5.第一王子の暗殺計画①
渡り廊下を吹き抜ける風が、アナスタシアのドレスの裾を揺らした。
次の講義まではまだ時間があった。アナスタシアは借りた本を返すために、資料室への階段を上ろうとした。その時だった。
「本当に父の借金を肩代わりしていただけるのですか?」
アナスタシアは思わず足を止めた。階段脇の暗がりから声がした。エリクの声だった。
たしかエリクの父親は事業の失敗で多額の借金を抱え、放課後はカフェで給仕をして学費を稼いでいたはずだ。
「もちろんだ。これをパトリック様の飲み物に入れてくれるだけでいい」
もう一つの声に、アナスタシアは持っていた本を落としそうになった。あの鼻に抜ける特徴的な話し方はロベルトだ。
その声にはいつもの穏やかさとは違う、冷たい響きが混じっていた。
「パトリック様の飲み物に? まさか、毒ではないでしょうね?」
エリクの声が微かに震えていた。
「そんな不敬を働くわけがないだろう。これは、パトリック様の病の薬だ」
「薬ですか?」
「実は、父がパトリック様の主治医から、相談を受けたのだ。病に効く良い薬らしいが、苦くてパトリック様は飲みたがらない。だから、カフェの飲み物に混ぜてこっそり飲ませてほしい、というわけだ」
アナスタシアは柱の陰に身を寄せ、息を潜めた。心臓の鼓動が速くなるのがわかった。しばらくすると、足音が二つ、別々の方向へ遠ざかっていった。柱の陰から顔を覗かせると、ロベルトとエリクは教室へと入っていった。
アナスタシアはその場に立ち尽くしたまま、古い記憶を引きずり出した。
パトリック第一王子は、お忍びで立ち寄った繁華街のカフェで毒殺された。犯人はそのカフェの給仕。事件からわずか数日後、その給仕は死体となって発見された。
犯行動機について様々な噂が流れたが、真相は明らかにされなかった。そして、王位継承権は第二王子のジュリアーノへと引き継がれた。
エリクは学費を稼ぐために、カフェで給仕をしている。父の借金返済のため、エリクはロベルトの申し出を断れない。点と点が繋がった。
ロベルトが渡した包は、病の薬ではない。パトリックを殺害するための毒だ。エリクは毒とは知らず――あるいは薄々気づきながらも、借金のためにロベルトの指示に従う。そしてパトリックの死後、口封じのために、ロベルトはエリクを殺害する。
つまり、この毒殺計画の黒幕はホフマン侯爵。パトリックを亡き者にし、ジュリアーノを王位に就けることが、ホフマン侯爵の目的なのだ。
パトリックが王位を継げば、エラは王妃にならずに済む。ジュリアーノと夫婦となっても、エラは穏やかに暮らせるだろう。
前世で非業の死を遂げた妹の顔が、脳裏をよぎった。あの結末を、二度と繰り返させはしない。
アナスタシアは拳をきつく握りしめた。
パトリックを死なせてはならない。そして、ホフマン侯爵家の企みを、白日の下に晒さなければならない。
授業開始を告げる鐘が鳴り響いた。だが、アナスタシアの足は教室ではなく馬車置き場に向かっていた。
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黄昏時の王立学院。授業を終えた貴族子女を乗せた馬車が、次々と校門を出ていった。
徒歩のエリクは重い足取りで校門を出た。ロベルトから受け取った包みが気になるのだろう。制服のポケットの上から、何度もその感触を確かめていた。
エリクはぼんやりと前を見ながら、カフェへと向かう道を歩いていた。エリクが曲がり角に差し掛かった、そのときだった。
「うわっ!」
覆面の男に腕を掴まれ、エリクは路地裏へと引きずり込まれた。声を上げる間もなく、エリクの口は布で塞がれた。目は布で覆われ、視界も奪われた。
「な、なんですか、誰か……!」
エリクは逃げようともがいたが、覆面男の力にはかなわず、あっという間に馬車の座席に押し込まれた。
馬車は走り出した。恐怖で震えるエリクを乗せて。
街の喧騒を走り抜け、馬車は静かな場所で停まった。




