26
その日の夜にルキナが訪ねて来た。
手術の見通しが立ったと語るルキナは以前とは比べ物にならないくらい顔色も良く表情も明るい。
「手術の成功率も高いから心配無いって‥‥‥ほんとあんたのおかげだ、ありがとう」
涙を浮かべて喜ぶ姿を見てアリアは自分の判断は間違っていなかったと再度認識した。
「助けて貰ったのにこっちに顔を出せなくてごめん。何か話があるんでしょ?」
「そう‥‥なんだけど話があるのは私じゃなくて今お世話になってる便利屋の所長。私の保護者みたいな人なんだけどその人があなたと話したいって」
「保護者か‥‥‥そりゃ言いたい事はあるだろうね。私はあんたに危害を加えた犯罪者でその上ちゃっかりお金だって借りてる、自分でも図々しいって思うもん」
「別に怒ってるわけじゃなくて‥‥いや怒ってるのかな? でも分からず屋じゃない、事情も話してあるからちゃんと話せば理解してくれる人だから」
「いいよ、何を言っても言い訳にしかならない。私が自分の意思で自分の利益の為にあんたを傷付けたのは事実だから二、三発殴られるくらい覚悟はしてる‥‥でも警察は手術が終わるまでは待って欲しいけど」
「殴りも通報も絶対にしない、私が保証する。所長は厳しくて冷たそうに見えるけど案外人の感情は無視しない人だから」
「信頼してるんだ」
「ええ」
「分かった。じゃあいつ会える? 今からでもいいなら行くけど」
「今からはさすがに遅いから明日の夕方はどう?」
「夕方ね、分かった。その時間帯に便利屋に顔を出すよ」
ルキナはアリアから便利屋の場所を聞いてすぐ帰り支度を始める。
「もう遅いし泊まって行ったら?」
「ううん、明日母さんに着替えとか持って行かないとだし今日は帰って支度しないと」
忙しなく動き回るのは以前と変わらないが足取りは軽い。
大きな重荷がなくなり纏わりついていた不安も取り除かれた事でちゃんと前が見えるようになった。
毎朝毎夜、母の顔を見るのが不安だった。生きているのか怖くて、謝られるのが辛くて。
でも今は会いたい。
お金の心配はしているけどちゃんと未来に目を向けてくれるようになった。
元気になったら一緒に頑張ってお金を返そうと、元気になったら一緒に出かけようと。
もうすぐ願いが叶う、先生がきっと治してくれる。
♢
次の日、朝一番にルキナは病院を訪れた。
母が入院してから毎日通っているおかげで受付も慣れた手つきで早々と済ませてしまい母の病室へと向かう廊下で母の病室から出てきた先生と目が合った。
「ヴァンス先生!」
「あ‥‥やあルキナさん」
母さんの主治医でこの病院を訪れてからお世話になっている。
大勢抱える患者の一人に過ぎないだろうに気にかけてくれてただの付き添いのルキナにも話しかけて来て色々と相談に乗ってくれている。
信頼している先生の『大丈夫』という言葉のおかげでルキナは母の死の恐怖から抜け出せた。
「手術の日取りが決まったんですか?」
「いや、それはまだだけどもうすぐだから心配しないで待ってるといい」
できるだけ早くと思ってしまうのは我儘なのだろうか?
病院の方にも都合があるからすぐにできないのは仕方無いのだろうけどルキナは一日でも早く母に元気になって貰いたい。
焦る気持ちはありつつも医者が周りにいる環境だから心配無いと口を噤む。
「それにしても朝から晩までお母さんに付き添って君も大変じゃないかい?」
毎日では無いが一週間のほとんどを母と一緒に過ごしている。
続けていた朝の仕事も減らして出来るだけ側に居られるように調整した。
この原動力はきっと母が大事な想いが殆どだが幾ばくかの罪悪感も働いている。
あの時、少しでも母との暮らしが辛いと思ってしまったことに対する贖罪。
そんな自分を塗り潰したくて、母にとって良い子でいたくて必死。
傍から見れば大変そうに見えるかもしれないけどこれまでの苦境に耐えて来たルキナにとってはこんなの大したことじゃ無い。
「私がやりたくてしてる事なので全然平気です」
そう答えると先生は「無理はしないように」と優しく言って仕事に戻って行った。
「母さん、着替え持って来たよ」
病室の扉を開いてルキナの目に映ったのはベッドに横たわる母の姿、窓から外の景色を眺めていたようだがルキナの存在に気付いて振り返ると歓迎するように笑顔で出迎えてくれた。
その時ふと見えた横顔が家にいた時みたいの儚げに見えた。
「先生となんか話してたの?」
「治療についての話だけ、それ以外は何も」
「本当のそれだけ? もっと別の話してたんじゃないの〜? もしかして私邪魔しちゃってる?」
ヴァンス先生がよく母を気に掛けてくれていたのを知っていたし母も目でヴァンス先生を追っていた。そんな姿を見せられるともしかしたらと思ってしまう。
「ヴァンス先生良い人だよね、私は嫌いじゃないよ」
「何言ってるの、私と先生じゃ立場が違い過ぎるでしょ。そもそも住む世界が違う、すれ違う事すらない」
茶化すように言うルキナの言葉に母は淡々と答えて返す。
「そうかなぁ? 母さん全然若いし綺麗だからこれからまだまだ可能性あるんじゃない?」
ルキナにとってヴァンス先生は救い、そんな人物はどうしたって良く見えてしまう。
あんな人が母の側に居てくれたら安心だなんて考えてしまう程に。
「お世辞ありがとう、でもね家庭のある人を好きになんてなりません」
「先生結婚してたんだ、じゃあ駄目か」
「私はあなたがいれば十分、他は何もいりません」
真正面からそんな事を言われてルキナは気恥ずかしそうに頬を赤らめながら顔を逸らす。
その言葉通り母は昔から男性と関わろうとしなかった。
その姿を見てルキナが感じたのは亡くなった父への愛の深さ。今もまだ心に残っているから別の恋になんていけないのだろう。
「じゃあ母さんの隣には私がずっと一緒にいてあげる」
「ずっと一緒って‥‥なら私が死んじゃったらどうするの?」
「そんなのずっと先の話でしょ、今考えたくなんか無い」
「それは分からない。遠い未来の話かも知れないし明日の話かも知れない、けどいつかは必ずやって来る。もし私が明日いなくなってもあなたは一人でやっていける?」
そんなの無理に決まっている。
どれだけ辛くてもルキナが耐えて来られたのは母の存在があったからだ。
「やってけない‥‥母さんが居ないと私生きていけない‥‥母さんが勝手に居なくなるなら私も勝手に後を追うから‥‥だからそんなこと言わないで」
子供のように泣きじゃくりながら母に抱き着いた。
絶対に遠くには行かせない、そんな執念にも近い強い想いで縋り付く。
「そっか‥‥じゃあ生きないとね。生きてあなたの考えを変えてあげないとだ。私がお婆ちゃんになってまでそんな我が儘でついて来られても困るもの」
「困るとか言わないで‥‥傷付く」
「ごめんね変なこと聞いて。でももう大丈夫、私は死なないから」
頭を撫でる優しい温もりにルキナの涙も引いて行く、けれど流した涙と鼻水で顔は無惨な事に。
「あらら、可愛い顔が台無し」
「母さんのせいじゃん」
母がハンカチを取り出しルキナの顔に当てる。
困った様な母の表情は昔に見たのと同じ、ずっと変わらない愛情がそこにはあった。




