金があっても雨漏りは止まらん
梅雨に入って四日目。朝から雨だった。
六畳間の天井の雨染みを見上げた。変化はない。染みの輪郭は乾いたままだった。森脇に「雨の日に見せてもらえると助かる」と言われていた。今日がその日かもしれない。
前場の準備をしながら、ときどき天井を見る。集中しきれない。雨は弱いが、途切れない。屋根に当たる音が小さく続いている。
九時、前場が始まった。板を開く。今日もIVは低い。プレミアムは薄い。ストラングルのポジションはセータが効いている。含み益は微増。触る必要のない日だった。
十時半、天井から音がした。
水滴ではない。木の軋み。雨で湿った屋根材が膨張しているのかもしれない。南里は天井を見上げた。染みの端が、わずかに色が変わっている気がした。
気がした、だけかもしれない。光の加減かもしれない。だが気になった。
昼前に、近江が来た。
「雨、続くよ。明日も明後日も。天井、どう?」
「少し色が変わった気がします」
「ほうね。森脇さんに言うとくわ」
「いえ、まだ漏ってはいないので」
「漏ってからじゃ遅いんよ」
近江は帰った。南里は黙って画面に戻った。
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午後、森脇が来た。
合羽を着ていた。軽トラの荷台にブルーシートと道具箱が積んであった。
「近江さんから聞きました。天井、見せてもらえますか」
南里は六畳間に通した。森脇は天井を見上げ、染みの周囲を指で触った。
「ああ、じわっときとりますね。今はまだ滴にはなっとらんですけど、防水が切れかかっとるかもしれんです」
「直せますか」
「屋根に上がって確認せんと分からんです。ただ、今日は雨じゃけえ、上には上がれん。応急で、上からシートを被せることはできます」
「お願いします」
森脇は外に出て、梯子を立て、屋根に上がった。雨の中だった。南里は窓から見ていた。合羽を着た森脇が、染みの上あたりにブルーシートを広げ、重しを置いている。十五分ほどで降りてきた。
「とりあえず被せました。雨が上がったら、ちゃんと見ます。瓦の隙間か、下の防水紙か、どっちかが切れとると思います」
「費用はどのくらいですか」
「見てからじゃないと言えんです。瓦だけならそこまでかからんですけど、防水紙まで傷んどったら、少し手間がかかります」
「見積もりを出してもらえますか」
「出しますよ。ただ、この時期は他も立て込んどるけえ、すぐには取りかかれんかもしれんです」
南里は頷いた。金を払えばすぐに直る問題だと思っていた。東京ならそうだった。管理会社に電話すれば、業者が来て、直して、請求書が届く。ここは違った。森脇は一人だった。一人で島中の家を見ている。金の問題ではなかった。順番と手間の問題だった。
森脇が道具を片づけている間、南里は台所で茶を淹れた。麦茶しかなかった。コップに氷を入れて出した。森脇は「ありがとうございます」と受け取り、立ったまま飲んだ。合羽の裾から水が垂れている。玄関のタイルが濡れた。
「この辺の家は、だいたいどこも同じようなもんです。古い家は梅雨になると出てくるんです」
「他の家も見ているんですか」
「ええ。エアコンの調子が悪いとか、給湯器が止まったとか、網戸が外れたとか。小さいのを入れたら、毎日何かしらあります」
「忙しいですね」
「忙しいいうか、止まらんですね。壊れんように回しとくのが仕事じゃけえ」
南里は少し考えた。
「壊れてから直す方が、効率がいいこともありませんか」
相場の感覚で言った。壊れる前にコストをかけるのと、壊れてから対処するのと、期待値で見ればどちらが合理的か。ポジションを維持するコストと、損切り後の再構築コスト。
森脇は麦茶を一口飲んでから答えた。
「効率はそうかもしれんです。ただ、壊れたら住めんくなるけえ。住めんくなってから直すのと、住めるうちに持たせるのは、ちょっと違うんです」
「壊れてからの方が、判断は楽ですけどね。壊れてなければ、いつやるかの判断がいる」
「ほうですね。だから僕がおるんです」
森脇は笑わなかった。事実として言っていた。
「金があっても雨漏りは止まらんですけえ。止めるには手間と順番がいるんです」
森脇は帰った。軽トラのエンジン音が遠ざかる。雨はまだ降っている。
南里は六畳間に戻った。天井を見上げた。ブルーシートのおかげか、染みはそれ以上変わっていなかった。
机に座り、後場の板を開いた。動いていない。ポジションに変化はない。損益もほぼ動いていない。
静かな午後だった。相場は静かだった。だが南里の頭の中は、少し騒がしかった。
森脇の仕事のことを考えていた。壊れないように回す仕事。結果が見えにくい仕事。壊れなかったことが成果になる仕事。
南里の仕事は違う。数字が動く。損益が出る。結果は画面に表示される。一日の終わりに、勝ったか負けたか分かる。
森脇の仕事には、その明確さがない。屋根が漏らなかった。それが成果だとしても、漏らなかったことは誰にも見えない。見えないものに金を払うのは難しい。
だが、今日、南里は見た。雨の中で屋根に上がり、シートを被せる男を見た。あの作業がなければ、今頃この天井は漏っていたかもしれない。
目立たないくせに、あの男の仕事は妙に手応えのある現実だった。




