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『時間を止める大鎚と、消えていく私』クロノ・クロスフィア 〜Invisible pains〜  作者: 猫娘


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第29話「誓いの言葉と、可憐なる暗躍」

※この作品はダークな展開やシリアスな描写、ちょっと過激なスキンシップなどが含まれます

 天野家での温かな静養のひとときは、冬の短日ゆえに静かに終わりを迎えようとしていた。


 時子の部屋を後にした少女たちは、茜色に染まる夕暮れの路上を、ゆっくりと肩を並べて歩いていた。寒風が吹き抜けるたびに、肩をすくませながらも、その表情にはどこか穏やかな柔らかさが漂っている。


「ふう……時子ちゃんの顔が見られて、本当に良かったわ」


 先頭を歩くアイシャが、上品な手袋に包まれた両手にふっと温かな息を吹きかけながら振り返った。その顔立ちは相変わらず美しいが、夕陽の陰影のせいか、どこか目元に落とされた深い影がいつもより濃く見えた。


「ほんまやなー。時子のやつ、顔色も悪かったし心配したけど、ウチの持っていったどら焼き見たら目ぇ輝かせてさ!やっぱり甘いもんは元気がでる特効薬やで!」


 理子が左手で自分の胸を叩き、明るい声を響かせる。だが、その右腕はブレザーのポケットの中に深く突っ込まれたままだ。ポケットの布地越しにも、指先が強張ったまま固まっているのが見て取れた。


「理子さん、威勢がいいのは結構ですが、腕の安静は忘れないでくださいね。解剖学的な観点からも、不自然な関節の硬直を放置するのはリスクが高すぎますから……ええと、いわゆる、無理は禁物というヤツです」


 水琴が眼鏡のフチを指先で押し上げながら補足する。知識の引き出しから専門用語を取り出そうとして一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐにオタク特有の早口で誤魔化してみせる。その横顔には、自分の脳裏から言葉が消えていく恐怖をひた隠す、痛々しいほどの健気さがあった。


「ふん、アタシたちに無理すんなって言うなら、水琴もアイシャ先輩も同じだろ。……全員、どっかしらガタがきてんのは、もう隠しようがねえんだからさ」


 火燐がタートルネックの襟元をぐっと引き上げながら、ボソリと呟いた。その声は心持ち低く、荒い。タートルネックの奥に隠された右腕の古傷が、冷気とは正反対の不快で濃厚な熱を放ち続けている。痛みなのに、身体の芯を痺れさせるような得体の知れない快楽の波。火燐は左手で右腕を強く抱え込み、必死に襲い来る感覚を押し殺していた。


 五人は川沿いの橋の上で立ち止まった。

 茜色から深い群青色へと移り変わる冬の空。川面には夕焼けの残光がキラキラと反射し、美しく揺らめいている。


「……みんな」


 時子が小さな声でつぶやき、仲間たちの顔を見回した。


「私ね……今朝、鏡を見たとき、すごく怖かったの。自分がどこか遠くへ消えちゃいそうな気がして。でも……みんなが家に来てくれて、一緒に笑い合えたとき、思ったんだ。私は、ここにいる。みんなと一緒にいるんだって」


 時子は胸の前で両手をギュッと握りしめた。


「バフォメットとの戦いでも……ううん、これまでの全部の戦いで、私たちは身体を傷つけて、色んなものを削ってきたかもしれない。……でも、私たちは絶対に負けないよ。カフェのお姉さんの笑顔も、この街の平和も……そして、五人でこうやって笑い合える大好きな日常も、絶対に守り抜いてみせる」


「時子ちゃん……」


 アイシャの瞳が、夕陽を受けて潤む。


「時子の言う通りや!」


 理子がポケットから左手を飛び出させ、時子の手の上に重ねた。


「ウチの右手がどうなろうが関係あらへん!ウチがみんなの盾になるし、みんなの居場所を守ってみせるわ!」


「……ええ。私の知識や記憶がどうなろうと、論理と戦略で皆さんをサポートしてみせます。それが私の役割ですから」


 水琴も優しく微笑み、二人の手の上に自分の手を重ねる。


「ふん……青くさいこと言ってんじゃねえよ。でもまあ……アタシも異存はねえ。誰一人欠けさせねえし、お姉さんのカフェも守る。アタシたちの邪魔をする奴はトンファーで全員ぶちのめすだけだ」


 火燐が照れくさそうに口元を緩め、最後に勢いよく手を重ね合わせた。


「みんなで……絶対に乗り越えようね!」


「「「「おーっ!!」」」」


 夕空の下、少女たちの弾けたような笑顔と歓声が重なり合う。固く結ばれた言葉と、握り合わされた温かな手の感触。どんな困難が待ち受けていようとも決して挫けないという揺るぎない友情の誓いが、そこにはあった。


 橋の上で互いの絆を確かめ合い、笑い合う少女たち。


 その光景を、数十メートルほど離れた高架下の暗がりから、静かに見つめる存在があった。


 ライオンのぬいぐるみのような姿をしたレオ彦。


 そして、ポン太をはじめとするパートナーたちであった。


「……あいつら、またあんな無茶な誓いを立てて……」


 レオ彦が、ぬいぐるみ特有の硬い声でボソリと呟いた。そのつぶらなプラスチックの瞳には、かつてないほど重く暗い影が落とされている。


「レオ彦……本当に、これでええんか?少女たちの代償は、もう『ただのオーバーヒート』で片付けられる限界を超えてんやで。このまま戦い続ければ、あの子たちは……」


 となりに佇むポン太が、悲痛な声で問いかける。


「分かっている!分かっているさ……!」


 レオ彦は小さく爪を立て、高架のコンクリート壁をガリリと引っ掻いた。


「俺だって、あいつらの笑顔を奪いたいわけじゃない!だが……俺たちには拒否権もなければ、止める権限もないんだ。あいつらに会うことはおろか、真実を伝えることすら……許されていない」


 レオ彦の脳裏に、契約を交わした日の少女の無垢な瞳が浮かぶ。


「レオ彦、目的を忘れてはいけない……我々も背負っているものがあるのだから」


 コン吉が静かに口を開き、溢れ出しそうな想いを押し殺すかのように、どこか遠い空を見つめた。


 重大な真実を隠したまま、少女たちの「世界を守りたい」という健気な善意を利用し続けているという現実。そして、着実に手遅れへと向かっていく少女たちの身体。罪悪感と深い焦燥感が、パートナーたちの胸を激しく締め付けていた。


「手遅れになる前に……なんとかしなければ……。だが、監査官の目が光っている以上、下手に動けばあの子たちが真っ先に処分される……くそっ……!」


 レオ彦が悔しさに身を震わせ、力なく俯く。


「ボクたちには無理だよ……ウサ子の目を掻い潜るなんて」


 傍らでオル太が弱々しくヒレを垂らし、地面を見つめた。


「ふん、どっちでもいいじゃん。どうせ結果なんて、最初から分かりきってるんだからさ」


 イン子だけが興味なさげに羽根を舐め、冷淡な言葉を吐き捨てる。


 夕闇の中に消えていく少女たちの背中を、パートナーたちはただ祈るような焦燥感と絶望を交えて見送ることしかできなかった。


 街の喧騒から遠く離れた高級住宅街の一角。


 一際目を引く洋館の二階にある自室で、彩花は一人、至福の時間を過ごしていた。


 部屋の中は、年相応の少女が好むパステルピンクとフリルで溢れ返っていた。壁際の上品な棚には、色とりどりのかわいらしいぬいぐるみがずらりと並べられている。


 ふわふわのフリル付きベッドの上で、彩花は大きなウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、足をパタパタと上下させながらスマートフォンの画面を眺めていた。


「あははっ!この動画、すっごく可愛い〜!あ、今度お姉さんにも教えてあげようっと!」


 宝塚男役を思わせる凛としつつも可憐で無邪気な声。時折、ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、お気に入りのぬいぐるみに頬をすり寄せる様子は、どこからどう見ても愛らしく無害な少女そのものであった。


 ふと、彩花は思い出したように体を起こすと、ベッドサイドの小さな猫足テーブルへと向かった。


 テーブルの上には、精巧なガラス細工のような小瓶が置かれている。小瓶の中には、濁った不思議な光沢を放つ粘度の高い液体――細胞調整剤が満ちていた。


「ん……そろそろお薬の時間かぁ」


 彩花は眉を八の字にひそめ、嫌そうに小瓶のフタを開けた。意を決して、その液体を一気に口の中へと流し込む。


「……んーっ!!ううっ……不味い!相変わらず信じられないくらい不味い……っ!」


 彩花は可憐な顔をくしゃくしゃにして舌を出し、小さな手で口元をバタバタと仰いだ。

「もうっ!成分の調整がうまく行ってないのかなぁ……。いくら身体の不調を抑えるためだからって、この味は酷すぎるよ。……はぁ、次は絶対にいちご味にフレーバー調整してもらおう。絶対そうしよう!」


 ぷんぷんと可愛らしく怒りながら、水で口をすすぐ彩花。その姿は、不味いシロップ薬に文句を言う幼い少女の可憐さそのものであった。


 だが、部屋の隅に置かれた重厚なトランクから、カチリと音が響いた。


 トランクから這い出してきたのは、胸元に「X」の文字が刻まれたウサギのぬいぐるみ――ウサ子であった。


「……監査官様。定時報告の時間だピョン」


 ウサ子はトランクの縁に腰掛け、機雷のような赤く光る両目を彩花に向けた。


 彩花は手に持ったグラスをテーブルに置くと、くるりとウサ子の方へ振り返った。


 その表情は、先ほどと変わらず可愛らしく微笑んだままである。しかし、その瞳の奥にあった温かさは雲散霧消し、恐ろしいほどに平然とした冷酷さが宿っていた。


「ご苦労、報告をきこうか」


 声のトーンも、先ほどと変わらず可憐で美しい。声色を変えることすらなく、幼い少女の仕草のまま、悪びれる様子も一切なく冷徹な言葉を口にする――それこそが、彼女の内に潜むサイコパスとしての本質であった。


「了解だピョン」


 ウサ子の目が明滅し、空中へホログラムのデータウィンドウが展開された。そこに映し出されたのは、カフェのお姉さんの詳細な生体データと解析グラフであった。


「対象『カフェ店主、小波優子(さざなみゆうこ)』の適合率測定が完了したピョン。適合率は九十八・七パーセント。適合条件を、完璧に満たしているピョン」


「そう……」


 彩花はホログラムに浮かぶお姉さんの顔写真を、細く長い指先で愛おしそうに優しく撫で下ろした。


「素晴らしいね。あのお姉さんの持つ純粋な善性と、みんなに対する深い愛着……それらがキメラの核として変換されたとき、どれほど美しい魔力波形を生み出すか……想像するだけでワクワクしてくるよ」


 彩花は口元にふわりと甘い笑みを浮かべた。


 どこまでも無邪気で、どこまでも残酷な笑顔で。


「あの子たち……時子ちゃんたちは、今日も茜空の下で『日常を守る』って手を重ね合って誓い合っていたでしょう?」


「……肯定するピョン。非常に強固な精神的結びつきを確認しているピョン」


「ふふっ……可愛いなぁ」


 彩花は小さく首をかしげて笑った。


「あの子たちが命がけで守ろうとしている大切なものから順番に壊していくのが、僕としては一番綺麗なシナリオだからね……あのお姉さんを、時子ちゃんたち自身の絶望の核に変えてあげるのが待ち遠しいなぁ〜」


 彩花は立ち上がり、ゆっくりと窓辺へと歩み寄った。


 窓の外には、すっかり夜の闇に包まれた街の灯りが広がっている。時子たちが、理子たちが、水琴が、火燐が、アイシャが……今この瞬間も、大切な日常を守り抜いたと信じて静かに眠りにつこうとしている街。


「三学期が始まったら、本格的に動こう。まずは僕がもっとお姉さんに優しく近づいて、仲良くなってあげるんだ。……逃げ場のない完璧な絶望を届けるためにね」


 彩花は窓ガラスに映る自分の可愛らしい顔を見つめ、どこまでも無邪気で平然とした声で呟いた。


「楽しみにしていてね、アイシャちゃん。あなたたちの愛する日常を……私が綺麗に壊してあげるからね〜」


 闇の中で、彩花の瞳が妖しく輝いた。


 少女たちの知らぬところで、悲劇の歯車はすでに確実に、そして冷酷に回転を始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

レオ彦たちパートナー……なんか訳ありっぽいですね。今回は初、彩花の自宅お披露目ですね~!?。

何か違和感が……((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル

魔法少女たちの運命が今後どうなっていくのか、ぜひ見届けていただけると幸いです!


【読者のみなさまへのお願い】

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次回、第29話もどうぞよろしくお願いいたします。

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