3.突然の訪問客
「お姉様!」
アナスタシアの乗った馬車が屋敷の門をくぐると、エラが玄関から飛び出してきた。淡い金髪を揺らしながら、笑顔で馬車に駆けてくる。
「ジュリアーノ様という男性がお姉様に会いに来ています。王立学院の同級生とおっしゃっていましたが、応接室にお通して問題ありませんでしたか?」
アナスタシアは息を呑んだ。その衝撃は頭を鈍器で殴られたようだった。
絶対にエラとジュリアーノを会わせたくなかった。それなのに、よりによってジュリアーノが家を訪ねてくるとは。
「応接室にいるのね?」
「ええ。侍女に仕入れたばかりのお茶を出してもらいました」
「ありがとう」
**
アナスタシアは足早に応接室へと向かった。
扉を開けると、ジュリアーノが長椅子から立ち上がった。窓から射す光が金色の髪を照らした。その姿は息を吞むほど美しかった。エラが夢中になるのも頷けた。
「突然の訪問、失礼いたしました。先日の中庭でのお礼を申し上げたく」
「殿下、お気になさらず」
アナスタシアは深呼吸をひとつしてから、ジュリアーノを見つめた。
「妹には婚約者がおります。絶対に近づかないでください」
ジュリアーノは目を大きく見開いた。
エラに婚約者などいない。嘘だった。ジュリアーノに言うべきことではない、とアナスタシアは頭では理解していた。けれど、そう言わずにはいられなかった。
「……それは、失礼いたしました。妹君に何か粗相を?」
「いいえ。ただ、妹の婚約が決まったばかりで、家中が神経質になっておりまして。念のため申し上げただけです」
我ながら不自然な言い訳だ。でも、アナスタシアはこの嘘を撤回する気はなかった。エラをジュリアーノに近づけてはいけない。
困惑するジュリアーノを見ていたら、アナスタシアの脳裏に忌まわしい記憶が蘇った。
舞踏会でガラスの靴を履いたエラ。ジュリアーノとエラは互いに一目で心を奪われ、瞬く間に恋に落ちた。そして、その恋こそがエラの破滅の始まりだった。
政略の渦に巻き込まれ、ホフマン侯爵派の貴族たちの嫉妬と中傷にさらされ、牢の中で命を落とした。
牢の中で息を引き取った惨めな妹の姿がアナスタシアの脳裏をかすめた。
アナスタシアの最優先事項はただ一つ。エラとジュリアーノを会わせないことだった。しかし、それはもろくも崩れ去った。
「……承知いたしました」
ジュリアーノは愛想笑いを浮かべた。その表情には戸惑いが浮かんでいたが、それ以上尋ねることはなかった。
「本日は、これで失礼いたします。突然お邪魔して申し訳ございませんでした」
アナスタシアに歓迎されていないことを察知したのか、ジュリアーノは一礼して部屋を出ていこうとした。
アナスタシアは黙ってジュリアーノを玄関に案内した。馬車に乗り込むジュリアーノが振り返った。
「ティロル嬢」
「はい」
「あなたは変わったお方ですね。でも、間違ったことをしない人のようです」
その言葉の意味を測りかねたアナスタシアは曖昧に微笑んだ。
馬車が屋敷の門を出ていくのを見届けてから、大きく息を吐いた。
これでいい。これで、エラとジュリアーノが接触することはない。
**
アナスタシアが自室の扉を開けると、エラが待ち構えていた。
「お姉様!」
駆け寄ってきたエラの目は輝き、頬は紅潮していた。
「あの方は、お姉様とどのような関係ですか?」
アナスタシアは息を呑んだ。そして、何も言えず立ち尽くした。
「あんなに美しくて、優しそうで。執事にも丁寧にご挨拶されていましたわ。偉ぶっていなくて、素晴らしい男性ですね」
エラは弾むように話した。ほんの一度顔を合わせただけなのに、その瞳は輝いていた。
エラは地位や財産ではなく、相手の人柄に惹かれる。だからこそ、ジュリアーノの飾らない態度に、心を掴まれてしまう。前世と同じように。
このまま放っておけば、きっと同じ結末がくるだろう。
アナスタシアはエラに嘘をつきたくなかった。だが、迷っている余裕はなかった。
「私の恋人よ」
アナスタシアは、すんなりと言葉が出たことに自分でも驚いた。
「やっぱり! いつの間に、あんな素敵な方と?」
エラは目を丸くした。
「王立学院の教室で隣になってね。まだ、公にできない事情があって、エラには内緒にしていたの」
もっともらしい嘘を並べた。
結ばれるはずの男性を、エラから遠ざけるための嘘。アナスタシアは胸が痛んだけれど、それでも構わなかった。エラの命には代えられない。
「素敵ですわ、お姉様。おめでとうございます!」
エラは無邪気に目を輝かせて姉の幸せを喜んでいた。
いつか、エラは嘘であることを知る。真実を知ったエラは傷つき、アナスタシアを責めるだろう。
「ねえ、お姉様。今度、ジュリアーノ様をちゃんとご紹介してくださいね」
「ええ、そのうちに」
曖昧に返しながら、アナスタシアは窓の外に目をやった。正門までの道には、ジュリアーノの馬車の車輪の跡が残っていた。
どれだけ嘘をついても、手を汚しても構わない。エラを守るためなら。
アナスタシアの決意は揺るがなかった。
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