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光明の指し示す先

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 バラナシオスの戦いは連合の勝利に終わり,帝国軍は事実上瓦解した。

 とはいえそれは私の主観に過ぎない。私にとっての帝国軍とはつまり,帝国建国以前からハンの理想に共鳴して付き従ってきた者たち,あるいは帝国建国後にその理想に共鳴して志願してきた者たちを指す。私の知る限り彼らは全てバナドルスの下へ集められていたわけだから,当然この戦いに参加していた。そして,そのほぼすべてが連合へと投降した。

 彼らはあくまで理想の為に,バナドルスと共に戦おうとしていた。だがそのバナドルスが更迭され,後釜にはあのレヤーネンが据えられた。のみならず,ルマールの仕込んだ罠によって連合もろとも葬られようとした。すっかり帝国に幻滅をしたはずの彼らがそれ以上帝国に義理立てする理由などどこにもなくなってしまったのだ。

 しかしだからと言って,それが即連合への投降へと結びつくわけではなかった。ヒュームの様子を見れば連合の公式見解が彼らを闇に与した裏切り者として扱っているのは明らかであったし,そこから見れば処刑されるのが当然の結末なのも明らかだ。普通に考えて,彼らの置かれた状況は降るも地獄残るも地獄だったはずだ。

 その絶望を覆し投降を実現させたのは,やはりエリィの演説なのだろう,と思う。あの往年のハンにも匹敵する斜め上は,絶望的な状況へ追い込まれた帝国兵にとっては一筋の,最後の拠り所となったはずだ。

 しかしそれにしても,よくあそこまで踏み込めたものだ。一歩間違えればアリシアそのものが吹っ飛ぶような内容を代役であるエリィに言わせるとは。台本を考えたであろうノーブルが何をどこまで読んでいたのかは勿論判らないが,それをアリシアの公式見解とする決断を下した最高責任者のギルバートもなかなかの度胸だ。

(…)

 ユーリエの話では,ギルバートが次世代のアリシア女王を後見する事になるらしい。まだ先の話であるが今の状態ではまだ荒削りで不安が残る,などと考えてしまった自分に思わず苦笑する。

 しかしその不安の一つ,投降した帝国兵の処遇については,クーラの提示したこれまた斜め上の案によって無事に帳尻が合ったようだ。

 そもそも連合には諸問題が山積していた。帰還者たちへの不安,ヒュームの求心力の無さが引き起こす兵力不足の問題。投降した帝国兵の監視に割く兵力も,それを食わせるための物資も本来ならばまったく不足していたのだ。

 だがクーラは彼らを,かつて共に戦っていたルトリア民兵に預けるという奇策に出た。確かにそれならば彼らの処遇はかなり保障される。しかもその扱いを民兵側へ任せることで,無理なく対帰還者の戦線を厚くもできるだろう。

 あるいは自分が,アリシアという国をまだ過小評価しているだけに過ぎないのだろうか。ハンの理念にもっとも理解を示してくれそうだという感触は確かにあったが,女王を差し置いてこれだけの方針を打ち出すとは思わなかった。自分が思っている以上に,アリシアのらしさとでもいうべきものはそこに生きる一人一人の中に生きているという事なのだろうか。

(…)

 そこで不意に父祖の言葉を思い出す。

 生まれながらにしてそう生きるさだめ。もしその言葉をここで当てはめるならば,ユーリエはアリシアの女王たらんとして,このアリシアの決定を否応なく受け入れることになるのだろうか。

 幸いなことにこの状況はユーリエにとって否応なしではなくむしろ望ましいものになった,などと考えてそれを自惚れと斬り捨てる。結局自分たちがそうなるように仕向けてきただけではないか。それが彼女の本心だとしても,それはこちらの都合の良いように作られたからそうだというだけの話ではないか。

 そして不幸な事に,そう仕向けたはずの帝国そのものが既にそれを望んでいないのかも知れないのだ。もし本当にそうなら,それは余計に彼女を苦しめる事になるのではないか。

 いや,すでにそれは現実として確定しつつある。それがレヤーネンのあれで,だからこそ帝国兵は投降したのだ。理念を失い沈みゆく帝国から脱出したという図式なのだ。

 なぜこうもうまくいかないのか。それが世の常と解ってはいてもやはりそう考えてしまう。

(いや…)

 そこで湧き起こる,ある種の感情。もともとハンの理想そのものがかなり斜め上だったのだ。世の中全てを敵に回してそれでも信念を貫こうとしたのではないか。世の中から見ればやはりそれは異物に過ぎず,世はただあるべき姿を取り戻そうとしているだけなのかも知れない。

 帝国もまた,あるべき姿へと自然に様変わりしているだけなのかも知れない。

(…!)

 それが諦めに近い感情になっていると唐突に気づき,愕然とする。

 だとすれば帝国はやはり滅びゆく運命なのだ。そしてハンはそれと運命を共にする。民のためを思い立ち上がったはずの彼が,邪神の復活を目論んだ大罪人として倒される事になる。

(ハン…それで良いのか…)

 やはり自分がそれを止めねばならないのではないだろうか。自分は,つまり漆黒将軍はハンの理念を支える為に生まれた存在だ。ハンから,帝国から離れる事はあり得ない存在だ。だから帝国の終焉は漆黒将軍の終わりをも意味する。

(…)

 もしそうなるなら,やはりアリシアも元へ戻さねばなるまい。今のアリシアは,言わばハンの斜め上に染めてしまった状態なのだ。エリィのあの演説は,単体ならばまだ取り返しもつく。悪の帝国にそれでも歩み寄ろうとした平和の国で済む。裏など知らねばそこまでで済むのだ。

 あの手紙が届けば,頼りなくか細いものではあっても一筋の光明が差すかも知れない。今はそれが唯一の希望だ。まだ諦めてしまうわけにはいかない。挫けてしまいそうになる心を奮い立たせる。

 レヤーネンが斃れ帝国が敗北したことで,ルマールの示した最終期限は訪れた。彼女の言に従えば,ユーリエを殺して伝説の成就を阻止するか,あるいはアリシアを諦めて帝国へ戻りうまくいけば一兵卒としてそれと命運をともにする二択。最悪の局面としては戦争犯罪人として処刑が待っている。

 だがまだ,逆転の可能性がないわけではないのだ。たとえばハンの名代を騙って連合と停戦してしまう事もまったくの不可能ではない。

 自分の命が惜しいわけではない。あくまで最優先に生かすべきはハンの理想であって帝国の志。それが漆黒将軍たる自分が何を措いても果たすべき役割なのだ。存在理由なのだ。

 しかしやはり,そうそう上手くは行かなかったのだ。運命はどこまでも意地悪だったのだ。

 いつも絶妙なタイミングでというのは当てはまらなくなっている,と思うほど近頃の覗き見の回数は増えていた。そこはかとなく感じる後ろめたさを無理なくねじ伏せられるほどの状況の切迫も確かにそこにはあり,その機をこそ視なければならないという思いも確かにあった。

 だがいっぽうで,毎度毎度こちらの心の平静を何らかの形でぶち壊すような局面から始まるのもまた確かではあった。

「アイツがまた私を馬鹿にしてっ!読めない字で手紙を書いてくるとかもう何なのよっ!」

 水晶球に飛び込んで来たのはエリィの怒りの声だった。

「…」

 予想通りと言えば予想通りの反応。

 招待状を出すにあたりユーリエが提案した案。それは文面に暗号を織り込むというものだった。しかしそれを可能にするには上位古代語を用いなければならない。そのために,宛先人であるはずのエリィがそれを直に読む事ができないという笑えない笑い話になってしまっているのだ。

 微笑ましい掛け合いの後,こちらの思惑通りそれを読んだノーブルは,やはりこちらの思惑通りその暗号をも看破した。

「この文面には…ユーリエ様ご本人のものと思われる暗号が織り込まれているのですよ」

「!?」

「で…その女王様は何と?」

 クーラがひきつった顔で尋ねる。

「すみませんクーラ大尉…これはアリシアの機密とさせて頂いてよろしいでしょうか。迂闊に明かしてしまう事はすべての歯車を狂わせてしまう事にも繋がりかねません」

 しかしそう言葉を絞り出すノーブル。

(…歯車,か…)

 歯車と言うなら,それは予言の成就なのではないだろうか。そんな不謹慎な事を考える。

 ユーリエが言うには,仕込んだ暗号には二重の意味が仕込まれているらしい。一つにはアリシアの限られた者にしか理解できないという一般的な暗号の意味で,これだけならばその限られた範囲にある者は全て通じる。しかしそれとは別に,ユーリエとノーブルの間のみに通用する第二の暗号の意味があるらしいのだ。

 それを聞かされた時はさすがに耳を疑った。権謀術策の時代を経てきたアリシアとはいえ,そんな私的なものがあるわけがないし,あったとしてもなぜそれを二人だけが知り得るのだ。

 だがユーリエはさらに斜め上を重ねてきた。ノーブルが一時期学院の教官を務めていたのは,実はほぼ自分専属の教官をするためだったというのだ。

 私はそれで妙に納得してしまった。元の世界の感覚で言えば,皇族なりの専属の教官という事だろう。当然それに見合った実力もなければならないし,限られた空間の中で特殊な意味合いを持たせる暗号,取り決めと言った方が良いが,それを作り出す事自体は造作もない事だろう。

 なるほどそれであの明るい笑顔につながるわけか。少なくともノーブルにだけは,確実に自分が本物であると判らせる事ができる。それはつまりあの手紙に嘘がないというまたとない証明にもなるわけだ。

 そんな暗号ものを勝手に作るのは,なぜそんなことをする必要があるのかも含めてかなりの物議を醸すのではないだろうか。そんな当たり前の疑問にそっと蓋をする。そのおかげで今回があるのだ。

「ちょ…ちょ…それおかしいでしょ!?なんで私が一方の主役なのよ!?なんでユーリエ様と!?」

 水晶球の中では,招待状の趣旨を説明されたエリィがうろたえている。

「まぁ…」

 複雑な表情をしながら口を開くノーブル。

「そこも私が招待状これに信憑性を感じてしまう原因の一つなのですが…漆黒将軍の思いは謎に包まれているにせよ,ユーリエ様ならば確かに一緒に祝いたいと思うはずなのです」

「!?」

 驚愕するその場の一同。だがそれはこちらも同様だ。

 確かにそれはその通りだ。こちらの提案も,彼女の想いに添いたいという趣旨は多分に含まれている。しかし何故ノーブルがそれを,言わばユーリエの個人的趣味にあたるものを知り得るのだ?多くは尋ねなかったが,暗号にはそこまで微細な意図まで織り込めるものなのか?でないとすれば…。

「そのあたりはまぁいろいろと口止めをされているのですが…ユーリエ様は”風”の事もよくご存じでしたし,個人的に依頼を持ち込もうともしてらっしゃったりしていましたし…」

「!」

 ハッとするエリィ。だがそれは同時にこちらの抱いた疑問への答えとなっていた。

「…女王?」

「あ,その…」

 気まずそうにユーリエは言葉を繋ぐ。

「将軍がこちらにいらっしゃる直前に,伝説の龍戦士捜しの依頼をしようとしていたのです」

「…なるほど,そうだったのか…」

 確かにそれはごく自然な流れだろう。表立って動くわけにはいかない性質のものであるから,よりしがらみも少ない冒険者の,しかも腕利きの”風”に,旧知のノーブルまで居るとなれば頼らないわけがない。

「返答をもらう前にこうなったので,成立はしていないのですがね」

(…だが”紅き流星”は”風”に合流していた…)

 これをこそ歯車と言うのではないだろうか。先ほどのノーブルの言葉を思い出す。だとすれば,自分がやっている事は無駄な抵抗に過ぎないのではないだろうか。

「というわけで,本人の決断次第となっちまいました。いかがなさいますか?御姫様?」

「!」

 意識を現実に引き戻される。ここが最も重要な岐路だ。

(…どうなる…?)

「行きましょう」

 固唾を飲んで見守るこちらなど全く意に介さずにやりとりを繰り広げ,決意するエリィ。

「やった!これで…」

 リリーが歓喜の叫びをあげる。解放されたような笑顔でほぅっと一つ息をつくユーリエ。

「あ,いえその前に…」

 だがまるでそれを遮るかのように。クーラがため息交じりに言葉を継ぐ。

「もう一件,お知らせしなければならない込み入った話があるのです」

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