第八話:若草山ー全ログ消去
深夜の若草山。
誰もいない山頂から見下ろす奈良の夜景は、
巨大なマザーボードの配線のように光り輝いていた。
「……ここが、天平OSのメインプロセッサ。
……この山の地下に、一三〇〇年前、
私たちが埋めた『知恵』の残骸が眠っているわ」
カナは、山頂の芝生の上に立ち、月明かりを浴びていた。
彼女の体は、すでに少しずつ、デジタルの砂のように崩れ始めている。
「カナさん、体が……。
早くパッチを打ち込んで、メンテナンスしましょうよ!
兄貴の多層防御も、もう限界だ!」
アキトは、墨竜堂の筆を構え、震える手で叫んだ。
麓では、朱雀門での負傷をおして駆けつけた晴臣が、
自分の高級セダンの屋根に仁王立ちになり、
周囲に襲いかかる「防衛バグ(あやかし)」を、扇子一本でなぎ倒していた。
「やれやれ……。チビちゃん、急ぎなさい!
私のイタリア製シューズが、泥で台無しだよ」
晴臣が体の痛みに耐えながら、指をパチンと鳴らす。
瞬間、アキトの背後に、空から凄まじい風圧と共に「何か」が降ってきた。
「……うわっ!? 兄貴、何だよこれ!!」
「お祝いで……いや、お見舞いだ。
『阿倍野家秘伝・超高密度・霊素配合湿布』を5000枚
山頂に空輸しておいたよ。君は無駄に出力だけデカいから、
腰のL5椎骨あたりに負荷が集中しているはずだ。」
「……5000枚!? 兄貴、こんな時にまで嫌がらせかよ!!
怪我してるくせに、家で休んでろ!!」
アキトは叫びながらも、その湿布から漏れ出る強力な霊素が、
自分の震える腕を補強していることに気づいた。
「兄貴・・」
アキトは湿布を握りしめた。
「……カナさん。
……カナさんは『消える』んじゃなくて、『再起動』するんですよね?」
カナは答えなかった。
「一三〇〇年も同じバグ(記憶)抱えてたら、重くて動けないでしょ。
……僕が全部、焼き切ってあげますよ。見ててください!!」
アキトは、筆を両手で握りしめ
若草山の山頂に筆を力いっぱい突き立てた。
黄金色の霊素が、アキトの体から津波のように溢れ出し、
若草山全体を包み込む。
「――いっけぇぇぇ!! 全ログ消去!!
カナさんを……自由にしろ!!」
光の柱が、夜空に向かって真っ直ぐに伸びた。
その光の中で、カナは一瞬だけ、
一三〇〇年前の「職人の少女」のような顔をして、アキトに手を振った。
「……受理したわ。……出来損ないの、最高のエンジニアさん」
地響きが収まり、光が消えた。
そこには、ただの静かな夜の若草山と——
腰を痛めて湿布の山に突っ伏したアキトだけが残されていた。
「……カナさん」
返事はない。
夜風だけが、山頂を静かに吹き抜けていた。
シャットダウンへのカウントダウンは、もう止まらなかった。
——でも、アキトはまだ、筆を手放さなかった。
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