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『時間を止める大鎚と、消えていく私』クロノ・クロスフィア 〜Invisible pains〜  作者: 猫娘


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第25話「黄金の祝宴と、凍てつく声」

※この作品はダークな展開やシリアスな描写、ちょっと過激なスキンシップなどが含まれます

 十二月二十四日、クリスマスイブ。

期末テストや補習の重苦しい空気を完全に吹き飛ばした鳳凰学園のキャンパスは、生徒会主催による『クリスマス・フェスティバル』の熱気と高揚感に包まれていた。


 吹き抜けの天井から飾られた無数のイルミネーションが、大ホール全体を温かな黄金色の光で満たしている。中央に聳え立つ特大のクリスマスツリーにはガラスのオーナメントがキラキラと反射し、壁際にズラリと並んだ立食ブースからは、香ばしいチキンや焼き立てのパイ、甘いシロップの香りが漂っていた。


「よっしゃあ!まずはあの特大ローストチキンから攻めるぞ!理子、遅れるなよ!」


 火燐は制服の腕まくりをさらに深くし、気合十分にトングとお皿を握りしめていた。八重歯を覗かせる健康的な笑顔には、普段の凛々しさとはまた違う無邪気なはしゃぎっぷりが溢れている。


「誰が遅れるか!ウチはあのローストチキンと隣のたこ焼きブースを同時に制覇してみせるわ!」


 理子が胸を張り、軽快な足取りで火燐の横へ並ぶ。小柄な体を活かして混雑する生徒たちの隙間をスイスイと縫うように進んでいく。


「二人とも、走らないでください。転んで料理をぶちまけたら即座に清掃係へ回しますよ」


 二人の後ろからついてくる水琴は、手元のクリップボードに挟んだ進行チェックシートにテキパキと赤ペンを走らせていた。シャチのアクセントが入った眼鏡の奥の瞳は、楽しげな周囲の生徒たちを温かく見守りつつも、タイムスケジュールと会場内の安全管理を冷徹に検分している。


「あはは……火燐ちゃんも理子ちゃんも、そんなに急がなくても食べ物はたくさん用意してあるよぅ」


 天野時子はふんわりとした笑みを浮かべ、三人の後を追いかけた。


 周囲から聞こえてくる生徒たちの笑い声、弾む会話、食器がカチャンと鳴る音。そのすべてが愛おしく、時子は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


(こんな風にみんなで笑い合える時間を……私は守りたかったんだ)


 時子は歩みを止め、ふと自分の足元へ視線を落とした。


 華やかなライティングが床に落とした生徒たちの影は、どれもはっきりとした濃い黒色をしている。だが、時子の足元に伸びる影だけが、まるで光の粒子に洗われたかのように縁から透け、床のタイルの模様が見えるほど淡くなっていた。


 世界から自らの存在が削られていく「代償」の足音。


 自分の足元から世界が遠ざかっていくような冷たい恐怖に、時子は一瞬だけ息を詰めた。けれどすぐに指先をギュッと握り締め、いつもの柔らかい笑顔を張り直す。心配はかけたくない。みんなと過ごすこの聖夜を、台無しにするわけにはいかないから。


 大ホールの賑わいから一歩引いた、生徒会役員用の控えスペース。


 アイシャは、赤いリボンで飾られたティーカップをそっとテーブルに置いた。


 落ち着いた紺色のドレスブレザーを身に纏った彼女は、いつも以上に洗練された品格と大人びた美しさを放っていたが、その紫水晶の瞳には拭い去れない陰りが落ちていた。


(鈴木くん……返信すら、してくれないのね……)


 アイシャの手元にあるスマートフォンの画面には、昨日から送信し続けているメッセージが並んでいる。どれも既読にならず、冷たい無音が返ってくるだけだった。


 同じ三年生の生徒会書記として、自分が疲れた時には言われる前に温かい飲み物を用意し、不器用ながらもまっすぐな瞳で支えてくれていた鈴木修。彩花から「ご両親の都合による急な引っ越し」という事情を聞かされ、一度は納得したはずだった。彼のことだから、フェスティバル直前の忙しい自分たちに余計な心配をかけまいと、不器用な気遣いで黙って去ったのだと自分に言い聞かせていた。


 だが、最後の一言も交わせなかった寂しさと、胸の奥でチリチリと疼く不気味な違和感を、どうしても完全に消し去ることはできずにいた。


「ふう……溜息をつくと、せっかくの美味しい紅茶が冷めてしまうよ、アイシャさん」


 低い、けれど鈴の鳴るような心地よい声が響き、嵐彩花が優雅な動作で隣のパイプ椅子を引き、腰掛けた。


 宝塚の男役のような気品を漂わせる彩花は、生徒会の特注胸章を胸元で揺らし、包容力に満ちた笑みをアイシャへ向ける。


「彩花さん……。すみません、なんだか気持ちが晴れなくて」


「いいんだよ。仲間を想う君の優しさは、僕にとっても眩しいくらいだ。でもね、今夜は学園中の生徒が君の作ったこの祝宴を楽しんでいる。会長である君が笑っていなければ、みんな寂しがるんじゃないかな」


 彩花は優しく目を細め、アイシャの華奢な肩へそっと手を添えた。その手の温もりに、アイシャは少しだけ表情を緩め、深呼吸をした。


「……そね。ありがとう、彩花さん。私、しっかりしますね」


「うん、その笑顔が一番だよ。さあ、大ホールへ戻ろう」


 アイシャが立ち上がり、大ホールの中心へと戻っていく。


 その背中が人混みに消えた瞬間、彩花の顔からすべての温もりが消え去った。


 彩花はポケットの中で、小型の通信端末のキーを無感情に叩いた。


 ブレザーの内側に潜ませたトランクから、カチカチと機械的な歯車の回転音が漏れる。監査者の端末ウサ子の内部回路が、赤い光を点滅させていた。


『準備完了だピョン。バフォメット・コアの活性波形、学園全体の魔力場と完全同調したピョン』


(僕からの細やかなプレゼントの用意が整ったようだね。さて……開幕だ。純粋な少女たちが紡ぐ希望を、絶望の肥料に変える最高の聖夜がね)


 彩花は洗練された唇の端を冷ややかに吊り上げ、光り輝く会場へと静かに足を踏み出していった。


 大ホールの中央ステージでは、ビンゴ大会の景品発表とともにカウントダウンイベントが盛り上がりを見せていた。


「さあみんなー!お待たせ、生徒会特製の特大クリスマスケーキの入場だよー!」


「うおおおおっ!待ってましたー!」


「チキンも美味いけどケーキは別腹だぜー!」


「押しちゃダメだって! 順番順番!」


「ちょっとカメラ引いて! 写真入らないから!」


「メリー・クリスマスーー!!」


 生徒たちの歓声と熱気が最高潮に達し、クリスマスの定番曲が大ホールの空間を震わせる。


 火燐と理子が皿を掲げて笑い合い、水琴が「落ち着きなさい」と苦笑し、時子も楽しそうに手拍子を重ねる。


「三……! 二……! 一……!!」


 生徒たちの声が一つに重なり、カウントダウンがゼロを刻んだ瞬間。


ズ、ズズズ……ッ。


 空間の底を擦り剥くような、不快な重低音が耳の奥を刺した次の瞬間。


カチリッ!


 世界から、すべての『色彩』が瞬時に奪い去られた。


 黄金色のイルミネーションも、鮮やかなケーキも、生徒たちの制服も。すべてが一瞬にして、無機質で冷たい黒と白のモノクロームへと変貌する。時間が停止した左右反対の世界へと、空間が反転したのだ。


 そして……完璧な『静寂』。


「反転現象……!?なんてこと……!」


 水琴の声が、モノクロームの静寂を切り裂く。


 理子も、火燐も、アイシャも。自分たち魔法少女だけが動くことを許され、戦慄の表情で周囲を見回した。


グオオオオオオオオオン……!


 大ホールの吹き抜け天井が、目に見えない圧力によって爆ぜ割れた。


 静寂を打ち破って降り注いだのは、粘液質な漆黒の霧。その中心から、人間の肉体が歪に膨張し、山羊の骨格やグロテスクな肉腫が無理やり縫い合わされた異形のキメラ・コア『バフォメット・コア』が姿を現した。


 皮膚の裂け目から蠢く肉芽が溢れ出し、凶暴な爪が一振りされるだけで、大ホールの太い柱に深い亀裂が入る。


「怪物……!嘘だろ、こんな大勢人がいる中で……!」


 火燐が歯を食いしばり、身構えた。


「ダメ! ここで戦ったら、止まってるみんなが巻き込まれちゃう!」


 時子が叫んだ。


 時空反転によって静止した一般生徒たちは、攻撃の爆風や倒壊する瓦礫を受ければ、その身を守るすべがない。


「時子の言う通りや!ウチらがアイツを外へおびき出すんや!」


「みなさん、変身ですっ!」


 水琴の静かな合図とともに、五人はそれぞれの変身トリガーを起動させる。


 時子はアンティークな懐中時計の蓋をシャッと開き、理子は腕輪を強く握り締め、火燐は両腕の武器を激しく交差させ、水琴は眼鏡のフチを指で押し上げ、アイシャは胸元のアミュレットへ静かに指先を添えた。


 モノクロームの世界に五色の光が奔流となって弾け、少女たちは戦闘装束へと姿を変える。時子の手には、身の丈を超える黄金の大鎚が握られていた。


「ハアアアアッ!」


 時子は重厚な大鎚を激しく振り抜き、バフォメット・コアの足元へ叩きつけた。


ゴォンッ!!


 金色の衝撃波が床を走り、バフォメットの巨躯がグラリと体勢を崩す。


「こっちだよ!誰も傷つけさせないんだから!」


 時子は叫びながら、大鎚を担ぎ直して大ホールの巨大な扉へ向かって駆け出した。


 バフォメットは怒りに狂った咆哮をあげ、時子の後を追って巨躯を揺らす。


「理子さん、火燐さん!停止した生徒たちの前に展開し、破片を防いでください!」


「任せとき、水琴!」


 理子がスピーディな手つきで磁力の障壁を何層も展開し、固まった生徒たちの前に壁を作る。火燐はその肉体を躍動させ、バフォメットが薙ぎ払う瓦礫を自らの腕で力任せに撃ち落とした。


「みんなの楽しいパーティーを壊してんじゃねえええ!」


 火燐の拳と、アイシャの放つ光の矢がバフォメットの側頭部を撃ち抜く。


 五人は静止した生徒たちを完璧に護りながら、巧みな連携でバフォメットを大ホールから押し出し、広々とした中庭・旧校舎裏の空き地へと誘導していった。


 寒風が吹き抜ける中庭へとバフォメットを追い詰めた瞬間、アイシャが先頭へ躍り出た。


「ここなら思い切り戦えるわ!全員で叩きましょう!」


「うんっ!いきますっ!」


 時子が懐中時計を握り、固有能力を発動させる。


「時間よ……止まってっ!」


 周囲の空間が微細にブレ、バフォメット・コアの巨躯が完全に硬直した。その隙を逃さず、火燐の踏み込み、理子の突撃、水琴の精密射撃、そして弓を引き絞ったアイシャから放たれた光の矢が、バフォメットの急所を的確に穿ちぬく!


ドォォォォンッ!!


 肉腫が弾け、グロテスクな粘液が夜空へ散らばる。バフォメットは悲鳴を上げて後退した。


 だが、その直後だった。


 苦悶に歪むバフォメットの喉元から、溢れ出してきたのは怪物のものではない、かすれた人間の「声」だった。


『……旧……約……し……のに……っ』


「え……?」


 アイシャの脚が、ピタリと止まった。


『旧校……ンチで……合う……約束……た……』


 それは、途切れ途切れの、血の吐くような未練と絶望に満ちた男子生徒の声だった。


 あまりにも生々しいその声音の響きに、アイシャの脳裏に冷たい雷が落ちたような衝撃が走る。


(この声……まさか……そんなはずは……)


『あ……しゃ……ん……。アイ……シャ……さん……っ!』


「――ッ!?」


 アイシャの顔から、血の気が完全に引き去った。


 聞き間違いなどではない。自分を密かに支え、数日前のあの帰り道に震える声で約束を取り付けてきた、あの生真面目な同級生――鈴木修の声。


(鈴木……くん……!?この怪物が……鈴木くんだとでもいうの……!?)


 その瞬間、アイシャの頭の中に、契約の際にパートナーから教えられていた『キメラ・コア』に関する知識が重く蘇った。


『キメラ・コアというのはね、人間の強い未練や歪んだ感情が裏の世界の因子を引き寄せて生まれる怪異なんだよ』


(人間の感情が裏の因子を引き寄せる……。じゃあ、鈴木くんの私への強い想いや未練が……この恐ろしい怪物を呼び寄せてしまったというの……!?)


 パートナーから教わっていた言葉が脳裏を巡り、怪物の声と結びついてアイシャの思考をパニックへと追い詰めていく。


 だが、直後にそれを必死で打ち消したのは、嵐彩花が与えてくれた「温かな嘘」だった。


(ダメ……そんなの信じたくないわ!だって、彩花さんが言っていたもの!鈴木くんはご両親の都合で、急に遠方の街へ引っ越したって……!あんなに生真面目な彼が、私に挨拶もできないままこんな怪物の発生源になるなんて……そんなの、あってたほしくない……っ!聞き間違いよ……!私の気のせいに決まっているわ……っ!)


 パートナーが教えてくれた知識と、彩花がくれた温かな嘘。


 ふたつの現実の間で激しく引き裂かれたアイシャは、あまりの恐怖に耐えかね、現実から目を背けるようにして「彩花の言葉(温かな嘘)」へとしがみつき、恐ろしい疑念を無理やり胸の奥底へと押し込んだ。


「アイシャ先輩、あぶないっ!」


 火燐の悲鳴のような叫びが響く。


 激痛に狂ったバフォメットが、硬直したアイシャに向かって巨大な爪を振り下ろそうとしていた。


「アイシャ先輩に触らせへん……ッ!」


 理子が素早い手つきで両腕のブレスレットを交差させ、強力な磁力障壁をアイシャの目の前に瞬間展開させた。


ガァァァンッ!!


 激しい火花と空間を歪める衝撃波が吹き荒れ、バフォメットの巨爪が見えない磁気の壁に弾き返される。体勢を崩したバフォメットは絶叫をあげ、黒い煙を振り撒きながら、夜の闇の奥へと逃走していった。


 空間の反転が解除され、世界に「色彩」と「音」が戻ってくる。


「……あれ?今なんか一瞬寒くならなかった?」


「気のせいだろ!ほら、ケーキ取りに行こうぜ!」


 大ホールからは、何事もなかったかのように生徒たちの賑やかな笑い声が再び響き渡り始めた。


 だが、アイシャの胸の奥には、打ち消したはずの不気味な声の残響が、消えない重いトゲとなって深く刺さったままだった。


 夜が更け、生徒たちの賑わいが去った静まり返った生徒会室。


 一方その頃、誰もいない暗がりの中で彩花はブレザーのポケットから小型の通信端末を取り出していた。画面に表示されているのは、監査パートナーであるウサ子の目を通した生体観測データだった。


 そこには、戦闘中におけるアイシャの激しい心拍数の上昇、脳波の乱れ、そして「鈴木修の声」に反応した際の精神的動揺と疑念の兆候が、数値とグラフで冷徹に記録されていた。


 彩花は画面の数字を指先でなぞりながら、美しくも冷たい笑みを浮かべた。


「ふふ……かすかな揺らぎを検知、か。まだ少し、あの男の影を引きずっているようだね……。完璧な劇を崩さないためには、もう少し『もう一押し』の演出が必要かな」


 冷酷な輝きを放つ端末を閉じ、彩花は誰もいない漆黒の夜闇に向かって、優雅に、そして恐ろしく冷酷な顔で微笑んだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

久々のバトル展開となりました。

バフォメット・コア…とうとう出てきましたね。時子のセリフ…一度みんなの前で言ってみたいですヽ(`▽´)/「時間よ――止まってっ!」

魔法少女たちの運命が今後どうなっていくのか、ぜひ見届けていただけると幸いです!


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次回、第26話もどうぞよろしくお願いいたします。

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