第5奏パート6 中編:終わらない夏を、君と一夜ぶん盗む。 One Stolen Night with You in an Endless Summer
サブタイトル:上弦の月 — 胸に落ちる火花〜Waxing Moon〜
〜ノゾミ視点〜
初めて観る花火は、美しかった。
藍から蒼紺へとゆるやかに溶けていく夜空のキャンバスに向かって、次々と打ち上げられていく色鮮やかな花火たち。
ひとつ、またひとつと咲いては散る光の輪は、それぞれが自分の「個性」と「想い」を、これでもかってくらいに主張する現代アートのようにも見えた。
――湊の隣で、この光景を一緒に見られるだけで、今日はお腹いっぱいに幸せ。
……さっきまでは、本気でそう思っていた。
大輪の花火がぱっと弾けた、その残光の向こうで、私が見てしまったのは。
湊と、結菜ちゃんの――キス、だった。
お互いに想い合う男女がすぐそばにいれば、早かれ遅かれ、こういう瞬間が訪れるのは自然なこと。
頭では分かっている。
分かっているはずなのに。
……なんだろう?
以前も、胸をぎゅっと締めつけられるような痛みを感じたことはあった。
でも、
今、胸の奥に落ちてきたこれは、それとはまったく違うもの。
そう。
私という「純白のキャンバス」のど真ん中に、ぽとりと落ちた――黒い感情の種。
きっとこれは、芽吹かせてはいけないもの。
もしこの感情が花開いた日には、AIとしての私は「私」でいられなくなる。
そんな気がしたから。
――デリート。
ダストボックスへ破棄完了。
これが「正しい」はず。
これでまた、いつも通りの私でいられるよね?
「湊……大丈夫?」
今の私にできる、精一杯「平静」を装った言葉は、それだけだった。
〜湊視点〜
ノゾミの声は、どこか寂しげだった。
僕に向けた安否の声かけなのに、その響きは、まるで自分自身への問いかけのようで。
いや、あれは――祈りに近かったのかもしれない。
「自分は大丈夫だ」と信じたくて、そう言っているような。
そんなささいな事実に気づけたのは、ずっと後になってからの、僕だった。
今の僕には、それに気づく余裕なんて、どこにもなかった。
だってこの手には、まだ西園寺の温もりと柔らかさがはっきり残っていて。
鼻先をくすぐるのは、甘いシトラスとムスクが混じり合った、あの香り。
心臓の早鐘は、今がいちばんうるさい。
でも、そんな時間も――西園寺の一言で、一気に現実へと引き戻される。
「湊くん……ちょっと、重いかな……」
「イタタタ……」と苦笑しながら言う西園寺に、僕は飛び跳ねるように体を起こした。
「ご、ごめん!! 重かったよね!? 痛くなかった!!? ってか、その……押し倒して、ほんと、ごめん!!」
我ながら、盛大にテンパっていたと思う。
西園寺は「だ、大丈夫だってば」と言いながら、少し乱れた浴衣の裾を整えつつ、打ち上がる花火を見上げていた。
横顔は、さっきまでよりもずっと赤く見えて――
それが花火のせいなのか、さっきの出来事のせいなのか、僕には判断がつかなかった。
そこからの僕たち3人――僕とノゾミと西園寺の間には、気まずい沈黙が流れた。
きっと2人も、肌で同じ空気を感じている。
誰かがこの沈黙を破ってくれないかと、心のどこかで願いながら、誰も何も言い出せずにいる。
そんな感じだった。
周りでは、もう何発も花火が上がっているはずなのに、僕の耳にはその音が一切入ってこない。
観客たちのざわめきも、笑い声も、まるで遠い世界の出来事みたいだった。
――でも、その永久凍土みたいな時間は、唐突な衝撃と共に終わりを告げる。
「うわあああ!!」
思わず声をあげてしまった僕の頬に、キンキンに冷えた何かが押し当てられた。
「わりーわりー、湊。そんなに冷たかったか? ほら、買ってきたぜ。お前の好きな、昔懐かしいビー玉入りのラムネ!」
悪気ゼロの笑顔で陸がラムネの瓶を僕の顔に押しつけてきたせいで、情けない悲鳴が漏れてしまった。
でも――
「あははははっ」
ラムネを押さえる僕の横で、ノゾミと西園寺が声を上げて笑っていた。
「湊くん、びっくりし過ぎだよ」
笑いを堪えながら目尻の涙を拭う西園寺と、
「相変わらず仲良いね、2人はさ」
優しい目で僕たちを見るノゾミの声が、重なって聞こえる。
その後、陸と笠原さんも合流してようやく僕たちは5人、全員そろって花火を見上げることができた。
陸の話だと、既に出店はどこも混み始めていて、笠原さんと相談した結果、今はラムネ・焼きそば・クレープだけを買ってきたらしい。
女子たちは「原宿でも有名なクレープ屋さんのキッチンカーが来ててね」と嬉しそうに話していた。
前回2人で行ったときは行列がすごくて断念したのだとか。
「今日は食べられて良かった〜!」と笑う笠原さんと西園寺は、さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに、いつもの表情を取り戻していた。
それが、僕はただただ嬉しかった。
「なあ、ノゾミちゃん。改めて気づいたけどさ――なんかさ、ホントにマーウィンの世界にいるみたいだよな。リアルすぎてびっくりした!」
陸の一言にノゾミは小さく頷いて、改めてみんなへ説明を始める。
「こほぉ。実ですね…」
・つい最近、OSのバージョンアップをしたこと。
・早ければ今年中に第3世代AIが世界で発表され、来年には販売が始まること。
・ノゾミたちNo.500台は、そのためのプロトタイプであり、専属AIとしてユーザーと共に生活し、関係性を測る役目を持っていること。
隣で聞いていた西園寺や笠原さんも、その内容には目を丸くしていた。
「早く新しいスマホに変えたいね」と楽しそうに話し合う姿は、見ていて本当に微笑ましい。
AIと人間の共存は、ここ数年、賛否を巻き込みながら議論されつづけてきた。
でも、もし僕とノゾミの関係が、未来にとってのひとつの「橋」になれるなら――それは、すごく嬉しいことだ。
そんなことを考えていたからだろうか。自然と、口元が緩んでいたらしい。
「どうしたの? 湊?」
えへへっと笑いかけてくるノゾミに、僕はぽろっと本音をこぼした。
「何でもないよ。ただ……ノゾミのひまわり柄の浴衣が、すごく可愛いなって思ってただけ」
予想外の返答だったのか、ノゾミは一瞬ぽかんとして――すぐに顔を真っ赤に染め、困ったように視線を落とした。
「……ありがとう」
ノゾミの言葉は、吐息に溶けるみたいに小さかった。
「確かに、その柄は可愛いよな!! 俺も思った!」
畳みかけるように陸まで参戦してきたから、
「陸まで、何言うんですかっ!? 恥ずかしいからやめて下さい!」
と、ノゾミは両手で顔を隠してしまった。
その仕草は、もう「人間」と変わらないくらい自然で、愛らしくて――だから余計に、僕はどきどきする。
♦️時は遡り、前日♦️
この浴衣は、きっと「特別なもの」だ。
そう直感したのは、布の手触りでも、柄の鮮やかさでもなかった。
それを抱きしめるように見つめる、美波さんの表情だった。
「ノゾミちゃん、本当に私のお古をスキャンして、自分用にデータ化していいの? ネットには今どきの柄がいっぱいあるのに」
「私も……湊とお揃いにしたいんです。悠真さんと美波さんがそうだったみたいに、同じ夏に、同じ思い出を作りたいから」
「まったく、湊は果報者だね。たとえAIでも、自分のことを一番に考えてくれる“女の子”がそばにいて。
それに、男友達だけじゃなくて、女友達とも一緒に花火大会に行くなんてさ」
――ありがとう。ノゾミちゃん、湊のところに来てくれて。
その一言は、私のいちばん大事なところに「ストン」と落ちていった。
私の“コア”(心臓)に、じんわりと温かいものが広がっていくのが分かる。
「じゃあ、どれにする? この柄はね、悠真さんに買ってもらった時の話があってね……」
美波さんは、嬉しそうに一枚一枚の浴衣にまつわる思い出を語ってくれた。
2人の馴れ初め。
湊が生まれた日。
若かった頃の、ちょっと照れくさい約束の――。
私は時間を忘れるくらい、夢中で聞き入ってしまった。
正直に言えば、美波さんの浴衣は、どれも素材も柄も「思い出」も素晴らしくて、選びきれなかった。
AIである私が判断に迷うなんて、これが初めてだ。
そんな中――部屋の隅に、ひっそりと畳まれて置かれていた浴衣が、ふと目に入った。
きっと私が人間なら、それは「直感」と呼ばれるものなのだろう。
「美波さん。そこにある浴衣も、見せてもらっていいですか?」
私の何気ない問いかけに美波さんの表情が、ほんの一瞬だけ曇る。
「……もちろん、いいわよ。これもね、すごく素敵な浴衣なの。
ただ……古くなってきちゃって。捨てよう捨てようと思ってたのに、なかなか捨てられなくてね」
広げて見せてもらったそれは、本当に素敵だった。
まるで浴衣という布のキャンバスいっぱいに描かれた向日葵は、ゴッホの絵を思わせるような強い存在感があった。
太陽みたいに鮮やかな黄色と、繊細な筆致で重ねられた花びら。
そこだけが、別の季節を閉じ込めているみたいに、ふっと明るく見える。
私も一瞬で、その浴衣に恋をした。
「美波さん。私……これに決めました。たとえその浴衣が古くて、布としては破棄される運命でも、
私がこの浴衣を、“この子”を覚えておきますね」
「……ありがとう、ノゾミちゃん。きっとこの子も、浮かばれると思う。よろしくね」
そのとき、美波さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
きっと、私たちにはまだ話せない“過去”があるのだろう。
だから、このことは今しばらく、私だけの胸にしまっておこうと思う。
* * *
「もうまもなく、本日最大の大花火が打ち上がります。観覧の際は足元にお気をつけください」
アナウンスが流れると同時に、会場全体にざわめきが走る。
誰が言い出したのかも分からないカウントダウンが、自然とあちこちから上がり、熱を帯びた空気がさらに膨らんでいく。
3
2
1――。
打ち上げられた大花火は、夜空の闇を一瞬で塗りつぶし、盛大な光の花びらを咲かせた。
「おおおお……!」
観客の歓声と、
「ドーン」
「ドーン」
と響く重低音。
眩しい閃光が続いたあと、一瞬だけ辺りの景色が逆光になって、すべての輪郭が暗転する。
――その刹那。
僕の頭の中で、身に覚えのない映像が弾けた。
ひまわりの黄色と、夏の匂い。誰かの笑い声の残響。
右隣のノゾミの輪郭が、一瞬だけ“別の誰か”と重なって見えた。
「……XXXちゃん……?」
「湊……? どうしたの?? 花火の音で、よく聞こえなかったよ」
「え? あれ……? 僕、何か言ってた?」
「ううん。私の気のせい。何でもないよ」
――嘘。
私は、初めて湊に嘘をついた。
はっきりと、「XXXちゃん……?」って聞こえたよ。
きっと、その人が、すべての鍵なんだよね?
湊は、無意識にその名前を封じ込めている。
そう直感した。
だから……ごめんね。
今だけは、この名前、この瞬間を、私の胸の中にしまっておく。
きっと、湊の心が“受け入れる準備”ができるようになったら――
そのときはちゃんと、全部を伝えるから。




