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第5奏パート7中編:チェリーピンク・インディペンデント・サマー


その日は、いちだんと暑かった。


暑さに耐えきれず、裏路地の先にあるカフェへ向かっていた途中――


僕は、あの喧騒に出逢った。


裏路地には似つかわしくない、男女の声がぶつかり合う音。



「うるせえなー、触んなって。この雑魚がよ」


「いやいや、俺はお姉さんが具合悪そうだからさ〜♪」


「大丈夫、大丈夫。俺ら、こう見えて硬派だから。具合悪いなら、一緒にそこのホテルに行こう?」


「……あれ? この子、どっかで見たことあるような……」



声の先へ足を進めると、そこには


――倒れかけた女の子がひとり。


そして、彼女に群がろうとする数人の男たちがいた。


僕は“あの時”を思い出し、頭に血が昇りそうになった。


けれど――


倒れかけた彼女の姿を見た瞬間、別の意味で息が止まる。


静かで涼やか、なんて言葉では足りない。


まるで彫刻みたいに整った輪郭。


凛として、研ぎ澄まされている。


チェリーピンクの髪が、渋谷の熱気すら受け流すみたいに、緩く風に靡いた。


その瞬間だけ、確かに世界が静止したような錯覚があった。


――後から思えば、


僕は彼女の“完璧さ”に、ほんの少し魅了されかけていたんだと思う。


突然の来訪者に、男たちも一瞬固まる。だがすぐ、誰かが吐き捨てた。



「誰だよお前。関係ねーガキは帰りな」



その後も似たような罵声が飛んできた気がする。


でも、ほとんど覚えていない。


気づけば僕は、彼女の手を取っていた。


引き寄せると、彼女は驚くほど軽い。状況を飲み込んだのか、鋭く噛みつく。



「誰か知らねーけど、お前には関係ねーだろ! 触んなよ!」


「関係ない。けど、困ってる人を見過ごすほど腐った男になった覚えもない」



足元に転がっていた鉄パイプを二本、拾い上げて構える。


右足に重心を置き、身体を低く落とす。左足が少し後ろへ引けて、スニーカーが――じりっと地面を噛んだ。


多分……大丈夫。


“陸”の動きを思い出せ。あの時みたいに――。


そう思った矢先。


男たちの背後で、低い声が響いた。


遠くでエンジンが唸り、赤いテールランプが一瞬だけ路地の奥で揺れた。


ヘルメットの影、赤い腕章。


言葉より先に、空気が変わる。


「オイ、お前ら! ここは“渋谷紅蓮隊”のシマだぞ! 何やってんだ!」


真っ赤な腕章が目を引く特攻服の男たちが、バイクから降りてくる。


それを見た瞬間、ナンパ男たちは我先にと僕の来た方へ走って逃げた。


右手に、衝動が走る。



「あぁ……もっと面倒くせーのが現れたじゃねーかよ。今日は本当にサイアク。お前もボーッとしてないで、逃げるぞ!」



彼女に引っ張られるまま、路地裏を抜けようとした時。


不意に、僕の視界から前を走る彼女が消えた。


「うわ……!」


前のめりに転びかけて、足元を見る。


彼女のヒールがマンホールの隙間に刺さり、折れてしまったらしい。


彼女は右足首を押さえて、顔をしかめていた。赤く腫れている。



「歩ける?」


「もしそう見えるなら、お前の目はあいつらより腐ってるぞ!」



棘のある一言。


けれど、今はそれに構っている余裕はなかった。


僕は彼女を抱き上げて走る。


今にして思えば、渋谷のど真ん中で女の子をお姫様抱っこして走るなんて、異常だ。


案の定、彼女は腕の中で暴れる。



「降ろせよ! このバカ、アホ、モヤシ男!!」



渋々降ろすと、彼女は僕を睨みつける。


その瞳は強気なのに、ほんのわずかに揺らいでいた。


――くすんだ灰の奥で、紫がひとすじだけ燃えているラブラドライトみたいに。角度ひとつで本音が閃きそうな、そんな訴えがある。


僕の彼女への第一印象は、“手のかかるお姫様”。


あの頃の”俺”はまだ、彼女の魅力の表面しか見えていなかったんだと思う。


彼女の強さの奥にある、“本当の彼女”を――。



「そこのドンキに用がある。行ってくる……私が戻るまで待ってろよ。命令だからな!」



少し痛そうに足を引きずりながら、彼女は店内へ消えていった。


渋谷駅が正午を告げる。


その音で、僕は本来の目的――“デブブ”を受け取りに行くことを思い出した。


一瞬、このまま離れようかとも思った。


でも、あんな啖呵を切った以上、それはできない気がして。僕は渋々、待つことにした。



♦︎♦︎♦︎♦︎



やがて、渋谷駅が次の時刻を告げる。


入り口のクーラーが心地よくても、旧渋谷のど真ん中は暑い。直射日光と、熱を抱えたアスファルトが、地表を歩くものの水分を容赦なく奪っていく。


さすがにこのままでは埒があかない。


帰るか、店内へ入るか――迷ったその時。


あの高飛車な声が、彼女の帰還を知らせた。



「マジウケんだけど。普通、見ず知らずの女のために待つかよ。お前……天然記念物級のお人好しじゃね!?」



罵倒の内容はさっきと変わらないのに、どこか様子が違う。


いや――様子じゃない。服装が変わっていた。


僕が言葉を失っているのを察したのか、彼女は得意げに説明を始める。



「何ジロジロ見てんだよ。汗かいたし、ヒール折れたからさ。ここで新しいの買ってきた。……私って元がいいから、何着ても似合うんだよね♡」



ピースサインのまま、上目づかいで顔を覗き込んでくる。


確かに――似合っていた。


スニーカーに履き替えても、僕<<172cm>>とほとんど変わらない目線。


肌は陶器みたいに整っていて、夏の光をさらりと弾く。


ラフに見えるのに、主張は強い。


彼女の“存在”そのものが、通りの視線を引き寄せてしまうタイプだ。


そんな僕の反応を読み取ったのか、彼女はまた笑いながら追撃する。



「ウケるんだけど♡ いくら私が綺麗で完璧すぎるからって、見惚れすぎだろ。童貞くん♡」


「だ……誰が童貞くんだよ!! 藪から棒にも程があるだろ!!」



恥ずかしいからか、渋谷の熱にやられたからか。


きっと僕の顔は赤くなっていたと思う。


だからもう、この場を離れようと入口へ向かった――その瞬間。


彼女が僕の手首を掴み、ぴたりと止めた。



「いじけるなよ。ちょっとからかってやっただけじゃん♪ 悪かったよ♪♪ それに、助けてくれた礼くらいはさせろよ」


「いや、このあと予定があるので。さよなら――」


「はぁぁぁ!? 意味わかんねー。この私が礼してやるって言ってんだろ。ありがたく受け取れよ。ってか、私より優先される予定とか何だよ!!」



これ以上関わると面倒が増える。


義理は果たした。だから離れたい――のに、彼女は離してくれない。


僕は観念して、素直に言った。



「デブブを受け取りに行く予定があるんだよ」



鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔。


――でも、それは一瞬で吹き飛ぶ。



「ホント!? お前、ウケるなぁ!」



キャハハハ、と大声で笑う彼女に、街中の視線が一気に集まった。



「笑うほどじゃないだろ」



涙が出るほど面白かったのか、彼女は大きなアーモンドみたいな瞳に溜まった涙を、人差し指で拭って言う。



「想定の斜め上すぎるんだよ。ってか、店の方角からして逆だし。どうしたらこんな旧渋谷の裏道に来るんだよ。……お上りさんの田舎者くんか、お前は」


「方向音痴は認めるけど、田舎者くんじゃないから。それにこっちに来たのは――……」


「まぁまぁ」



彼女のきめ細かな右手の人差し指が、ふいに僕の唇に触れて、言葉を遮った。


そして――またもや、僕を驚かせる一言を放つ。



「あそこの店。私なら顔パスで一番に入れるよ。ついでに――渋谷の“最高”を体験させてやる♪♪」



着いてこい、と言わんばかりに。


彼女の右手が僕の腕を掴み、渋谷スクランブルスクエアへ向かって歩き出した。



強引で。


高飛車で。


わがままで。



唯我独尊を体現したみたいに自由奔放な彼女――。


ノゾミとも、西園寺とも違う。


チェリーピンクの鮮やかで、色彩豊かな君との物語が――


ここから始まった。



2038年の夏は、”俺”にとっても忘れられない季節だった。



今でも――



アブラゼミの鳴き声を聞くと、ふいに懐かしくなる。



君が「大好き」だと言った、あの香り。



――透き通った光の中で、薔薇の花束を抱きしめたみたいな、みずみずしくて可憐なフローラルを…

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