第6奏パート2:ありふれた午後、その先の光(第12話)
スマホの着信音が、妙に頭へ響く。
寝惚けた頭はまだ、現実と夢想≪ゆめ≫の境界を曖昧にしたままだった。
重たい瞼を無理やり開けようとしながら、俺は手探りでスマホを探す。
手を伸ばしても見つからない。
着信音だけが時間に比例するように鳴り続け、静かな部屋へ容赦なく響き渡っていた。
キングサイズのベッドを1人で占領しているせいか、スマホは思いのほか遠くまで旅に出てしまったらしい。
鉛のように重い身体を、雲のように柔らかなベッドからゆっくり起こそうとした、その瞬間――
身体を返した拍子に左手がベッドの端を掴み損ね、そのまま勢いよく床へ叩き落ちた。
寝惚け眼では受け身も取れず、全身へ鈍い痛みが走る。
その痛みのおかげなのか、せいなのか。
俺はようやく現実へ引き戻された。
「イテテテ……」
独りごちりながら顔を上げると、目の前でけたたましく鳴り続けるスマホが転がっていた。
ディスプレイには『結城』の文字。
俺は指でスライドして、そのまま耳へ当てる。
「……もしもし、結城。どうしたの?」
「……はぁ〜、『どうした』じゃねーよ。集合時間になっても来ねぇし、何度電話しても出ねぇと思ったら、まだ寝てたのかよ?」
その言葉で身体を起こし、時計へ目を向ける。
時刻は、すでに昼の15時を回っていた。
垂れた前髪を左手でかき上げながら、朝方までネット検索やまとめサイトの動画を見漁っていたことを思い出す。
右耳では結城が何かを話し続けていた。
けれど、その言葉は頭へ入ってきても、すぐに抜け落ちていく。
それよりも――昨日、あの瞬間に胸を突き動かした”衝動”の正体を知りたかった。
まとめサイトへ上がったマーウィンの動画を、俺は片っ端から漁っていた。
あのチームについて、知りたかったから。
「……って、おい。聞いてるか? 翼。」
「おぅ。とりあえず夜までには顔を出すからさ。チームの奴らにはテキトーに言っといてくれよ♪♪ 副総長殿♡」
俺の軽い調子に呆れたのか、スマホ越しから深いため息が聞こえ、そのまま通話は切れた。
残り少ないバッテリーに気付き、充電器を探していると――
勢いよく部屋の扉が開いた。
「ちょっと、翼ちゃん! 今、すごい音したけど、どうしたの!?」
寝惚けてベッドから落ちた音を聞きつけて、アリサが心配して駆け付けてきたらしい。
事情を説明すると、
「もぅ〜! 心配して損したじゃん! 私のこの気持ち、返してよね!」
腕を組み、頬を膨らませて怒るアリサ。
そんな姿に苦笑しながら、俺は肩をすくめた。
「仕方ねぇだろ。こんな高級ベッドなんて、まだ慣れねぇんだからさ。」
その一言で、アリサの表情がふっと曇る。
「……やっぱり、まだ日本のベッドは身体に合わない?」
その顔を見てしまえば、冗談では終われない。
だから俺は安心させるように、いつもの癖で彼女の頭へそっと手を乗せ撫でる。
「まぁ、日本≪こっち≫よりインド≪あっち≫で暮らしてた時間の方が長いからな。カチコチに冷えたアスファルトの地べたで寝てた頃に比べたら、ここは天国だよ……だから、オヤジには感謝してる。」
その言葉に安堵したように、アリサの表情へ笑みが戻る。
少しだけ頬を赤らめながら、照れ隠しをするように俺の手を払った。
「……ほんと、翼ちゃんってナチュラル・ボーン・クズ男だよね……」
大抵の女は、このくらいでコロッと落ちる。
だけど、一言多いのがアリサだった。
苦笑しながら頭を掻いていると、アリサは何事もなかったように続ける。
「ねぇ翼ちゃん。この後って暇?」
「ま〜〜ぁ、暇っちゃ暇かな。どうした?」
「じゃあさぁ、バイクで買い物に連れて行ってよ♪ 今日、渋谷で17時から『VENUS』と『Aphrodite』の秋の新作ショーがあるんだ♡」
子どものように目を輝かせるアリサ。
正直、少し面倒くさい。
黙っていると、それだけで察したのか、アリサは一転してにっこり微笑み――
「連れて行ってくれないと……」
一拍置いて、
「刺すぞ♡」
その笑顔が一番怖い。
相変わらず感情の起伏が激しい。
それに、見た目と中身が一致していないとも想い、
俺はコイツにだけは逆らえないと観念した。
それが伝わったのか、
「分かれば良し♪」
満足そうに笑うアリサへ、
「ほんっと、オヤジの娘だよな」
と肩をすくめる。
「そうかな? パパ曰く、私は亡くなったママの若い頃にそっくりなんだって。最近よく褒めてくれるよ?」
その笑顔には、一片の曇りもなかった。
「それが本当なら、義母≪おかみ≫さんは……色んな意味で極妻だったんだろうな。」
揶揄い半分、皮肉半分で返したつもりだった。
けれどアリサはどこ吹く風といった様子で笑い、次の言葉で俺を凍り付かせるのだった。
「そうだよ。パパも若い頃はママとよく喧嘩して、その度に刺されてたって、笑いながら話してくれたよ♪」
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「……って、普通は笑えねーよ?」
「アハハハ。さすが許嫁≪アリサ≫だなぁ。」
「いや、笑い事じゃねーよ。同じ屋根の下で暮らしてる、こっちの身にもなれって。」
俺のツッコミに、結城は腹を抱えて笑い返した。
結局あの後、俺はアリサの買い物に付き合わされる形で、旧渋谷109へと走らされた。
今日のお目当ては、17時から始まる秋の新作発表会。
会場へ着いた頃には、そこはすでに女子中高生らしき若い女の子たちで埋め尽くされていた。
その光景を見た時点で、正直もう帰りたかった。
だが、俺の左手はアリサにしっかり握られている。
逃げ道なんて、最初から用意されていなかった。
「翼ちゃん! あそこ、2人分入れそう! 行くよ!」
そう叫ぶと同時に、アリサは俺の手を引いて人波へ飛び込んでいく。
何とか人混みを掻き分け、ようやくステージが見渡せる場所を確保した。
真夏の陽射しが容赦なく照りつける。
額を伝う汗を拭いながら、無性に炭酸飲料が飲みたくなった。
……持って来ればよかった。
そんな後悔をしていると、渋谷区を管理するAIが17時を告げる。
その瞬間、会場の照明が一斉に落ち、カウントダウンが始まった。
10……
9……
8……
7……
6……
5……
4……
3……
2……
1――。
大きな演出音と共に火花が舞い、スポットライトがランウェイを照らす。
その光の中から、1人のモデルが軽やかな足取りで姿を現した。
「きゃーーーっ!」
「可愛いーっ!!」
「レイラーーーっ!!!」
周囲から一斉に歓声が上がる。
隣でアリサも、子どものように目を輝かせていた。
──あれが噂の”渋谷のレッドクィーン≪じゃじゃ馬≫”か。
そう思った瞬間、以前結城から聞いた話を思い出す。
『“渋谷紅蓮隊”のリーダーが、とあるモデルにゾッコンらしい。だから渋谷で”赤髪の女”を見たら関わるな。』
あの時は適当に聞き流していた。
けれど今、その意味が少しだけ分かった気がした。
周囲へさりげなく視線を巡らせると、四隅には”紅い腕章”を巻いた男たちが立っている。
警護か、それとも監視か。
どちらにせよ、俺には関わる理由はない。
面倒事は、俺1人だけで十分だ。
アリサだけは巻き込みたくない。
そう思い、俺は自然な動作でフードを深く被った。
その様子に気付いたアリサが不思議そうな顔で俺を見る。
だから俺は、安心させるようにそっと手を握り返した。
♦︎
約1時間の新作発表会は、大きなトラブルもなく幕を閉じた。
アリサは憧れのモデルを間近で見られたことが嬉しかったのだろう。
「スタイル良すぎ!」
「顔ちっちゃい!」
「同い年なのに神すぎる!」
渋谷スカイハイへ向かう道中も、その興奮は冷めることがなかった。
一方の俺は、仲間内から聞いていた「性格は最悪」「高飛車で我儘」「気に食わない相手には噛み付く」という噂を思い出しながら、渋谷駅前の景色をぼんやり眺めていた。
そんな様子を察したのか
「……って、私の話、ちゃんと聞いてる? 翼ちゃん!」
「聞いてるよ。要するに、アリサが超〜〜〜リスペクトしてるってことだろ?」
「そういうこと♪」
満足そうに笑うと、アリサはまた俺の左腕へぎゅっと抱き付いてきた。
「アリサ、暑いって!」
その温もりに苦笑しながら歩いているうちに、渋谷スカイハイへ到着する。
コスメショップを覗き、アクセサリーショップへ立ち寄る。
「これ可愛いでしょ?」
その度に目を輝かせるアリサは、どこにでもいる普通の女子高生そのものだった。
いつも見慣れているはずなのに、その日は何故だか、その無邪気な笑顔が少しだけ眩しく見えた。
続いて立ち寄ったショップが、この日2つ目のお目当てらしい。
店内にはバッグや財布、小物が所狭しと並び、その一角には人気キャラクターとのコラボコーナーが設けられていた。
今どきの女子高生の間で再ブームとなっている人形が、このショップとの限定コラボで8月に復刻販売されるという。
その予約が、今日の本当の目的だった。
アリサが店員と楽しそうに話している間、俺は何気なく周囲を見渡す。
さっきの”紅い腕章”の連中は、どうやら付いて来ていないらしい。
さっきの会場では俺の正体がバレていなかったと思い小さく息を吐き、フードを外した。
冷房の効いた店内の空気が火照った頬を撫で、ようやく肩の力が抜ける。
「お待たせ♪」
軽やかな足取りで戻って来たアリサと目が合った、その時だった。
ぐぅ……
腹の虫が盛大に鳴く。
昼から何も食べていなかったことを、その音で思い出した。
「ふふっ」
堪えきれず笑い出すアリサ。
ちょうどその時、館内へ19時を告げるAIアナウンスが静かに響いた。
「私、気になってるイタリアンのお店があるんだ♪ 行こ?」
その一言に頷き、俺たちはレストランフロアへ向かった。
席へ着くなりアリサは、
「カロリーが……」
「太る〜……」
「でも、この味もあの味も捨てがたい……」
と、本気で悩み始める。
「だったらシェアすればいいだろ。」
そう提案すると、アリサは目を丸くして俺を見た。
「翼ちゃん、天才!」
「……子供≪ガキ≫かよ。」
「女の子は色々と大変なんだよ!」
頬を膨らませながらも笑顔を見せるアリサを見ていると、つられて俺まで笑ってしまう。
やがて運ばれてきたパスタを味わいながら、アリサは嬉しそうにスマホを取り出した。
そこには、さっき予約した人形のSNS画面が映っていた。
やがて注文していたパスタが運ばれてきた。
「いただきます」と軽く手を合わせ、しばらくは2人とも料理を味わう。
腹が減っていたこともあり、気付けばフォークが止まることはなかった。
そんな俺を見て満足そうに笑うと、アリサは待ってましたと言わんばかりにスマホを取り出した。
「ほら、これ!」
画面には、さっき予約した人形のSNSが映し出されている。
けれど――
正直、男の俺にはその良さがよく分からない。
俺から見れば、どう見ても毛むくじゃらのぬいぐるみにしか見えなかった。
「2人分予約しておいたからね♪」
満面の笑みでそう言われ、さっき店員と楽しそうに話していた理由を思い出す。
だが、思わず口から出た言葉は――
「……要らない。」
その瞬間だった。
パスタを食べていたアリサのフォークを握る手が、ぴたりと止まる。
ゆっくりと持ち直されたフォークを見た俺は、本能的に身の危険を察した。
……あ、これ以上はマズい。
「……あっ、ありがとう。ちゃんと受け取るよ……」
慌てて言い直すと、その張り詰めた空気を見計らったような絶妙なタイミングで、デザートのショートケーキが運ばれてきた。
アリサはショートケーキを一口頬張る。
苺のほどよい酸味とクリームの甘さを味わうように目を細めると、さっきまでの不機嫌が嘘だったかのように、ふわりと笑った。
「やっぱ翼ちゃん、分かってるじゃん♪」
ころころと表情を変えるその姿に、思わず肩の力が抜ける。
ホント……
女って分かんねぇな。
そう思うのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
ガラス越しでは、夕日がゆっくりと街並みの向こうへ沈んでいく。
茜色に染まった渋谷の街は、少しずつ夜の光へと姿を変え始めていた。
その景色をぼんやり眺めながら、俺は穏やかに流れていく時間へ身を委ねる。




