葦沢と城戸、宿泊。Ⅰ
「ただいま〜」
「お邪魔します」
土曜日の夕方、都内某所。洒落た雰囲気のモダンな家。いつかこんな所に住んでみたいな、とつい憧れてしまうようなこの家は、千歳の自宅である。
はじめて来た時はかなり気後れしてしまったが、何回もお邪魔するうちに慣れてきた。
私はデカい扉を通り抜け、大理石らしきタイルの貼られたデカい玄関で靴を脱ぐ。
「じゃ、今日はゆっくりしていってね!」
「はーい」
私は今日、千歳の家に泊まりに来ている。
今まで結構長いこと付き合っていたが、二人で同じ場所に泊まるというのは、学校行事以外でははじめての事だった。
私は前日、荷物の準備をしている時からワクワクしっぱなしだった。
千歳に手を引かれてリビングに入ると、そこには一人の先客が。
「万尋ちゃん、こんにちは」
「あっ……こんにちは……!」
ソファに座って読書をしていたその少女は、千歳の妹――万尋ちゃん。
彼女は私を認識するやいなや、パァっと笑顔になった。
万尋ちゃんは小学五年生らしいが、その割には礼儀正しくてしっかり者。
顔は千歳に似ているが、性格はだいぶ違う。明るく笑顔の多い千歳とは対照的に、かなり大人しい雰囲気のある子だ。
はじめて家に来た時は、私を警戒している様子だったが、今ではすっかり懐いてくれている。
ちなみに今日一日は千歳の両親も祖父も用事があって家にいないらしく、家には私、千歳、万尋ちゃんだけがいるらしい。
「綴ちゃん、私の部屋行こ」
私たちが付き合っている事は、千歳の意向で万尋ちゃんには知らせていないし、そもそも妹に姉が彼女とイチャイチャしているところを見せるわけにもいかない。
というわけで、万尋ちゃんから逃げるように私の手を引っ張っていく。
「えー……せっかく来たのに行っちゃうの?」
私たちが二階へ向かう階段へと進むと、万尋ちゃんは寂しそうに言った。
私はその姿を見て後ろ髪を引かれるような思いがした。
何回も千歳の家に来るうちに、万尋ちゃんが私に懐くにつれ、私も万尋ちゃんの事を気に入っていたのだ。
特段、私は子供好きという訳では無い。しかし、大好きな千歳に容姿の似た子供が私に懐いてくれているとなれば話は違う。
次第に私は万尋ちゃんを心から可愛がるようになっていた。
もちろん、恋愛的な意味ではない。
流石に私も彼女の妹に手を出すほど酷い人間性はしていない。
で、そんな私は万尋ちゃんの寂しそうな表情を見て、いても立ってもいられなくなり、こう言った。
「……千歳、部屋行くのはちょっと万尋ちゃんと遊んでからにしない?」
「えー……」
千歳が不満そうな声を漏らす。
数秒黙ったのち、
「……いいよ、そうしよっか」
優しい笑顔で千歳は答えた。
千歳はいい姉だ。
万尋ちゃんの表情が再び明るくなる。
多分私も似たような表情になったと思う。
「万尋ちゃん、元気してた?」
「ん……元気してた。綴ちゃんは?」
「私も元気だったよ」
私はソファに座る万尋ちゃんの左隣に座る。ほんのり良い匂いがする。
さらに私の左には千歳が座ってきた。
両側を「可愛い」で挟まれた私は、凄まじい多幸感を感じていた。
「万尋ちゃん、何して遊びたい?」
「ゲームしたい」
万尋ちゃんは、私が勧めるまでほとんどゲームに触れてこなかった千歳とは違い、かなりのゲーム好きだ。
趣味がとことん千歳とは違い、流行りにもかなり敏感な方のようだ。
ちなみに、万尋ちゃんは小五のくせにスマホを完全に使いこなしている。
小五の頃の私を思い返す。親のスマホで遊んでたら「ウイルスに感染しました」なんて画面が急に出てきて大焦りして、泣きそうになりながらお母さんに報告したっけ。
今の子って凄いな、としみじみ感じる。
「いいねぇ、何する?」
「綴ちゃんがやりたいのやる」
「えっ……いい子じゃん、超偉いね」
万尋ちゃんの気遣い精神に私は驚き、つい頭を撫でる。
万尋ちゃんは嬉しそうに頬を赤らめてにっこり笑った。
すると突然、左隣にぎゅ、と柔らかな感触。
そちらへ視線をやると、千歳が腕を絡めて私の左手を強く握りながら、不満の籠った上目遣いでこちらを睨んでいた。
可愛すぎる。私は小学生女子である万尋ちゃん以上に、高校二年生であるはずの千歳に対して庇護欲を強く抱いてしまった。
万尋ちゃんからは見えないような角度で、ぎゅ、と千歳の手を強く握り返す。
千歳はまだ不満そうな、しかしどうしても喜びを隠せないというような微妙な笑みを浮かべた。
「んーっと……そうだな、この間みたいに、マリパとかやる?」
「やる!」
にこにこ笑う万尋ちゃんの応対をする裏で、私は千歳に左手を好き勝手撫でられている。
なんだか背徳感に似た仄暗い心地の良さを感じた。
「じゃ、Switch取ってくるね」
「はーい」
万尋ちゃんが嬉々として自室へゲーム機を取りに行くと、千歳が突然私の両頬を掴んできた。
「わっ……」
「綴ちゃん……」
そのまま千歳は私に口付けをした。私はそれを受け止め、そのまま唇を吸い返す。
「ん……綴ちゃん、あんまり万尋の事誑かさないでね?」
「誑かすって……そんな……」
「あんな風に優しくされたら、誰だって綴ちゃんの事好きになっちゃうよ」
「えぇ……そんな事ないって」
「ある。私はそれで好きになっちゃったんだから……」
「……ごめん」
ぎゅう、と私は千歳の事を抱きしめる。
「万尋は、女の子が恋愛的に好きってわけじゃなさそうだからいいけど……他の子にああいう風にしたら、すぐ惚れられちゃうからね?」
「……ああいう風って何」
千歳が困ったようにため息を漏らす。
「あと何より、私を差し置いて他の人に優しくされると……ちょっと寂しい」
千歳の真っ直ぐな嫉妬に、私は胸を射抜かれた。
純粋無垢で、誰にでも分け隔てなく接してくれる、優しい千歳が、今、私にだけ、純粋な嫉妬を向けている。
きっとそれは、私の抱くような、不安や独占欲の入り交じった穢れた暗い感情ではなく、純粋に自分がもっと好きな人から愛されたいという純真無垢で真摯な願いなのだろう。
私はきゅう、と胸を締め付けられるような思いに駆られ、千歳への抱擁を強めた。
ほとんどしがみつくようにして千歳を抱きしめながら、私は口々に愛を囁く。
「ごめんね、そんな事言わせちゃって。一番好きなのは千歳だからね。安心して」
「ん……ありがとう」
千歳の安らぐような吐息が聞こえた。
そうしていると、ドタドタと階段を駆け下りてくる音が聞こえ、千歳は名残惜しそうに私から手を解いた。
「持ってきたよ!」
「あ。ありがとう」
「お姉ちゃんもやる?」
「せっかくだし……やろうかな」
万尋ちゃんは、ゲーム機をテレビに繋ぐと、私と千歳にコントローラーを手渡した。
再び万尋ちゃんが私の右隣にどさりと座り、コントローラーをかちゃかちゃ動かす。
ほんのり良い匂いがする。
「普通のモードでいい?」
「ん、いいよ」
という訳で、三人でパーティゲームをやることになった。
万尋ちゃんのゲームの腕はまずまず。小五にしては上手いが、私には少し及ばない。
それに対し千歳。パズルゲームなんかはそこそこできるが、アクションはてんで駄目。小一にも多分勝てない。マリオは1-3でもう諦めたくらいだ。
こういうパーティゲームにも、度々アクション要素のあるミニゲームが登場するのだが、それでは圧倒的に千歳が不利だ。
流石に、私と万尋ちゃんで寄ってたかって千歳をボコボコにする訳にもいかないので、私はある程度千歳の事を守りながら戦うのだ。
「ちょ、綴ちゃん邪魔ぁ。お姉ちゃんのこと殺せない」
「万尋ちゃん、殺すとか物騒な言葉使っちゃ良くないよ」
私は千歳ばかり攻撃しようとする万尋ちゃんの攻勢を受け流し、反撃する。
「綴ちゃんかっこいー」
「でしょー?」
「お姉ちゃんズルい〜!なんで綴ちゃんお姉ちゃんばっかり守るの?」
「私は綴ちゃんから"一番"愛されてるからね〜」
千歳は、さっき私が「一番好きなのは千歳だ」と言ったのを引用して、自慢げに言う。
本当に私たちが付き合ってるのを万尋ちゃんに隠す気あるのか?と疑いたくなる。
正直なところ、万尋ちゃんも私たちがただの友達というには仲が良すぎると感じている様子だった。
直接目の前でキスとかを見せびらかした事はないのだが、普段家に人を呼ばない千歳が私だけを家に呼び、普段あまり人とスキンシップをとらない千歳が私にだけはベタベタしているのだ。
妹からしたら違和感を感じて当然だろう。
万尋ちゃんは私の千歳への愛情が強いこともある程度は理解しているようで、
「ふーん……ねえ綴ちゃん」
「なに?」
「お姉ちゃんの子供の時の写真、見る?」
「ちょ、万尋?!」
「えっ見たい」
「じゃあ私の味方して」
こういう取引も仕掛けてくる。
私は迷わず千歳の使っていたキャラクターを倒した。
「ちょっと綴ちゃん……!」
「ごめん、流石に見たかった」
「ここからお姉ちゃん贔屓するのやめてくれたら、後でアルバム見せてあげる」
「いいの?万尋ちゃんありがと〜!」
「もー、恥ずかしいんだけど……」
結局この後は、普通に千歳がぼろ負けした。
千歳を負かすのは心苦しいが、別に千歳はゲームの勝敗を気にしない人だし、問題ないだろうと割り切った。
試合が終わるや否や、私は万尋ちゃんに頼み、件のアルバムを見せてもらうことになった。
「どこ仕舞ってあるかな……この辺かな?」
万尋ちゃんが棚を漁っているのを、千歳はドギマギしながら見つつ、心配そうに何度もこちらに視線をやった。
「あった!」
「ちょ、見せて!」
盛り上がる万尋ちゃんと私を横目に、千歳がため息を吐く。
私はそんな千歳の呆れ顔に気付かぬ振りをしながら、万尋ちゃんの手に握られたアルバムを引ったくり、ページを捲る。
私は驚愕した。
子供の頃の千歳が可愛すぎたのだ。
私は基本、子供というのがあまり得意な方ではない方だ。
しかし千歳は例外だった。丸っこくて小っちゃくて可愛くて、なんの穢れもない澄んだ瞳をしている。
私の中の価値観がひっくり返るくらい可愛かった。
「えっ、こんな可愛い赤ちゃんっているの?すごい、宗教画の天使じゃん。こっちの写真いつの?幼稚園生?もちもちしてて可愛い……。笑顔の写真ばっかじゃん、愛嬌すご……!てか、お行儀良すぎじゃない?めっちゃ姿勢いいじゃん」
私は半ば興奮状態でまくし立てるように喋った。
「綴ちゃん……褒めすぎだよ」
「綴ちゃんきもーい」
千歳や万尋ちゃんからの冷たい目線を背中で感じる。
しかし、ページを捲る手が止まらない。
「わ、懐かしー……小学校の入学式だ」
「小学生のくせになんかお淑やかで清らかだな……千歳らしい」
「綴ちゃん、いくらなんでも私のこと贔屓目で見すぎじゃない?」
「しょうがないよ、千歳の……あー、うん、」
一瞬「千歳のこと大好きだもん」と言いそうになったが、万尋ちゃんがいるのを思い出して言い淀んだ。
失言を誤魔化すようにページを捲っていくと、千歳が反応した。
「あ、これ小五の頃だ」
「今の万尋ちゃんと同い年だ」
「確かに。でも、そう考えるとやっぱり万尋と私って顔そんなに似てないね」
「んー、そうだね」
千歳の言葉に万尋ちゃんは同調したが、私から見たら二人の顔はめちゃくちゃ似てると思う。
きょうだいが居る人ってみんな自分と似てないって言うよな、傍から見たらめちゃくちゃ似てるのにな、と思ったが、口には出さなかった。
そんな他愛もない反応を繰り返しながら、ページを捲っていく。ページを捲る度に、どんどん千歳の背が伸びていくのを見ると、言い得ない違和感を覚えてきた。
「千歳も、成長してるんだなー」
つい、そんな当然のことを口走る。
アルバムを見ていくうちに、次第に、今の千歳と地続きになっている「昔」の姿がある事に違和感を覚えてきてしまったのだ。
そんなはずはないのだが、どうしても、今の千歳は今の千歳のまま、今の完璧な状態のまま生まれてきたような気がしてならないのだ。
「まあ、そうだねぇ……こうやって見ると、私も結構大っきくなったなぁ」
千歳が微笑む。
私は苦笑いを浮かべた。
確かにアルバムに乗っていた千歳は可愛い。超可愛い。今まで見た子供の中で一番可愛い。でも、今の千歳の方が可愛い。
昔の千歳でさえ、今の千歳と比べると不完全なのだ。
千歳は、昔の千歳から「成長して」今の千歳になったのだ。
今の千歳は完璧だった。少なくとも私にとっては、何一つとして欠点の無い、完璧なひとだ。
しかし、千歳も「成長する」のだと、今このアルバムを見て実感してしまった。
この、私にとっては完璧であるはずの千歳が「成長して」また別の千歳になってしまう可能性を、私は突き付けられたように感じた。
私はそれを受け入れられるだろうか。私はそれを喜べるだろうか。私は千歳についていけるだろうか。
そんな時、千歳は平然と、それでいてはっきりと言った。
「でも、ここ一年で一ミリも身長伸びてないんだよなー」
なんだか私の憂鬱が、全て馬鹿らしいもののように思えてきた。
つい、私は笑ってしまった。
「もうちょい背伸びないかなー」
「今くらいが一番ちょうどいいよ、大丈夫」
「えー、そうかなー……」
千歳がうーん、と唸る。
私は本調子を取り戻したように、千歳の耳元に顔を近付け、万尋ちゃんに聞こえないよう
「このくらいの身長が一番抱きしめやすいし」
と一言だけ言った。
千歳は頬を赤らめて、「もー」と、恥ずかしがって笑った。
万尋ちゃんが怪訝そうな目でこちらを見ていた。




