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第五話 飢饉時代の亡霊、大食い選手権に出場する その1


 君は、お腹が空いて仕方がない、といった経験があるだろうか?餓死してしまいそうだといったことが?

 

 残念ながら、私にはない。私の周りはいつだって、それなりに美味しい食べ物で溢れている。猫缶にチーズ、ちゃぶ台の上のアジの干物に、チャオチュール。


 大抵、君も似たようなものであろう。しかし、今度は真逆のことを聞く。君が果たして、本当に満たされたと感じたことが、その素晴らしくご立派な人生のうちで、果たして何度あっただろうか?今、こうしてこんな駄文を読みふけっている君は、果たして満たされているのかね?

 

 だがそのことを恥じることはない。君はそのことをぜひ大手を振って自慢したまえ。


 なぜなら満たされた人間というのは限りなくバカに近い存在だからだ。よって君がもし、今現在、何かしらの不満を抱えながら生活を生きているとするなら、君は少なくともバカではないし、今より高みへと出世する可能性が大いにある。


 しかし一つだけ言っておこう。六本木ヒルズの屋上から高級ワイン片手に見下ろす月よりも、ワンカップをお供にボロい屋根の上から見上げる月の方が美しいと感じる時が、5年に一度くらいはあることを。人生は摩訶不思議だね。私には説明がつかないよ。


         

挿絵(By みてみん)


 

 

「森野選手、森野選手追い上げてきた、信じられないスピードで、ハンバーグを口に詰め込んでいる!溢れ出す肉汁をもろともしない!


その可愛らしい見た目からは想像もつかない獰猛さと強欲さに、他の選手たちも呆然としている!

 

伝説の魔女須賀原もその驚異的な食欲には追いつけません!圧倒的です!新世代の大食い女王が現れました、森野選手、圧倒的!


 ああっ、アンジャラ選手、とうとう箸を置きました!これは、完敗の合図でしょうか!


 しかし、森野選手、お前などハナから眼中にないわと言わんばかりに、どんどんハンバーグを食い尽くして行きます!


 厨房はパニックに陥っている模様です、ああ、なんと、信じられません、森野選手、なんとアンジャラ選手のハンバーグにかぶりつきました!敵のハンバーグです!


 敵のハンバーグを、ムシャムシャと食べている!なんということでしょうか!この世のハンバーグを、すべて、食べつくしてしまおうとでもいうのでしょうか!


 ああ、森野選手、今度は皿にかぶりついた!それはハンバーグではない!怪物、まさに怪物です!ああ、やめてください!ああ、それは私のマイク…あ、あ、ああああ!」


          *


 彼女と初めて会った時、骨皮は、森野床(もりの ゆか)、という名前は彼女にぴったりだ、と思った。


 

 二十代後半くらいだろうか。黒髪のボブは照明を受けてツヤツヤと光り、半袖の白いブラウスの裾からは、細くて白い、今にも折れてしまいそうな腕がひょろっと飛び出している。笑うと顔全体がくしゃっと潰れて、相手に絶対的な安心感を与える。


 決して美人というわけでもないが、気づけばそのやわらかな雰囲気に押されて、とびきりの美人に見えてくるようなタイプだ。


 

 骨皮が床のメールを受け取ったのは、春の終わりの、まだ涼しさの残っている、ある日曜日のことだった。

 

 初めまして、私はフリーライターの森野床です、とメールで彼女は名乗った。今度、地域限定のフリーペーパーで、特殊な才能を持つ人々に関する特集を組みたいと考えております。そこで、心霊写真カメラマンの骨皮さんに、是非取材をさせていただきたいと思うのですが、ご都合いかがでしょう。


 床が指定したのは、吉祥寺の奥まった路地にある、できたばかりのカフェ、「イエローボトルコーヒー」だった。


 森野はレコーダーをセットすると、そつなく幾つかの質問をこなしていった。当たり障りのない質問ばかりだった。


 いつから幽霊が見えるのですか。幽霊とは話せるのですか。心霊写真を撮るコツは。写真に幽霊が写り込んでしまった場合の対処法は…


 すべての質問が終わると、森野は礼儀正しく御礼を言ってから、最後に私の写真を一枚、撮っていただけませんでしょうか、と慇懃に言った。

 

 骨皮が承諾すると、森野は窓際に立って、両手を前に持ってきて、清楚な様子でニコッと笑った。


 陽の光が燦々と降り注ぐ店内で、緑の公園をバックに立つ、ゆるふわな彼女。骨皮はすべてが収まるべき場所に収まっていると感じた。シャッターを押し込む時に、どこか、居心地の悪い思いを抱いた。


 しかしそれは、骨皮が床にメールをもらった時から抱き続けていたものだった。床はすべてを収丸べきところに収めるような人間なのだ。


「わあ、ありがとうございます!」床は例のくしゃっとした笑顔で、データを見せてくださいと頼んだ。骨皮はこの目で確かめるまでもないと思い、確認もしないまま、カメラを手渡した。  


 データを見た床の顔から、一瞬笑顔が消えたのを、骨皮は見逃した。骨皮が床を見た次の瞬間には、もう例の、張り付くような笑顔が復活していた。


「ありがとうございます!」

「いえ、いいえ」

「あの、私、やっぱり…」

「?なんです?」


「いえ、なんでも」床はふふふ、と笑って、汗をぬぐった。そうして、「わあ、うれしいなあ!心霊カメラマンさんに撮って頂けるなんて!ツイッターに今日のこと、書いてもいいですか?」


「ええ、どうぞ」


「じゃあ、今日は本当にありがとうございました」


 店を出て、二人は別の方向へ歩き出した。


 骨皮は謝礼をもらい、コーヒーもおごってもらったのに、なんとなく、損をした、という気がした。理由はなぜだかわからない。多分、自分が床にとって、ただのネタとして消費されるのだ、という気が強くしたからであろう。床は心から自分に興味があるわけではないのだ、という気がした。



 骨皮はせっかく吉祥寺くんだりまで出てきたのに、このまま真っ直ぐ帰るのも、なんとなく寂しい感じがした。しかし、わざわざもう一度別のカフェに、一人で入る気はしなかった。どうせ入ったところで、おしゃれを楽しむ若者たちに囲まれて、居心地の悪い思いをするだけなのだ。


  

 結局骨皮は、マックで買ったバニラシェイクを片手に、公園のベンチに座って、しばらくぼんやりすることにした。


 砂遊びをしている子供達。口の周りに泥を付けている、豚のように丸々太った、小さな男の子が目に入る。見ると、泥だんごを食べているらしい。不審者と間違われて嫌な思いをするような気がして、骨皮は止めることができない。


「ちょっとまーくん!何食べてるの!」


 慌てて飛んできた母親が、子供のほっぺを狂ったように叩く。


「ばっちいでしょう、吐き出しなさいったら」 


 すると子供がけたたましい叫び声で泣き始めた。骨皮はなんだか罪の意識にかられて、視線をパッとそらすと、自分のカメラを取り出して、データを確認し始めた。


 最新の写真を見て、骨皮は目を見開いた。


 遠慮がちに微笑む床の背後に、擦り切れたちゃんちゃんこ姿の、骸骨のように痩せた少年が佇んでいた。隙間から、浮き出した肋骨が覗いている。皮膚は所々にかきむしった跡があり、頭にはシラミが湧いているのか、所々毛が抜け落ちている。


 どう見ても、現代の子供ではない。骨皮は汗をぬぐった。そうして、黒のガラケーを取り出して、ツイッターで「森野床」で検索してみる。


 骨皮は、ツイッターに関しては、なるべき極力見ないように努めている。一人一人のツイートの向こうの怨念に、すっかり精気を吸い取られてしまうからだ。


 しかし、今回は緊急事態である。


 それはすぐに見つかった。あのくしゃっとした笑顔で、風に吹かれている自分の写真をアイコンにしている。その丸型の写真に、少年は写っていない。あるいは切り取られているのかもしれない。


 自己紹介文は、「もりのゆか。最近、江ノ島人になりました。ご連絡はDMにて」。


 トップのツイートは、「雨の降る渋谷は純情。ふっと思った午前3時。今日も飲み過ぎてます」だった。


 骨皮はなんだかその言葉にもぞッとする。しかしその正体がつかめずに戸惑う。


 その下のツイートを探って行く。「私の周りには、自分を生きている人がたくさん。だれもがヒーローでヒロイン。私も見習わなくちゃ。」


 骨皮はいよいよぞわぞわしてくる。心臓にある毛を撫でられたようだ。幽霊を見るときよりもぞわぞわする。しかし、肝心の本人が写った写真はまだない。

 

 その時、「新しいツイートが一件あります」という表示が現れた。恐る恐る触れてみると、こんなツイートが現れた。


「取材を終えて、吉祥寺のハックルベリィでひとりご飯〜!1秒前」


 そのツイートとともに、一枚の写真が表示される。洋風なワンプレートのランチと、それをヨダレを垂らして見つめる、ボロ切れを纏ったひとりの少年。


 骨皮は写真の中の少年と目があった気がして、息を飲んだ。説明はできないが、彼女はいずれこの幽霊に殺される、という気がした。そして、今度は「ハックルベリィ」という店の名前で検索をかけた。



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