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母の病室の扉がノックされる、誰が来たのかルキナには分かっていた。
開いた扉の向こうにいるのはレティス。彼女は頭を下げてからルキナに向かって「ちょっと良いですか?」と緊張した声を掛ける。
室内には入って来ない。遠慮しているのだろう。
ちょうどルキナも話があったのでレティスの後について行く。
廊下を抜けエントランスを抜け外へと。そして着いたのはいつもの待ち合わせの場所、病院の敷地内にある庭に設置されているベンチ。
身体を通り過ぎていく風がいつもより冷たく感じる。
隣にレティスがいるのに今日は高揚がない、心も身体も冷めきっている。
「いきなりごめんなさい。でも会ってくれて良かった」
いつもと変わらない笑顔を向けてきた。
それはルキナを悪く言っていた友達に向けていた笑顔と同じ。
「何? 学院のある日に来るなんて珍しいよね」
素っ気なく聞くルキナにレティスは少しだけたじろぐも覚悟を決めて言った。
「きっと誤解があると思うんです、だからもう一度お母様に会わせていただけませんか? ちゃんと話して分かって貰いたいんです」
「何で?」
「決まってるじゃないですか。このままルキナと別れる事になるなんて嫌だからですよ」
「何でそこまでして私に関わろうとするの?」
「初めて会った時、理不尽な言葉をぶつけられてもルキナは暴言で返すこともしなければ謝りもしなかった。毅然とした態度でそこに立ち続けるその芯の強さ、そこがかっこいいなと思ったんです」
誤解だ。
あれは強かったからじゃなく無気力だっただけ。自身の名誉は誰かとぶつかってまで主張する価値は無いと諦めから来る無関心からルキナはただの壁でいられた。
「私も目つきの悪さで誤解される事があったので私は言葉遣いを変えることで周囲に溶け込もうとしたんです。少しでも丁寧な言葉を使って怖がられないようにって自分を変えてしまった。そのままの自分で立ち続ける強さが私にはありませんでした、だからルキナに憧れた」
確かにレティスの目にはルキナに似た鋭さがある。
父親譲りだと言うその目は彼女の中身を知らなければ近づき難さを感じてしまうかもしれない。
だから自分を変えた、そこに弱さを感じている様だが間違いだ。
ルキナは自分を変えられる程器用じゃなかっただけ、自分を変えてでも上手に生きようとするレティスの方がよっぽど優れている。
「‥‥憧れた?」
「ええ。憧れたし同じ様に見た目で嫌な目にあって似てるなって勝手に親近感も湧いてきて友達になりたいと思えたから勇気を振り絞ることが出来た。いつもの私ならあんな風に声を上げることなんて出来ません、きっとルキナの存在が私に力をくれたんです。だからそれが理由、ルキナといると変われると思ったから」
ああ、なんだかそれはとても‥‥‥‥‥‥‥‥‥事前に用意されたみたいな模範解答だとルキナは思った。
「可哀想だと思ってる人に憧れるの?」
「えっ‥‥」
「私のこと可哀想な奴だと思ってるんでしょ? そんな話で友達と盛り上がってたじゃん」
「‥‥‥聞いてたの?」
「心配してくれる良いお友達がいるんだからさ、ちゃんと忠告は聞いた方が良いんじゃない? 私みたいな貧乏人は何をするか分かんないよ」
「そんな冗談笑えないからやめて下さい。ルキナは悪い人じゃない、それは私がよく分かってます」
淀みない瞳でそんな言葉を真正面から言われてルキナは目を逸らしてしまう。そして自分が思い上がっていた事に気が付いた。
自分にレティスを責める資格なんて無い。
「ごめん‥‥私、悪い人だ」
罪を犯して人を傷付けておいて自分が傷付けられると過剰に反応する、なんてみっともない事をしているんだろう。
ここ数日、普通を生きられていたから勘違いしていた。
レティスの前にいることが恥ずかしくなってルキナはその場を逃げ出した。向かう場所は一つだけ、どんな自分であっても受け入れてくれると信用できる母の元。
初めから母だけいれば良かった、二人の世界で完結していた。
余分を望まなければ傷付けないし傷付かない。
「待って下さい!」
「離して」
「もう少しだけ話を聞いて下さい!」
「私は憧れられるような強い人間じゃない。弱い人間だから楽な方法に逃げて人を傷付けた最低な奴なの、だからもう関わる理由もないでしょ」
「今一緒にいるのはもう憧れからじゃありません。私がルキナを友達だと━━━」
その時、悲鳴らしき声が聞こえてレティスの言葉を遮った。
「‥‥何?」
日常とはかけ離れた聞き馴染みのない警報みたいな声は友情を深めようとする声など簡単に呑み込んでしまう。
危険を感じて先程の諍いなど忘れてしまったかのように二人仲良く同じ方に顔を向けて様子を伺っていた。
見えるのは人だかり。その輪が少しづつ大きくなっている。
集まった人の先、そこに何か恐ろしいものがあるのが分かる。
気になる、そんな好奇心でルキナも近づいて行ったが人の壁に阻まれ見えない。悲鳴があったのだから多分良くないことが起きてるのに笑ってる人もいるし携帯端末を掲げて必死に写真を撮っている人もいる、野次馬にとって人の不幸は蜜の味なのだろう。不謹慎だなと呆れつつもルキナ自身もただ気になるという理由で人だかりを掻き分けて進む時点でそれらと大差無い。
でも掻き分けた先でルキナは自分が野次馬ではいられないという事実を知った。
「‥‥‥‥‥‥‥‥へ?」
肺の空気が漏れ出すみたいな声が出る。
足の力が無くなり身体を支えきれなくなってその場にへたり込む。
周りからする雑音が聞こえなくなり視界から入ってくる情報が頭を埋め尽くした。
現実を受け入れられずに働きを止めてしまっていた脳に現実を見せるように情報が刻まれていく。
そして理解すると共に心が崩壊を始めた。
込み上げる吐き気に抗いきれず地面に手をつき吐き出した。
「‥‥‥うそ、うそ、うそ、うそうそうそ、嫌、いやいやいやいや」
顔を上げられず地面に向かって現実逃避の言葉をぶつけ続けていると手に生温かい感触が伝わって来た。べったりとこびり付いた朱色が逃避を許してくれない。
死んでいる。どうしようもなく死んでいる。
病院の側、医者もたくさんいる、なのに誰も手を出そうとしない。
だって知識が無い人間が見たって手の施しようがないって分かるから。
腕はへし折れて骨が見えてる、脚は変な方向を向いていて頭は目を開いたままでありえない角度からルキナを見ていた。
すっかり変わってしまった母の姿がそこにある。




