薄氷の勝利
私の名はヴァニティ。今はとりあえず帝国の将軍だ。
帝国の今後を占う大事な一戦は,刻一刻と近づいていた。かねての作戦通り,正面にはレヤーネン率いる元サナリア部隊が布陣。左右の森にそれぞれ伏兵が布陣して連合軍を待つ。
「…もう一度確認しておくぞ。我が隊は正面のレヤーネン隊が後退し,敵の指揮官が目標位置に到達するのを待って,反対側のクラルフ隊と連携してこれを討つ」
後ろを振り返り,言う。本格的な戦闘行動はもちろん初めてであるが,どの顔にも必要以上の気負いは無い。
「…我が隊の目的はクラルフ隊の援護だ。彼らの敵指揮官までのルートを確保,その妨げとなる敵軍の戦闘力を奪う。やむを得ない場合を除き無益な殺生はするなよ。沈黙させるだけでいい」
普通に考えれば到底無茶な指示だと思う。しかし,それを余裕で実行してしまうだけの強さがこの部隊にはある。ハンの好意に甘えて作った,帝国にではなく自分に付き従ってくれる者たちの部隊。第二第三世代の龍戦士を中心に組織された,少数ではあるが間違いなく最精鋭部隊だ。レヤーネン隊程度の者たちが相手なら,決して冗談ではなく百倍程度の兵数差などものともしないだろう。
「…苦戦するほどの相手ではないが,決して油断はするな。間違っても命を落とすなよ」
だがそれゆえにつらいところもある。彼らの忠誠に報いる何も自分は持っていない。帝国に拠っていればこそその待遇が保証されているのだが,ハンが言ったように自分と帝国が道を違えた時,彼らをどうすればいいのだろう。
(…ハンも,余計な事をしてくれたものだ…)
この部隊が鉄の結束を持つのには理由があった。口止めをしていなかった自分も迂闊ではあったが,自分と姉妹との経緯を,ハンがあの調子で喋ってしまったのだ。
それが分かってすぐに厳重に口止めをしたため,ハンは以降誰にもそれを喋ってはいない。いや,初めからわざとそこだけには話して他には喋る気がなかったのかも知れない。しかしとにかく情報は漏れていない。
それを聞いた兵士の方も,公式には喋っていないと言っている。だがそちらはおそらく嘘だ。この部隊の誰もが知っているだろう。そして困ったことに,ハンと似たようなことを考えているふしがある。つまりは,指揮官の幸せを願い,応援しようとしているのだ。
だからこそこの部隊は秘密を共有する仲間として強い結束力を持っているし,部隊の外へ情報が漏れる心配も考えなくて良い。だがそんな彼らだからこそ,自分の為に苦しませたくはないし,まして命を落としてほしくはないのだ。
またいつもの心配が始まった,とばかりに笑い声が起こり,およそ戦闘開始前には似つかわしくない和やかな空気があたりを支配する。特に近頃はこの空気に随分助けられているが,やはりその一方でひっかかりも大きくなってきた。
「…特にリリー,お前は無茶をするな」
ちらりと視線を送って言う。リリーはもともとこの部隊の一員ではない。どちらかというと技術開発員で,この部隊の装備の開発と製作を担っている。ろくろく戦闘訓練もしていないわけだが,今日は試作品の運用試験を口実に無理矢理参加してきた。
「ほんとボスは心配性だね。戦士型じゃないと言っても,私は第一世代の龍戦士だよ?大丈夫だって」
担いだ長柄の戦鎚の,その柄でとんとんっと肩を叩きながら,リリーがコロコロと屈託のない笑みを浮かべて答える。丸顔で,くりくりとよく動くつぶらな茶色の瞳と団子鼻。小さく肉厚の唇。
どこをどうみても憎めない造りの顔に思わず緩んでしまいそうな気持ちを引き締める。
「…その過信が足下を掬う事を心配しているのだ」
確かに,第一世代の龍戦士が同類以外に不覚を取ることはほぼあり得ない。だがそれは龍戦士としての力を使えばの話だ。要は使う暇を与えなければいい。それに,心配しているのはそれだけではない。力を使うことでこの世界から弾き出される危険性も高まるからだ。リリーは力を使う事をそれほど気にしない。だがクラルフやこの隊の者たちのようなこの世界生まれとは明らかに条件が違うのだ。
「分かってるって,ボス。力を無駄遣いするつもりはないよ」
リリーと出会ってから何度も繰り返されたやりとりだけに,向こうも余裕の表情で先回りしてくる。となればこの先はいつものお約束だ。
「何せ私のこの力は,ボスの役に立てるために使うんだからね」
リリーは当初,部隊の装備の製作を依頼していた鍛冶屋に拾われてその助手をしていたが,ふとしたことから龍戦士であることが判明した。同志を集めていたこともあり,その気があるなら仲間に加えようと訪れたが,たまたまその時ゾンビに襲われていたため,成り行き上命の恩人という事になってしまったのだ。以来リリーは,頑としてそこだけは曲げない。
「…」
正直困りものだ。こちらへ来る前の自分なら間違いなく辟易していただろう。
だが姉妹,特にカティが,そこに好意を感じ,そんな機会を作らないことがそれに報いる最大の返礼だと思うだけの心の余裕を作ってくれた。
「あ…」
これもお約束的に,悲しみが心を満たそうとしたその時。リリーが短く声を上げる。
「…来たか」
そちらを見やると,連合軍が進軍してくるのが目に入る。とたんに和やかな雰囲気は消え,戦場特有の緊張感が満ちてくる。
連合はレヤーネン隊の存在を認めると,適度な距離を置いて停止した。暫定政権軍の総指揮官と思われる者が一騎,前に出る。
「裏切り者レヤーネンは居るか!居るならば出て来い!」
それに応じる形で,レヤーネンが前へ出る。
(…さて,問題は奴がどれほど巧くやれるかだが…)
「ほう,逃げずに出てきたか!裏切り者め!国王を処刑した帝国に与し,恥も知らずに尻尾を振るとは何事だ!申し開きがあるなら言ってみろ,聞くだけ聞いてやる!」
それを聞いて,いきなりこそこそと作戦書を見始めるレヤーネン。
(…いきなりか…)
分かってはいた。分かってはいたからこそ,作戦書にははじめから全て書いてある。だがあの慌てぶりからみて,事前にそれを見てはいなかっただろう。それでいていきなり困るという事は,つまりは何を言われるかなどまったく予想すらせずにこの場を迎えたという事だ。
やっとのことで答えを探し出したらしい。レヤーネンは小さく二度三度と頷くと,顔を上げて声を張り上げた。
「笑い上げるッ!!」
「え?」
きょとんとした顔でリリーが思わず声を上げ,ややあって慌てたように言う。
「ちょ,もしかして笑止のこと?」
「…何も言うな」
もう後戻りはできない。もうそのまま勢いに任せ自信満々のハッタリで乗り切るしかない。
「裏切ったのはどちらだ!恥を知れィ!」
指示通りに多少大げさすぎるほどの間を取り,レヤーネンはこれも指示通り勢い任せの言葉を紡ぐ。
「国王陛下は,若い身空で国を憂いておられた!国の腐敗!それはすなわち君側の奸の専横に他ならない!」
「ちょこちょこ間違ってるし…棒読みだし…」
「…」
溜息をつく。元の世界で書いていた文字は,この世界では上位古代語に分類されている。そのため他者に見せる文書については,この世界の標準語であるネペイジ語にするため筆記官に書かせているのだ。しかしまさかそれすらもまともに読めないとは。想定外だった。
「それが貴様らだ!陛下は逃げ出した貴様らに代わり,自らの命で責任をとられたのだ!」
こうなるともはや我慢比べだ。レヤーネンのしくじりが限界を超えるのが先か,相手が耐えられなくなって仕掛けるのが先かの勝負。嫌な汗が背筋を流れ落ちる。
「それを,陛下を悪者に仕立て,今また己らの欲望を満足させるため暫定政権などと,恥を知れィッ!」
「本人的にはノッてきたみたいだね…」
「…」
しかしこちらの心配を他所に,幾つかの応酬を経て結局はノリと勢いが勝敗を決めた。極論,恥を知れの連呼だけでも良かったのかも知れないと思うほど,レヤーネンは生き生きとその言葉を発し,相手にダメージを与えた。
「おのれっ!その減らず口を叩けなくしてくれる!」
形勢不利と判断した暫定政権側の指揮官が,さっと手を振る。すると連合軍は中空に向かって矢を斉射し,突撃の構えに入った。
「何の,貴様らのごとき裏切り者は,正義の刃にて一蹴してくれる!」
レヤーネンが負けじと手を振り,こちらも矢を斉射。お互いに相手の矢を防いだところで,突撃を開始する。
(…どの口が正義などと…)
そんなこちらの思いなど知るわけもなし。挟撃に出るラインを越え,次々と連合軍へ突撃していくレヤーネン隊。例によって統率とか連携とかそういった言葉とは無縁な動き。
「…さてこれで,あとはどうなるか…」
おそらく向こうの方が部隊運用能力は上だ。しかしその差は微々たるもので,先ほどのノリと勢いの分で挽回できたと見ている。そのまま押し切ってしまうのが理想の勝ち方だ。
「あ…」
しかし現実はそう甘くは無かった。間違いなく戦術の素人のリリーですら分かる大きな弱点。レヤーネン隊の兵士達はその大部分が,味方を盾にして自らは労せず利だけを得ようとしているのだ。
「…っ」
口をついて出かけた呪詛の言葉を何とか押さえ込む。あれでは志のある順に盾にされて命を落としてしまう。それがサナリアの腐敗の根幹であることに思い至らなかった,自らの不明を呪う。
もっとも,現実問題としてはまず杖によって支配されたサナリア兵が盾になる。彼らは他へ配属するわけにも行かないという理由でレヤーネン隊に編入されているが,支配されているがゆえに与えられた命令に逆らう事は無い。だが,もともとが腐敗した者たちとは言っても,さすがに不憫に思う。絶望的な環境で真っ先に殺される役割を担うのだ。
後が無いと思う気持ちは,さすがに暫定政権側が上だった。その根本的な差は小手先ではどうしようもなく,当初の見立てよりもはるかに短い時間でレヤーネン隊は潰走をはじめた。
(…く…)
明らかに早すぎる。これでは策の存在に気づかれてしまうかもしれない。
だがそこで小手先が生きた。口上での優位と,なりふり構わぬ潰走との落差が正常な判断を失わせ,おそらくはよく知るレヤーネンの性格も相まって,策は無いと判断したのだろう。暫定政権側は一気呵成の追撃,殲滅を選択したのだ。
「…よし,出るぞ!」
得意満面の敵指揮官が予定ラインに到達したのを見計らい,短く叫ぶ。黒一色の牙が伸びきった敵の横腹に深々と突き立てられ,そちらに気を取られたタイミングで今度は逆側へ別の牙が食い込む。
「敵将,帝国軍のクラルフが討ち取ったァ!!」
クラルフの凜とした声。瞬殺と言ってすら差し支えない早業。
「…指揮官は討った!死にたくなければ退けっ!」
畳みかけるように声を張り,大混乱に陥った連合軍はレヤーネン隊よろしく潰走する。
「…帰って伝えよ!我々は無益な殺戮は好まない。だが降りかかる火の粉は全力をもって払い落とすぞ!」
やや後方に控えるルトリア部隊指揮官に向かって叫ぶと,いつでも突撃に移れるよう隊列を整え,向こうが残存部隊をまとめて退却を開始するのを見送る。
「…ふぅ」
それがじゅうぶんに離れたのを確認して,短く息を吐く。
レヤーネンに,失念していた策の事を思い出す暇すら与えなかったことは反省材料だ。本来ならさっきの言葉も彼の口から言わせなければならなかったが,彼はこの場に居合わせてすらいない。その意味では策は必ずしも成功とは言えない。しかしその分勝ち方の鮮やかさが際立ち,損害も最小限に抑えた。不測の事態がたてつづけに起こった事を考えればまず上出来と言って良いだろう。
「友軍の大勝利ですな,いや,どうでしたか我々の迫真の演技!」
と,そこでようやくレヤーネンが,喜色満面で現れる。そっぽを向いて聞こえないようにぶつぶつ言うクラルフ,笑いを必死にこらえて小さく震えているリリーを視界の隅に認めて,心の中で苦笑する。
「…そうだな」
「しかし,追撃して殲滅しなくて良かったのですか?」
「…サナリア隊抜きでは数が足らん。効果が上がらなかっただろう。迫真の演技ゆえの誤算だ。まぁさすがに全てが上手くいくとは限らんよ」
やはり作戦書はろくに読んでいないようだ。その無恥で無遠慮な物言いがさすがに目に余り,それとなく釘を刺す。
「む…」
むっとするレヤーネンだが,現実問題として彼の部下達はまだこの場に戻ってすらいない。
「…さて,こちらも撤収するぞ」
これをきっかけに,平和的解決の道をもう一度考えてくれれば良い。最低限,慎重になって欲しい。
だが待っていた現実によって,そんな願いはもろくも崩れ去ることとなった。




