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「すごい‥‥」
ルキナは驚嘆の声を上げる。
通りを歩く彼女に目を向ける者は居ない。
泣き腫らした目、ボサボサの髪、汚れた服、奇異の目を向けるには十分の姿をしているのに誰も気にも留めない。
他人に関心の無い都会の冷たさかのようにも思えるが違う。
一人の男が立ち尽くすルキナの前まで歩いて来る。普通なら左右どちらかに避ける場面、けれどその男はまるで誰も見えていないように真っ直ぐルキナを押し退けて行った。
ぶつかった瞬間は首を傾げていたが彼の脳はすぐに気のせいと処理したみたいだ。
ルキナという存在が今この瞬間消失している。
ルキナは声を上げて笑っていた。
狂ったようにただひたすら笑った。
声も届かない、誰も自分を見ない。
汚らしいものを見る目も下卑た目も憐れむ目も向けられない。瘴気に包まれた世界から抜け出したみたいで本当に久しぶりにちゃんと呼吸が出来ているような心地。
でもそれだけじゃない、これがあればもっと楽に生きていける。
ルキナは閉店間際の店に侵入して廃棄を言い渡された食べ物を盗み出す。
廃棄品を狙ったのは罪悪感を少しでも軽減する為。
犯罪行為なら何度もして来たがこれまでは相手もこっち側だった。薬を欲しがったから渡す、向こうが求めて来たからと罪の意識なんて無かったが今回は違う、相手は普通の人で盗難は理不尽に被害を与える行為。ルキナは他人の事なんかどうでも良いと思っていてもその一線を越えるのにはまだ度胸を必要とする程度の悪人だった。
これは練習、完全な悪人になる為の。
そうしないと自分もお母さんも救えない。
だいぶ手慣れて来たと感じる。
繰り返すうちに盗む数も一つが二つになり二つが三つになってお母さんにお腹いっぱい食べさせてあげる事が出来るようになった反面心配もさせてしまっている。
毎日のように手に巻いた包帯に血を滲ませて帰ってきているからどうしたのかと気になっているようだ。
それがこの力の問題点。
消えるためには血を流さないといけない。
ルキナが聞いた話ではこれは今自分が生きる現世から存在を消失させて常世へと半歩足を踏み入れた状態になっているらしい。例えるなら幽霊にでもなっている状態か。
半歩と言えど引っ張る力で言えば現世より常世の方が強い、半分でも足を踏み入れた時点で現世との繋がりは徐々に失われ精神が向こう側に持っていかれる、それを防ぐ為に現世に血を残しておく。
血というルキナの情報を命綱として精神の崩壊を防ぐ。
しかし新鮮な血である事が必要となる為、一度流した血は精々三十分程で効果を失う、だから毎回消える度に血を流す必要がある。そのせいで手は傷だらけで痛む、いい加減次のステップに進まないと手が使えなくなる。
次は人から価値のある物を盗む。
お金か宝石か、とにかく金になる物を家に侵入して盗むと決め標的を探していた時に出会ったのが小綺麗な服を着た世間知らずのお嬢様。
夜中一人でこんな場所を彷徨いてあっさり絡まれている、しかもそいつはルキナが何度か薬を売った常習者。あのお嬢様に待ち受ける未来は暗闇だ。
どうせこんな事になるとは思わず興味本位で足を踏み入れたのだろう。自分の周りの輝いた世界しか見ていないから底に溜まった汚泥の存在なんて知らなかったに違いない。
自業自得だ。
ルキナは自分には関係無いとあっさり見捨てしまおうとしてある考えに足を止めた。
どうせ喰われるなら私が喰らってしまっても変わらない、そんな考えが頭をよぎった。
身体が傷付けられるより潤沢にある資産の一部を失う方がマシだろう。
助ける代わりに金を頂くだけ、そうやって自身を正当化する事でルキナは最後の一線を超えられる気がした。
危険はあるが力があれば最悪どうにでもなると手を取り逃げたが行き止まり、追い詰められて手を切る準備をしたところで上から降って来た女が全部片付けた。
人間離れしている、それが第一印象。
感情の欠落した人形の様な女、宝石の様な緋色の瞳は美しくあるが翳りを帯びている。
希望だとか夢だとかそういう輝きが宿っていないこちら側の瞳を見て直感的にこの女も何かに絶望しているんだと感じた。
普通の人生を歩んでいるとは思えない言葉に振る舞い、それに一人で男数人をあっさり倒してしまう身のこなし。
自分という異質な存在を知っているからつい気になって『普通の人間か?』なんて聞いてしまった。
助手と呼ばれる女、厄介な存在ではあるが今更引き返すつもりは無い。
住所も手に入れた、あとは悪人としてやるべき事をやるだけ。




