第12話 炎の記憶(後編)
夜風が吹く。
広場には沈黙が落ちていた。
影虎の手は刀の柄に置かれたまま。
上司は薄く笑う。
「どうした」
「抜かぬのか」
上司は続ける。
「貴様は正しすぎた」
「だから邪魔になった」
影虎は何も言わない。
「家族を失えば折れると思った」
「だが違った」
上司はため息を吐く。
「むしろ厄介になった」
「将軍様もお怒りだ」
影虎の目がゆっくりと上がる。
「つまり」
静かな声だった。
「妻と子を殺したのは」
上司が笑う。
「ああ」
「我らだ」
その瞬間。
刀が抜かれた。
音すら遅れて聞こえた。
上司の首が宙を舞う。
部下たちも同じだった。
一人。
二人。
三人。
そして、四人の体が地面に倒れる。
広場に立っているのは影虎だけだった。
血が落ちる。
影虎は刀を見つめる。
「もう終わりだ」
誰に向けた言葉か。
自分でも分からなかった。
その夜。
影虎は城へ向かった。
門番が叫ぶ。
「止まれ!」
影虎は止まらない。
刀が振るわれる。
悲鳴。
血。
倒れる音。
進む。
また進む。
誰も止められない。
城は混乱に包まれていた。
「影虎だ!」
「化け物だ!」
影虎は何も答えない。
ただ歩く。
目指す場所は一つ。
将軍の間。
「影虎を止めろ!」
「無理だ!止まらん!」
障子が開く。
将軍がいた。
顔は青ざめている。
「ま、待て」
将軍は続ける。
「お前は罪人になる」
影虎は一歩近づく。
「どうでもいい」
「もう死んだも同然だ」
「俺はこの世の憎悪が生み出した亡霊」
影虎は近づく。
「話せば分かる」
近づく。
「金か?」
近づく。
「地位か?」
近づく。
将軍の声が震える。
「望むものは何でもやる!」
影虎は立ち止まる。
「何でもか」
将軍は必死にうなずく。
「ああ!」
「何でもだ!」
影虎は静かに言った。
「ならば」
刀を構える。
「お前の首をもらう」
将軍の顔から血の気が消えた。
「や、やめ――」
一閃。
首が落ちる。
静寂。
影虎は動かない。
やがて呟く。
「終わった」
だが心は何も満たされなかった。
朝。
城は静まり返っていた。
将軍は死んだ。
影虎は消えた。
だが、その存在はすでに“人”ではなくなっていた。
数日後。
将軍が殺された。
その噂は国中へ広がる。
そして影虎の名も。
人々は恐れた。
かつて英雄だった男を。
村人たちは集まる。
「影虎は人斬りだ!」
「影虎が本性を現したぞ!」
「将軍様を殺した!」
「捕まえろ!」
怒号が飛ぶ。
その中には。
かつて影虎を称えた者たちもいた。
影虎は村へ戻る。
家は焼かれていた。
墓は荒らされていた。
妻と子との思い出は灰になっている。
しばらく立ち尽くす。
何も感じなかった。
その時。
「いたぞ!」
村人たち。
松明。
棒。
石。
大勢の人間。
影虎は刀に手をかける。
だが。
三日。
何も食べていなかった。
体は限界だった。
それに。
もうどうでもよかった。
抵抗しない。
捕まる。
柱に縛られる。
火がつけられる。
炎が広がる。
肉が焼ける。
皮膚が裂ける。
その時だった。
影虎の中で消えたはずの感情が蘇る。
怒り。
憎しみ。
裏切り。
絶望。
村人たちを睨む。
「貴様ら……」
炎が体を飲み込む。
「絶対に……」
空が鳴る。
雷鳴。
「絶対に復讐してやる!!」
閃光。
世界が白く染まる。
そして。
影虎は消えた。
橋の下。
冷たい風。
焼け爛れた男が目を開く。
「……ここは」
遠くで鉄の獣が走る音。
見知らぬ世界。
見知らぬ空。
かつて正義を信じた男はもういない。
残ったのは。
復讐だけを抱えた亡霊。
伊納政宗だけだった。
ユウキは唖然としていた。
政宗にそんな過去があったなんて。
何を言えばいいのか分からない。
言葉が出てこなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがてユウキが口を開いた。
「……まだ恨んでるの?」
政宗は空を見上げた。
少し考えてから答える。
「恨んでいたさ」
ユウキは息を呑む。
「……いた?」
政宗は小さく笑った。
「お前と出会うまではな」
橋の下を風が吹く。
政宗は続けた。
「この時代へ来た時も、俺の中には憎しみしか残っていなかった」
「村人も」
「将軍も」
「世界そのものもな」
ユウキは黙って聞いている。
「だが、お前と過ごしているうちに気付いた」
政宗は静かに言う。
「俺が守ろうとしていたものは、憎しみではなかった」
「……え?」
「弱き者を守ることだ」
ユウキは政宗を見る。
政宗の目は、もうあの日の鬼の目ではなかった。
「そして俺は後悔している」
「後悔?」
「あの時の俺は、家族を失った怒りに囚われていた」
政宗は拳を握る。
「もっと早く気付けていれば」
「もっと多くの者を救えたかもしれん」
沈黙。
やがて政宗は前を向く。
「だからこそ俺は、この時代の悪を断つ」
「その悪が誰かの人生を壊す前に」
「誰かから大切なものを奪う前に」
政宗はゆっくりと言った。
「それが今の俺の役目だと思っている」
「この時代へ送られた理由なのかもしれん」
ユウキはしばらく何も言わなかった。
だが胸の奥にあった不安は消えていた。
目の前にいるのは、人斬り影虎ではない。
もちろん、過去は消えない。
だが今の政宗は違う。
自分が知っている政宗だった。
ユウキは少しだけ笑う。
「やっぱり変な人だな」
政宗もわずかに笑った。
「よく言われる」
橋の下に夕日が差し込む。
長い過去の話は終わった。
だが――
二人の戦いは、ここから始まる。




