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第6奏 パート2:雷鳴の中で、ふたりがみたもの(第2話)


2038年9月15日。


あの日のことは、今でもよく覚えている。


残暑はまだ地面にしがみつくように残っていたけれど、風の奥にはもう、かすかな秋の気配が潜んでいた。


陽射しは少しずつやわらぎ、空はどこか高い。


夏の名残がゆっくりとほどけていく、その隙間から、初秋の匂いだけが静かに忍び寄ってくる。


それは、過ぎていく季節の吐息みたいに、そっと胸の奥を撫でていった。


最近の僕は、ノゾミと一緒にGS新宿店の4階にある修練ルームへ通っていた。


夏休みに秋葉原で買った、カーボンニュートラル製2038年モデル――



**“ステラ・スプンタ・アールマティ”**



XR対応シューティングアーチェリー、通称“電子弓”と呼ばれるそれを手に、今日も一射、また一射と構えて放つ。


SPを耳に装着すると、マーウィンの世界が僕のまわりに静かに立ち上がった。


先月、O・M社が発表した新型のXR対応オーディオデバイス。


音の周波数を媒介に仮想投影を展開するそれは、まるで現実と異界の境目を、音ひとつで繋いでしまうみたいだった。


流れ込んでくる旋律は、最初は鳥のさえずりのように澄んでいて、


それが幾重にも重なった瞬間、無機質な白い空間はほどけるように消え、視界いっぱいに夢のような花畑が広がっていく。



「湊、今日もハイスコア目指して頑張ろうね♡」



耳元で弾むように響くノゾミの声に、小さく息を吐いて、僕はもう一度弓を構えた。






♦︎♦︎♦︎♦︎




「湊♪ お疲れさま♡ 今日は調子いいんじゃない?」



SPを外して現実のルームボードを見ると、そこには僕のスコアが表示されていた。



**“Room No.417 Minato Sakura Highest score 153685.P Best.2”**



僕の中では、かなりの高得点だった。


修練ルームを出た途端、外が妙にざわついていることに気づく。



「見たかよ、あれ!? 今年一番の得点じゃね?」


「槍だけじゃなく、弓まであそこまでやるのかよ……」


「やっぱ“翼様”だろ。今月の討伐も、あいつのチームが持ってくんじゃね?」



その声に引かれるように、僕もルームボードの最上段へ目を向けた。



**“Room No.408 Tsubasa Yamamoto Highest score 208635.P Best.1”**



僕より5万ポイント以上も上。


思わず、すごいな……と息を呑む。


そのときだった。



「たまたまなのに、みんな騒ぎすぎだと思わない?


模擬戦も大事だけど、結局マーウィンって実戦のほうが大事じゃん」



不意に、すぐ隣から声が落ちてきた。



「ねえ、君はどう思う? 湊くん」



振り向いた先にいたのは、ひどく人懐っこい笑みを浮かべた少年だった。


整った顔立ち。


けれど、それだけじゃない。


甘さの奥に、どこか刃先みたいな危うさが覗いている。


少年と呼ぶには少し大人びていて、青年と呼ぶにはまだ幼さが残る――そんな曖昧な輪郭の中に、不思議と目が引き寄せられた。



「え……いや、そんなことないと思うけど。っていうか、なんで僕の名前を?」



「名前? だって、君が使ってた部屋番号、ルームボードに出てるし」



言われて見直せば、たしかにそこに書かれている。


それより――


と僕が口を開くより先に、彼は僕の表情を読んだみたいに笑った。



「何で俺のこと知ってるの、って顔だね。


君、意外と“俺たちの界隈”じゃ有名人だよ。ノゾミちゃんもね」



そう言って、彼はすっと右手を差し出してきた。



「初めまして。俺、翼。山本翼。よろしく」



「……佐倉湊。よろしく、翼くん」



差し出された手を握り返した、その瞬間だった。



「え、あれ翼と湊じゃね!?」



「マジで!? “GSメルトダウン”の湊と“神速”の翼!?」



「握手してるし! 今月の討伐、もしかして激アツじゃん!?」



ざわめきは一気に膨れあがって、気づけばあっという間に人垣ができていた。



「うわ、すご……湊くんってやっぱ人気者だね」



「僕じゃなくて翼くんのほうだよ……って、痛っ」



押される。ぶつかられる。


人の波が次々に押し寄せてきて、満員電車みたいに身動きが取れなくなる。


息が詰まりそうになったそのとき、不意に右手を強く引かれた。



「湊くん、こっち! 一旦、外に出よう!」



見た目の華奢さからは想像もつかない力だった。


そのまま僕は翼に引っ張られ、**“STAFF ONLY”** と書かれた扉をすり抜ける。



「つ、翼くん!? ここって……」



「大丈夫、大丈夫。緊急回避ってやつ」



どこか楽しそうに笑いながら、翼はそのまま裏口の螺旋階段を駆け下りていく。


タン、タタン、タン、タタン――


軽やかな足音が、狭い階段に心地よく跳ね返った。


一段ずつリズムよく降りていく翼の横顔は、妙に楽しそうで、つられるみたいに僕まで笑ってしまう。



「っ、はぁ……はぁ……ここまで来れば、さすがに大丈夫っしょ」



「はぁ、はぁ……うん。っていうか、これじゃ僕たち完全に逃走犯みたいじゃん」



「ははっ、たしかに」



肩で息をしながら笑い合う。


それだけのことなのに、さっきまで初対面だったとは思えないくらい、空気がやわらいでいた。



「なんか、今のでめっちゃ腹減った」



「じゃあ、近くの麺々亭どう?」



「いいね。俺、あそこよく仲間と行くんだよ。チャーシューマシマシがさ――」



そこから先は、本当にあっという間だった。


麺々亭で湯気の立つ丼を前にして、僕たちはマーウィンのこと、使っている装備のこと、好きなもののことを、思いつくまま話し続けた。


たぶん、1番話が弾んだのはバイクのことだったと思う。


僕がカブに乗っていると言うと、翼の目がぱっと光った。


“免許を取ったばかりの頃の高揚”


"カブ特有の控えめな渋さ”


“走り出した瞬間に身体を抜けていく風の気持ちよさ”


“加速するたび、世界の輪郭が少しずつ広がっていく感覚”


身振り手振りを交えながら話す翼は、そのときだけ年相応の少年そのものに見えた。


それが、少し眩しかった。


それに――


運ばれてきたチャーシューマシマシ、ニンニク大盛りの一杯の味を、僕は今でも忘れていない。




♦︎♦︎♦︎♦︎




「ありがとうございましたぁーっ!」



店を出る頃には、店員たちの野太い声が僕たちの背中を追いかけてきた。



「ちょっと寄りたいとこあるんだけどさ」



そう言う翼についていくと、たどり着いたのは大久保公園だった。


夜の気配が濃くなりはじめた公園で、翼はポケットから細い箱を取り出した。


その瞬間、僕の視線がそこに止まる。



「今どきはいろいろうるさいし、AI監視もあるからさ」



そう言いながら翼は1本くわえて、僕を見る。



「……湊くんも、いける口?」



軽い調子に聞こえるのに、その目だけが少し違った。


試すみたいな、値踏みするみたいな、そんな薄い笑み。


僕は少しだけ眉を寄せて、首を横に振る。


すると翼は怒るでもなく、ふっと笑った。



「だよね。やっぱ、湊くんは俺の思った通りのやつだ」



ふぅ、と吐き出された紫煙が、夜の空気にゆっくり溶けていく。



「……それってどういう意味?良い子ってこと?」



僕がそう返すと、翼はくわえていたそれを地面に落として、靴先で軽く擦り消した。


それから、違う違う、とでも言いたげに手を横へ振る。



「気を悪くしたならごめん。そうじゃなくて……


湊くんって、ちゃんと“いいやつ”なんだなって思っただけ」



言葉の意味を測りかねて、たぶん僕は少し変な顔をしていたんだと思う。


それを見て、翼は珍しく丁寧な口調で続けた。



「だって、会って間もない俺に、勢いとはいえここまでついて来たわけじゃん。


ここがどんな場所か、君だって分かってるだろ?」



両手を軽く広げながら言う。


もちろん、分かっていた。


この時代の日本でも、数少ない“匂いの悪い”場所の近く。


治安がいいとは、とても言えないエリア。


未遂だったとはいえ、一歩間違えれば西園寺が――


そこまで思い出した瞬間、胸の奥がじりっと熱を持つ。


けれど僕は、その感情を押し込めるように、まっすぐ翼を見返した。


階段状になった段差に座る翼の横顔は、月明かりの影をまとって、半分だけ暗く沈んでいる。



「翼くんの目がさ、少年みたいに笑ってたから。


だから僕も、つい童心に帰っちゃった……って感じかな」



一瞬の沈黙のあと、翼は腹を抱えるみたいにして笑いだした。



「っ、はは……なんだそれ。


でも、そういうことを真っ直ぐ言えちゃう時点で、やっぱ君はいいやつなんだよ」



笑いすぎて滲んだ目元を指先で拭いながら、翼は少しだけ視線を逸らす。



「少なくとも、俺のまわりにはあんまりいない」



その言葉に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。


すると翼は、ふっと息をついてから、改めて僕のほうへ向き直った。



「……うん、決めた。俺、湊くんと友達になりたい」



そう言って、センターパートの長い前髪を耳にかけながら、僕に右手を差し出す。



「改めて。俺と友達になってくれない?」



その手を見つめてから、僕も自分の右手を伸ばした。



「もちろん。これからよろしく、翼くん」



深くなりはじめた夜空の下で、僕たちはもう一度しっかりと手を握った。



掴んだ右手は、見た目よりずっと骨ばっていて、驚くほど熱かった。



華奢な体つきには似合わないほど、強くて、どこか切実な熱だった。



その熱だけは、今でも忘れられない。

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