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いつもの如く便利屋に訪れたアリアはいつもの様に出来上がる朝食の香りに包まれて正座させられている。
萎れた花のように俯いてここ数日ですっかり見慣れた床を眺める。
顔は上げられない。
見なくても感じる。
怒りには二種類ある、大声と表情で体を一瞬で焼き尽くす燃えるような感情の発露と温度の無い声と表情でじわじわと芯から詰めて凍結させる理性的な怒り。
現状アリアが直面しているのは後者。
こうなるのは明白だったので隠し切るつもりだったがルキナにお金を貸した事がとうとう所長に知られてしまったのだ。
「馬鹿かお前は」
冷静な声が耳から侵入して罪悪感と結合して身体が凍る。
いつもならこれで完全に凍結して申し訳ない表情で固まるのだが今日は違う。
「確かに思い切った事をしたとは思ってますけど馬鹿な事をしたとは思ってません!」
「ほう? では自分が何をしたのかその口で言ってみろ」
「お金を貸してあげました‥‥」
「違うだろ、正確に語るなら自身の物を盗んで行った相手に対して罪にも問わず挙句に無利子無担保で大金を貸して良いことしてあげたなんて感情に浸っているんだろう? これを馬鹿と言わずして何を馬鹿と言うのかと言えるほどには愚かな行いだぞ」
起きたことだけを言葉にすると確かに馬鹿な事をしていると言われても仕方ないと思う。
けれど何事にも理由がある、起きた事象だけでは読み取れない理由が。
全部の犯罪で読み取るなんて出来ないけれどルキナの事情を偶然にも知ってしまってアリアは傲慢にも助けてあげたいなんて思ってしまった。
自分と同じ年頃の子が同じ様に親を失う、降りかかる痛みを知っているからこそ見て見ぬ振りが出来ない。
ルキナの犯罪は彼女の悪意から生まれたものではないと思う。自分を傷付け続けたアリアと同じただの逃避。
現実を変えたくてもそれが難しいから楽な道に逃げてしまった。
そこからどうやって抜け出すかはよく知っている、誰かがちゃんと手を引いてあげれば良い。
「馬鹿で愚かなのは重々承知です、けどちょっとしたきっかけで人は変われます。私はその可能性に投資したんです」
「こうしている間にも新たな盗みを働いているかもしれないと言うのに」
所長が冷たく言い放つ。
一度罪を犯した以上そう言った意見が出てくるのは仕方の無いことだ。
そういった目を少しでも軽減する為にルキナにお金を貸すにあたってアリアは条件を出した。
それは償い。
これまで盗んだ物を返す、それが条件。
アリアに対しての行いは不問にするとしても同じ様に傷付けた人がいるならしっかりと罰は受けないといけない。
母親の完治を見届けてからでも良いから謝罪をして償うべきだと。
話を聞いてみてルキナが盗んだのはアリア以外では店の食べ物だけらしい、それも廃棄間際を狙ったと。
「透明人間、その正体がルキナでした」
正直すぐには信じられなかったが実際目の前で見せられれば信じざるを得ない。
消える為に血を流して何処かに残しておく必要があると聞いて駐車場や家の庭に残された血痕を思い出した。
「それで‥‥その、お願いがありまして‥‥」
「その話を持って来た馬鹿に報告するなと言いたいのか?」
「はい、それを隠した上でルキナの言ってることが真実だと証明する為にもリジルさんに確認して欲しいんです、盗難事件が他に発生していないか」
何とも図々しい頼み事に所長は厳しい目つきのまま考え込む。
その頭の中で繰り広げられる議論の中心にあるのは犯人の隠蔽の是非ではなくリジルに借りを作る事への抵抗だろう。
そういうところから入り込んできて厄介な頼み事を残していくのがリジルという男だと所長の数々の陰口からアリアは学んでいる。
争点は今後の面倒を抱えてでもアリアの切なる願いを聞き入れる良心が所長にあるのか無いのかだろう。
「分かった」
アリアは心の中でガッツポーズ。
勝算はあると思っていた。所長は言動からドライな印象を受けるがその実、情に厚い人だと思う。
単純な利益主義なら親と顔見知り程度で自分の様な面倒ごとには首を突っ込んでこなかったはずだとアリアは考えている。
「ただし、条件がある」
「何ですか?」
「ルキナとやらをここに連れて来い」
「‥‥‥‥」
すぐには答えられない。
さっきの所長の物言いから考えて辛辣な言葉を投げかけるに決まっている。
「いじめませんか?」
「いじめる」
にんまり笑顔で答えられてアリアは少々引き気味。
「事情があったのかもしれんがそんな事は被害者には関係のない事。子どもの喧嘩程度なら口は出さんがこれは別、れっきとした犯罪だ。私はお前の保護者だから文句を言ってやる資格はある」
「私はそんなの望んでません!」
「アリアの意見は関係無い。連れてこないと言うなら今すぐ連絡を入れて警察行きだ」
「今回被害を受けたのは私です、その私がもう良いって言ってるんだからこれ以上は必要ありません。彼女はもう十分に反省してます」
「反省で罪は無くならないし無かったことにしていい罪も無い、人間社会を生きていくなら犯した罪は深く心に刻みつけるべきだ、今後死ぬまで忘れられないように。自らの意思で一線を越え人間から犯罪者に成り果てた様な奴には必要な首輪だろ」
首輪とはおそらく罪の意識、犯罪者はそれに縛られ続けるべきだと言っているのだろう。
言っていることに間違いは無い、けれど犯罪者はもはや人間では無いとでも言っているみたいにも聞こえる。
「でもまあ首輪の存在を認識し勝手に外そうとしない限りは殺処分の必要も無いさ。それは人間社会でやっていくための理性を得ている証拠だろうから人として話も通じる。どうしようも無いのは悪鬼外道の道に堕ちた野獣、それも人を喰い殺すような猛獣であってそいつはまだ違うんだろ?」
言葉選びはとても酷いが更生の可能性を信じているからこそ罪としっかり向き合わせると所長は言いたいのかもしれない。
単純な嗜虐心からではなくちゃんと考えがあっての、ルキナをまだ獣ではなく一人の人間として対等に見ての発言だったらしい。
彼女の境遇を知ってしまったアリアには憐れみが生まれてしまっていた、悪い言い方をすれば下に見ていたとも言える。そんな感情に守られるなんてきっとルキナも望んでいない。
「分かりました。今度ここに来てもらいます」
「安心しろ、いじめるというのは冗談だ。アリアの言う通り本当に悔やんでいるなら反省を促す小言など時間の無駄だからな。そんな事よりも話が聞きたい」
「どうやって透明人間になったかですか? それは私も気になります」
「いや、それは見当がつく。知りたいのはそいつとどんな言葉を交わしたのかだ」
いつの間にか部屋はしんとしていた。
こちらに無関心に作業をしていた助手の手がいつの間にか止まっていたせいだ。
「あれが関わって来たのならこんな終わり方はあり得ない」
空気が張り詰めている。
助手と所長、二人だけに通じる何かがあるのはアリアにも分かった、そしてそこに安易に踏み込んでいけないのも。
「アリア」
「ひゃっ、はい!?」
押し潰されそうな空気の中でいきなり名前を呼ばれ慌ててしまった。
「出来るだけ早くルキナを連れて来い、首輪を外されてしまう前に」
透明人間という超常現象の謎は残りつつもルキナは心を改め全ては良い方向に向かっている。これ以上何も起こらない、事件としては全部解決したとばかりアリアは考えていたが所長の考えは違っているようだ。
掃除で言えばこれから一番厄介な箇所に取り掛かる前みたいな辟易した表情。
とにかく嫌な予感がした。




