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殺意が聞こえる  作者: あまりなな
殺意が聞こえる
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殺意が聞こえる 2

 そんな荒廃した日常の中で、唯一、響の心のバリアをすり抜けてきたのが朝日あさひだった。

 二人の距離を縮めたのは、放課後の図書室で交わしたマニアックなUKロックの話だった。


「君もこれ聴くの? 趣味が合うね」と笑う朝日の発する「音」は、響がこれまで聴いてきた誰のものよりも澄んでいて、心地よかった。彼といる時だけは、脳内をかき回す殺意のノイズを忘れ、ただの「高校生」に戻れる気がした。



 だが、季節が秋に差し掛かる頃。朝日の穏やかな旋律に、刺々しい「ノイズ」が混じり始めた。


 登校してくる彼の顔色が、日に日に土色に沈んでいく。原因は、学校の裏で幅を利かせている「悪い先輩たち」の噂だった。

 響きはそのとき知らなかったが、最初は些細な金銭の要求だったらしい。それが次第にエスカレートし、朝日は万引きの片棒を担がされそうになったり、さらには「お前の家族をめちゃくちゃにする」という卑劣な脅迫にまで発展していたのだという。


 朝日は、自分一人が泥を被れば家族を守れると信じ、誰にも言わずに耐えていた。だが、響の脳内に直接響いてくる彼の「真実」は、もはや悲鳴ですらなかった。それは獣が喉を鳴らすような、低く、湿った、どす黒い殺意の振動へと変質していた。


(何があったんだ、朝日……)


 聞かなければならない。そう思った。だが、響の喉に母の言葉が棘のように刺さる。

『自分のためにその力を利用してはいけないの。それは、魂を削る毒よ』


 もし、この能力を使って朝日の内情を探れば、それは母の戒めを破ることになる。何より、こんな気味の悪い能力を朝日に知られたくなかった。もしバレたら、この唯一の「普通」の友情が壊れてしまう。嫌われるのが、怖かった。


 ある日の放課後、夕闇に染まる教室で、朝日は窓の外を見つめたまま、震える声でぽつりと漏らした。

「……響。俺、もう限界かもしれない。このままじゃ、自分を保てそうにないんだ。あいつら……あいつらさえ、いなくなれば」


 その瞬間、響の脳内には爆鳴のようなノイズが走った。朝日の心の中に、鋭利な刃物を握りしめた「もう一人の朝日」が立っている。彼が向けた殺意の矛先は、自分を脅し、尊厳を奪い続けるあの先輩へと真っ直ぐに向けられていた。


 止めなければいけない。今、ここで。

 だが、響は自分の指先が震えるのを隠すように、ポケットに手を突っ込んだ。


「ええ? 大げさだよ。なんとかなるって。朝日なら大丈夫だよ」


 響は、自分の耳を突き刺す殺意を必死に無視し、心にもない、雑で、空虚な励ましを投げつけた。自分を、そして朝日を騙すように。


 ――それが、二人が交わした最後の言葉になった。


 *


(……あれ。朝日、まだ来てないんだ)


 朝。教室の入り口で、響は無意識に朝日の席に目をやった。いつもなら「おはよう、響」と穏やかに手を挙げるはずの彼がいなかった。

 心臓の奥が、氷を飲み込んだように冷える。昨日まで自分の鼓膜をつんざくほどに響いていた、あのドロドロとした殺意のノイズが、今朝は嘘のように消えていた。


 嫌な予感が、静かな教室の空気に混じって響の肌を撫でる。

 登校してくるクラスメイトたちの「音」が、いつもと違う。好奇心、困惑、そして得体の知れない恐怖が混じり合った、さざ波のような不快なノイズ。


「ねえ、聞いた?」

「嘘でしょ……」

「信じられない、あの朝日くんが」


 ざわめきは、朝のチャイムとともに唐突に断ち切られた。

 全校生徒が体育館に集められた。

 壇上に立った教頭は、いつもよりずっと顔色が悪く、マイクを持つ手がわずかに震えている。何度も咳払いをした後、彼は言葉を選び抜くように、ひどく慎重に口を開いた。


「……ええー。昨夜、本校の生徒が関わる、極めて深刻な事案が発生しました。詳細については現在確認中です」


 そのオブラートに包まれた曖昧な表現が、かえって体育館の静寂を鋭く研ぎ澄ませていく。生徒たちの間に、正体の見えない不安がじわりと広がっていくのが、響の脳内には「音」として伝わってきた。


「現在、警察による調査が進められています。皆さんのなかで、もし、何か……。最近、その生徒の様子がおかしかったとか、悩みを聞いていたとか、些細なことでも構いません。何か事情を知っている者がいれば、迷わず先生たちに相談してください」


 教頭のその言葉が、響の鼓膜を容赦なく突き刺した。

『何か事情を知っている者は、教えてほしい』

 そのメッセージは、そのまま響への断罪となって降り注ぐ。


 脳裏に、あの日「限界だ」と漏らした朝日の、絶望に染まった横顔がフラッシュバックする。

 あの時、殺意のノイズが鳴り響いていた。朝日の心の奥底で、何かが決壊する音を、自分だけははっきりと聴いていた。


「……っ」


 響は、こみ上げる激しい吐き気を抑えるように、口元を強く押さえた。

 体育館を埋め尽くす数百人の「音」が、一斉にざわつき始める。好奇心、困惑、そして「自分じゃなくてよかった」という無意識の安堵。それらすべてが泥のような濁流となって響に襲いかかる。


 未成年だから、新聞の一面に顔が出ることはない。だが、情報の波はそれよりも速く、残酷だった。

 全校集会が終わる頃には、ネットの掲示板やSNSで「犯人」の特定が始まっていた。伏せ字にされた名前。中学時代の集合写真。そして、脅迫を繰り返していたという「被害者」の先輩との因縁までもが、無慈悲に暴かれていく。


(……ああ、あの日。俺が、あの音を無視したからだ)


 朝日は人を殺した。だが、彼を殺人者に仕立て上げたのは、先輩たちの執拗な暴力と、そして――自分を「石ころ」だと言い聞かせ、友人の救難信号を「雑音」として切り捨てた、響の冷酷な無関心だった。


(俺のせいだ……)


 あの日、耳を突き刺した殺意の不協和音。あれは朝日からの、最期の、そして唯一の助けを求める「悲鳴」だったのだ。

 響は、自分の掌を見つめた。何も持っていないはずのその手には、目に見えない真っ赤な返り血が、べっとりとこびりついているような気がしてならなかった。

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