沙羅双樹(2024年編集)
~ 十二月二十四日、恐山 ~
青森県むつ市田名部宇曽利山に位置し、日本三大霊山の一つである。
立ち込める硫黄臭と、この世よりも、あの世に近い場所と言われ、荒涼した風景は、その名に恥じない。佐久間は、大樹寺での攻防結果を、安藤に報告し、芝﨑直人との対決を相談した。
警視庁としては、『佐久間一人だけ、恐山に向かわせるのは危険だ』と判断したが、柴田智大を、結果的に救えなかった要因は、自分にあるとして、芝﨑直人との決着を望んだ為、安藤も、それを許可した。
山川も、『危険すぎる』と諫言したが、佐久間の意思は固く、警視庁は、恐山の山麓に、延べ七十名の捜査官を配置し、決着を見守るのだった。
~十四時五十分 ~
「旦那、山麓には、警視庁捜査一課が、至るところに配置されています。どう考えたって、自殺行為だ。今からでも遅くない、逃げましょう。何故、佐久間に、そこまで拘るんですか?」
(………)
「…私には、かつて、二つの野望があった。一つ目の野望を果たす間際で、佐久間が現れて、台無しとなった。だから、最期まで拘るんだよ」
「二つの野望ですか?長年、使えてきましたが、初めて知りました。理由は分かりましたが、最後の最後に、逮捕されたくありません。後生だから、逃げましょうよ」
芝﨑直人は、ほくそ笑んだ。
「この期に及んで、お前らしくないじゃないか。大丈夫だ、何も、心配する事はない」
(------!)
山本は、この段階でも、全く怯まない芝﨑に、安堵の表情を向ける。
「流石は、旦那だ。もう、人が悪いですよ、ここから、脱出出来る、起死回生の手段があるんですね?」
(逃げる?手段?)
芝﨑は、首を傾げる。
「逃げるだって?どこに?そんな事を、考えてはいないぞ?」
山本は、少しだけ狼狽えた。だが、余りにも落ち着いた表情で、淡々と話す芝﨑は、何か隠しているに違いない。
「またまた、ご謙遜を。では、どうするんですか?……そうか、分かった。逃げるのではなく、隠れるんですね?いや、ちょっと待てよ、そもそも、こんな岩場に隠れても、直ぐに見つかりまっせ?」
(…そろそろ、時間だな)
「お前は、最後まで、面白い奴だったな。隠れる?いいや、違うね。こうするんだよ」
(------!)
銃口が、山本に向けられる。
「だっ、旦那?どういう事です?…じっ、冗談ですよね?あんなに、旦那に尽くしたし、あんなに、死線を共に潜ったのに」
(………)
「知らないと、思っているのか?」
「言っている意味が分かりません。あっしは、旦那に隠し事は無いですが?」
「お前は、昔、最愛の妻を、麻薬潰けにした売人だった。…妻は、自殺したよ。お前のせいでな」
(------!)
「まあ、お前は、不特定多数に売り捌いていたから、妻の顔など覚えてないだろう。だが、私は違う。検察官時代から、お前をずっと探していたんだ。前回の事件では、お前の粛清を果たす寸前で、佐久間に捕らえられたから、一つ目の野望が潰えた。だから今日は、佐久間への復讐と、お前の粛清を同時に果たさせて貰う」
「粛清って。じゃあ、獄中から接触してきたのも、今日の事が目的だったと」
「その通りだ。お前は、私に殺される為に、私の替え玉を探し、私を逃がし、私に使えた。その見返りとして、お前は、大金を手に入れたし、女も抱けた。それに、上手い酒を飲んで、上手い飯を食って、あらゆる犯罪に手を染めた。もう、十分、満足出来ただろう?迷わず、涅槃に旅立て」
(この野郎、死んでたまるかってんだ)
その刹那だった。
山本の強烈な殺意が、芝﨑に向けられると、山本が構える前に、銃弾が、額を撃ち抜いた。
「パ-----ン」
銃声が、恐山に響き渡る。
「…ズドン」
山本は、なす術もなく、この世を去った。芝﨑は、静かに天を仰いだ。
「……ふう」
(------!)
頬に、冷たい風が刺さる。ほんの一時だけ、妻の為にだけ、祈ろうとした。だが、その時間も、残されていないようだ。
「復讐は、果たせた様だな。祈りを捧げるなら、少し待っても、大丈夫だぞ?」
「…いや、それには及ばん」
芝﨑が振り返ると、五メートル先の岩場の側に、佐久間が腰掛けている。いるだろうと察していた分、驚きはない。
「よく分かったな?」
「銃声が聞こえたからね。嫌でも分かるさ。…山本も、対象者だった訳か」
「…十名と言っただろう。猿島の女将は、対象外だ。鹿井健一は、生き残ったが、これで合わせて十名。長年探してきた、妻の仇は討てた。…次は、お前だ」
芝﨑は、銃口を佐久間に向ける。
「撃ちたければ、撃てば良い。お前の寿命も、もう僅かなのだろう?」
(------!)
「何故、それを?」
「何となくだ。九条大河への手紙に、癌だと書いてあった。あれは、本当の事だと思ってな。私の予想では、余命、一ヶ月といったところだ。…違うか?」
「本当に、何でも、お見通しだな?」
「決着は後でつけるとして、少し話そう。お互い、良い機会だ。拳銃は、とりあえずしまえ。私も、話合いたいから、発砲はしない」
(………)
芝﨑は、素直に応じ、銃口を下げると、佐久間の対面に、腰掛けた。
「一服どうだ?」
「頂こう」
「…なあ、芝﨑。本当は、何をしたかった?純粋に、九条大河の作品に陶酔した男が、遺作を完成させた事に対して、腹を立て、挑戦しようと思ったのか?この一年、色々考えてみたのだが、どうしても、腑に落ちなくてな。いつか、聞きたいと思っていたんだよ」
(………)
「正直言うと、良く分からなくなった。三年前、佐久間は、自分の経歴に取り返しのつかない、傷をつけた。法で裁けない犯人に対して、被害者の代弁者として、行った正義が、全否定されたんだよ。覚えているか?」
「もちろん、覚えている。あの事件は、本当に謎が多い事件だった」
「私は、服役中に、何故、負けたのか考えた。知能レベルは、ほぼ同じ。そんな時に読んだのが、九条大河の作品だった。…素晴らしかったよ。心理描写が圧倒的で、緻密に組まれた計画が、芸術的に実行される。いつしか、作品の主人公が、芝﨑直人で、刑事が、佐久間警部と言ったところか?…夢中になって、何度読み返した事か。あれ程までに、生きた作品が、自分たちと重なる事はなかった」
「…そうか、分かった。お前は、九条大河になりたかったんだよ」
(------!)
「ああ、そうか、そうだったのか。私は、九条大河になりたかったんだ。作品の中では、芝﨑直人は、無敵だ。『九条大河の代わりに、憎き佐久間に、鉄槌を下せ』とな」
(………)
佐久間は、悩んだ末に、真実を告げる事にした。
「芝﨑、落ち着いて、聞いてくれ。……九条大河は、生きている」
(------!)
「寝ぼけた事を!おちょくっているのか?」
「この期に及んで、嘘をついて、私に何の得がある?」
(………)
(佐久間の言う事も、一理ある。ならば、何故、死んだ真似を?私は、幻影を追っていただけなのか?」
「じゃあ、九条大河はどこに?」
「ここに、いるわ」
(------!)
声の方に振り向くと、川上真澄が、山川に護衛され、麓から駆けつけていた。
「あなたが、九条大河ですか?」
「ああ、そうだ。九条大河は、柴田智大の妻だ」
(------!)
「あなたは、九条大河の作品を愚弄し、川上真澄の伴侶を奪い去った。あなたには、作品を語る資格などない」
芝﨑は、動揺を隠せない。
「そんな、…そんな。柴田智大は、裏切りものだ。鈴木淳一郎や熊谷雄一郎だって、九条大河に仇する者だと思って、殺した。…私の正義は、間違っていたのか?」
「…ああ。慕い方が、どこかで歪んだんだ。三年前と同じ様に、法で裁けない者を、裁いたつもりで、そうではなかったのだ。苦言を呈せば、三年前から、成長しなかったという事になる」
(------!)
芝﨑は、この言葉に、過剰な憤慨を見せる。
「だっ、黙れ!三年前、自殺出来ていれば、こんな思いをせずに済んだ。最期まで、そうやって、私を追い詰めるのか!」
銃口を、佐久間に向けると、決着を申し込む。
「これ以上、生き恥を晒したくない。ここまで、争ったんだ。抜くまで、待ってやる。抜けええええ!」
(………芝﨑、悲しい男だ)
佐久間は、上着を脱いだ。
「先程、言った通りだ。撃ちたければ、撃て。拳銃は、所持していないがな」
(------!)
「馬鹿な!何故、丸腰なんだ!佐久間は、馬鹿なのか!!」
「芝﨑直人。その人生、歯車を変えたのは、間違いなく佐久間だ。…芝﨑は、気高く、そして、正義感が強い、東京高等検察官だった。…誰よりもな。正義感が強いからこそ、一人悶え、苦しんだ。三年前の事件も、今回の連続殺人も、方向性は間違っていたが、弱者の為、法で裁けない者たちを裁いた。そんな芝﨑には、一人くらい、地獄に付き合ってやる、戦友がいても悪くない。…これでも、本気で思っているのだよ」
(------!)
(私を戦友と呼ぶのか?私が憎くないのか?)
山川が、懸命に叫ぶ。
「警部、なっ、何を馬鹿な事を!死んではいけません、まだ、あなたには、やるべき使命があるんです!!」
「山さん、良いんだ。芝﨑とは、腐れ縁でな。…千春を頼む。それと、後のことは、氏原に伝えてくれれば、全てを察してくれるだろう」
芝﨑の銃口が、動揺で震える。
(…この期に及んで、迷っているのか?)
「なあ、芝﨑よ。私は、先に逝くが、芝﨑直人には、まだ僅かだが、寿命がある。残り少ない生命を、大事にするんだ。懺悔をしてからとは言わんが、納得してから、涅槃に旅立て。あの世で、待っていてやる」
(------!)
佐久間は、静かに目を瞑り、最期の時を待った。
「やめてえええええ!!!!!」
「パ-----ン」
銃声が、再び、恐山に響き渡る。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
芝﨑は、空に向け、発砲した銃口を戻した。
「……またしても、私は、敵わないらしい。戦友と呼んだ者を、殺せる訳がない。佐久間だけだ、信じられる人間は。…戦友から、最後の頼みだ。佐久間は、生きろ。生きて、代わりに正義を貫いてくれ。承知の通り、この日本は、法治国家だ。弱者の為の法律が、時に、強者を助けてしまい、理不尽な事が起こってしまう。私は、道を誤ったが、そうならない事を願う。九条大河、自分の勝手な思い込みで、あなたの人生を歪めてしまった。死を持って償います。どうか、お許しください。ただ、これだけは、分かって欲しい。私ほど、あなたの作品を愛し、あなたの作品に救われた者はいないと」
「分かった、お前の想い、引き継いだぞ」
「分かりました、私は、あなたを赦します」
(……二人とも、ありがとう。これで、利恵子の元へ行ける)
芝﨑は、最後に、優しく微笑むと、銃口を自分に向けて、引き金を引いた。
「パ-----ン」
大量殺人を行った模倣犯、芝﨑は、天寿を全うする事なく、この世を去った。
「…芝﨑直人。次の世では、生き方を誤るな。……また、会おう」
佐久間は、芝﨑の亡骸を抱きかかえる。
(------!)
(馬鹿な、今は十二月だ、あり得ない)
七月、もしくは、温室でしか育たない、沙羅双樹の花が、芝﨑を優しく包み込む。佐久間は、思わず、目を閉じて、天を仰いだ。
(…お釈迦様は、救ってくれるそうだ。…良かったな)
~ 恐山 ~
立ち込める硫黄臭と、現世よりも、あの世に近い場所と言われ、荒涼した風景は、その名に恥じない秘境である。
文字通り、芝﨑は、あの世に一番近い場所から、あの世へと旅立った。
(秘境で死するか。…無意識に、自分の死地を、秘境に求めていたのだろう)
一年に渡る大量殺人事件は、芝﨑直人の自殺によって、幕を閉じ、決着を迎えた。




