ダブルブッキング
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
起死回生の期待を込めた書状は無事に届き,そのカギを握るエリィはアリシア行きを決意した。だがまるでその歓喜を遮るかのようにクーラは話を切り出した。
たとえ自分が責任を取って職を辞す事になろうとも受けるべきではない,とまで言う連合の新しい作戦。だがそれをやらねば連合の存在意義そのものが揺らいでしまうと彼は言う。
「存在意義って…四王家の総がかり?他に何かあったっけ?」
「!」
リリーが口に出した素朴な疑問を聞いて,ぎくりとする。
「バカな…」
水晶球の中で,ノエルがこちらの心情を代弁する。
「え?え?どういう事?」
話についていけず交互に顔を見比べるエリィ。
「…おそらくは…サナリア王族が見つかったという情報が入ったのだろう」
それが彼女に聞こえるはずも無いと解ってはいても,そう答えてしまう。今までばらばらだった事象が急速に,いやな予感としてまとまっていく。その不快感に堪えられなくなってしまって思わず口を開いてしまった格好だ。
「ですが…確かサナリア王族は…」
エリィの代わりにユーリエがそう訊ねてくる。
「…ああ。帝国が建国した折に,国王ルフトルールは臣民の助命の為自らの命を投げ出し…」
た事になっている,と心の中で付け加える。
「…そして,王妹のリュミエールは消息不明…」
という事になっている,とやはり心の中で付け加える。実際は二人とも惨い最期を迎えているわけだが,それは此処で言うべきことではあるまい。
「では,今回関わってくるのは出奔した王兄のエルノアール殿でしょうか?」
「…順当に行けばそうだろうが,厄介な作戦と言うのがひっかかる」
あの時のルマールの言葉が鮮明に耳に蘇る。四王家の総決起が連合の旗印なら,それを逆手にとって悪夢を見せると彼女は確かにそう言った。
そしてその不安は的中した。
「今回諜報部が掴んだ情報によれば…生存しているらしいのは王妹のリュミエール殿です」
「…なっ!?」
クーラの言葉に耳を疑い,思わず口をついて言葉が出てしまう。しまった,と思うがもう遅い。
「ボス…?」
「将軍…?」
聞きとがめる二人。
「…公式見解としては消息不明だが,実際はそうではないのだ…」
誤魔化す事はできまい,そう判断してしぶしぶ口を開く。
「えっ?」
「…真実はこうだ。我々はサナリア王都セダイ攻略に先立ち,国王および王妹を引き渡せば他の支配階級の者たちの国外退去を認める,という打診を行い…彼らはそれを受け入れた」
「え…ええ?」
目を丸くするリリー。
「…ところが,だ。国王を最後まで警護する役目を与えられ事実上退去組から切り捨てられたレヤーネンが…自らの保身の為に二人を弑逆したのだ」
「!?」
息を飲むユーリエ。
「え,そ,それじゃ…生存しているってのは嘘!?」
「…間違いない。私がこの目でその現場を確認したのだ。帝国の公式見解は,言わば報われぬ人生だった二人への陛下なりの配慮なのだ。だからこれは…」
「罠だっつってんだろ!」
そこで水晶球にノエルの声が飛び込んで来る。
「しかもこいつは,あの閣下と同じだ!龍戦士を仕留めようとしてんだよ!」
「…その通りだ」
水晶球の中のノエルに相槌を打つ。
「ルマールは以前,四王家の総決起を逆手にとって連合に悪夢を見せると言っていた…」
「え?ええ!?そ,それってまずいじゃない…」
リリーの顔が青ざめる。
「…ああ。ただでさえお節介焼きのエリィが,しかも女王という役割を与えられて,そうあるべきで行動する事に慣らされてしまっている。首を突っ込まないとは到底…」
「だ…誰かがやらなきゃならないじゃない!」
案の定,そう叫ぶエリィ。
「その誰かはお嬢ちゃんでなくていいだろうが!」
もの凄い剣幕でそれに怒鳴りつけ,ノエルはさらにノーブルをにらみつける。
「てめぇのせいだぞノーブル!てめぇがお嬢ちゃんに女王の真似事なんかさせやがるから!演じてるだけで良かったってのに,心構えまで吹き込みやがるから!”風”はあくまでただの冒険者なんだ!慈善団体じゃねぇ!まして支配階級なんかじゃねぇし,そんなの目指してるわけでもねぇだろっ!」
(…!)
その時,唐突に気づく。
(…まさか,この男…)
どこかで見た顔だと思っていた。それがどこだったか思い出せずにいた。だがそれがまさか,あの生首だとは思いもよらなかったのだ。ノエルと名乗るこの盗賊は,ルフトルールに似ている。つまりそれは,この男がその兄,出奔したサナリア第一王子のエルノアールかも知れない事を意味する。
「王族だ何だって,そんなの関係ない!リュミエール様がかわいそう…」
「!」
エリィの言葉にハッとする。もしその仮説に間違いがなければ,その言葉は明らかに彼の致命的な部分を刺激する事になるはずだ。
果たして,エリィはノエルの鬼の形相に気圧される。
「馬鹿野郎ッ…」
そう言ったノエルはすぐに頭を振って元の軽薄な調子に戻り,肩をすくめて”風”からの脱退を宣言すると,引き留めようとするエリィを無視して部屋を出て行った。
「私,なにか怒らせるような事言った…?ノエルのあんな形相,初めて…」
うろたえ気味のエリィが問う。
(…そうではあるまい)
心の中で即座に否定する。
あの男が出奔中のエルノアールで,弟妹の悲劇に心を痛めていたとすれば,今回の情報に期待を寄せないわけがない。最もその真偽を知りたいと思っているのも彼なら,救出したいと最も強く思っているのも彼だろう。
だが頭では十中八九罠だと解っているのだ。だから当然の帰結としてそれに他者を,特に”風”を巻き込むわけにはいかないと考えているのだろう。どれほど効果があるかと言えばなかなか苦しいものがあるが,それでも自分が”風”を脱ける事で相対的に作戦の難易度を上げ,エリィに思いとどまらせようとしているのだろう。
そうしておいて自分は一人でそれを確かめに,妹を助けに行こうとするかも知れない。
無論それは単なる推測だ。他人の空似ということもある。動かぬ証拠が見いだせない限りはいくつか成り立つ仮説の一つに過ぎないわけだから,それに囚われすぎるべきではあるまい。そう考えて,それは二人には明かさずにおく。
だがそもそも,こちらが気にするべき本題はそこではない。本題とはつまり最優先ですぐにこちらに来てくれるかどうかであって,来てさえくれればそれが罠だと教えてやることもできる。
しかし向こうを選んでしまえば,”風”はルマールが仕掛ける罠を乗り越えなければならない。そして状況が,こちらにそれを待つ余裕を与えてくれるかどうかという問題になるのだ。
(…くっ)
いつもながら,運命はなかなかに意地が悪い。どうしてこのタイミングなのだ。
(…!)
手紙にそれを書けていれば,と無いものねだりのような事を考えて,しかしそこでハッとする。
その信用性を増すために仕込んだユーリエの暗号が,ここでは逆に作用してしまうかも知れない。そう気づいたのだ。つまり,ユーリエが比較的安全な状態にあると安心させたことによって,逆に緊急度が下がり,優先度までも下がってしまうかも知れないのだ。
「…まずい」
思わず口を衝いて出てしまう呻き。
「えっ?」
二人の驚きの声が重なる。しかしそれに意識を向けている余裕は無かった。
「…こちらへ来い,エリィ…」
水晶球に映るエリィに向かって祈るように言う。
「あ,あー!そういう事かっ…!」
そこで事態を察するリリー。
この時私にもっと心の余裕があればそこに違和感を感じる事ができただろう。リリーの言葉にいくらかの不自然さが混じっていた事に気づけただろう。だが私はそれを迂闊にも聞き流してしまったのだ。そして,彼女の言葉でハッと身を固くしたユーリエにも気づくことができなかったのだ。
案の定,といってもまさかエリィが策めいた提案をするとは思わなかったのだが,彼女は威力偵察のような案を提示した。要は近くまで様子を見に行ってみようという事だ。
そしてこちらも案の定,さしあたってこちらの緊急性が低いと判断したノーブルは,エリィの猪突猛進をこそ止めようとしたものの,選択そのものは止めなかったのだ。
(…何という事だ)
つくづく運命は意地が悪い。なかば呪詛にも等しくなってきたその言葉を心の中で繰り返す。こちらが伝えてしまったバナドルスの脅威は結局のところ全くの蚊帳の外となり,それによってできた心の緩みを衝く格好でレヤーネンの罠が仕掛けられた。そしてさらに不幸な事に,エリィの演説を理解しうる人物が外されて,理解する気も能力もない人物があてがわれたのだ。
そして今回の手紙だ。起死回生の策となるはずのこちらの手紙の内容が,皮肉にもそれゆえに後回しとされるお膳立てが揃ってしまった。
(…やはり,帝国は滅ぶ運命なのか…?ましてアリシアと,連合と帝国が並び立つなどあり得ない事なのか…?)
これがもし,抗おうとするこちらの人為を運命が嘲笑っているのだとするなら。何をやっても無駄という事になってしまう。
「…く…っ」
もはや何をも映していない水晶球を睨んで呻く。その像と一緒に希望の灯も見えなくなってしまった,そんな思いがどうしようもなく湧き上がってくる。
結局,気力を奮い立たせ気を取り直すまでにはそれなりの時間を要する事となった。そしてそんな私を見つめるユーリエの瞳に,後々まで語り草となる決定的な出来事を予感させる不穏な輝きが宿っていたらしい事も,その時の私はやはり気づくことができなかったのだ。




