第十九話「転校生と、暗躍するぬいぐるみ」
※この作品はダークな展開やシリアスな描写、ちょっと過激なスキンシップなどが含まれます)
秋の修学旅行の狂騒と熱気が遠い思い出となり、十一月の終わりを迎えた鳳凰学園には、冬の訪れを告げる冷たく澄んだ空気が漂っていた。
校庭の銀杏の葉はすっかり落ち尽くし、放課後の校舎を包む夕陽は、どこか切なく斜陽の陰影を深めている。
二年B組の教室。生徒たちが下校の仕度を終えてまばらになる中、天野時子と土屋理子は自分のデスクで荷物をまとめていた。
「ふぅ……修学旅行、ホンマに楽しかったなぁ。京都のお寺の静けさも凄かったし、大阪の道頓堀で食べたたこ焼きの味、今でも口の中に残っとる気がするわ」
理子がカバンのチャックを締めながら、しみじみとした笑顔を向ける。
「うん!理子ちゃんたちと一緒にいろんなところに行けて、私、本当に嬉しかった。……一時はどうなるかと思ったけど、みんなが手を握ってくれたから」
時子は自分の両手のひらをじっと見つめた。
大阪の賑やかな街角で迷子の男の子を交番に届けた際、自分の存在の輪郭が世界からほんの一瞬だけ薄くなり、滑り落ちかけたあの恐ろしい感覚。理子、火燐、水琴が必死になって自分を抱きしめ、繋ぎ止めてくれた温もり。あの体温があったからこそ、自分は今こうして『ここ』に立っているのだと強く実感できた。
「へへっ、当たり前やんか。時子が迷子になったら、ウチが誰にツッコミ入れたらええねん。……さ、みんな待っとるし、カフェに向かおうか」
理子がカバンを肩にかけ、笑顔を向ける。だが、その右手が制服のカバンの持ち手を握りしめる際、ほんの一瞬だけ「カチリ」と小さな硬直の兆候を見せた。痛みはないものの、指先に力が届きにくい感覚。理子はそれを時子に悟られまいと、素早くポケットの中に手を滑り込ませた。
校門に向かう渡り廊下で、二年A組の美輪火燐、佐藤水琴、そして三年生の風花アイシャと合流する。
「おーい、時子!理子!遅いぞー!」
元気いっぱいに手を振る火燐の腕には、仔猫を助けた時の傷跡を隠すように、長袖のインナーがしっかりと重ねられている。時折チリチリと焼けるような痛みが走るが、火燐は八重歯を見せて平然と笑っていた。
その隣で、水琴が銀縁メガネをくいっと押し上げた。
「まったく、火燐さんは相変わらず歩幅が大きすぎます。私の歩行ピッチと同期させる計算を少しは考慮してください」
「ふふ、二人とも相変わらず仲が良いわね。みんなでお茶をしに行くのは久しぶりだから、私もとっても楽しみよ」
アイシャが豊満な胸元に手を当て、優しく微笑む。最年長として最前線で戦い続けてきた分、体調の重さや衰弱感はあるものの、仲間たちと過ごすこの時間が彼女の何よりの心の支えだった。
五人が他愛もない雑談を交わしながら校門へ向かおうとした――その時だった。
「――きゃあああぁぁぁっ!?」
「な、なにアレ……っ!?モデルさん……!?ううん、宝塚のトップスター様……!?」
昇降口のあたりから、女子生徒たちの黄色い悲鳴と地鳴りのような歓声が巻き起こった。
人垣ができあがり、頬を赤らめた生徒たちがひとつの人影を取り囲んでいる。男子生徒たちすらも、その圧倒的な存在感に気圧されていた。
「なんやなんや? 何事や?」
理子が首をひねり、人垣の隙間から覗き込む。
人混みの中心から、すっと風を切るように歩み出てきたのは――ひとりの三年生の女子生徒だった。
鳳凰学園の制服を完璧に着こなした、すらりと伸びた高身長とスレンダーなスタイル。風になびく美しい髪と、彫刻のように端正な顔立ち。立ち振る舞いのひとつひとつが洗練されており、まるでスポットライトを一身に浴びる舞台上のトップスターそのものだった。
「……すごい綺麗な人。あの人も三年生なのかな?」
時子が思わず見惚れて呟くと、水琴がすささっと手帳を取り出し、メガネを光らせた。
「……データによれば、彼女は本日付けで三年A組に編入してきた転校生ですね。名前は嵐彩花。以前通っていた名門校でも、その容姿と文武両道のカリスマ性で絶大な人気を誇っていたとか」
「へぇ〜!嵐彩花先輩か!格好いいじゃん!」
火燐が目を輝かせる中、人垣を割って歩み寄ってきた彩花は、まっすぐに生徒会長であるアイシャの前で足を止めた。
「やあ、君が鳳凰学園の生徒会長、風花アイシャさんだね?」
低く澄んだ、耳に心地よく響く中性的な美声。彩花は魅惑的な笑みを浮かべ、アイシャに向かってスマートに右手を差し出した。
「初めまして、嵐彩花だよ。今日からこの学園でお世話になることになった。伝統ある鳳凰学園の生徒会と、君のような素晴らしいリーダーに挨拶ができて光栄だよ」
あまりにも完璧な挨拶と気品。アイシャは一瞬だけ圧倒されたように目を丸くしたが、すぐさま最上級生としての気品ある笑みを返した。
「初めまして、嵐さん。生徒会長の風花アイシャですわ。ようこそ鳳凰学園へ。何か困ったことがあれば、いつでも生徒会室を訪ねて頂戴ね」
二人の美しき三年生が手を握り合う光景に、周囲の女子生徒たちから「きゃーっ!」「アイシャ先輩と彩花様……!夢の競演……!」と熱狂的な歓声が上がった。
「ありがとう、風花さん。……フフ、噂通りの素敵な学園だ。これからよろしくね」
彩花は爽やかに微笑むと、集まった後輩たち――時子、理子、火燐、水琴の四人にも優しく視線を送り、すれ違いざまに軽く手を振って去っていった。
完璧で、完璧すぎるほど魅力的な一生徒の姿。
――だが、去り際に彩花が浮かべた薄い微笑みの奥底、その瞳の深い闇には、誰にも感知できない冷徹で巨大な『監査者の眼光』が宿っていた。
「ふぅ、嵐先輩、すごかったね……!なんだか宝塚の舞台を見ているみたいだったなぁ」
「ホンマやな。生徒会の仕事でも、アイシャ先輩の強力なライバルになりそうなオーラあったわ」
鳳凰学園を後にした五人は、いつもの隠れ家カフェへと向かっていた。並んで歩く夕暮れの街並みの中で、時子がふと思い出したように語りかける。
「ねえ……前にみんなで話した『魔法の使いすぎ』のこと……。アイシャ先輩、あれから体調はどうですか?」
以前、五人は初めて各自の身体の違和感を打ち明け合い、「これは魔法の使いすぎ(オーバーヒート)による一時的な副作用だ」という結論に達していた。
アイシャは手袋をはめた自分の手を優しく包み込み、温かく微笑んだ。
「ええ、大丈夫よ。みんなと話して、過剰な魔法の使用を控えるように意識してから、体の重さも少し和らいだ気がするわ。……やっぱり、私たちが無理をしすぎていただけなのね」
「そうですよ!要するに肉体疲労や一時的な負荷と同じです!休養と適切な栄養摂取を行えば、自然と回復していきます!」
水琴が自信満々にメガネをクイッと上げ、理子もニッと笑った。
「せやな!ウチの右腕も、作業のしすぎで筋肉が緊張して硬くなってただけや!理由が分かれば怖ないわ!」
「あたしもあたしも!これからは無駄に必殺技連発しないで、気合いで乗り切るぜ!」
『ただの過労・使いすぎの副作用』。
少女たちはその都合の良い誤った仮説を完全に信じ込み、胸の奥にあった不吉な予感を綺麗に拭い去っていた。
一方その頃――時子たちが到着する少し前の、静まり返った隠れ家カフェ。
営業中の札は出ているものの、店内に人影はなく、アンバー色の照明は微かに明滅を繰り返していた。カウンターの隅、棚の上、ソファの足元には、先日までは存在しなかった無数の「ウサギのぬいぐるみ」が並べられている。
カラン、とドアの鈴が鳴った。
入ってきたのは、制服の鞄を片手に持った転校生――嵐彩花だった。
放課後、時子たちと別れた彼女は、真っ直ぐにこの場所へと足を運んでいた。
彩花が店内に一歩足を踏み入れた瞬間――アンバー色の店内を、春先のような温かな微風がそっと吹き抜けた。
彩花が静かに放った「温かな風の結界」が、店内の空間を優しく包み込む。
奥の部屋で疲労を滲ませていたお姉さんは、その心地よい風の揺らぎに包まれ、安心感とともに深い微睡みの中へ落ちていき、デスクにそっと伏して眠りについた。外部からの音も、店内の異様な気配も、その風の結界がすべて優しく、そして完璧に遮断していた。
「……ふふ、温かな風に包まれていれば、恐怖も異変も感じることはないよ」
彩花が静かに微笑むと、棚の上、テーブルの上、カウンターの陰に置かれた何十匹ものウサギのぬいぐるみたちが、一斉に「カチカチカチ……」と首を歪な角度で旋回させ、入口の彩花へと視線を向けた。
パサッ、コトン。
ぬいぐるみたちは棚や椅子から飛び降りると、まるで統率された兵士のように、一列に彩花の足元へと集まった。そして、不揃いなボタンの目を揃えて見上げると、深々と頭を垂れ、畏まるようにひれ伏した。
「……おいでを、心よりお待ちしておりました。監査者様」
フェルト製の口が歪に裂け、湿ったノイズのような声が一斉に重なり合う。
彩花は冷徹な眼光でひれ伏すぬいぐるみたちを見下ろし、黒い革手袋をはめた指先で、一体のウサギの頭を軽く突いた。
「出迎えご苦労。……ふむ、店内の波動同調器としての配置は悪くないね。店主への精神干渉も順調のようだ」
「ハッ……。店主への深層心理への偽装、ならびに被検体たちの警戒心の解除……すべて計画通りに完了しております」
「結構。……先ほど学園で被検体たちと直接接触したけれど、見事なものだね。自分たちの存在や肉体が削られているというのに、『ただの過労』『魔法の使いすぎ』という都合の良い解釈に勝手にすがってくれている」
彩花は冷たい嘲笑を唇に浮かべた。
「人間というのは本当に愚かで、そして愛おしい。突きつけられた恐ろしい現実から目を背けるためなら、どんなおめでたい嘘でも喜んで信じ込むのだから」
「……被検体たちの同調率はすでに八割を超過。回収の段階へ向けて、環境は整いつつあります」
「ああ。せいぜい、僕が提示した『温かな嘘』の中で踊り続けてもらうとしよう。……おや、そろそろ『可愛いお客様たち』がやってくる時間かな」
彩花が窓の外に目を向けると、路地の向こうから時子たちの楽しげな話し声が近づいてくるのが見えた。
「店主を包む風の結界効果も切れる。彼女も目を覚ます頃だ。全員、持ち場に戻りなさい。姿を隠し、徹底的に観測を続けるんだ。」
「御意――」
ぬいぐるみたちは素早く元の棚やソファへと飛び戻り、ただの無機質な愛玩動物の表情へと戻っていった。それと同時に、お姉さんを包んでいた温かな風の結界がスッと霧散し、奥の部屋から「ふう……少しウトウトしていたかしら」とお姉さんが穏やかに目を覚ます気配が伝わってくる。
彩花もまた、一瞬で冷徹な監査者の顔を消し去り、気品ある美しい転校生の笑みを浮かべるやいなや、誰にも気づかれることなくバックヤードの陰から裏口へと姿を消した――。
「こんにちはー、お姉さん!」
カランと鈴を鳴らし、時子たちが店内に入ってきた。
店内は静まり返っていた。どこか異様な静寂が広がっており、カウンターの向こうにも最初はお姉さんの姿はない。
「……あれ?お休みでしょうか……?でも、鍵は開いていましたし……」
水琴が不思議そうに店内を見渡す。
その時、時子の視線が、カウンターの端にある古い食器棚の陰に留まった。
「……あ」
そこに――いた。
棚の上や、カウンターの隅、ソファの足元。不揃いな「ウサギのぬいぐるみたち」が、ぽつん、ぽつんと並べられていたのだ。
フェルト製の白い耳、不揃いなボタンの目、つぎはぎの布地。
愛らしい見た目をしているはずなのに、そのガラス玉のような瞳は、まるでついさっきまで動いていたかのように冷たく無機質な光を宿していた。
「な、なんやこれ……?こんなぬいぐるみ、前からあったっけ?」
理子が眉をひそめ、不気味そうにウサギのぬいぐるみに近づく。火燐も首を傾げた。
「お姉さんの新しい趣味か?なんか……ちょっと不気味だな」
「……いえ。カフェのインテリアにしては、配置が不自然です」
水琴が観察眼を光らせる。
ウサギのぬいぐるみたちは、完璧な角度で時子たち五人を「囲む」ように配置されていた。そのボタンの目が、じっと少女たちの動きを、身体の緊張を、不調の波長を――冷徹な「データ」として計測しているかのように。
「お姉さん、奥にいらっしゃるのかしら? この前も体調を崩されていたし、ちょっと見てくるわね」
アイシャが心配そうにバックヤードの扉へと向かう。
その背後で、時子はふと足元のウサギのぬいぐるみと目が合った。
その瞬間――。
カチリ。
脳の奥底で、冷酷な秒針の音が響いた気がした。
時子は背筋に冷たい氷を押し当てられたような寒気を覚え、思わず後退った。
(なに……?いま、このぬいぐるみ……私を見て……笑った……?)
瞬きをすると、ウサギのぬいぐるみはただの愛玩動物の姿に戻り、不揃いなボタンの目で空間を見つめているだけだった。
「あら、みんな。来てくれていたのね」
奥の扉が開き、エプロン姿のお姉さんが顔を出した。
顔色はまだどこか蒼白で、歩く足取りがほんの少し不自然だったが、五人の姿を見ると、いつもの包み込むような優しい笑顔を浮かべた。
「ごめんなさいね、奥で少し休んでいたの。すぐにお茶を淹れるわね」
「お姉さん!まだ無理しちゃダメです!私、お手伝いします!」
時子はハッとして駆け寄り、嫌な予感を振り払うように明るい声を上げた。
「ありがとう、時子ちゃん。優しいのね」
お姉さんが時子の頭を優しく撫でる。その温かい手触りに、時子はホッと安堵の息を吐き出した。
(気のせい……よね。お姉さんも無事だったし、私たちはただ、疲れが溜まっていただけなんだから)
少女たちは笑い合い、運ばれてきた温かい紅茶を口に運ぶ。
自分たちを蝕む恐怖の正体が「単なる過労」だと信じ込み、来月のクリスマスイベントへの期待を語り合いながら。
だが――彼女たちが談笑するカフェの暗がりで。
棚の隅に置かれたウサギのぬいぐるみたちが、ほんの一瞬だけ、ガラス玉の瞳をどろりとした不気味な紫光に明滅させた。
『……適合率、測定完了』
『……過負荷によるリミッターの作動、および誤認識の定着を確認』
『……同調率、八割を超過』
少女たちには聞こえない、無機質で冷酷な通信波長が、裏の世界へと伝達されていく。
カフェを後にし、夜風が吹き抜ける街路樹の下。
建物の影から少女たちの背中を見送っていた嵐彩花は、手元の端末に送られてきたデータログを確認すると、満足そうに瞳を細めた。
「ふふ……本当に健気で、美しい少女たち。自分たちの命が、存在が、刻一刻と削り取られていることにも気づかずに……」
彩花は手帳を静かに閉じ、冬の気配を含んだ夜空を見上げた。
「……せいぜい、今のうちに温かな日常(夢)を貪るといいさ。僕の『監査』が本格化する、その時までね」
少女たちの足元で、逃げ場のない絶望の歯車が、静かに、けれど確実にその回転速度を上げていた――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
トップスター転校生キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
この展開はっ!…あえて言うまい…。
魔法少女たちの運命が今後どうなっていくのか、ぜひ見届けていただけると幸いです!
【読者のみなさまへのお願い】
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ページ下部の【ブックマーク登録】や【評価(★★★★★)】をいただけますと、執筆の大きな励みになります!
感想やレビューもお気軽に残していただけると嬉しいです!
次回、第二十話もどうぞよろしくお願いいたします。




