第四話 フレームアウトの亡霊 その7
骨皮はその足で一人、メジロとともに見に行った写真展に出かけた。
しかし、一枚一枚の写真を見ても、思い出すのは、その写真を見ていた時のメジロのセリフや、メジロの横顔ばかりだった。
骨皮は半分まできたところで虚しくなって、すべてを見ずに、もう帰ろうと思った。その時、一枚の大きな写真が、目に飛び込んできた。
それはメジロに買ってあげたポストカードの、あの写真だった。骨皮はそれをじっと見つめているうちに、画角の右下が、不自然に切られていることに気がついた。他の作品と比べてそれだけが、なんだか構図のバランスが悪く、不自然のような気がした。
骨皮は邪魔だと言われて、突き飛ばされ、地面に尻もちをついた。そうしてからも、じっとその写真を見つめていた…
*
原版を見せて欲しいという骨皮の要望が聞き入れられたのは、その一週間後のことだった。
美術館のつめたい地下に、その原版はねむっていた。
担当の老婆が、幾重にも包まれたその写真を、新婦のベールでもめくるような神聖な態度で、めくっていた。
中から現れたその写真を見て、骨皮はやはりだ、と思った。
*
メジロはその日、民放ドラマのヒロイン役のオーディションを三日後に控えて、都内のある喫茶店の片隅で、あるセリフをしきりに練習していた。それは、次のようなものだった。
「私は、あのアダムチャッキーの娘です。婚約者の石川プロデューサーに、推薦されてまいりました。それでは、宜しくお願いします。」
その時、テーブルを細長い影が覆った。
メジロが顔をあげると、目の前に、骨皮が立っていた。
「驚かさないで」
「すみません、つい」
「なんでここに」
「つけてきたんです、あなたを。電話に出てくれないものですから」
メジロは恐怖に顔を歪ませた。骨皮は「座ってもいいですか」と尋ねた。
「ダメです」
「どうしてです。話はすぐに終わります」
「でも、ダメです」
「どうしてです」
「セリフを覚えなくちゃなんないから」
「もう覚えているじゃないですか。一番大事なセリフは」
メジロは骨皮を睨みつけた。骨皮はそれを良い返事だと解釈して、席に着いた。
「何の用?」
「あなたに、見せたいものがありまして」
「また、ふざけた合成写真?」
「いいえ違います。今回は、私が撮ったものではありません」
メジロは骨皮が差し出した、一枚の写真を乱暴に取り上げた。
それは、メジロが手帳に入れているポストカードの写真の原版を、骨皮のカメラで撮影したものだった。
「これが、何?」
「よく見てください、その右端を。」
メジロは言われた通り、右端を、目を細めて見つめた。そうして思わず、あっ、と口を押さえた。そこには、一人の男がゴミ箱の上に腰かけて、カメラに向かって、変な顔をキメているのだった。
「私は、あなたのお父さんのファンですから」骨皮は言った。「お父さん、つまりアダムジャッキーのことなら、結構、知っています。彼が生前、売れない時代に、道端で大道芸人めいたことをして、日銭を稼いでいた時代があったことも」
メジロはクスクス笑って、写真を愛おしそうに撫でた。
「こんなところにいたんだ」
「そうです、それは若かりし頃のアダムジャッキー本人です。心霊写真でもなんでもない売れない頃の、本物のアダムジャッキーです。しかし、写真家はこの部分を展示するときには、カットするように指示するメモをつけていたそうです。なぜなら、これがアダムだと、誰が見てもわかってしまう。そうなると、写真の意図が変わってくる。観客はアダムばかりを見てしまうと思ったのでしょう」
「確かに、父さんが写っていたとわかったら、私はポストカードを欲しがったりしなかったかもしれない。」
「そうでしょう、そうでしょう。
あなたのお父さんだって、ハナから喜劇俳優として、天才だったわけではないのです。多分。狙って狙って、それでもうまくいかなくて、或る日突然、うまくいったと、そういうことだと思うのです。そうしてその或る日突然というのは、狙い続けて、うまくいかなかった日々の積み重ねがあったから、できたことのはずなのです。」
「…」
「…それで、私も」骨皮は水を飲み干した。「私も、無意識のうちに、狙いすぎたのです。あなたに、良いところを見せようとして。」
「…」
うつむくメジロの指には、銀の指輪が光っていた。骨皮は目をそらし、メジロはその指をそっとテーブルの下へ隠した。
「骨皮さん」
「はい」
「ありがとうございます」
「はい」
「私、だけど、あなたの才能ばかりを好きになったんじゃない、あなたの、見えないものを見ようとするその態度のことが、好きだったの。バッキーの後ろにいる私。一番人気のパンケーキの陰に隠れた美味しいケーキ。フレームの外にいるお父さん。見なくても生きていけるものたち。どうかこれからもあなただけは、そういうものを探し続けて。」
そう言って、メジロはテーブルの下で、強く、骨皮の手を握りしめた。骨皮は耳まで真っ赤になった。それからメジロは別れを告げて、店を出て行った。骨皮は小さくなってゆくメジロの背中を、いつまでも見つめていた。
一人取り残された骨皮は、ため息をついた。
そうして、窓辺にたまる金色の光を見つめながら、このまま自分は、霊感を失ってもいい、と思った。
だらりと垂れ下がった右手に、何か冷たい毛が触れた。はっと見ると、黒猫のくるぶしが、頭をこすりつけているのだった。骨皮は深いため息を吐いた。そうして、今日は自分の誕生日だということに思い当たった。コンビニのケーキを買って、くるぶしに煮干しを買って帰ろう。




