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王家に連なる者

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 その日。私はユーリエ達とともに,水晶球の前に居た。もちろん,バラナシオスの決戦を見守る為である。

 最大の関心事はやはりレヤーネンであった。本物の龍戦士でなければ倒せないほどの強化とルマールは言ったが,何をどう強化したのか。仮にそれが個の戦闘能力だとすれば,采配のそれとは別物だ。お世辞にもまともと言えないそれを補うほどの強化ともなれば,それは常軌を逸したものとなるはずだ。

「では…いきますね」

 ごくり,と唾を飲み込んでユーリエが水晶球を操作する。その胸に去来するものは何だったのだろうか。

「恥を知れィ!」

「!」

 画像が映るより早く飛び込んで来た音声に,彼女はびくりと身を震わせる。

「え…っ,え?」

「あー…気にしなくていいよユーリエ様。これ馬鹿レヤーネンのお約束だから」

 水晶球に映し出された豪奢な鎧,レヤーネンを指差し苦笑しながらリリーが言う。

「このセリフで自分を乗せるのよ。だから極端に言うと,相手が聞いていようがいまいが全く関係ないの」

「…」

 目を丸くしたユーリエの表情に一瞬だけ呆れの色が挿し,ハッと我に返った彼女は慌ててそれを隠す。

「…だが,物言いを聞いている分にはまったく以前のレヤーネンと変わらないな…」

「そうそう簡単に変わったら世話はないよ」

 笑いながら指を折り,レヤーネンの決まり文句を数えるリリー。

「…問題は連合がどう反応するかだが…」

 呆れるばかりな中身はともかくとして,レヤーネンは帝国側の最高司令官の肩書で口上を述べている。となればその返答は少なくとも国家を代表していなくてはならない。連合内の序列で考えれば盟主の立場を明確にしておきたいルトリアの代表が出て来るだろう。だがもっともその役に相応しくないのもルトリアだ。単なる挑発程度の意味合いしか持たないレヤーネンの口上に腹を立ててがなり立てる可能性も高い。

「そしてお前たちは恥を知るのだ!恥を知れィ!」

 ふんぞり返ってそう叫び,レヤーネンの口上は終わった。

「ニ十回かぁ…まぁこんなもんかな?」

 苦笑するリリー。

「…さて…連合はどう出…」

 言葉を途中で飲み込む。ユーリエが視点を移した水晶球に,進み出るエリィの姿が映ったのだ。

「…エリィか…」

「みたいですね…」

 ごくり,と唾を飲み込むユーリエ。

 エリィが出て来るという事は,当然台本があるという事だ。そしてその中身を考えるのは,おそらくはノーブルだ。

 現実問題としてはアリシアの代表者あたりと話し合って決めているのだろうが,そこは彼の事だ,その代表者を手玉に取るなど容易いだろう。

 付き添いのクーラからもやや距離を置いて一人で帝国軍を正面に見据えたエリィは,凛と声を張る。

「アリシア王家の者として…帝国の方々に申し上げます」

 それまでざわざわとしていたその場の空気が,水を打ったように静まり返る。

 決して大きくはないその声が,あたりに一定の音量で流れる。それがかつてハンの演説でルマールが使っていたのと同質の魔法であることはすぐにそれと知れた。

(…)

 当時の記憶が,まるで昨日の事のように鮮明に蘇る。理想を追い,敢えて苦難の道を選んだ帝国。苦しい道のりではあったが,そこには志があった。だが今は…。

「私はこの戦いにずっと心を痛めて参りました。留まるところを知らぬ戦禍の拡大,次々と生まれる憎しみの連鎖,失われゆくたくさんの尊い命…。それは連合だけに限った事ではありません。帝国もまた…多くの犠牲を出してきたはずです」

「…」

 意識を現実に引き戻す。

 エリィは早速,感情が入ってしまっているようだった。先日はそれでしくじったと言っても過言ではない。

 だがそんな事は彼女自身も,彼女の周囲もじゅうぶんに承知しているはずだ。そうならないように努めたが結局こうなったのなら,相手がレヤーネンでも少々浅慮と言う他は無い。だがそうなっても構わない台本が用意されているなら話は別だ。

「今ここに,私はこうして,私の思いを打ち明ける機会を得ました。それを与えて下さったレヤーネン閣下をはじめ全ての方々に感謝を申し上げ,私はここに,ある提案を申し上げたいと存じます」

「…?」

 どうやら後者のようだ。だがこの状況で,レヤーネンを相手に何を提案するというのだ。

「え…ここで?」

 まったく同じ感想を口にするリリー。

「そもそも…まったく噛み合ってませんよね,内容が…」

 ユーリエが言う。だがそれは無理もない。レヤーネンは単なる自己満足で決まり文句を連発していただけだし,エリィの台本の方も,そんな彼を上手く丸め込もうという意図はまったくなさそうだ。

 だがエリィは,恐ろしく斜め上の事を言い出した。

「この戦争を…ここで放棄しようではありませんか!」

「!?」

 あまりの事に,頭が思考を拒否する。

 水晶球の内外を問わず,そのまましばし静寂に支配される。

「ここで…?」

 ぽかんとしたリリーがそうつぶやき,固まっていた時が動き出す。

「ま,まさか…こんな…」

 信じられない,といった表情のユーリエ。

 しかしその表情に,徐々に期待の色が見え始める。何度思い描き,そのたびごとに諦めてきたその夢が,現実のものとなりそうな予感。

 仕掛け人であろうノーブルは,先の会見だけでこちらの意図を汲んだのだろうか。だとすれば恐るべき深謀遠慮だ。そのきっかけとなるかも知れない例の手紙は,まだ彼の目には触れていないのだ。

「…何かの策かも知れないな」

 ぬか喜びになってはいけない,気持ちを引き締めなければ。そんな気持ちで発した言葉だったが,その響きにハッとする。

「策って,どんな…あ,あー!」

 目を丸くしたリリーは,しかしこちらもハッとする。

「え…そ,それは…?」

「私は…」

 そこでエリィが,満を持して口を開く。

「…まずは,聴こう」 

 再び静まり返る辺りの空気。

「聞き及んでいます。このバラナシオスの先…かつてルトリアとサナリアの国境のあった付近で,帝国の皇帝,ラズール陛下が仰った事を」

(…やはり,そう来るか)

 ぐっ,と唇を噛む。

「陛下は,サナリアの窮状を見かねて立ち上がった,民の安寧を求めて立ち上がった,そう仰ったと…。もちろん,その時その場に居合わせなかった私にはどうすることもできませんでした。しかし…こうしてここに立っている今は違います」

 エリィはそこで言葉を切り,十分に息を吸い込んでから言葉を繋ぐ。

「私は…陛下のお言葉を信じたい」

 おお,と帝国側から漏れる驚きの声。

「もちろん当時とは状況は同じではありません。時も流れました。血も流れました。人の心が往々にして変わってしまうものだという事も承知しております。だからこそ私はここで問いたい。帝国は…今も変わらずその志を持っていますか?と」

「…くっ」

 ハンの心は変わってしまったのか?そんな懊悩をずばりと指摘されたような気にさせられ,思わず口を衝いて出てしまう呻き。しまった,と思うがもう遅い。二人に聞かれてしまっただろう。

「ボス…?」

 はたして,それを聞きとがめるリリー。

「将軍…」

 不安そうなユーリエの眼差しが心に突き刺さる。

「持っているならば,まだ遅くは無い筈です。かつて陛下は,敢えて数的不利を晒してまでも平和的な共存を目指した。…その志が残っているのならば,今からでも手を携えることは可能です」

 エリィの演説は続く。

「…少なくとも,レヤーネンでは無理だ」

 辛うじてそれだけを言う。

 だがそれも嘘ではない。クラルフを失い,バナドルスが拘束され,帝国は否応なしにその体制を変化させている。ここから動けない自分はともかく,彼らのどちらかがこの場に居れば,エリィのこの言葉は待ち望んだ理想へのきっかけとなったはずだ。

「あ,あー…」

 こちらの言わんとするところを理解し,天を仰いで嘆息するリリー。

「…自らに害をなすやも知れぬ者たちにまで思いを至らせる事のできるその懐の深さ,尊敬に値するものだと思います。そのような陛下とならば…過去の恩讐を超えて十分に共存の道を模索していける。私はそう思っています」

 エリィは演説を続け,今度は連合兵からどよめきが起こる。

(…なかなかに,意地の悪い…)

 これはおそらく,帝国がそれを蹴ると見越しての策だ。ノーブルの事だから帝国側が受け入れた場合の展開にも抜かりはないだろうが,現実としてみればやはりその可能性は薄い。

 しかしレヤーネンがこれを蹴れば,かつてハンが宣言した理想を帝国自身が否定してしまう事になる。世界の大方の見方通り,邪神の復活を目論む魔の勢力という事になってしまう。

 つまりこの策は大筋において,かつてハンが宣言によって構築した帝国の立ち位置を,世直しの為に立ち上がった持たざる者の守護者という立ち位置を,根本から叩き壊す為のものなのだ。

「私はアリシア王家に連なる者として,ここにお約束致します」

「…な,に…!?」

 そこで完全に不意を衝かれ,またも思わず言葉を漏らしてしまう。

「!」

 びくりと身を震わせるユーリエ。

「え?何?ボス…?」

 こちらはきょとんとするリリー。

「…あ,いや…」

 苦笑しながら言葉を繋ぐ。

「…不必要にエリィの気持ちが入っている事を心配しただけだ…不自然だろう?普通なら役柄に忠実に『アリシア女王として』と言うべきところだ。レヤーネンではないが,台本を読み損なってしまったのかも知れない」

「…」

 沈黙するユーリエ。

「あー…まぁ,それで前回もしくじってるしね…」

「…ああ。完全に自分の責任で済むレヤーネンとは土俵が違う。こんな公の場でのエリィのしくじりは,全て女王へ降りかかってくるのだ。その程度に思い至らない参謀ノーブルではないはずなのだが…」

 それがしくじりでないとすれば,故意に台本をそうしたというならば…。そう考えてそれをすぐさま頭から追い払う。

「これはアリシア王家に連なる私からの願いです。どうか帝国の皆さん…今一度我々を信じて頂けないでしょうか?私は,アリシアは皆さんを信じ,ともに歩みたいと考えています。良い返事を…お待ちしています」

 そう言って結び,エリィは深々と頭を下げると,そのまま返答を待つ。それがあの時のハンと重なり,胸を締め付ける。あるいはそれは,この後の展開が火を見るよりも明らかなのが原因なのかも知れなかった。

 しかし。エリィは確かにもう一度繰り返した。それはすなわち,台本上そうなっていたという事で,しくじりではないという事だ。

「…」

 何を考えている,ノーブル…とその真意に思いを馳せようとした時,事態はやはり予想通りに展開した。

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