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人殺しの助手  作者: レア
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「絶対に酷いことは言わないで下さいね!」


夕陽差し込む事務所の中で念を押すアリアの声がレアリスの耳に響く。


「それは向こうの出方次第だ」


もう何度目かの同じやり取り、この日アリアは朝からこんな調子だ。

さわそわと落ち着かない様子で片付けをしていたり上の空になっていたり。


「男を親に紹介する女か‥‥結婚の報告なら聞いてやるが並大抵の男なら私は認めんぞ。私を認めさせたければ助手より腕の立つ男を連れて来なさい」


「そんなの実質不可能じゃないですか!‥‥まあ私は助手が一番だから別に良いんですけど‥‥‥って違います、所長が変なこと言わないか心配なだけです!」


「心外な、私がいつ変な事を言った?常に誠実に人と接する私を信用出来ないとは人間不信もいいところだぞ」


今しがた男がどうのこうのっておかしな事を言いましたよね?そう言い返そうとしたところで事務所の扉をノックする音が聞こえた。

出迎える役目はアリアが務める。緊張しているであろうルキナを笑顔で迎えられるのはこの中でアリアだけだからだ。


「いらっしゃい」


少々やり過ぎとも思えるくらい満面の笑顔で出迎える。


「お邪魔します」


対してルキナの表情は固い。

室内に入るなりその視線は大きな机の奥で高そうな椅子に座ってふんぞり返っているレアリスに向かう。

そのレアリスは鋭い視線をルキナに送ると一言呟いた。


「詫びの品も持たず手ぶらとは良い度胸をしているじゃないか」


「すいません! 私馬鹿で、そういう常識無くて‥‥‥ごめんなさい」


頭を下げるルキナの後ろでは不穏な雰囲気が漂う。

その中心でアリアは微笑みのまま極めて冷静にそして極めて冷たく言葉を送る。


「所長、どういうつもりですか?」


静かにキレている。


「ちょっとした冗談だろう、私なりのユーモアで場を和やかにしてやろうとしただけだろうに」


「場を温めるどころか凍り付かせましたけど?」


下手なユーモアほど厄介なものはない。


「まあそう怒るな、ちょっとした戯れだと思って見逃してくれ」


「分かりました今回だけは見逃します、けどまた変な事を言ったら━━━」


「ついでに言っておくとすいませんじゃなくてすみませんだ」


「えっ‥‥‥あっ、はい、すみません!」


「‥‥‥‥‥」


注意するアリアを無視してどうでもいい細かいことを指摘していじめている。


「全然反省して無いじゃないですか!」


真剣な顔で猛抗議するアリアの熱を受けてもレアリスは動じることなくそのままの茶化すような態度を崩さない。

この人は心が凍結してるんじゃないかと疑いたくなるくらいには人の熱意を受け付けない。

アリアの調査活動を簡単に一笑に付してしまえるし助手の料理に躊躇無く不味いと言えてしまう。他者に対する配慮というものが決定的に欠けている。

今後の労働環境の為にもこのあたりで一度しっかり言っておかなければとアリアは所長の前まで詰め寄り訴え出る。

その間ルキナはほったらかし、立場が立場なだけに文句なんて言えず黙って見守るしか出来ずにいると良い香りが漂ってきた。


「お茶だ、飲め」


そう言ってティーカップを机に置いたのはルキナが苦手としていた助手。

ろくでもない人間を相手にしてきたからこそ人の顔色を窺うことが癖となっているルキナにとってそれが全く読めない助手という存在は人形と変わらない。喜怒哀楽が分からない、怒りが見えない相手はいつ攻撃が来るのか読めないから怖い。


「‥‥ありがとう」


「あれは放っておけばすぐ終わる、それまで座って待っていればいい」


身振り手振りを交えた大仰な主張を続けるアリアの背中を冷静に眺めながら助手は椅子を引いてルキナに座るよう促した。


「止めなくていいの?」


「ただの戯れだ」


それっきり特に言葉を発する事は無い。

沈黙。

何か話しかけた方がいいかと話題を考えるがルキナもコミュニケーションが得意な方ではないせいでやっぱり沈黙。

手持ち無沙汰で出されたお茶へと手を伸ばす。


「美味しい‥‥」


口に入れたそのお茶は何となく味気無いのかと想像していたが思ったよりも美味しかった。


「そうか、良かった」


気のせいだろうか?

温度も表情も持たない人形の様に見えていた人物の口元が今一瞬だけ弧を描いていた様に見えたのは。

動くはずの無い絵画の目が一瞬動いたみたいな驚きでうっかりルキナは持っていたカップを落としそうになった。


「どうかしたか?」


笑顔なんて想像出来ない無表情、やはり気のせいだったのだろう。


「いや何でもない」


それからルキナがお茶を飲み干す間にアリアとレアリスの戯れが終結した。

そして次はルキナの番。


「事情は聞いている、だが犯罪は犯罪だ。母親の命の為という大義名分があろうともお前がアリアに刃を向けた行為は許されざる行いだと理解はしているな?」


「はい‥‥」


「だが君が望むなら全部無かった事にしたって構わない。アリアの件は本人が許しているから無いものとするとお前の罪はちっぽけな盗みだけ。ちっぽけな犯罪者一人を突き出したところでこっちは大した益もないどころか無駄に時間を浪費するだけだろう。お前にも将来があるだろうしその程度の罪ならもみ消してしまった方がお互い都合がいいんじゃないか?」


穏やかな微笑みで目の前に救いの糸を垂らされた。

想像していなかった言葉に思考が停止する。

ひたすらに咎められるとしか考えていなかったのにこんなにあっさり終わるだなんて。

ここで「お願いします」とでも答えれば全部終わる。

罪が消えて母ともずっと一緒にいられる、断る理由が無い。

これまで散々苦汁を飲まされてきたのだからこのあたりでちょっとくらい楽をしたってバチは当たらない。糸を掴んで這い上がったって誰にも迷惑なんてかけないじゃないか。


「いえ」


ルキナが出した答えは否定だった。

甘い誘惑に乗ってしまいたかった、だけどそれを選んでしまうと自分の中の何かが決定的に壊れてしまう予感がある。

母の子として自分を誇れなくなる、母が自分にかけてくれた全てを裏切る事になる。

欠陥品の娘という負い目が永遠に付き纏い正面から向き合えなくなる気がしてならない。

だから救いを否定した。

近くにいても心が離れてしまうより離れても心が通い合っている方が良かったから。


「自分の為に他人を傷付けてもいいなんて考えてしまったことは事実ですから。アリアを狙ってすぐばれたから一回で終わりましたけど見つかってなかったらきっと続けてたと思います。あの時の私にとって周りは全て敵で私から幸福を奪っていく存在としか考えられませんでしたから。奪われるより奪う側に回る、それだけが幸福への道なんだと本気で信じてました」


「今はどうだ?」


「今はそういう考えはありません。敵じゃない人もいるってアリアが教えてくれましたから」


「‥‥‥まあいいだろう、合格だ」


意味の分からない言葉と共にぱちぱちと状況に似つかわしくない音が重い静寂に響き渡った。

一体何を審査されていたのかルキナには全く思い当たらない。


「口先だけの反省を述べるような狡猾さを残しているなら容赦するつもりは無かったがどうやら毒は大分抜けているらしい。殺しもしてないようだしまだやり直す見込みはある、見逃してやろう」


「殺しなんて、そんな‥‥‥」


そんな恐ろしいこと考えていない。ルキナの悪意は少し不幸になってしまえと言うほどのものだったのだが本人の意見を聞かずにとんでもない言葉が聞こえて来た。


「いや、していた。罪を暴かれることがなければお前はいつか人を殺していたよ」


ルキナが罪に対して顔を背けることが出来ない性格なのはさっきの話からも明らかだがそれを聞いた上でレアリスは断言しさらにもう一つ、ルキナにとっては信じられない言葉を突きつける。


「何せお前に救いの手を差し出したのは天使などではなく悪魔の側なんだから」


その人物の存在についてはアリアにも話していない、なのに何故この人は救いの手を差し出した人物がいると知っているのかルキナは疑問に思ったがそれよりも気に掛かったのはあの夜の救いを悪魔の仕業だと言ったこと。

自分がしでかした事に対してどれだけ辛辣な言葉を言われたって何も言わずに全部受け入れるつもりだったがこれは違う。

誰もがゴミでも見る様な目を向けてくる連中の中で唯一人として見てくれたあの優しさを悪魔だなんて認められない。


「やめて下さい。あの人は何も悪く無い、あの人がいてくれたから私は泥に埋もれて窒息せずに済んだ。手を掴んで引き上げてくれたから今こうして生きていられる。私のことはいくら悪く言って貰っても構いません、だけどあの人の事を悪く言うのはやめて欲しいです」


ルキナのおかれた立場では勇気のいる発言だった。

間違いを犯した人間が口答えするなんて生意気にも程がある。でもルキナはそうまでしても撤回したかった。


「馬鹿かお前は。子供に弾が装填された銃を渡す様な真似をする人間が悪く無いはずないだろ」


「私はそんなの渡されてなんか‥‥」


「渡されてるだろ、犯罪におあつらえ向きの力を。本来踏み留まれたはずの人間に手段を与え、そして耳元から言葉の毒を流し込んで理性を破壊し犯罪に手を染めさせる。それがあいつのやり口だ」


確かにこの力はあの人のおかげで手に入れた。

だけど違う、これは犯罪の為の力なんかじゃなくて消えてしまいたいと願う気持ちを汲み取ってくれただけ、問題があるのは使い方を間違った自分の方だとしかルキナは考えられないし考えたくない。あの救いが嘘だったなんて思いたくない。

きっと別人だ。


「弱った人間の心に入り込み悪意を肯定し肥大化させその感情は正しいものだと甘い言葉で思考を麻痺させる。そうやって罪を犯させて後戻り出来なくなった者を自分の側へと引き込む」


どん底にいる時に優しく手を引かれればどうしたって救いだと思ってしまう。

本人からすればそれ以下はないのだからどこへ連れて行かれたってこれ以上事態が悪くなるなんて考えられないから警戒もしない。

まさにルキナはそんな地獄にいた。


「お前は人が後戻り出来なくなる瞬間、取り返しのつかない過ちはなんだと思う?」


ほとんど答えまで誘導された問題の解答を求められた気分。

その答えをルキナの口から言わせる事を目的としている様に感じる。


「‥‥殺人」


奪った命は戻らない、だからルキナはそれが答えだと思ったがレアリスは首を横に振る。


「そこが間違いだ。人を殺さなければ許されると甘えがあったんだろう。だが殺人以外の犯罪でも人が死に至る可能性はある。大事な物や金を盗まれた事によって絶望して自殺する人間だっている、犯罪はどんなものであれ死に繋がってるんだ。もしアリアが死んでいた場合、世間では自殺と処理されようとも関わりのある私や助手からすれば立派な殺人になる」


嫌な例えを平然としてしまうレアリスの無神経さに呆れつつもアリアは想像してみる。助手と出会う前の自分が形見を奪われたらどうなっていたか。

それがとどめになっていた可能性は十分ある、踏み出せなかった最後の一歩の後押しに。


「罪を犯すこと、それ自体が取り返しのつかない過ちだと理解しておくべきだ」


ちょっとした盗みが死に繋がるなんて考えてなかった。甘えがあったといえばその通り。


「ただ取り返しがつかないと言っても地獄へ直行というわけでもない。幸いアリアは生きている、精一杯謝罪して行いを改めれば煉獄くらいには進路変更できるだろうさ。今後お前が罪を犯さないのであればね」


お前にそれが出来るのかと試しているかのよう。


「私はもう罪は犯しません」


「その言葉をよく胸に刻み込んでおく事だ」


あの人とは正反対の目、少しも人を信用していない疑いの目。

蛇が絡み付いてくるみたいに心が締め付けられて居心地が悪かったから「もういい」と言われてルキナは正直ホッとした。

重い空気を察してかアリアも声を掛け辛そうにしている。

心配そうな表情で見ているアリアに向かってルキナは小さく頭を下げて出て行った。


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