立ち込める暗雲
私の名はヴァニティ。成り行き上帝国の将軍をやっている。
マクシフ郊外の戦いにおいて勝利を収め,平和的解決の未来を夢見ながら帰還してきた我々を待っていたのは,それが幻想に過ぎないと見せつける無慈悲な現実だった。
レヤーネンにとっての無慈悲な現実,それは戦勝の価値が下がってしまったことだ。本来ならば帝国の命運をかけた大一番の最大の功績を引っ提げて凱旋,文句なしに昇進の筈が。全く問題にならないほどまでかすんでしまい,昇進の話もちらとも出ずに流されてしまった。
加えてその現実の詳細は,会議に出ることを許されないままの彼には分からずじまい。つまり彼にとっては理不尽な,といっても何を知ったところでそう思うのだろうが,軽視をされた格好になってしまったのだ。
しかし会議で知らされた現実は,確かにそれにふさわしいだけの重みを備えていた。
「…なん…」
最後まで言葉を発する事すらできないほどの深刻な状況。
「そ,それは本当なのか!?ルマール!」
こんなとき,より狭い視野で動いている方が受けるダメージも相対的に少ない。その言葉にハッとして頭を切り替え,重苦しい現実の呪縛を解いてくれたクラルフに感謝する。
「ああ。残念ながらな。嘘をついてもはじまらん」
ルマールの話によれば。ルトリアはマクシフへ連合軍を派遣しておくいっぽう,自分たちだけで別ルート,具体的にはヤーガからここへ攻め寄せようとしていたというのだ。なるほど,確かに言われてみれば,あの時のルトリア指揮官はあれだけの潰走にも関わらず不自然に落ち着きすぎていた。
「ルトリアめ…表ではニコニコ友好ムードを演出しながら,裏では虎視眈々と横取りを狙っていたのか!」
クラルフがダンッ!と卓を叩く。
「ほぅ…?随分と裏を読むようになったな,クラルフ」
ルマールが意外そうな声を上げる。
「単純に見れば,こちらが使った手と同様。足並みをそろえての多方面からの同時攻撃を目論んでいただけなのかも知れませんな。無論聞いてみなければ実際のところは分かりませんが」
バナドルスが解説し,クラルフはなるほど,と腕組みをする。
「…しかし…」
だが深刻なのはそこではない。それを撃退し脅威を排除したからこそここにこうしているのだ。問題はその方法。妖魔,しかも魔獣を使って,一方的にルトリア軍を殺戮し殲滅してしまったことにある。必死に演出したレヤーネンの活躍がかすむどころか,苦心が全て水泡に帰してしまうほどの惨劇。
「…それは…」
無論,そうせざるを得ない状況なのは少し考えればすぐ分かる。だが,もう少し何とかならなかったのか。言っても無駄だと分かってはいても,しかしそれでも抑えきれない思いが口をついて出る。
「分かっているとは思うが,他に選択肢が無い。バナドルス隊を除けば残りは民兵だ。妖魔を使わねば止められんよ」
「…」
勿論分かっている。だが,殺戮では,殲滅では,大義が失われてしまう。
「加えて,誤算が重なったのが不幸だった…」
それを察したのかどうか,やや神妙な口調でルマールが続ける。
「徒歩の妖魔では間に合わなかった事がひとつ。無論はじめから連れてきているわけにもいかなかったわけで,不可抗力でもあるが。いきおい空を飛べ戦力も劣らない魔獣に頼らざるを得なかった」
「確かに,間に合わなくては意味が無いし,戦力不足では間に合っても意味が無い」
クラルフがうめくように言う。
「ところがここでふたつめの誤算。どうやら現状で,支配者の杖には距離の壁が存在するようだ」
「…距離の壁?」
「つまりだな…離れれば離れるほど支配力が落ちるのだよ」
特に相手が大型の魔獣ともなれば,かなり支配力は低下し,細かい指示が不可能になるようなのだ,とルマールは言う。
「こちらとしては拠点防衛で時間を稼ぎ,将軍たちに転戦してもらうつもりだったのだが。奴らはただ単純に,眼前の敵を全力で排除してしまったという事だよ」
「…なるほど…」
支配者の杖の全ての能力を把握していたわけでもない。当然起こり得る不測の事態という事か。聞けば聞くほど,他にどうしようもない状態だと分かる。気持ちはともかく,頭では痛いほどよく分かるのだ。
「…しかし,これで状況はいっそう厳しくなったか…」
「そうだな。正直これは言い訳のしようがない。連中はいよいよかさにかかって攻めたてて来るだろう」
できれば使いたくなかった妖魔を使い,一方的な殲滅を行ってしまったのだ。偶然魔獣がそこに居ただけ,などと誤魔化せるレベルでもあるまい。
「残念ながら,ルトリアの国力は四王家の中でも最大だ。本腰を入れられれば今のわが方には防ぎきれない」
「…」
それも正論だ。今回のような二方面同時攻撃を,より多くの兵力で行われればどうしようもない。
「陛下…」
ルマールがハンの方を振り返る。全てを言うまでもなく,その場の誰もが,それが妖魔を呼び寄せることの承認を求めていることを理解していた。
「…待て」
しかしそれを制する。
「…陛下の決定に異を唱えるつもりはないが,その前にもう一つ二つ,聞いておかねばならぬことがある」
「承ろう,将軍」
「…妖魔を使うとはつまり,陛下自らが前線へ赴いて指揮する,という事なのだな?」
「!」
クラルフとバナドルスがハッとする。惨劇を防ぐためとはいえ,それでは皇帝自らが妖魔を率いる姿を晒す事になってしまう。つまりは,ますます大義や理想とは別の方向へ逸れてしまうという事だ。
「そうせざるを得んだろうな。現状,妖魔に命令を出せるのは陛下だけだ。支配者の杖の解析を進めれば何とかなるかも知れんが,少なくとも敵がそれを待ってくれるとは到底思えん」
「解析…?そんなことが可能なのですか?」
バナドルスが意外そうな声を上げる。
「まぁどこまでできるかは分からんがな。少なくとも支配者の杖は,言葉が通じないはずの多種多様な妖魔に命令を聞かせる能力を持っている。つまりはこちらの意図を向こうに伝達する何らかの理屈があるという事だ。その理屈次第ではうまく応用して,我らの指示が向こうに伝わるようにできるかも知れん」
そうなれば,あとは陛下にこちらの言う事を聞くよう命令してもらうだけだ,とルマールは結ぶ。
「なるほど…距離の壁の問題があるにしても,それならば我らが機に応じた指示を出せますな。陛下を安全な後方に置いておくこともできる」
むぅ,とうなって腕組みをするバナドルス。
「で,後はなんだ?将軍」
「…どこに防衛線を引く予定だ?」
距離の壁があるならば,そうそう遠くへ離れることはできない。だがこの国は,国土の中央を高い山脈によって分断されている。ヤーガ側へ回る事ができるのは,セダイの近辺を除けばあとはルトリア領内なのだ。
仮にこちらの領内に線を引くとすれば,それは間違いなく軍を二手に分ける事となる。となればおそらく,自分は別動隊を指揮する事となりハンとは行動をともにできない。寡兵を打ち破られれば,最悪知らぬ間にハンが討たれてしまうこともあり得る。
だが少ない兵力をかき集めて総力で防衛するためには,線をルトリア領内に引く必要がある。それはつまりは他国へ侵攻して領土を切り取る事を意味するのだ。妖魔を従えて侵攻などという話になれば,いよいよ平和的解決など夢のまた夢だ。
「最終的には陛下の決定だが…枕を並べてスッキリ討ち死にするならルトリアへ出る方向だろう」
「な!?」
討ち死ににクラルフが反応し,ルマールはざっと説明を加える。
「なるほどな…しかし最悪のケースだけ言うとは趣味が悪いんじゃないか?ルマール」
「ありとあらゆるケースを想定し,最悪にも対処できるようにする,それが軍師というものさ」
討ち死にも対処なのだろうか,と思うが口に出すのは止める。それとも,何か別の策があるのだろうか。
「さて…他に何も無いようなら,陛下に決断して頂こう」
「…」
どうやら,無いらしい。一同の視線が集まったことを確認し,ハンが口を開く。
「やむを得まい。妖魔を防衛に当たらせよう。だが防衛線に関しては,あくまでこちらの領内だ」
「陛下?」
敢えて不利な道を選んで良いのですか?と言いたげなルマールを制して言葉を繋ぐ。
「おそらく敵の主力は,より短い距離のマクシフを選択するだろう。先日と違って時間はある。魔獣はあくまで最終手段として,距離があってもより支配しやすい下級妖魔を呼び寄せてヤーガの方を防衛させる。駐屯は都市から十分に離して糧食の補給を行えば,都市への被害は防げよう」
「妖魔に補給をしてやるというのも違和感がありますが,確かに略奪されるよりはマシですな…」
苦笑いを浮かべながら言うバナドルスを横目に見ながら,ハンがこちらのひっかかっていた部分をしっかり考えていたことに安心する。
「その上で,マクシフへは儂も出よう。どれほど効果があるかは分からんが,直に話してみようではないか」
「いっそ杖を使って支配してしまったらいいのではないか?」
気楽に言うクラルフ。するとそこでルマールが口を開く。
「残念だが…支配者の杖にはもう一つ誤算があってな。どうやら支配できる数には限りがあるようなのだ」
「…限り?」
「というよりは,持ち主の精神力に左右されると言ったところだな。陛下だからこそそれなりの数を支配できる,という事だが,妖魔も敵軍もではさすがに…な」
「…そうか」
「皮肉な事に,倒されて数が減れば余裕ができるということだ」
そちらも何とかできるように解析を進めるつもりだがな,と結んでルマールは口を閉ざす。再びハンに視線が集まり,ハンがおもむろに口を開く。
「極力無益な争いは避ける。民の幸せを考えて進めるのが我らの理想だ。苦しい道のりではあるが最善を尽くしていこう」
ハンがこの姿勢を貫いている限り,帝国は道を外すことは無い。帝国が道を外さぬ限り,それが軌道に乗るまで自分は助力する。今はそれでいい。
もし帝国が道を外したら…。そう考えてそれを頭から追い払う。それは今は考えなくてもいいことだ。願わくは,それを考える日が来ないことを,立ち込めた暗雲をハンが振り払ってくれることを。そう信じることにした。




