旗揚げ
俺の名はジョウ。異邦人だ。成り行きから最も深き迷宮を攻略し,竜殺し(ドラゴンスレイヤー)となった。
支配者の杖はさすがに噂に違わぬ恐ろしい力を秘めており,帰り道で遭遇した妖魔の類は悉くその支配下に収まった。その支配を解除する方法はついに分からずじまいであり,ハンは無制限の使用,殊に妖魔を麾下に加える事には難色を示したが,背に腹は代えられないという当たり前過ぎる現実に押し切られ,最後の手段としてはそれに頼ることを了承した。
しかしできれば平和的に事を成したい。理を説いて賛同者を得,その数を以て現国王ルフトルールに退位してもらい,なるべく犠牲を減らして新国家を樹立する。その為に最善と思われる計画が,今実行に移されようとしていた。
サナリア王都セダイにほど近く,ルトリア国境側に位置する主要都市マクシフとヤーガにはそれぞれクラルフとバナドルスが手勢を率いて伏せている。ハンの活動の拠点であるこれらの都市は,市民ばかりでなくサナリア軍の中にも賛同者が多く,蜂起すれば戦力バランスは容易に逆転し,十分に圧倒できるという目算が立っている。
その蜂起のきっかけとなるのが,最も深き迷宮側に位置するもうひとつの主要都市,リウォッカでの旗揚げである。短期決戦で相手の戦意を削ぐには挟撃から包囲の形をつくるのが最も効果的であり,ここでどれだけ味方に引き込めるかが全ての鍵を握っていると言って良かった。
「さて…それではそろそろかかるとするか」
ハンが言う。さすがにその表情には緊張が見て取れる。
「…できれば,支配者の杖を使わずに味方に引き込みたいものだが…」
「うむ。言うなれば,そういう者たちは理や信念で動く者たちであるから。よき同胞として国の為に働いてくれよう」
「…なるべくそう願いたいものだ」
現時点ではこちらの計画の全容は分からない。街の中央にある広場でハンが旗揚げの演説をするわけだが,どこぞの者とも知れぬ者にそれだけで賛同してくれる者がどれだけいるか。計画を明らかにしてしまえば逆に打算や保身で寝返る者が出る,との判断で今回のこの手順となったわけだが,かなり分の悪い勝負である。
「数人から少数規模の鎮圧部隊は任せるぞ」
すでに軍師然とした演技をしているマードックが言う。
「…分かった」
ただ一人で演説をするハンを護るのが今回の役割だ。すでに広場の周囲には市民に偽装した部隊を潜ませているが,大規模になれば演説どころではなくなる。数にもよるが,すべて自分が片付ける。そういう了解の下にこの計画は成り立っていた。
「まぁ蛟龍に認められた竜殺し様だ,数人だろうが数十人だろうが,ものの数ではないだろうがな」
「…たとえ…」
一個師団に囲まれても不覚をとらない限りはやられない自信はある,と言いかけて,不意に昔の事を思い出して口をつぐむ。
「どうした?」
「…いや,何でもない。大丈夫だ」
「ところで,お前はどうするのだ?」
ハンが割って入る。どうするとは,名前の事だった。旗揚げに際してそれなりの体裁が必要だ,とのマードックの発案が採られ,皇帝となるハンとその両腕にあたる二人,つまりは今ここにいる自分とマードックは新しい名を名乗る事となっていた。すでにハンはラズール,マードックはルマールと名乗る事を決めていたが,自分はこれといった名を思いつかず今に至っていたのだ。
「…そうだな…」
あらためて昔の事を思い出す。そもそもジョウ=シーゲルを名乗ったのは,本名である森城茂をそれなりの形で留めておきたかったからだ。あれからかなりの時間が過ぎ,二刀も迷宮に置いてきた今となっては,元の世界と自分を繋ぎ留めておくたったひとつのものである。今更という思いもあるが,かといってすべてを捨ててしまえるほど今の自分の気持ちは前向きではない。
しかしリーリヤから魔法の手ほどきを受けた今では,本名に由来する名を名乗っている事の危険も重々承知している。これから責任ある立場に就くのであればなおのこと,付け入られる隙はなるべく減らしておくに越したことはない。
今日はよく昔の事を考える日だ,と苦笑して,ふとまた別の出来事を思い出す。
「…ならば,ヴァニティとしよう…」
ヴァニティみたいな奴だなお前は,と錦土に言われたのを思い出したのだ。お互い小学生の頃であっただろうか。すでに勉学と修行に明け暮れていた自分には全く何のことか分からなかったが,その当時流行していたアニメか何かの主要キャラクターらしい。真面目で堅物,人生の回り道で損ばかりしているような雰囲気がそっくりだ,などとかなり失礼な事を言われた記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。未練かもな,と思いつつ,元の世界に由来するその名を借りることにする。
「ヴァニティ,だと?」
意外な反応。心底驚いたような表情に興味をそそられる。
「…知っているのか?ハ…いや,ラズール?」
「貴公は知らぬのか?」
口調が変わる。龍戦士であるラズールならば元の世界の事を知っていても不思議はないが,カッコいいと自称したその物言いと,どこか通じるものがあるのだろうか。
「…友が…。昔,友が俺の事をそう評して言った名だ。それ以上の事は知らん」
「…そうか…友が…」
ふっと遠くを見るような優しい目になるラズール。
「…?」
初めて見るその表情に驚いたのもつかの間,彼はにやりと笑って続ける。
「なかなか見る目があるではないか,其奴。きっとひとかどの人物に違いあるまい」
「…」
それはつまり,今の自分が相変わらずの堅物で損ばかりの人生だという事なのだろうか。
「そろそろだぞ。無駄話は事が済んでからだ」
しかしそこで,意識を現実に引き戻すルマールの言葉。すぐに頭を切り替える。
「では閣下,参りましょう」
「うむ」
(閣下,か…)
広場へ向けて歩みだす二人に付き従いながら考える。仮に事が成って建国すれば,陛下と呼ぶことになるのだろうか。ルマールをはじめ,ラズールに付き従う者たちはそうなるだろう。だが自分はあくまで,自分の道を見つけるまで彼に手を貸している,という立ち位置に過ぎない。
その意味ではヴァニティを名乗って正解なのかもしれない。彼の下で戦う将軍としてのかりそめの自分。いずれ分かれ道で道を違える時が来るかもしれないが,少なくともそれまではそれでいいのかもしれない。
「突然の事で驚くかも知れないが,聞いてほしい!儂はラズール。この国の行く末を案ずる者だ!」
ラズールが朗々と声を上げる。元の世界と違いマイクもメガホンも無い街頭演説であるが,そこはそれ,脇に控えるルマールが魔法を使って同様,いやそれ以上の効果を作り出している。この演説の内容は街じゅうに,一定した適度な音量で流れているはずだ。
「…若き新王ルフトルールに魑魅魍魎共を抑える力は無く!国政は腐敗の一途を辿っておる!」
(…そろそろだな)
すっ,と邪魔にならない様にラズールの脇を離れ,駐屯地の方へ進む。おそらくは演説をやめさせるべくサナリア騎士たちがやってくるはずだ。
ほどなくがちゃがちゃと鎧の音が近づいて来る。数は十数といったところか。およそ統率ととも連携とも無縁の動きで,休日という事もあり決して少なくはない市民たちの注目を悪い意味で集める。
「街の平穏を乱す不逞の輩,その演説やめーい!…む?」
その行く手を阻むように,道の真ん中に立ちはだかる。
「…やめさせるわけには行かぬのだ。お前たち,せめて演説が終わるまでおとなしくしていて,中身で判断してくれぬか?」
「貴様は何者だ!?」
「…私の名はヴァニティ。あそこで演説をしているラズールの…賛同者だ」
配下だと言うことがためらわれたためだが,何とも間抜けた自己紹介になったものだ,と内心苦笑する。
「邪魔をするな!どけ!」
「…ここでも聞く分には支障あるまい。通ろうとするなら聞く気は無いと判断して,沈黙させる」
「たった一人で偉そうにッ!」
先頭の騎士が殴りかかってくる。その拳を身体をひねってかわしながらその腹側へと掌で押して上半身を回転させ,無防備にさらされた延髄へと手刀を叩き込む。何が起こったかも分からないうちに意識を飛ばされ,その騎士は倒れた。
「!?」
色めき立つ騎士たち。おお,と観衆からはざわめきが起こる。
「…国の事を想うのなら耳を傾けてほしい。聞いて,考えて,判断して…」
「賊徒が言う事かっ!」
数人の騎士が剣を抜いて斬りかかってくる。最小限の動きで紙一重でその剣をかわし,急所へ正確な当身。次々と折り重なって倒れていく騎士たち。
「ば,馬鹿な…」
呆然とする残った騎士たち。圧倒的な実力差を見せつけられてうろたえる。しかしこちらはこちらで暗澹たる気持ちになる。おそらくこの騎士たちはほとんど全く鍛錬を行っていない。動きが素人のそれと変わらないのだ。志があるとも,ラズールの演説が心に響くとも到底思えない。そればかりか,味方にしたところで戦力としてほとんどあてにならないだろう。
(ここまで腐敗していたとは…)
いっそ大掃除をしてしまったほうが良いのではないか,と思い,うんざりしながらそれを否定する。頭数が減ってしまえば,隣国がそれを黙って見過ごすわけがあるまい。簒奪者にして虐殺を行った非道の帝国,侵攻するにはこれ以上ない大義名分だ。あくまで人道的に,あくまで平和的に,極力流される血を減らして事を成さねばならない。
「…まだやるか。それともおとなしく耳を傾けるか…」
「く…退くぞ!増援を要請する!」
口だけは威勢よく,その実ほうほうの体で残った騎士たちは退散する。ふぅ,と失望の溜息をついて走り去る騎士たちの背中を見やる。
「…案ずる事は無い!見よ,わが方には一騎当千の強者が居る!」
「な…?」
そこで,唐突に耳に飛び込んで来たラズールの言葉に狼狽する。振り返れば衆目が集まっている。
「彼の下に諸君の力を結集すれば事は成る!どうか力を貸して欲しい!」
おおおおお!と沸き起こる歓声。ある者は持っていた物を,持っていない者はその拳を突き上げる。民衆の熱情が大きなうねりとなって辺りに広がっていくのがはっきり感じられた。
「…おい」
おそらくは勢いで言ってしまっで引っ込みがつかなくなったのだろう,ばつの悪そうな表情でぺろりと舌をだすラズールと,その傍らで笑いをこらえるように小さく震えるルマール。やれやれだ,そうつぶやいて大きく溜息をついた。




