だが,それと一緒にされてはさすがにリリーも気を悪くするだろう。口には出さずにおく。
「大丈夫そうだね,ここならまだ魔法の範囲には入っていない」
「…よし。お前たちはここで待機。我々が先行して道を作る」
リザードマンに指示を出す。かねての打ち合わせ通り,見張り塔を無力化したあとに合図を出す。それを見てから進軍し,川へ潜むのだ。
「…装置起動。行くぞ」
チョーカーを操作し,小さなリリーがスキップをするように進んでいくその後を追いかける。原理は分からないが,ステルスのかかったこちらを認識できる機能が備わっているのだろう。一定の距離を保ってスキップしていく小さなリリー。
「かわいいもんですね」
「でしょー?自信作なのよね」
シェスターの感想に喜色満面のリリー。
「まぁでも,将軍や我々がスキップしてもあまり可愛くはないと思うが」
「…」
カールのツッコミに笑い声が起こる。
そうこうするうちに川へとたどりつく。向こう岸には見張り塔がそびえ立ち,その入り口には見張りの兵。向こうにはこちらは見えていないとはいえ,やはりそれなりに緊張する。
だが緊張感の欠片も感じさせないのは小さなリリー。これまたどんな原理か分からないが,水の上を平然とスキップし,そこで立ち止まってこちらを振り返る。
「…あれは,大丈夫なのか?」
不安になる。あり得ない物があり得ない所に居るという盲点ではあるが,気づかれる可能性が無いわけではない。だがリリーは余裕の表情で答える。
「問題ないよ。”もう一人の私”は,作動させた本体と連動するからね。今はステルスがかかってる」
「…そうか」
「さて,ここで次のアイテムだね」
またバッグを漁るリリー。すると今度は,何やら液体の入った缶と刷毛を取り出した。
「…これは?」
「まぁ見ててよ」
川べりまで行き,リリーはまず片足の裏に刷毛で液体を塗り付ける。すると,その足を水の上へ。
「!」
おお,とまた驚きの声。沈みもせず水の上に浮いている。
「こういうこと」
残る足の裏にも液体を塗り付け,リリーは川の上に立つ。
「はい,どんどん塗ってー」
まずカールがそれを受け取る。次々と足の裏に塗り付けて川の上へ歩を進める突入部隊。
「凄いですねこれは…」
「でしょー?これも自信作なのよね」
えっへん,とふんぞり返るリリー。
「分からないと思うけど,水には表面張力ってのがあってね。この液体は,塗った物体の重さと相殺しちゃうくらいまでそれを増幅するんだ」
(…アメンボみたいなものか…)
先ほどのハンミョウにひきずられたのか,また昆虫を想像してしまう。だがやはりこれも言ったら気を悪くするだろう。理屈としては物理学の応用なのだから。
しかし,この世界で物理学とはなかなかにシュールだ。この世界ではその天敵とも言える魔法が広く普及している。元の世界でこそ魔法を駆逐し歴史の片隅に埋めてきた自然科学だが,こちらではその欠片すら見当たらない。それを利用しているのは自分の知る限りはルマールとリリーだけだ。
(…)
そこで得体の知れない不安に襲われる。その二人に…。
「ボスー!終わったよー!」
しかしそこで思考を現実に引き戻される。見れば,すでに全員が川の上でこちらの指示を待っている。
「…よし」
いくら装置が起動しているとは言っても,無駄に時間を使うのは得策ではない。速やかに作戦を遂行し,リザードマンをさっさと川に潜ませてしまうべきだ。
「…行くぞ。敵兵には眠ってもらう」
川面をスキップしていく小さなリリーの後をついて,見張り塔へと近づく。素早く駆け寄って眠らせたいところではあるが,どこで探知魔法の範囲に入るか分からない以上は慎重にならざるを得ない。
小さなリリーは川を渡り終え,塔へ。入り口の両側で警護にあたるアリシア騎士の,ちょうど中央に陣取る。
「…」
合図を送る。カールとシェスターがそれぞれに近寄り,同時に当身を食らわせて意識を飛ばす。そのまま倒れないように壁に寄りかからせ,寝てしまったような格好に仕立てる。
「少しだけ扉を開けて,入れてあげて」
音をたてないように隙間を作ると,小さなリリーがそこから中へとスキップしていく。
「ふんふん…」
いつの間にか片方の目にゴーグルのようなものをつけたリリーが頷く。
「一階は広間になってるね。中に居るのは五人。そのうち二人は居眠りしてるみたい」
小さなリリーは小型カメラでも内蔵しているのだろう,と深く考えるのをやめる。当然そのものは無いが,そういう知識,極端な話思い付きさえあれば,魔法で何とでもなるのだ。
「…狙うは三人だ」
部下たちに目配せする。起きている三人だけを眠らせれば,あとで目覚めた時に不覚にも全員が寝てしまった事になる可能性を残せる。残り二人が作戦中に起きるようなら,その時あらためて眠らせればいいだけだ。
扉を再び少しだけ開けて,三人が中へと滑り込む。
幸いこちらには気づかなかったようで,苦もなく起きていた三人を眠らせた。
「…よし,カール隊は上へいって当番を眠らせ,合図を送れ。シェスター隊はこの階の維持」
「はっ」
「了解」
部下たちが次々と中へ入り,それぞれの役割へと散っていく。
「…まずは,第一段階成功だな」
表の二人に変化がない事を確認して,ふぅ,と一つ息をつく。
川に面した見張り塔の窓を見上げると,ちらちらと明かりが揺れているのが見える。カール隊が制圧に成功し,リザードマン隊に合図を送っているのだ。
「ちょっと,川の様子を見て来るね」
「…万一もある。気をつけろ」
見張りが起きないとも限らないので自分はここを動くわけにも行かない。はーい,と言ってリリーは月明かりの下を川べりまで歩いていった。
(…)
そこで先ほどの不安に思考を戻す。
この世界に自然科学の理論を持ち込んできているのは,自分の知る限りはルマールとリリーだけだ。そしてこの二人に共通しているのは,龍戦士であるということ。
不確定要素が多いため断言はできないが,もしかすると,龍戦士の力とは元の世界の知識や技能を指すのかもしれない。
(…さすがに突拍子もない,な…)
苦笑する。その使い過ぎでまた別の世界へ飛ばされるというなら,この世界には自然科学を,ひいては近代への発展を拒絶する何らかの意思が働いているという事になる。
もし仮にそうだとすれば,逆になぜそのような異物を結構な頻度で抱え込むのか。はじめからはじいてしまえば全く問題は無いはずだ。
(…不毛だな)
そんな世界の成り立ちに関わる謎が,到底自分に解けるわけもない。元の世界の成り立ちとて,極論すればその道の天才たちが立てた仮説に過ぎないのだ。
せいぜい龍戦士の力を使う事に慎重であること,それを使うような状況に追い込まれないよう最大限の努力をすること,自分にできるのはそのくらいだ。
(…やはり,邪神の封印は解くべきではない…)
ぶるっと身震いする。蛟龍を手に入れる時に戦った竜の比ではあるまい。あの時すら感情に任せて力を出してしまった自分だ。その蛟龍が我が手にあるということを差し引いても,力の使用は避けられないだろう。
「ボス」
「!」
すぐそばでリリーの声。いつの間にか考えに没頭してしまっていたらしい。
「…どうした」
「リザードマンに聞いたんだけど…この川,おっきな蟹が棲みついているみたいだよ」
「…蟹?」
どうやら一時的に装置を切ったらしい。だがリザードマンが探知されないような状況ならそうそう危険もあるまい,と判断してそれは措く。
「うん。そんじょそこらの城門くらいなら苦もなく破壊しちゃうような,剣も槍もそうそう通さないようなレベルの奴だって」
「…それは,凄いな」
「ただ,言う事を聞かせるのはちょっと難しいって言ってる。多分距離的な問題だと思うけど…」
「…そうか」
最近になって,支配者の杖の影響下にある者がない者に支配力を伝染させる事ができる,という事が分かってきた。もちろん無制限ではなく,使用者であるハンの能力の限界を超えることもできないし,距離の壁を無視することもできない。
しかしこれによって,わざわざ最も深き迷宮から妖魔を呼び寄せなくとも,その土地その土地で現地徴用することが可能となった。これはつまるところ,各地に潜伏して人に仇なす妖魔を,一か所に集めておくことができる事をも意味する。
マイシャに妖魔を集めておく構想にはこれも大いに影響を与えていた。実際の所,今回連れてきたリザードマンの部隊も現地徴用組である。
「…ならば今のところはそっとしておけば良い」
人に危害を加えているわけでもないし,今回の作戦にも必要ない。いずれ機会が訪れるようなら,その時にあらためて考えれば良い事だ。
「分かった,伝えるね」
「…もう一つ」
行きかけたリリーを呼び止める。
「…引き際を見誤って命を粗末にするなよ,と…」
挟撃の場合は密な連携は取れないため,引き際の判断が大事になる。理屈としてもそうだ。だが感情の面でも,リザードマン達の境遇に同情している自分がいるのは間違いなかった。
将軍としては失格なのだがな,と心の中で苦笑する。
「ボス…」
目を丸くして,それから優しい微笑を浮かべ,リリーは敬礼すると川へと走っていった。
「…リザードマンの潜伏完了。こちらも撤退準備だ」
中のシェスターに声をかける。
リザードマンに指示を伝達したリリーが戻ってくる頃には,部隊全員が入り口の前に集合していた。
「…作戦は成功だ。後はアリシア騎士が意識を取り戻す前に離脱する」
「了解」
小さなリリーがまたスキップしながら先行する。
いつ防衛システムの圏内に入るかと内心でヒヤヒヤしていたが,何とか無事に山裾の森の中へとたどり着いた。王城制圧には多大な労力を費やすはずで,それまで装置を起動したままではさすがに疲労が限界に達してしまう。その意味で,装置を切ったまま移動のできる森の中は都合が良い。
「…装置解除。ここからは木々に紛れて可能な限り接近する」
朝までになるべく距離を稼ぎ,昼間は休憩をとって疲労を回復,万全を期して夜に勝負をかける。そういう作戦だ。
静かに,だが確実に,その時は近づいていた。




