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邪神との対峙

 俺の名はジョウ。異邦人だ。しかし元の世界と自分を繋ぐものは失われてしまい,この世界へのこだわりも失われてしまった。

 自分の迂闊さを呪うのみであるが,今は自分の存在意義もこの世界への帰属感もはなはだ希薄である。

 二刀と引き替えにする格好で手に入れた咬龍はしっくりと手になじみ,恐ろしいほどの力も感じる。だがそれを振るうだけの意味が今ひとつ心もとない。

 ハンの使命に助力するという目的の大部分は,支配者の杖を手に入れることによってその必要がなくなる筈だ。それにまず何より,ハン自身が自分の使命の手駒として使うことを良しとしないだろう。

 では自分の使命が何かと言えばそれは分からないし,この喪失感に代わる何かが得られるかも分からない。それに,それ以前に得たいという気も今は希薄であった。

「どうやら支配者の杖はこの先だ」

「…そうか」

 鍛え抜いた身体の反応と蛟龍の力に任せて群がる妖魔を機械的に斬り倒しながら,マードックの言葉に無感動に相づちをうつ。

「だが…困った事に…」

「…どうした?」

「邪神とのご対面無くして杖にはたどりつけなそうだ…」

「他のルートが無いということか?」

 ハンが尋ねる。

「そうだ。大きく遠回りをすればあるいは,というところかも知れないが,少なくともルートを探知できる範囲内に別の選択肢はない…」

 さすがに覆面越しでも緊張や不安が感じられる。

「できればお目にかかりたくはないが…よもや攻撃されるということはないだろう?」

 楽天的なハンでさえも,やや表情が硬い。

「その点は大丈夫の筈だ。封印が解けていれば話は別だろうが,まがりなりにも四王家が健在の今は,完全に封印されている筈だ」

「…仮に大きく遠回りしたところで,別ルートが必ず見つかるわけでもない,ということでいいんだな…?」

「そうだ…」

 決断を仰ぐためにちらりとハンを見る。ハンはしばらくの逡巡のあと,殊更に力を込めて言った。

「行こう。不確実な方法に時間と労力を割くわけにはいかん」

 断続的に遭遇する妖魔をなぎ倒しながら,着実に問題の地点へと進んでいく。邪神に近づいているという心境がそう感じさせているだけなのか,次第に圧迫感が増しているような印象だ。もともと多くはなかったがさらに口数も減る。

 体感温度も心持ち下がってきているだろうか。それなりに運動している自分にはむしろ涼しいと感じるが,後ろをついてくるだけのマードックは肌寒さを感じているのかも知れない。

「そろそろだ…」

 マードックの声にぎゅっ,と柄を握りしめる。封印が働いているからどうこうという事は無い筈だが,万一という可能性もある。先ほどのような失態は繰り返すわけには行かない。

 角を曲がると,また先ほどと似たような場所。過去の破壊によって大部分が空洞となったと言った方が正解なのだろうか,たくさんの空洞の上にそれぞれ橋が渡されているといった印象さえ受ける。

 そして,右手に見える巨大な,圧倒的な威圧感と恐怖感を醸し出す異形の存在。

「…あれが,邪神か…」

 思わずつぶやく。顔だけでもゆうに自分の数倍はあるだろう。こんなものをどうこうできる気がしない。

「できうるならば,こんなものは永久に封印されていて欲しいものだな」

 ハンがぶるっと身震いする。

 かけられている橋はちょうどその顔の正面を通っている。橋から顔まではそれなりの距離があるが,それでも通るのはかなりの勇気を振り絞らなければならない。

 不測の事態に,といっても起こってしまえばどうにもならないのだろうが,備えながら慎重に進んでいく。封印されている,ということが分かっていても極力刺激はしたくない。誰もが無言で,自然にそろそろとした歩みになる。邪神のどんなささいな変化も見逃すまいと,視線は自然にそれにくぎ付けとなっていた。

 異変は,ちょうど顔の正面にさしかかった時に起こった。閉じられていた邪神の目が,突如としてぎょろり,と開かれたのだ。

「!?」

 その瞬間に二つの驚くべき出来事。ひとつは,邪神から烈風のような,衝撃波めいた威圧感とも呼べる何かがほとばしったこと。それによってハンとマードックは吹き飛ばされ,欄干にしたたかに身体を打ち付ける。もうひとつは,しかし自分だけは全くその影響をうけなかったこと。おそらくは腰の蛟龍がその力を打ち消したのだろう。

 いきおい,ひとりだけ邪神の視線を正面から受け止めて対峙する格好となる。もしこの邪神の封印が解けてしまったら,それと戦うのが自分の逃れ得ぬ宿命なのかもしれない,そんな思いが心をかすめる。

「ぐ,む…」

 しかしその対峙は長くは続かなかった。聞こえてきたうめき声にハッと我に返る。

「二人とも!大丈夫か」

「儂は何とか大丈夫だが…」

 軽く頭を振りながらよろよろと立ち上がるハン。しかしもういっぽうのマードックは倒れたまま起き上がらない。

「マードック!」

 駆け寄って抱き起す。服装からは分からなかったが華奢な手触り。がたがたと震えている。

「ふ,はは,ふはははは…」

 しかし予想外に笑い出すマードック。

「…マードック?」

「凄い,凄いじゃないか邪神は…封印が完全な状態だというのに,ひとにらみでこれだけの力があるのか?私とて龍戦士だぞ?なんと恐ろしい…」

「…」

 そこで我に返り,マードックは助け起こした手を振り払う。

「心配してくれた事には礼を言う。だが気安く触るのはやめてもらおう。私のことなど放っておけ」

 そう言って,苦労しながらも自らで立ち上がるマードック。そこに彼女の歩んできた生き様と意地を見る。

「…分かった」

 ハンならばそんなことは意に介さず踏み込んで抱え込もうとするだろうが,少なくとも自分にはそんなことをする資格は無い。いつの日か彼女の頑なな心をハンが解きほぐすのかどうか。それもおそらくは二人の問題であって,自分が関与すべきことでもない。

 邪神はまた目を閉じてしまったようだ。興味を失ったのか,もはやピクリとも動かない。いや,どの道封印が解けていないのだから動けるはずもない。

「…とりあえず,あれ以上の何かがあると言うわけでもない,か…」

「そのようだな。さぁ,先を急ごう。杖の反応はすぐそこだ」

 マードックの言葉に従って歩き出す。

(…しかし…)

 もしかしたら,蛟龍があそこにあったのは邪神との無用な接触をさせないためだったのかも知れない。現実問題,蛟龍の所有者となった自分は邪神からの圧力を完全にはねのけた。他の二人も龍戦士だったからこそあれで済んだのかも知れないが,それがもしそうでなかったら何が起こっていたかは分からない。

「あれだ」

 その言葉に我に返る。橋を渡り終え,扉を一つ開いたところにそれはあった。台座の上に刺さった格好で立つ,凝った装飾の杖。その一番上にはこれまで見たどれよりもはるかに巨大な宝玉がはめ込まれ,何とも言えない力をそこから感じる。

「儂が引き抜けばいいのか?」

「ちょっと待て。詳しい事は調べてみないと分からない」

 近寄って手を伸ばそうとしたハンを制し,マードックはぶつぶつと小声でつぶやきながら杖に手をかざす。その手から赤,緑,黄をはじめ色彩豊かな光がほとばしり,杖を包んでは吸い込まれるように消えていく。

「よし,これでいいはずだ」

 やがて準備が終わったのか,杖から離れるマードック。入れ替わりにハンが近寄り,杖を握る。

「…!」

 その瞬間,杖から先ほどの光が帯のように発せられてハンを包み込む。その様子がまるで食虫植物に捕食された虫のように見えて,思わず身構える。

 その光は完全にハンを包み込むと,一瞬の輝きを残して完全に消滅した。その場には何事も無かったようなハンの姿。

「…ハン?」

「びっくりはしたが…特にどうこうというわけでもないようだな。ちょっとした耳鳴り程度だ」

 その返事を聞いてほっとする。

「とりあえず,目的達成だな。これでハンは絶大なるカリスマを得て,特に抵抗力の弱いものは無条件に心服させることができるようになったはずだ」

「どうやって使うのだ?この杖は?」

「文献によれば,杖の先端にある宝玉の力を使うらしい。杖の先端を相手に向ける事によって,その相手を従わせるようだな」

 そしてマードックはとんでもないことを言い出す。

「影響が及ぶ相手は人には限らないらしいからな。使い方の実験をするために,帰りに襲ってくる妖魔に向けて使ってみるといいだろう」

「…なに?それでは…」

 本来人に仇なす存在である妖魔を麾下に加える事ができるというのか。しかしそんなことをすれば,解放のための挙兵という大義名分を無くしてしまうのではないか。

「なに,あくまで実験だ。使い方を覚えてサナリア騎士団さえ味方につけてしまえば,そんなものに頼る必要は無くなるはずだ」

 その不安をどう受け止めているのか。覆面によってその表情を隠したマードックは淡々と言う。

「だが最大の不安要素は,この杖の力のほども現状ではよくわかっていないという事。サナリア騎士を味方につけるのが難しいとなっても,もはや引っ込みはつくまい?猫の手ならぬ,妖魔の手も借りねば兵力差はひっくり返らんよ」

 確かにそれも一理はある。いくら人気があるとはいってもハンの為政者としての力量は未知数で,十分な数が集まらない可能性も否定できない。待ったなしというところから今回の計画が持ち上がってきているのだから,今更杖の力が人には及ばないとなったところで中止することは現実的でない。だが,妖魔の力を利用してまで成すべきことなのか?

「…ハン…」

 ちらりとハンを見る。ハンの使命であるからにはハンが決めるべきだ。最終的な判断はハンに委ねる。これまでもそうしてきたし,これからもそうだ。そうでなければならない。

「やむを得まいな。現実問題ぶっつけはリスクが大きい。一度支配下に置いた者を解放できるのかどうかも含めて試しておく必要はあるだろう」

「…なるほど」

 納得する。妖魔どうこう以前に,他者を一方的に支配することをよしとしないハンだからこその言葉。だからこそまさにハンが所有者にふさわしく,危険を冒してここまで足労願ったのも間違いでなかったと確信する。

「必要がなければ,ここに置いておけば良いだけさ。もしかしたらこの迷宮内で使い道ができるかもしれないしな」

 マードックの言葉にうなずくハンを横目に見ながら,いつかロケットを探しに来る日のことを思い浮かべてしまった自分に苦笑した。

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