敵対勢力(2024年編集)
~ 神奈川県、追浜本町内の居酒屋 ~
「…久しぶりだな、佐久間警部と、一杯やるのは?」
「そうですね、下山さんの葬儀以来ですかね」
佐久間は、横須賀警察署長の永井と、追浜駅近くの居酒屋で、杯を交わしている。若い頃、下山・永井・佐久間の三人で、何度も、死線を潜った。時には、捜査方針の違いから、下山と永井が、衝突する事もあったが、将来の警察像について、よく語り合ったものである。一番年下の佐久間は、専ら聞き役だった。
「追浜のアーケード街も、当時のままですね。時が、止まっています」
追浜本町は、横浜市と横須賀市の中間、山間部に存在する。商店街は、国道16号沿いと言っても、上下線1車線ずつの、道路幅員が狭い区間で、アーケードが続いている。アーチ構造の透明な屋根は、商店街の、端から端まで設置されていて、降雨でも、買い物には不自由しないが、若者は、人口密度の高い、都市部に流出し、過疎化が進んでいる為、人通りは、疎らだ。大抵の物は、横須賀本町にある、品揃い豊富な大型店舗で賄える事から、顧客を失った大半の商店は、十年程前から、店を畳んでしまっている。その為、八百屋、肉屋、花屋などの日用雑貨、食品を扱う店しか、開いておらず、閑古鳥が鳴いている。
「元総理の自宅があっても、侘しいもんだろ?」
「警備の警察官がいないと、まず分からないですよ。…でも、味わいがあります。潮風と、昭和の雰囲気を思わせる、静けさがね」
昔話に浸りながら、山川の話題になると、永井は、困った顔をした。
「…山さんと言えば、失態したんだって?」
「流石は、永井さん。相変わらず、情報早いですね」
「…組織だからな。それに、あんな大規模捜査で、失敗すれば、嫌でも聞こえてくるさ。それにしても、山川にしては、下手を打ったな?」
(………)
「期待していた分、実は、まだ信じられません。大舞台での現場指揮に、重圧を感じ、基本的な部分を、失念してしまった。これまでの捜査過程で、模倣犯として、暗躍している者は、芝山と竹中でした。それを見落とし、目の前にいる、第三者の女性を犯人だと、断定してしまった。これが、失態の理由です。模倣犯は、それを見越して、事件を起こしたとは思えませんが、逃走経路を確保する為に、第三者の女性を、当て馬にしたのは、間違いない。それ故に、模倣犯は、翻弄する力に長けています」
「…何だ、もう目星をつけたのか?下山みたいだな。下山も、プロファイリングが得意だった。行動を分析しながら、犯人の目星を、誰よりも早く、掴んでいたな。それで?どんな男なんだ?」
「犯行の計画性から、公務員ではないかと思っていました。考え方が、自分に似ていると気付いたのは、最近ですが、被害者が不起訴処分者ばかりだったので、捜査ニ課経由で調べてみたんです。中山明美に、写真照会を掛けてみたら、当確でしたよ」
「…ほう?知ってる人間なのか?」
「ええ、とても。ですが、芝山は、千葉刑務所に収監されているはずなんです。模範囚でも、簡単に出られる訳がない。明日にでも、千葉刑務所に行って、確かめるつもりです」
(………)
「そうか。佐久間警部は、頭が切れる。犯人の追い込み、プロファイリングに関しては、下山仕込みだ。横須賀警察署も、全面的に助けてやるよ」
「助かります、永井さん」
「身体には、気をつけろよ。佐久間警部が、千葉刑務所に送ったんなら、自分は、その者に恨まれている、狙われていると、慎重になれ。山川みたいに、くだらない事で、足元をすくわれるなよ」
「はい、肝に銘じます」
「先輩としての話は、これで終わりだ。それよりも、千春さんと、子供たちの事を聞かせてくれ。大きくなっただろう?」
「そう仰ると思って、家族写真を持参しました。これなんですがね……」
二人の夜が、過ぎていく。
~ 十一月三日、千葉市若葉区貝塚 ~
佐久間は、捜査一課に一報を入れ、横須賀市から、千葉市若葉区に直行している。
(ここは、確か、東京矯正管区の所管だったな。すんなりと、事情を聞ければ良いが)
【千葉刑務所】
初犯でも、刑期八年以上の重罪が、確定した者を対象として収容される
受付で事情を説明し、千葉刑務所内の職員待機室で、元担当の刑務官に話を聞いた。佐久間は、芝山の写真を、刑務官に手渡しても、口を開こうとしない。刑務官は、佐久間の出方を窺っているようだ。
「刑務中、申し訳ありません。警視庁捜査一課の、佐久間と申します。実は、今追っている事件で、この受刑者が関与している可能性が高く、参った次第です。本人は、あすなろ物産の芝山と名乗り、連続殺人を犯しています。先日、関係者に写真照会して、芝山が、『芝﨑直人』であると分かりましたが、私の知る限り、千葉刑務所に服役中のはず。知りたいのは、芝﨑直人は、まだ服役中なのか、既に出所をしているのか、という点です」
(………)
「とっくの昔に、出所していますよ」
「本当ですか?誰が身元引受人になったのか、教えて頂けないでしょうか?」
元担当刑務官は、首を横に振る。
(そう簡単にはいかんか)
「出所はしましたが、意味が違います。…病死です」
(------!)
「病死?信じられません。いつ、芝﨑直人は、死んだのですか?」
「今年の、…初めだったかな?芝﨑直人は、末期の肺がんでした。私も、臨場して、死亡確認していますから、間違いありません」
佐久間は、左手で、顎先を撫でるように触った。
(…どういう事だ?中山明美は、確かに、芝﨑直人の写真を見た時、迷わず頷いた。芝山と芝﨑直人は、間違いなく、同一人物のはず。だが、刑務官が、嘘をつくとも思えない。臨場したのだから、病死で間違いないだろう。…芝﨑直人には、双子の兄弟でもいるのか?)
「千葉刑務所には、芝﨑直人に関する資料は、まだ残っていますか?」
刑務官は、失笑する。
「そんなもの、千葉刑務所に、ある訳ないじゃないですか?あるとすれば、警視庁では?大体、千葉刑務所は、矯正管区であって、捜査するところじゃない。そんな事、お互い、行政職員なんだから、言われなくても、常識でしょ?それに、開示請求もせず、見せろとは、随分と横柄な物言いですね、司法警察職員の言葉とは、到底思えませんな」
(………)
(杓子通りの塩対応か。この対応からして、これ以上の協力は、仰げないな。まあ、分かっていた事だが。……待てよ、あそこなら、あるかもしれないぞ?)
「情報をどうも。何かあれば、伺います。貴重な時間、ありがとうございました」
「来なくて結構です、出来れば、二度と会いたくないですな」
元担当刑務官は、最後まで、毒を吐いて、持ち場に戻っていく。
(…やはり、検察の闇は深い。それが、千葉刑務所まで伝わっているんだ)
芝﨑直人は、三年前、計七名の被害者を出した事件に関与し、犯罪者たちに裁きを下した、元高等検察庁検察官である。
殺人教唆の罪で、刑期二十年の重罪が確定し、千葉刑務所に収監され、服役していた。
芝﨑直人は、逮捕前に、依願退職の封筒を、上司に送付していた事から、組織ではなく、個人が勝手にやった事として処理され、表向きは、世間に明るみにならなかった。報道機関は騒がなかったが、検察庁内部が、蜂の巣を突くように、大混乱したのは、言うまでも無い。
佐久間は、その足で、敵地である、東京高等検察庁に向かう事にした。
(警視庁捜査一課にはない情報が、何か見つかるかもしれない。…叱責は受けるだろうが、背に腹は代えられまい)
~ 東京都千代田区霞が関 東京高等検察庁三階ロビー ~
千葉刑務所で、芝﨑直人の情報を得た佐久間は、捜査一課に戻る前、東京高等検察庁を訪れている。霞が関一丁目と二丁目に存在する両庁は、所在地の距離は近いが、人間関係の距離は、果てしなく遠い。
基本的に、警察組織と検察組織は、それぞれが独立した別の組織で、対等だと思われがちだが、検察は、必要とあらば、警察に対して、捜査のやり直しを命じる事が可能であり、『検察の方が、立場が上』と言う者も多い。
余談ではあるが、道路管理者である国土交通省でも、同じ様に、内部での上下関係が決まっている。河川を管理する国道事務所と、道路を管理する国道事務所では、河川を管理する方が、上位機関であり、道路所管の職員が、河川所管に訪問すると、『道路の人』と、揶揄される事も多い。何故、河川管理者の方が、上の立場になるのかと言うと、河川は、国民の生命に直結するものであり、道路は、付属的な位置付けとなる為である。
検察官の中には、『裁判での勝率を意識する者』が存在し、裁判においては、『有罪に出来る確証がないから、起訴を見送る』といった、理不尽な事があるのも事実である。警察組織からすれば、『罪を犯した者を、公平に裁く為に、検察に送ったのに、検察都合で不起訴にされた』と、不信感を募らせる者も多く、溝が埋まる事は少ない。
警察組織の思いとは逆に、検察組織にも、佐久間を目の敵にする者が多い。
『警視庁捜査一課の一警部が、東京高等検察庁の幹部候補生を逮捕』
三年前、芝﨑直人を逮捕した時、全国の検察庁職員の間で、情報共有された表現だ。検察庁内部では、芝﨑直人の、入庁から逮捕されるまでの履歴照会がされ、『世間に対して、絶対に明るみにしてはならない、事象の整理』が、徹底して行われた。報道機関、警察組織、世間に対しての措置には、庁内での人事異動、ルール策定など、多大な労力が掛かり、その影響は凄まじく、佐久間の失脚を、目論む者までいたくらいだ。
幹部候補生の芝﨑直人を逮捕する事は、検察庁からの、風当たりが強まる事は想定できた。だが、組織同士の忖度を無視してでも、悪の芽を摘んだ佐久間には、『この先、検察庁からの捜査協力は、一切ないだろう』と言うのが、専らの意見であり、その事は、佐久間自身も承知している。
~ 二十分後、東京高等検察庁三階ロビー ~
「お待たせしました。元上司の佐倉です」
「警視庁捜査一課の佐久間です。突然、申し訳ありません。芝﨑直人の件で、確認したい事がありまして、来庁しました」
(…この元凶が。よくも、まあ、顔を出せたな)
元上司の佐倉は、佐久間の質問を遮り、まず、不平不満を爆発させる。
「…アポイントメントも無しに、来庁されるとは、穏やかでありませんな?元犯罪者が、まだ何か?佐久間警部が、芝﨑を逮捕したせいで、元上司である私も、冷や飯を食わされて、何もしていないのに、人事評価が下がり、降格です。当然、所得も思い切り下がり、家庭崩壊するところでしたよ。佐久間警部を、名誉毀損で訴えようかとも、一時期、考えました。長官を狙っていましたが、バラ色の人生が、佐久間警部の出現で、滅茶苦茶だ。…分かりますか?今ここで、同じ空気を吸うだけでも、迷惑以外の、何ものでも無いんです。今さら、芝﨑の何を調べるんですか?死人に、鞭を打つやり方は、好きではないんですがね?それにね、これは、警視庁としての、総意ですか?今度からは、東京高等検察庁に来庁される場合は、手続きを踏んでから、来られる事を、強くお勧めします」
(端から、壁を作ってきたな。まあ、上司なら、当然か)
「突然の訪問非礼は、謹んで、お詫びします。開示請求無しでは、正式な協力を得られない事も、理解しました。ただ一点だけ、お伺いしたい。簡単な質問です。芝﨑直人には、双子の兄弟がいたか、ご存知ないですか?」
(………)
「さあ、どうだったかな。…一人っ子だった気がしますがね。データバンクは、警視庁にもあるでしょうし、わざわざ、天下の佐久間警部が、こんな所まで、足を運んでまで、聞くまでもないでしょう。…もう、宜しいですか?」
(データバンクときたか。その情報が、警視庁では見られないから、聞いているんだ。家族構成まで、調べるのならば、戸籍を追っていく必要があるから、時間を要してしまう。その事を分かっていて、この回答するとはね。さぞ、腹いせが出来て、嬉しかろう。だが、必要情報は、取得出来たぞ)
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」
佐久間が、その場を後にしようとすると、佐倉は、追い打ちを掛けた。
「あーそうだ、言い忘れました。佐久間警部が仰った、開示請求ですがね。芝﨑直人に関するデータは、原因不明なんですが、ある日突然、紛失しましてね。高等検察庁としても、困っているんですよ。完全に破損してしまって、どうやっても、復元出来る見込みがないんです。紙で保管していないし、電子データがない、今となっては、ご協力出来そうにありません。それに関しては、本当に申し訳ない。それを聞いたうえで、手続きをするか、よーくご判断ください。警視庁から、正式な開示請求が来たら、東京高等検察庁としては、可能な限り対応はしますので、ご安心を」
(滑稽な話だ。逮捕された時点で、全てを闇に葬ったくせに。仮に、何か資料が残っていたとしても、氏名以外、全て黒塗りで、渡すのだろう?なら、ここは、悔しそうな顔をしてやるか、その表情を待っているのだろうからな)
佐久間は、あえて、悔しさを滲ませ、手を固く握りしめると、佐倉は、満面の笑みを浮かべる。
(気持ち良いねえ、あの佐久間が、悔しがっている。これに懲りたら、初めから、勝てない喧嘩はしない事だ。周りの者、よく見ろ。仇を討っているぞ!)
佐倉は、周囲の検察官に、自分の力を誇示したうえで、佐久間に退庁を促す。その様子は、誰が見ても、あからさまで、佐久間に同情する空気が流れる。
(ここまで、露骨過ぎるとは、私も嫌われたものだ。そんな事よりも、芝﨑直人の事を考えよう。兄弟がいないのであれば、誰が、芝﨑直人に、成り済ましている?そして、何の目的で、思想を引き継いだ?……川上真澄に相談してみるか。とりあえず、洗い直す必要があるな)
佐久間は、無言で頭を下げ、東京高等検察庁を後にした。




