第十一話「燃えさかる焔と、冷たい違和感」
※この作品はダークな展開やシリアスな描写、ちょっと過激なスキンシップなどが含まれます)
鳳凰学園の道場には、放課後の心地よい緊張感とともに、道着に身を包んだ生徒たちの威勢の良い掛け声が響き渡っていた。
海を見下ろす小高い丘の上に建つこの学園では、部活の盛んな声が夕暮れの校舎に広がるのがいつもの風景だ。その一角にある武道場で、火燐は額の汗を拳でぬぐいながら、後輩部員たちと熱の入った稽古に励んでいた。
「ハァッ!セイッ!」
「よし、今の蹴りすごく良かったぞ!ただ、打った後に軸足のタメが抜けてる。最後までしっかりと軸を残して、腰の回転で押し込むんだ!」
「押忍!先輩、ありがとうございます!」
後輩の女子部員が、尊敬の眼差しを向けながら深々と頭を下げる。
火燐は高めの位置で結んだポニーテールを揺らしながら、快活な笑みを浮かべてその肩をポンポンと叩いた。
「いい筋してるよ。来月の新人戦、期待してるからな!」
「はいっ!先輩たちの背中に追いつけるよう、もっと頑張ります!」
後輩たちの弾けた声が道場内に跳ね返る。躍動するポニーテールとともに繰り出される火燐の俊敏な体のこなし、そして誰に対しても分け隔てなく明るく接する頼もしい立ち振る舞いは、少林寺拳法部における大きな目標であり、憧れの標的でもあった。
稽古が終了の刻を迎え、部員たちが「押忍、お疲れ様でした!」と声を掛け合いながら床の拭き掃除を始める。
火燐も自分の防具を片付けようと腰を屈めたその時、道場の引き戸が静かにガラガラと開き、制服姿の水琴が姿を見せた。
その手に抱えられているのは、彼女のトレードマークでもある厚いバインダーと、応急手当て用の救急箱である。
「火燐さん、お疲れ様です。……練習後の傷の手当てを行いますよ」
「おう、水琴!わざわざ迎えに来てくれたのか。サンキュな!」
火燐は爽やかに笑うと、道場の端にあるベンチへと腰を下ろし、道着の袖を無造作に捲り上げた。
彼女の小麦色の肌には、日々の厳しい稽古の証である小さな擦り傷やかすり傷が、拳から手首にかけて幾つも残っている。格闘技に打ち込む者としては、ごくありふれた名誉の負傷だ。
ふと、その傷口の周辺に触れたとき、火燐は微かに眉をひそめた。普段なら体内で燃え盛るはずの闘気やエネルギーとは裏腹に、なぜか傷口の周辺だけが妙にジリジリと冷えるような、熱を通さない異質な痛みが走ったからだ。
(……ん?なんだこれ……)
一瞬だけ怪訝な顔をしたものの、火燐はすぐにそれを自分の気のせいだと笑い飛ばし、水琴に腕を差し出した。
水琴はバインダーをベンチの脇に置くと、救急箱から慣れた手つきで消毒液と綿棒を取り出し、火燐の腕を手際よく処置し始めた。
「この右腕の擦り傷……三日前の稽古の際についたものですよね。なぜ、まだかさぶたすら出来ずに血が滲んでいるのですか?」
水琴の静かで淡々とした問いかけに、火燐はキョトンとして自分の右腕を見下ろした。
「え?ああ、これ?あはは!」
「なんだ、そんなことかよ!ちょっとバンテージが擦れただけだって!アタシの皮膚が頑丈すぎて、治るのもマイペースなんだよ!」
本気で大したことだと思っていない様子で、火燐は反対の手で豪快に自分の頭を掻きむしりながら笑い飛ばした。
「そんなに心配すんなって。昔から擦り傷くらい、一晩寝れば元通りだったんだからさ」
「……そうですか」
新しい絆創膏を丁寧に貼り替えながら、水琴の鋭い眼鏡の奥の瞳は、かすかな不審の影を宿していた。
(おかしい……。火燐さんの生体データから見ても、細胞分裂や血液凝固反応のサイクルが不自然に遅すぎる気がします。単なる疲労による免疫低下でしょうか……?それともなにか……)
胸の中に湧き上がった小さな違和感を、水琴はひとまずバインダーの奥へと押し留めた。
稽古着から制服へと着替えた火燐は、鞄を肩にかけ、水琴とともに夕暮れの通学路を歩いていた。
鳳凰学園から駅へと続くレンガ造りの坂道は、オレンジ色の夕日に照らされ、二人組やグループで下校する生徒たちの賑やかな声で満ちている。歩くたびに跳ねるポニーテールが、夕日を浴びて健康的に輝いていた。
「それにしてもさ、水琴って本当マメだよなー。部外者なのに、毎回アタシの部活の終わり時間ピッタリに合わせて迎えに来てくれるしさ」
「当然です。同じクラスの友人として、また戦闘における連携パートナーとして、あなたのコンディション管理は私の重要なタスクですから」
「堅いなぁ相変わらず!でもまあ、そういう几帳面なところ、助かってるけどな!」
火燐が水琴の背中をバシッと力任せに叩くと、水琴は「ぐふっ……衝撃荷重の計算が狂います、手加減してください」と眼鏡を直しながらため息をついた。
二人で軽口を叩き合いながら坂道を下りきり、駅前の商店街を少し進んだ場所に、彼女たちの目指す場所があった。
クラシカルな木製のドアと、温かみのあるオレンジ色のランプが目印のカフェ。ここは、彼女たちが放課後によく集まるお気に入りのたまり場だった。
ドアを開けると、カランコロンと風鈴のような清涼な鈴の音が店内に響く。
「あっ、火燐ちゃん!水琴ちゃん!こっちこっちー!」
奥の窓際にある大きな角席から、時子がぶんぶんと大きく手を振っていた。隣には呆れ顔の理子、そして優雅に紅茶のカップを傾けるアイシャの姿もある。
「待たせたな、みんな!」
「お待たせしました。部活動の終了時間が少々押し気味でしたので」
火燐と水琴が席に着くと、テーブルの上はすでに賑やかなメニュー表やドリンクで彩られていた。
「全然待ってないよ〜!私たちも今来たばっかりだし!ね、理子ちゃん?」
「ウチらは十五分前に着いてたけどな。時子が途中で焼き芋屋の匂いに引っかからんかったら、あと五分早かったわ」
「ふぇぇ!?理子ちゃん、それは言わない約束でしょ〜!だってすごく良い匂いがしたんだもん!」
時子が両手を頬に当てて膨れっ面をしてみせると、テーブルにどっと笑いが起きた。アイシャも心地よさそうに目を細めている。
「ふふ、時子ちゃんの素直なところはとても素敵だと思うわよ。それで、火燐ちゃん、今日の部活動はどうだったかしら?」
「最高だったぜ、アイシャ先輩!後輩たちも気合い入ってるし、来月の新人戦、マジで楽しみなんすよ!アタシも個人戦で優勝して、学園にデカいトロフィー持ち帰ってやるから期待しててくれよな!」
火燐がポニーテールを誇らしげに揺らし、胸を強く叩いて見せると、理子がニヤリと口元を緩めた。
「言うたな火燐。優勝祝いは盛大にやってもらわなアカンな。まあ、火燐ならほんまに優勝してきそうやけど。無茶して変な怪我だけはすんなよ?」
「分かってるって!アタシの身体は頑丈さが取り柄なんだからさ!」
「失礼しますね。メニューはお決まりですか?」
そこへ、注文を取りにやってきたのは、時子たちが普段から「お姉さん」と呼んで慕っている、店の優しい女性店員だった。
「あっ、お姉さん!私、新商品のサツマイモパフェにします!」
「私はアイスコーヒーを。ブラックで結構です」
「ウチらは季節限定のホット抹茶ラテで」
「私はアッサムティーをストレートでお願いするわ」
「アタシは……うーん、やっぱり特大サイズのチョコバナナパフェと、アイスミルクで!」
火燐の豪快な注文に、お姉さんは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、かしこまりました。火燐ちゃんは今日も元気いっぱいで頼もしいわね。すぐに作って持ってきますから、少し待っていてね」
トレイを抱えてカウンターへと戻っていくお姉さんの背中を見送りながら、時子はパフェへの期待に胸を躍らせていた。
「いいなぁ、カフェのパフェって見た目もすっごく可愛いからテンション上がっちゃうよね!」
「時子、あんた先週もパフェ食べてへんかったか?太っても知らんで」
「うっ……!だ、大丈夫だもん!体育の授業でいっぱい走ったからカロリーはゼロなの! ねーっ、火燐ちゃん!」
「おう!運動した後の甘いもんは実質ゼロカロリーだし、むしろ筋肉の栄養だな!」
「なっ!?アホか、そんなわけあるかいな!類は友を呼ぶとはこのことか……」
火燐の適当すぎる乗っかりと時子の誇らしげな笑顔に、理子が頭を抱えて深いため息をつく。水琴も呆れ顔で「栄養学と熱力学の観点から完全に誤った理論です」と冷静にツッコミを入れ、テーブルの空気はますます賑やかになった。
しばらくすると、「お待たせいたしました」とお姉さんが色鮮やかなメニューを運んできた。
テーブルの上に並べられたパフェや温かいドリンクから、甘く芳醇な香りが立ち上る。
「わぁぁっ!サツマイモパフェ、お芋のおせんべいが乗ってる!美味しそう~!」
「いただきまーす!」
時子と火燐が同時にスプーンを手に取り、パフェへと伸ばした。
火燐は一口大にすくったパフェを口に運ぶと、「うおっ、うまっ!チョコとバナナの組み合わせは神だな!」とポニーテールを揺らして表情を輝かせる。
「火燐ちゃん、お鼻に生クリームついてるよ」
「へ?嘘っ、どこどこ!?」
慌てて自分の鼻を拭う火燐の姿に、理子もアイシャも思わず笑い声を漏らした。
平和で、温かくて、何の疑いもない日常のひととき。
学校の授業のこと、来週のテストの愚痴、最近流行っている服やアニメのこと。他愛のない話題が次から次へと飛び交い、時間はあっという間に過ぎていく。
だが、その微笑ましい光景の真っ最中――火燐が自分のドリンクのグラスを持ち上げようとした、まさにその瞬間だった。
すっ……と、火燐の制服の袖口から覗く手首の絆創膏の端から、一筋の赤い血が伝い落ち、テーブルの上にぽたりと落ちた。
「あ……」
「火燐ちゃん……!?血が出てるよ!?」
時子が驚いて声をあげる。パフェを食べようとしていたスプーンを止め、時子は火燐の手元を指差した。
火燐は「あれっ?また開いちゃったか?」と呑気に反対の手で押さえようとしたが、それよりも早く、隣に座っていた水琴が彼女の手首をサッと掴んだ。
「火燐さん……やっぱりおかしいです」
「え?なにがだ水琴?」
不思議そうに首をかしげる火燐。水琴はバインダーを開き、真剣な眼差しで火燐を見つめた。
「さっきの稽古の時の傷もそうです。いくら運動量が多いといっても、数日前の傷がまったく塞がらず、こうして血が溢れ出るのは不自然すぎます」
「え〜?そうか?アタシ、絆創膏貼るタイミングが下手なだけかと思ってたんだけどな……」
火燐は頭を掻きながら、他人事のように自分の手首を見つめる。
理子も眉をひそめ、「まあ言われてみれば……火燐って昔から傷の治りだけはバカみたいに早かったのにな」と口を挟んだ。
「ねえ火燐ちゃん、本当に痛くないの…?」
「痛いっていうか、なんか地味にピリピリすんなーってくらい?ま、ほっとけばそのうち治るだろ!」
相変わらず楽観的な火燐だったが、水琴だけはどこか腑に落ちない様子で手首の傷を見つめていた。
「――はい、お待たせしました。温かいホットミルクと紅茶ですよ」
そこへ、追加の注文分を載せたトレイを抱えて、柔らかく微笑みながら現れたのは、カフェの優しいお姉さんだった。
「みんな、なんだか真面目なお顔をしているけれど……大丈夫?寒くなってきたから、温かいものでも飲んでほっと一息ついてね」
お姉さんは一人ひとりの前に優しく温かいマグカップを置いていく。
火燐の手元に置かれた湯気の立つカップ。お姉さんは火燐の手首の絆創膏に気づくと、くすりと微笑んだ。
「あら、火燐ちゃん怪我しちゃったの?」
「……元気いっぱいなのは良いことだけど、お転婆もほどほどにしなきゃダメよ?」
「あはは、お姉さん!部活でちょーっと擦りむいただけだって!」
「ふふ、気をつけてね。……実はね、私も最近、包丁でちょっと指を切っちゃったんだけど、なかなか治らなくて。なんだか地味に痛むのよね」
お姉さんは自分の指先を見せながら、困ったように優しく笑った。
「へぇー、お姉さんもですか?最近そういうのが流行ってんのかな」
「ふふ、どうでしょうね。はい、冷めないうちに召し上がれ」
お姉さんはそう言って火燐の頭を優しく撫でると、トレイを抱えて奥のカウンターへと戻っていった。
「流行りって……怪我の治りにくさに流行りもナニもありませんよ」
水琴が呆れたように溜息をつく。
「ま、気にすんなって水琴!アタシの頑丈な身体を舐めるなよ!」
火燐は温かいマグカップを両手で持ち上げ、ゴクゴクと嬉しそうに飲み干した。
自分たちの身体に、静かに小さな不協和音が紛れ込み始めていることなど、火燐自身も、周りのみんなも、まだ誰も気づいていなかった。
カウンターの奥へ戻っていくお姉さん。
その背中を見送った瞬間、あれほど温かかった彼女の笑顔の輪郭が、ほんの一瞬だけ店の照明に溶けるように曖昧に見えた気がした。
だが、瞬きをした時にはいつも通りの穏やかなお姉さんの姿に戻っており、火燐は気のせいに違いないと首を振る。
その足元で、飾られた無数の動物のぬいぐるみたちが、濡れたような光をたたえたガラス玉の瞳のまま、じっと彼女の背中を見上げていた。
彼女たちの輪郭を少しずつ削り取る歯車が、音もなく回り始めていることなど知る由もなく――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は火燐ちゃんの回となりました。
火燐ちゃんとお姉さんの症状…、流行り病なんですかねぇ…。
火燐ちゃんとお姉さん…まずは病院に行くことをオススメします( ー`дー´)キリッ
魔法少女たちの運命が今後どうなっていくのか、ぜひ見届けていただけると幸いです!
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