第三十話「年末の買い出しと、甘やかな侵食」
※この作品はダークな展開やシリアスな描写、ちょっと過激なスキンシップなどが含まれます)
暦は十二月の押し詰まった時期を迎えており、街全体が新年を待つ独特の賑わいと清々しい緊張感に包まれていた。学校が冬休みに入ったこともあり、街ゆく人々の装いもどこか華やかで温かな私服姿が目立つ。
天野家の二階、時子の部屋には、朝から似つかわしくないほどに賑やかな大騒ぎの声が響き渡っていた。
「ちょっと理子ちゃん!それ集める方向が逆!ゴミが全部私の方に飛んできてるよぉ〜っ!?」
動きやすいトレーナーの上に三角巾とエプロンをつけ、はたきを必死に振るっていた時子が、悲鳴のような声を上げた。
「す、すまん時子!手で集めるのめんどくさかったから、磁力で一気に金属ゴミとホコリを集めたろ思ったんやけど……ちょっと引き寄せる力が強すぎたみたいや!」
ダボッとしたニットパーカーの袖を捲り上げた理子が、左手を前方に突き出しながら冷や汗を流している。その指先から発せられたかすかな磁力の煽りを受け、部屋の隅にあったクリップやアルミ缶、果ては水琴の持参した金属製のアニメ缶バッジまでがガタガタと震え、猛スピードで飛来しようとしていた。
「待ちなさい理子さん!私の限定レア缶バッジを磁力で引き寄せるのはやめてください! 表面の特殊加工が傷ついたらどうするんですか! 解剖学的には無傷ですが、オタクの精神的には致死量ダメージです!」
水琴がダッフルコートを脱いだシックなブラウス姿で、眼鏡をピシッと押し上げながら、飛来する缶バッジを間一髪でキャッチし、豊かな胸元に抱え込んで抗議の声を上げる。その早口すぎるオタク特有の弁舌に、一同は思わず吹き出した。
「あはは!水琴、相変わらず自分のコレクションのことになると熱いな。でもほら、雑巾がけならアタシに任せときな!掃除なんて気合とスピードだろ!」
ラフなスウェットパンツにタートルネックニットを合わせたカジュアルな装いの火燐が、バケツの水で固く絞った雑巾を床に叩きつけると、低い体勢から一気に廊下に向かって滑り出した。その勢いたるや、まるで弾丸のようである。
「あ、火燐ちゃんダメよ!廊下の突き当りはワックスがかかって――」
アイシャの制止も虚しく、勢い余った火燐は廊下の壁に向かってズサーッと豪快に滑り込み、バケツの近くで立ちすくんでいた時子と激突しかけた。
「わあぁぁっ!?」
「うおっと!危ねえ!」
間一髪で時子を受け止めた火燐だったが、二人はそのまま床の上に重なって転がり、掃除したばかりの床に再びコロコロと転がった。
「ふふ……本当に、皆さん相変わらず騒がしいですわね」
上品なロングスカートとカーディガン姿で、廊下の隅からはたきをかけていたアイシャが、口元に手を当てて楽しそうに目を細めた。その目元には依然として消えぬ影が落ちていたものの、仲間たちのバカバカしくも温かなやり取りを見つめる瞳には、心からの愛おしさが満ち溢れていた。
二時間ほどのドタバタ劇を経て、時子の部屋は見違えるほどピカピカに磨き上げられた。
「ふう……お疲れ様!みんなのおかげで、すっごくキレイになったよ!」
時子が冷たいお茶を全員に配りながら、満面の笑顔を浮かべた。
「へへっ、これでお互い良い年が迎えられそうやな!……あ、そうや!大掃除が終わったら、次はお正月を迎える買い出しに行かなあかんのちゃう?」
理子が手渡されたお茶を美味そうに飲み干しながら提案する。
「ええ、その通りです。年越しそばの食材や、新年のお飾り、それに……カフェのお姉さんへのお歳暮というか、年末のご挨拶の品も買いに行きたいところですね」
水琴が手帳を広げながら頷いた。
「よし!じゃあ上着を着て、全員で歳末の商店街に繰り出すとしますか!」
火燐がダウンジャケットを羽織りながら拳を握りしめ、五人は冬空の下へと飛び出していった。
歳末の商店街は、正月飾りや新春の準備を進める買い出し客でごった返していた。威勢の良い魚屋の掛け声や、焼き芋の甘い香りが漂い、歩いているだけで心が躍るような活気に満ちている。冬の私服に身を包んだ五人の少女たちは、すれ違う人々の中でも際立って楽しそうな気配を振りまいていた。
「うわあ……すごい人!見て理子ちゃん、あっちで焼き芋売ってるよ!」
「ほんまや!おい時子、半分こして食べようや!すみませーん、一番でかい焼き芋ひとつくださいな!」
モコモコとしたジャンパーを着込んだ理子は、財布から五百円玉を取り出すと、黄色いダッフルコートを着た時子と並んで焼き芋をほお張った。
「あむっ……んん〜っ!甘くて、すごく温かい……!」
「うひょー、ホクホクで美味い!やっぱり冬の買い出しと言ったらこれやな!」
口の周りを黄色くしながら笑い合う二人を見て、火燐が呆れたように、けれど嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ったく……食い意地が張ってんのは相変わらずだな。ほら、水琴、荷物そっちに偏ってんだろ。アタシに半分渡せよ」
「あ、ありがとうございます火燐さん。ですが、私の荷物持ちとしての計算では、この重さはまだ許容範囲内でして……」
「いいから貸せって!アタシの方が力あんだからさ」
火燐は強引に水琴から大きな買い物袋を奪い取ると、自分の肩にひょいと担いだ。その際、タートルネックの奥にある右腕の古傷がチリリと痛んだが、火燐はおくびにも出さず、平然と笑ってみせた。
「アイシャ先輩も、寒くないですか?荷物なら私が持ちますよ」
水琴が心配そうにアイシャの顔を覗き込む。ファー付きの上品なコートに身を包んだアイシャは、手袋をはめた手で首元を整えながら、優しく首を振った。
「ありがとう、水琴ちゃん。でも大丈夫でよ。……こうしてみんなと私服で買い出しに来られるだけで、胸の奥がぽかぽかと温かいから」
言葉の途中で、アイシャの視界が一瞬だけゆらりと揺らぎ、眩暈のような浮遊感が襲った。だが、アイシャは誰にも悟られぬよう、そっと足を止めて呼吸を整え、再び気品ある笑みを浮かべて歩き出した。
五人は笑い合い、冗談を言い合い、時にはみかんの詰め放題で本気になって競い合いながら、両手いっぱいの買い出し袋を抱えて商店街を練り歩いた。
身体のどこかに抱えた違和感や、戦いの代償という重い現実。それらすべてを忘れられるほど、この瞬間の五人の日常は、甘く、尊く、書籍化された物語の一ページのように愛おしいものだった。
買い出しを終え、夕暮れの影が伸び始める頃、五人は自然と足が向く「いつもの場所」へと向かっていた。
路地裏を抜けた先にある、落ち着いた佇まいの建物。
木彫りのアンティークな看板には、アルファベットで『Espérance』と深く刻まれている。時子たちは昔から親しみを込めて、この店をただ「お姉さんのカフェ」と呼んでいた。
「ふう……やっぱり、買い出しの終わりはここに来ないと落ち着かないよね」
時子が嬉しそうにドアノブに手をかけた。
カランコロン、と澄んだ金属製の鈴の音が店内に響き渡る。
「いらっしゃい……あら、みんな!大きな荷物をたくさん抱えて、どうしたの?」
カウンターの奥から、エプロン姿の小波優子が温かな笑顔で出迎えてくれた。その変わらない包容力と優しい瞳に触れた瞬間、五人の顔から買い出しの疲れが一気に吹き飛んだ。
「お姉さん!大掃除と年末の買い出しに行ってきたんだよ!これ、お姉さんにみかんのおすそ分け!」
時子がパンパンに詰まったみかんの袋を差し出すと、優子は驚いたように目を丸くし、それから愛おしそうに目を細めた。
「まあ……ありがとう、時子ちゃん、みんな。ちょうど温かいホットココアを淹れようと思っていたところなの。みんなも私服のコートを脱いで、ゆっくり体を温めていきなさいな」
薪ストーブのパチパチという心地よい音が響く店内。
出されたホットココアの上に浮かぶマシュマロがとろりと溶けていくのを眺めながら、五人は今日一日の大掃除のドタバタ劇を優子に報告した。
「理子ちゃんが勢いつけすぎて、廊下の手すりに激突しそうになったんだよー!」
「ちょっと時子!余計なこと言わんでええねん!」
「ふふ、でもおかげでお部屋がキレイになって良かったわね」
優子はカウンター越しに、楽しそうにはしゃぐ少女たちを慈しむような眼差しで見つめていた。
「みんながこうして元気に笑ってくれていて、私、本当に嬉しいわ。ここがみんなにとって、いつでも羽を休められる場所であればいいなって……いつも思っているのよ」
「お姉さん……」
時子は温かいカップを両手で包み込み、噛み締めるように呟いた。
(守りたい……。この温かなお店も、お姉さんの笑顔も、みんなと過ごすこの時間も……絶対に、私が守り抜いてみせる)
陽が完全に沈み切る前、五人は「また来年ね!」「良いお年を!」とお姉さんに手を振り、大満足の笑顔でカフェを後にした。
少女たちの足音が遠ざかり、静けさを取り戻した店内で、優子はテーブルのカップを片付け始めていた。
窓の外は、深い群青色の夕闇が街を包み込もうとしている。
カランコロン――。
静かな店内に、再び澄んだドアベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ。……あら?」
優子が振り向くと、そこには一人の可憐な少女が立っていた。
上品な私服コートを身にまとい、宝塚の男役を思わせる凛とした佇まいと、誰もが目を奪われるような愛くるしい顔立ち。肩に小さなウサギのぬいぐるみをあしらったバッグを下げたその少女――彩花は、申し訳なさそうに控えめな笑みを浮かべた。
「こんばんは、お姉さん。もう閉店の時間でしたか……?」
鈴を転がすような、可憐で透き通った声。
「ううん、大丈夫よ。どうぞ入って。温かいお茶でも淹れましょうか?」
優子は和やかに目を細め、彩花を窓際の席へと案内した。
「ありがとうございます。……ふふ、表の看板を改めて見たんですけど、『エスぺランス』って、すごく素敵なお名前ですね」
彩花はコートの前を軽く緩めて椅子にちょこんと腰掛け、お気に入りのぬいぐるみを抱くように両手を胸の前で揃えた。
優子は手際よく紅茶のカップを用意しながら、懐かしそうに目を細めた。
「ありがとう。フランス語で『希望』っていう意味なのよ。……でもね、さっきまで来ていた時子ちゃんたちは、昔から親しみを込めて、みーんな『お姉さんのカフェ』って呼んでくれるの」
「ふふ……『お姉さんのカフェ』、ですか。とっても温かくて、可愛らしい呼び名ですね」
彩花は小首をかしげ、心底愛おしそうに瞳を輝かせた。その仕草には、微塵の不自然さも、毒気も感じられない。私服を着た年相応の無垢な少女そのものであった。
「時子ちゃんたちもね、ここをすごく大切にしてくれていて……。私にとっても、あの子たちの笑顔が見られるこの場所が、一番の宝物なの」
優子は温かい紅茶を彩花の前に置くと、優しく微笑んだ。
「そうなんですね……。あの子たちの笑顔が、一番の宝物……」
彩花は出されたカップに手を添え、ふわりと甘く、甘美な笑みを浮かべた。
「『希望』の詰まった、本当に素敵なお店ですね……優子さん」
時子たちの友人として時々店に顔を出し、今ではすっかり自分を頼って「優子さん」と呼んでくれる愛くるしい少女。その無垢な笑顔の裏に、恐ろしい計算が潜んでいることなど、優子が知る由もない。
「ふふ……『希望』の詰まった場所……。三学期が始まったら、もっとたくさんお邪魔しますね、優子さん」
優子が背を向けたその一瞬、彩花の真紅の瞳からすべての光が失われた。
(……うん、完璧だね。こうやってみんながいない間に一人で通って、少しずつお姉さんの『特別』になっていけばいい。この溢れるほどの善性と、あの子たちへの深い愛……。これ以上ない、最高に綺麗な『核』になってくれそうだ)
彩花は窓ガラスに映る自分の可愛らしい私服姿と、店内を温かく照らすランプの灯りを交互に見つめた。
(『希望』の詰まった場所……。ふふっ、三学期が始まったら、この『希望』がどんな美しい絶望に変わるのか……今からとっても楽しみだよ、ね、アイシャちゃん)
少女たちが守りたいと誓った「希望」の店内で、冷酷な破壊の罠が、静かに、そして確実に張り巡らされ始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
大掃除に魔法はダメでしょ。
ドタバタといつものみんなに戻ったようでホッとしました(*´▽`*)ホッ
魔法少女たちの運命が今後どうなっていくのか、ぜひ見届けていただけると幸いです!
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