第5奏 パート7 後編: チェリーピンク・インディペンデント・サマー
今でも覚えている。
あの日は、一段落とアブラゼミが強く鳴いていたから。
渋谷に注がれる日差しは、その声に呼応するように増していった。
しかし、渋谷スクランブルスクエアのショップに入ると、先程までの熱にうなされた空気が一変し、人工の風が僕たちを歓迎するように身体から余分な火照りを奪っていく。
この繋がれてた手以外は……
いや、まるで自慢のペットと優雅に散歩するように、手綱を握られているような感覚だった。
強引に。
傲慢に。
我儘に。
どの言葉を選んでも今の彼女にピッタリ過ぎる。
後からこの日の事を問いただすと……
「それって、最高の褒め言葉じゃん♡」
悪気の無い屈託な笑顔で彼女が応えたのは……また別な機会に話そう……
話は今に戻るが、彼女の言葉に嘘偽りは無かった。
この炎天下の中、既に限定ショップの前には長蛇の列が並んでいたが、彼女はそれにも見向きもせず、ただ一点、まるで自宅の玄関を“当たり前”のように開ける。
そんな感じで、ショップの自動ドアを潜り抜けていった。
もちろん、列からは文句を言う客も居たが、彼女には届いて居なかった。
彼女が入り口から現れると、店員さん達の空気が変わったのが解る。
表情にこそ出さないが、笑顔の奥に緊張が見え隠れする。
そこに店長らしき女性店員さんが現れて彼女へ声を掛けてきた。
「九条様、本日もご来店ありがとうございます。本日は如何なさいますか?」
「私はとりあえず、日本限定のアレとコレとコラボバッグを1つ。あと……お前もだよなぁ?!」
彼女に繋がされた手に力が加わる。
その痛みで僕は我に返り、
「……はわぁぃ!!」
っと間の抜けた声を出してしまい、彼女に笑われた。
それから彼女が店員さんに引き換え券を渡すと、店員さんは笑顔で対応し、丁寧に包装してくれた。
横目で彼女を見ると、財布からは“ブラックダイヤモンド”のように漆黒に輝いたカードを、またもや“当たり前”のように出して支払いを済ませていた。
今の時代、AIキャッシュレスが当たり前。
クレジットカードは一部の富裕層しか作れないと聴いている。
それも最高ランクのブラック……
もしかしたら僕はどんでも無い人物に捕まった?
っと思っていると彼女は僅かに口角を上げ、顎先で荷物を示した。
「おい、お前。持てよ。か弱い女の子にこんなに持たせる気かよ♡」
そんな事を私に言わせるなよっと言わんばかりの笑顔と顎先が、それを示していた。
つまり僕は“荷物持ち”として選ばれたんだと、この時改めて悟った。
「お前、意外と分かってんじゃん♡ 気に入った。ハウス、マイペット♡」
そう言って出された手を渋々繋ぐと、彼女はまた強引に店先を出た。
彼女の言う「渋谷の“最高”を体験させてやる♪♪」は、
“私の買い物につき合わせてあげる”だと解り、僕は心の中で膝から崩れ落ちた。
その後は彼女の言われるままに、後をついていった。
高級な化粧品店。ネイルショップ。洋服や靴も取り揃えてあるショップ。
お腹が空いたのか今流行りのスウィーツ店により、
その後は僕をからかうためか本心かは分からないが、ランジェリーショップへ……
きっと陸なら喜んでいただろうが僕は、これが後々にノゾミや西園寺にバレないか冷や冷やしていると、
「田舎の童貞君には刺激が強すぎましたか〜?」
とまた馬鹿にしてくる。
……が、その言葉とは裏腹に彼女の笑みは、さっき出会った頃からは想像もつかない程、無邪気な少女のような笑顔だった。
それを観たら僕自身、今日一日の行動がそんなに嫌じゃ無かったと思ってしまった。
渋谷での一日は長かったが、気付けば空は少しずつ朱色へ変わろうとしていた。
でも彼女との一日はまだ終わらなかった。
彼女は一言、こう言った。
「私のお気に入りに連れて行ってやるよ」
荷物を持つ僕の手を引っ張り身体はよろめく。
彼女は早足で、まるで日中の怪我が嘘のように進んで行く。
気付けばそこは渋谷スクランブルスクエアの最上階の展望台テラス……
SHIBUYA SKY HI<<渋谷スカイハイ>>だった。
2032年に改築された地上270mの世界。
渋谷を360°見渡せる場所。
そこから広がる景色は、ちょうど世界が朱と紺が混じり合った、都会にはアンバランスな幻想的な世界を創っていた。
僕が驚いて彼女の方へ振り向く前に、
一歩、また一歩と先を進み、彼女はくるりと身体を回してテラスへ腰を掛ける。
そして、“当たり前”のように静かに息を吸うように告げた。
「貸し切った。」
「だから言ったろ。“渋谷の“最高”を体験させてやる♪♪”ってね」
その時見せた彼女の笑顔を俺は未だに覚えている。
まるで彫刻のような整った造形の完璧な顔立ちした君が、年相応な無邪気な少女のような笑顔を僕に見せてくれた事。
夕日を背にいっぱいに浴びた彼女からは、まるで神々しいオーラが差しているように見えた。
その姿はまるで一つの絵画や芸術作品とも言える。
それほどまで彼女の存在は完成されていた。
そう思えるほど、この全てが美しいとさえ思えた。
ノゾミにも。
西園寺とも違う。
それぞれの色彩<<いろ>>と香りが僕を此処に留まらせていた。
どのくらい時間が経つだろう。
気付けば僕達は夕日が沈むこの瞬間まで、渋谷の街並みを観ていた。
先に口を開いたのは彼女だった。
「なぁ…お前。何であの時、私を助けた?お前って喧嘩が強そうとかには見えないし、ぶっちゃけこーゆうのに関わりたく無いタイプだろ?」
彼女の一言は的を得ていたが、僕は素直にその時の気持ちを言う事にした。
きっと……彼女に下手な嘘や言い訳は逆効果だと思う。
この子は見た目と違って人を見ているし、思いやりも気遣いも出来る子だと思う。
だから、今日一日の恩人に対してそれは失礼だと思ったから。
渋谷の黄昏刻に合わせて、僕は息を整えた。
下界の喧騒とは裏腹に、ここは何故だか空気も音も静寂を纏ってた。
素直に今の気持ちを言った。
「君の眼がね……助けを求めていたからだよ。初めは声がしたから駆けつけて。
4人の男にこっちは1人だから、分が悪いのも分かてっいた。
でも——
あの時の君の眼は……確かに僕に助けを求めていた。
だからだよ。
だから……ここで見て見ぬ振りをしたらきっと……俺は“また”一生後悔するし、そんな卑怯な男にはなりたく無い……って思ったんだ。」
〜レイラ視点〜
そんな言葉を……
今日出会ったばかりの“コイツ”は照れくさそうに頭を掻きながら言った。
なんだか、調子が狂う。
“カチ”
“カチ”
その時、確かに聴こえた。
私の中で、何かがズレかけた。
だから私は高らかに笑ってやった。
緩む前に。
「アハハハ、マジ!ウケるんだけどぉ笑
田舎物が何クセー事言ってんだよ。
それはきっとお前の見間違いだよ。
確かに私は体調が悪かったのは認めるけどな……
ってかぁ、今更だけどお前って名前何?渋谷に因んで、ハチ公くんかぁ♡」
〜湊視点〜
相変わらず嫌味がたっぷり籠<<こも>>ったはずのその言葉は確かに棘はあった。
でも、痛さは感じ無かった。
「田舎物じゃないから、同じ都民だから。俺は……湊。佐倉湊。今日はありがとう。楽しかったよ」
僕は自然とレイラの前に右手を差し出していた。
それに応えるようにレイラもまた右手を差し出し、僕達は握手していた。
体調不良のせいかこの夏の暑さのせいかわからないが、彼女の手には確かに暑さとは違う熱さがあった。
そして……僅かに彼女の手が震えていたのを僕は覚えている。
それを悟られないようにか、彼女は直ぐ手を離し一点を見つめながら問い糺<<かえ>>してきた。
「今さらだけど……湊は“渋谷にいるのに”本当に私の事を知らないんだぁ……」
そう言った後に彼女の人差し指は一点先を示してきた。
そこは旧109ビルだった。今では大きな広告塔でしか無いと聴いていたが……僕は次の瞬間、その意味を理解する事になった。
陽は沈み、渋谷の街に夜の帳が街の喧騒を飲み込むように現れた。
それに対抗するかのように、渋谷の街並みもまた燈を灯し出した。
旧109ビルも例外では無い。
その光の先に——彼女が居た。
まるで偶像<<アイドル>>のように。現代のヴィーナスを讃えるように。
「綺麗だろ?私。渋谷の顔だぜ?」
意地悪な笑顔で彼女は僕を見てくる。
確かに……灯台下暗しとはよく言ったものだと、自分の鈍感さを恥じた。
言い訳するなら、日中は日差しと太陽の熱でそんな所を観る余裕が無かっただけである。
そんな僕の様子が面白かったのか、彼女はまた高らかに笑っていた。
「マジかよ!?その顔、ウケるし。アハハハハハ。ますます気にいったぜぇ。そうだ、私の名前は…」
そんな2人だけの空間を破ったのは、彼女の携帯から鳴る独特のリズム音だった。
「んだぁーよ、うるせなぁ。空気読めよ!!って、なんだよ、美作? えっ…」
一瞬で空気が暗転したのが、彼女の表情で分かった。
「お母様との会食…もうそんな時間??わ…分かった。
今は渋谷駅の近くに居るから、早く迎えを回して!!直ぐに!!
お母様の貴重な時間を無駄出来ないから、20時には絶対に間に合うから!!
着替えはいつものリムジンにドレスがあるから、それを寄越して!!早く!!」
それからの事はまるで嵐が過ぎ去るような勢いだった。
「悪い、湊……私、これから行かないといけない所がある
……でも、ありがとう。
私も今日は久しぶりに楽しかった。じゃあ、またどこかでなぁ!!」
レイラはそんな言葉とは裏腹な笑顔でその場を去った。
喉元過ぎれば、なんとやら。
僕がホッとしかけた瞬間、ポケットにしまっていたスマートフォンの通知が鳴る。
ノゾミだ。
「湊、ただいまぁ♪♪私の居ない世界はどうだった??寂しかったとみえるぞ♪♪」
“えへへへ♡”と、悪戯な笑い声が聴こえてきた。
「……そうだね。とっても寂しかったし、大変な1日だった。」
「ふーん? なんか女の子の匂いするけど?」
そんな事を言うノゾミに僕は思わず苦笑いしてしまう。
結局、彼女の名前も聴けずじまいだった……
それに……今回のメンテナンスでノゾミは“嗅覚”を得たのかもしれない。
だってココに残るのは彼女が付けていた、あの“薔薇の花束を抱きしめたような、みずみずしくて可憐なフローラルの香り”だけだから。
それはまるで僕と彼女との再会を約束した、目には見え無い鎖で編まれた縁のようなモノだから。
きっと……嵐は、そう遠くはない。
そんな香りだけが、この空間を僅かに支配していた。




