葦沢と城戸、宿泊。Ⅳ
お風呂から出たあと、綴ちゃんは眼鏡をかけていた。
普段はコンタクトを付けているが、お風呂から出たあとはいつも眼鏡をかけているらしい。
ごく稀に学校に眼鏡で来ることはあるが、綴ちゃんの眼鏡姿はかなり珍しかったので少しワクワクした。
さて、お風呂を出てからしばらくまったりしていると、万尋が自室から出てリビングに戻ってきた。
「あ、万尋ちゃん、こんばんは」
綴ちゃんが気さくに挨拶する。私に向けるのとはまた違った優しげな笑顔をしていた。
普段見ない眼鏡姿も相まって、私はその横顔から感じる綴ちゃんの母性に少しときめいた。
「あ、綴ちゃん、またさっきのゲームやろう?」
「あー……どうしよう」
綴ちゃんは私の耳元で小さく「いい?」と聞いてきた。
私は綴ちゃんを独り占めしたい気持ちがあったので少し悩んだが、綴ちゃんの万尋への優しさを無下にする訳にはいかないと思い、頷いた。
それから三人で遊ぶ事数十分。私がふと時計を見ると、時刻は九時五十分になっていた。
「あ、そろそろ十時!万尋、もう寝る時間だよ」
「やだー。まだ寝たくない〜」
「だーめ。十時には寝るってお母さんと約束してたでしょ?」
「でももっと綴ちゃんと遊びたい……!」
私が助けを求めようと視線をやると、綴ちゃんはにやにや笑って微笑ましそうに私たちの様子を見ていた。
「綴ちゃんからも説得してくれない?」
「はーい」
万尋には聞こえないような囁き声で私が言うと、綴ちゃんは立ち上がり、私の前を通って万尋の前にしゃがみ込んだ。
「万尋ちゃん、ちゃんと寝ないと大きくなれないぞー」
「いつもはちゃんと寝てるから今日くらいいいじゃーん」
「ほら、明日の朝起きれなくなるよ?」
「いいもん明日日曜日だし」
「……千歳、これ反論できない」
「えぇー?」
綴ちゃんは渋い顔で私の方に向き直った。
万尋を寝かせないことには綴ちゃんと二人っきりになれないから、何としてでも早めに万尋は寝かせたい。
「もうちょっと説得頑張れない?」
「うーん……まあ、やれるだけやってみる……」
この後、どうにか二人がかりで説得し、明日もまた三人で遊ぶという約束を取り付ける事で万尋を寝かせる事に成功した。
「はぁ……ようやく二人っきりだね」
「んー、そうだね。せっかくだし、今日は夜更かししよう」
「ふふ、さっき万尋ちゃんには早く寝ろって言ったくせに?」
「私たちはいいの。高校生なんだから」
「ズルいね。私たち」
綴ちゃんは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
私は綴ちゃんよりもっと邪悪な笑みを浮かべ、続けて言う。
「ね、せっかく夜更かしするんだし、してみたいことがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「めっちゃお菓子食べよう」
「…………いいよ」
綴ちゃんは少し言葉に詰まったあと、喉から肯定を絞り出した。
それから私は昨日買って、万尋には見つからない場所に隠しておいたスナック菓子を皿に出し、炭酸飲料をコップに注ぎ、ソファの前のローテーブルに置いた。
「これは身体に悪いなぁ……」
「一日くらい大丈夫だよ、一日くらい」
「まあ、明日以降ちゃんと運動すればいいか」
綴ちゃんは躊躇いながらもお皿に手を伸ばすと、ポテチを一口。そしてそれをコーラで流し込む。
「はー、背徳感すご……でも美味し……」
「綴ちゃん、幸せそう」
「ん、幸せ」
眼鏡姿の綴ちゃんの笑顔は、いつもより大人っぽく見えた。
私も一口。美味しい。
ちなみに味はコンソメ。
「あ、そうだ、せっかくなら映画とか見る?」
「いいね」
「どんなの見る?」
「ベタに恋愛ものとか?」
「いいね、そうしよっか」
私はリモコンを手に取ると綴ちゃんの隣にどさりと座り、配信サービスで適当なランキング上位の恋愛映画を選び再生した。
「これ結構気になってたやつだ」
「あ、そうなんだ」
綴ちゃんは映画好きだ。よく映画館にも行っている。
ちなみに私は、映画館があまり得意ではないのもあって綴ちゃんと一緒でなければ映画はほとんど見ない。
今回見る映画も名前すら聞いた事がないものだった。
でもそれでいい。この状況において映画は綴ちゃんと一緒にいるための一つの口実に過ぎないんだし。
そう思っていたのだが、いざ映画が始まってみると、私でも知っているような俳優が何人も出てきて、ストーリーも結構面白い。
私はポテチを食べるのも忘れて見入ってしまった。
結構、ドキドキする。
映画の展開には時々私と綴ちゃんの関係と似通ったような部分があり、にやけてしまうこともあった。
その度に私は綴ちゃんの横顔を見た。度々目が合って、気まずくなって画面に視線を戻した。
視聴開始から約一時間半。展開が佳境に入る。
夕陽の下でのキスシーン。
私が画面に見入っていると、綴ちゃんに突然肩を抱き寄せられた。突然の事に胸がドキッとなる。
私は綴ちゃんの肩に頭を預けた。私の左手が綴ちゃんの手と重なった。
なんだかおかしくなってしまいそうで、私は綴ちゃんの方から意識を逸らすように画面に食いつく。
しかし、どうも映画に夢中になれなくなってきた。作中の恋愛への興味を、今現実で触れ合っている大好きな人への気持ちが越えてしまっているのだ。
「ずっと、貴女の事が好きでした」
テレビのスピーカーから響く告白の声。
綴ちゃんからされた告白の事を思い出す。左肩で触れ合う綴ちゃんの身体がより一層その時の記憶を想起させ、私はもはや映画どころでは無くなっていた。
今すぐに、私も綴ちゃんに好きだと伝えたい。そう思うといても立ってもいられなかった。
エンドロールまであとどのくらいだろう。そんな事ばかりが気になる。
映画の最中に話しかけるのは、映画好きな綴ちゃんの気を悪くしちゃうかな。そう思うとエンドロールまで動けない。
映画自体は面白い。だからこそより一層私自身の恋愛と重なり、より一層終わりが待ち遠しくなる。もどかしい。
物語がエピローグに入る。
幸せそうな二人の様子が描かれ、名前しか知らないバンドの歌っている主題歌が流れる。
あと少し、あと少し。
心臓が早鐘を打つのを感じながら、姿勢を正す。
画面が暗転、スタッフの名前が出る。
エンドロール。
「綴ちゃ……っ」
私が左を向いた途端、開きかけた唇を突然塞がれた。
両頬を抑えられ、私は逃げ場を無くした。
「コンソメパンチ味だ」
「……綴ちゃんの馬鹿」
私から唇を離すと、綴ちゃんは照れ隠しのように言う。
ようやく離してくれたと思ったらこれだ。風情も何もあったもんじゃない。
「映画、どうだった?」
「面白かった……けど、綴ちゃんの事考えちゃって、途中から集中できなかった」
「ふふ、私も。こういう事千歳とやりたいなー、とかしか考えてなかったわ」
綴ちゃんはポテチを食べながら平然と言う。
さっきまでの脱衣所での様子からは想像できないような毅然とした態度。
いつもの綴ちゃんに戻ってくれたんだな、という安心感があった。
「はー、映画のせいでめっちゃ千歳とイチャイチャしたい」
「私も」
「息合うね、私たち」
綴ちゃんは私の事を抱きしめるとそのまま体重をかけた。私はソファに背中から倒れた。
綴ちゃんの体重が全身にかかるその圧迫感が妙に心地いい。
でもちょっと恥ずかしい。呼吸のリズムも心臓の拍動も全て伝わってしまっているような、この状況。
「千歳」
「ん」
顔を近付けられ、名前を呼ばれる。反射のように私が目を瞑ると、また口付けをされた。
「綴ちゃん、ポテチ食べたいから離して」
私が照れ隠しのように言うと、平然と綴ちゃんは「やだ」と子供のように返してきた。
私が不満そうな顔をすると、
「あ、そうだ、これなら食べれるじゃん」
と綴ちゃんはニヤニヤ笑いながら言うと、身体を伸ばしてテーブルに置かれたポテチを一枚手に取った。
食べさせてくれるのかな、と思っていたら綴ちゃんがそのポテチを口に咥えはじめたので、私は「えっ」と腑抜けた声を出した。
「ん」
綴ちゃんが私に顔を近付ける。その意味は明らかだった。
私は恐る恐る頭を起こすと、綴ちゃんの咥えたそれを唇で奪った。
もはや味はほとんど感じなかった。
「美味しい?」
綴ちゃんは満足げなにやけ顔で言う。
「美味しい……けど、これだとゆっくりしか食べられないよ」
「それもそっか」
これで満ち足りたのか、綴ちゃんは案外すぐに私を解放してくれた。
まだ止まらないドキドキを誤魔化すため、私は三枚一気にポテチを口に突っ込んだ。




