最終話 幸福なカメラマン 骨皮すじ男 その5
「ねえねえ、このトラックはどこへ向かうの?」
「天国だよ、お嬢さん」
「テンゴクって、あれだよね?無限にチャオチュールがあるところだよね?私、聞いたことがある!」
「そうだね、そうだとも…なんでもあるところだよ。マグロ缶も、干物も、ツナ缶も甘いミルクも、なんでもあるよ…だけどね、そこにはなんでもある代わりに、なにもないんだ」
「?それって、どういう意味なの?」
「行けばわかるさ…行けばわかるよ、ほら、もう直ぐだよ。お嬢さん。着いたらじっとして、人間の言うことを聞くんだよ。決して噛み付いたり、鳴いたりしてはいけないよ」
「うん、わかったよ。わかったよ!」
*
「猫さん、猫さん!」
太郎吉の声に、我に返る。太郎吉は赤いスーツを着込んだ、若い金持ち婦人になりきって、こちらを不安げに覗き込んでいた。
「どうかな?僕の化け術は、大丈夫かな?」
私は太郎吉の頭のてっぺんからつま先までを見渡して、「あ、ああ、完璧だとも」と答えた。「さあ胸を張って、堂々とするんだ…この後どうすれば良いか、一通りの流れは、ちゃんと覚えているね?」
「うん、覚えているよ」太郎吉は真っ赤に充血した瞳を、目の前へ向けた。「これから僕たちは、『写真家・骨皮すじ男の素晴らしき世界展』へ行く」
「そうだ、それから、その次は?」
「中へはいったら、訳知り顔で、ひととおり写真をみつめるんだよ。それから、一番高い値段のついた写真の前で立ち止まるんだ。」
「そうだね、そして、そのあとは?」
「骨皮のおじさんをよびだして、その写真を、ぼろくそにこきおろすんだ」
「ぼろくそなんてもんじゃない、くそみそに、けなしまくってやるんだ」
そこでたろきちはしおれ加減につぶやいた。「だけども、おじさんが少しかわいそうな気もするな…だって、おじさんの名声と人気は、たぬこの作り出したフェイクだとはいえ、ここに飾られてある写真は本当に、骨皮のおじさんが撮ったものなんだよね?それを酷評するだなんて…ぼくに出来るだろうか?」
「だからおまえはだめなんだ、たろきち。」私はしっぽでたろきちの頬をばしばし叩いた。
「言っただろう、猫の目をもてって。
いいかね、しあわせな生き物の写真なんて、なんの価値もないんだよ!そんなものを見てなんになる?私は子猫の頃、おなかを空かして街から街をさまよい歩いていたことがあるがね。雨に打たれ、車に何度もひかれそうになりながら、食べ物を探してひとり歩き続けていたんだよ。
そうしてとうとう、汚い道ばたで、まぐろをくわえたマンチカンと出会ったんだ!わたしは猫としての誇りをかなぐり捨てて、マンチカンの前に頭をたれ、耳をひれふし、しっぽを地べたへ垂れ下げて、懇願した。
どうか、どうかこの哀れな子猫に、そのまぐろのひとかけらでも恵んでくださったら、わたしは、わたしはあなたの奴隷にでも、なんにでもなりましょう!とね。
しかしマンチカンはじっとこちらをみつめるばかりで、何にも答えなかった。私はさらにこう続けた。ああどうか、美しきマンチカンさま、私はほんとうに素晴らしい奴隷、気のきく奴隷になります。私はあなたの盾となって、あなたに近づこうとするノミをすべて私の体へくっつけます。そしてあなたの吐いた毛玉を、すべてわたしが吐いたということにして、あなたの名誉を守ります!
けれどもマンチカンは髭ひとつ揺らさずに、私の方をじいっとみつめるばかりだった…私は耳を濡れた地べたへすりつけて、猫の誇りをすべて打ち捨てて、必死に頼み込んだ。そうする以外に、わたしには方法がなかったのだ。どこかへ新たな餌を探しにゆく力など、私にはのこされていなかった。
それになによりも…目の前のマグロは今までに見たことのないような、美しく、身振りのよいまぐろだった!
雨が晴れ、太陽がのぞき、また雨が降り出した。もう三日がすぎようとしていた。私は顔をあげ、こんなに頼んでいるのに、どうしてあなたさまは、まぐろのしっぽのかけらひとつさえ、お恵みになってくださらないのですか!と髭を振り乱して叫んだ。
すると風が吹いて、マンチカンとまぐろは、ぐしゃりと歪み、潰れて、どこか遠くへ吹き飛ばされていった…呆然とする私の耳へ、どこからか笑い声が聞こえてきた…毛並みのよい、うつくしいシャム猫が、アパートの非常階段から私を見下ろして、笑っているのだった。
シャム猫は言った。いつになったら気付くのだろうと思って、ずっと見ていたのよ。あれは私のご主人が捨てた、私の食べ終えたちゃおちゅーるのごみよ。あんたがずっと土下座していた相手は、写真よ!みすぼらしくて、頭の悪い子猫ちゃん。ねえ、お願いだから、死ぬのならそこでなく、よそでやってね。匂いがきついから…蠅も湧くしね。それじゃあ、さようなら。
それだけ言い残すと、シャム猫は身を翻して、消えたんだ。つまりわかるね、たろきち、写真なんてものは、他者に自分のマグロをみせびらかすための、うぬぼれの道具でしかないんだよ。わかったね」
たろきちは私の話に、心を打たれたようだった。「そういえば、たぬ子も、自撮り写真を見せびらかすように、ポンポコグラムへアップしていたよ。そして、一万ぽんぽこがついた!と言って、自慢するんだ。ぼくが撮ったねずみの写真がゼロぽんぽこなのを知っていて、そうするんだ。」
「そうだろう。そうだろう。憎たらしいだろう、たぬきち!」
「ああ、憎たらしい!」たろきちは熱に浮かされたようにつぶやくと、そのまま写真展の入り口へむかってがに股で歩き出した。




