背水の陣
私の名はヴァニティ。今はとりあえず帝国軍の将軍だ。
ハンはついに決断し,迷宮から妖魔の軍団を呼び寄せた。といっても大っぴらにではなく国土の外縁ギリギリを行軍させ,極力人目に触れないように,接触を持たないようにである。
一方の本体は全軍を以てマクシフへ進発した。
「…陛下は,大丈夫なのか?」
行軍中,そうルマールに尋ねてみた。表面上は何ともないように振る舞っているが,行動の端々に重さが見える。
「大丈夫ではないよ。支配力ギリギリの妖魔を控えさせているのだ。手元に置けばもう少し楽だというのに,意地でヤーガ側に置いているからな」
溜息をつきながらルマールは答えた。
「少なくとも今回は,ほとんど役に立たん普通のオッサンだと思った方が良い。うっかりこちらに集中しすぎれば制御を失った妖魔どもが向こうで暴れる」
ハンの様子を見ながらの進軍となったのは,反対側を行軍する妖魔との足並みをそろえるためである。なるべく距離が離れないように,並行を保っているのだ。
「まぁ口上だけは替えが効かんから頑張ってもらわねばなるまいが…,後は頼むぞ?将軍」
「…」
頼むと言われても,数次第だ。レヤーネンが言うには前回出てきた暫定政権軍は全体のおよそ半数程度。指揮官だけを潰したことで兵自体の損害は微々たるものだ。勝負を決めに来るなら出し惜しみはすまい。惜しんでいたずらに数を減らせば,その分だけルトリアで冷や飯を食わされるようになるだけだ。
一方のルトリア。ヤーガ側のあれが抜け駆けなら,為すすべなく殲滅されたことは表ざたにはすまい。だがどのみち裏ではかなりプライドを傷つけられたはずだ。それが追い詰められたネズミに手を噛まれた程度とするなら,圧倒的な物量でねじ伏せにくるかも知れない。
「まぁなるようになるさ。我らには他の選択肢などないのだからな。どうにもならなければ枕を並べて討ち死に,それだけだ」
「…そうだな」
口では同調するものの,内心はそれにも抵抗を感じている。自分としてはそれでもいい気もするが,他ならぬハンがそれを良しとしていない。ましてやハンと同様の思いで動いている部隊を持ってしまった今ならなおさらだ。
「だがな。やられるにしてもただやられはせんよ」
と,そこでルマールが独り言のように言う。どこか遠くを見るような,と言っても覆面の為にそれを確かめる術はないが,様子のルマール。だがすぐさまそこに明らかな怒りの色が混じる。
「力で,数で,権勢で!上から圧し潰そうとするような輩には屈しない。もう二度と…絶対に,だ!」
「…ルマール」
口に出してしまったことで,思い出したくない過去を思い出してしまったのだろう。拳が白くなるほど握りしめて言うルマールに,彼女の歩んできた過去を垣間見たような気がして思わずその名を呼ぶ。それでハッと我に返るルマール。
「わ,忘れろ!いいな?…く,不覚…この私が我を忘れるなど…」
後はほとんど聞き取れないほどでぼそぼそとつぶやく。
「…何か言ったか?よく聞こえなかったが…」
「…ふん…」
努めて平然と言う。ルマールはそっぽを向き,それきり口を閉ざした。ハンならこの機会を逃しはすまい,まず間違いなく踏み込んでいく。だがそれはハンの役割で,自分の役割ではない。
だが,さしものハンにも,今はその余裕はあるまい。ルマールももしかしたら余裕を失っているのかも知れないが,その原因の一端もハンが担っているのかも知れない。
(…陛下の余裕が帝国の余裕を左右する…か)
人の事ばかりも言えないな。心の中で苦笑した。
◇
「く…今更ですが,おそろしい数ですね…」
バナドルスがうめく。
マクシフへ到着し一息ついたのもつかの間。驚くべき報告が偵察からもたらされた。暫定政権のほぼ全軍,ルトリア軍全軍の凡そ四割強にも及ぶ大部隊が向かってくるという。おそらくは小細工なしでねじ伏せようという算段だ。
帝国は即座にマクシフを出て,ルトリア領との国境付近,なだらかな丘陵の上に陣取った。ヤーガ側に控える妖魔軍も急きょ呼び寄せたが,その到着にはまだ数日を要するだろう。しかし仮に妖魔の全軍が合流したとて戦力差は数倍にもなる,それだけの大部隊だった。丘陵じたいを半包囲できるほどのそれを,しかしその必要も無いとばかりに集結させている。高低差による不利などものの数ではないとでも言いたげな,圧倒的な示威。
「フン…烏合の衆だよ。少なくともサナリアから逃げた奴らはな」
ルマールが小馬鹿にしたような口調で言う。その演技がかった物言いは,あるいは怒りを押し隠すための仮面か,などと場違いな事を考える。だが自分もかなり傲慢な事を考えているのは間違いない。いざとなれば部隊で突撃して総大将を討つ。さすがに無傷とはいかないだろうが,おそらくは多く見積もっても一人二人であろう被害を,出したくないなどと考えているのだ。
いよいよとなれば龍戦士の力を解き放つ。おそらくはバナドルスやクラルフも同じことを考えているだろう。それがどの程度の力の発現となるかはやってみなければ分からないにしても,かなりのことはできるはずだ。だからこそ全くの絶望を感じている者は一人もいない。しかしさすがに,それが敵のみに襲い掛かると考えられるほど楽観的でもない。出来れば使わずに済ませたいのも間違いないのだ。
(…ん?)
ふと敵軍の中に違和感を覚える。この感覚は,一言で言うなら龍戦士のそれだ。だがそれにしてはあまりに弱い。今にも消え入りそうなその感覚は,おそらく自分にしかそれと意識できないだろう。たとえるなら第五,第六世代くらいの龍戦士。遺伝子の奥底に力の欠片が眠っているような,そんな感覚。
だが釈然とはしない。龍戦士は迫害される宿命と聞いた。騎士階級と言えば家柄や身分を重んじるはず。並外れた戦闘力を持つとはいえ氏素性の知れない龍戦士とは本来相容れない,その血が混じることなどあり得ないもののはずだ。何かの手違いがあればこそだが,そもそもその手違いが入り込む余地などあるのだろうか。
「さて,いくぞ,将軍」
「…うむ」
そこで思考を現実に引き戻される。おそらくは皇帝となったハンの最初の試練。連合軍を相手に口上を述べるハンを護衛するために付き従う。
(…迷宮以来だな…)
また場違いな事を考える。だが状況としては似ているのかもしれない。ハン,ルマールと三人で連合軍の前へ進み出る様は,魑魅魍魎の待つ迷宮へ足を踏み入れた時のような感覚を引き起こす。蜂起の時にも似たようなことはあったが,敵の中へという意味ではそちらが近い。
「儂は皇帝ラズールだ。聞け,連合軍の者どもよ」
ハンが静かに口を開く。例によってルマールの魔法が効いているため,大声を張り上げる必要は無い。
「まずルトリアの者たちに断っておく。儂はサナリアの惨状を見るに見かねて立ち上がっただけに過ぎぬ。もしルトリアがこれをサナリア国内の問題と見てくれるならば,我らはルトリア領を侵さないことをこの場で宣言し軍を引く」
ルマールの音響魔法に浮足立ったことが遠目にも見て取れた連合軍だが,比較的ルトリア側は早く落ち着きを取り戻したようだ。
「次に暫定政権の者たちに断っておく。国王ルフトルール陛下は,国の行く末を案じ,自らの命を以て民と領土の安寧をと望まれた。儂はこの高潔な志に感服し,その意志を継ごうと思っておる。ここまでならば貴君らは生前の陛下を蔑ろにし,今なおその遺志に背く反逆者であるが…」
反逆者,という物言いに暫定政権軍は一層のざわめきを見せるが,ハンはそこへ畳みかけるように斜め上の事を言い出す。
「今こそ明かそう。ルフトルール陛下は貴君らの行く末も案じておった。そして儂に,できる事ならば寛大なるはからいを,と言い遺したのだ」
そんな事実は無い。だが誰かがそう言わない限りはそれが真実だ。実際のところは言ったところで黙殺してしまえばいい。汚いと言えばそれまでかも知れないが,そこには確かに,救いのないサナリア王へのハンの心遣いがあった。一番言い出しそうなのがレヤーネンということも含めて,そちらが真実で良い。
「先日のあれは行き違いが招いた不幸な事故だ。儂はあれをこの場でわびよう。だが思い返して欲しい。貴君らの被害は最小限に食い止められたはずだ。それは我らの,ルフトルール陛下への尊敬の念あらばこそ」
決して言葉を荒立てず,しかし熱っぽくハンは語る。
「あれは貴君らにとって禊でもあったのだ。今こそ我らは過去のわだかまりを捨て,ともに民の安寧を求めようではないか。貴君らにさえその気があるならば,わが国は帰順を歓迎する。とはいえ,故国への思いもあろう。もし帰順を良しとせぬであれば,それもまたひとつの忠義。儂は陛下の遺志を最大限尊重し,貴君らの安全をこちらから害する事は無いと宣言しよう」
そちらが本命だろう。現実的に見て帰順はありえない。レヤーネンとの序列の逆転が起こり得るという一点だけをみても奴らには耐えられまい。そもそも自分たちの正当性を訴えてサナリアを復興させる以外には道は無いのだ。だが公式にルフトルールを持ち上げられ,その遺志に沿うと堂々と宣言されあまつさえその身の安全まで保障されてしまったからには,その正当性は大いに揺らぐこととなる。
「儂の話は以上だ。返答を待つ」
ハンはそう言って言葉を切り,ざわめく連合軍を腕組みしたまま見下ろす。
ここまではほぼ完璧と言って良いだろう。だが問題は先日の妖魔の一件だ。おそらくはその一点を以て全てをひっくり返しに来る。特にこのままでは立つ瀬のない暫定政権が,何も言わずに引き下がるとは到底思えない。
しばらくして連合側から一騎がこちらへ進み出た。あたりが静まり返る。その静寂の中,その騎士は声を張り上げた。
「甘言を,弄すなッ!」
予想通りと言えば予想通りの出だし。
「貴様らは,わが友好国サナリアを簒奪した!邪悪なる者どもであるッ!それは,我が鎮圧部隊を無慈悲に薙ぎ払った魔獣の群れを見ても明らかであるッ!」
今度は帝国軍側に動揺が広がる。
「我ら四王家は!邪悪なる闇の眷属から世を守るために在るッ!その使命にかけて,貴様らを殲滅するッ!」
おおお,と連合軍側に沸き起こる歓声。
「お答えしてもよいかな?良ければ左手を上げてほしい」
それ以上の口上は無いと判断してハンが静かに言う。ややあって騎士の左手が上がり,それを見てハンは口を開く。
「まず。不幸な結果になった事については詫びねばならん。申し訳なかった」
深々と頭を下げる。およそ邪悪なる者には似つかわしくない行動であり,再び連合軍がざわめく。
「妖魔を従えることができるのは事実だ。だが,それは我々が闇の者だからではない。それをこれから話そう」




