第六話 ならまちー1300年前の筆
ならまちの路地裏。
古い町家が連なるその一角に
筆屋「墨竜堂」がある。
正しい順番で境界を越えないと、辿り着けない。
間口は狭く、看板は煤けて、
うっかりすると見逃してしまうような店だ。
「……ここ、本当に営業してるのか?」
「してるわよ。1300年ずっと」
カナが躊躇なく暖簾をくぐる。
アキトは慌てて後に続いた。
店の奥は、薄暗い。
棚には無数の筆が並んでいるが、
どれも年代物で、値札すらついていない。
奥から、老人がゆっくりと現れた。
腰は曲がっているが、その目だけは異様に鋭い。
「……ほう。また来たか、お嬢さん。
いや、『メインシステム』とお呼びすべきかな」
「……今の私は、ただのカナよ。
その筆、メンテナンスは済んでいるでしょうね?」
老人が、煤けた奥から一本の筆を取り出した。
墨の香りがする。
だが、それだけではない——
何か、もっと古いものの気配がした。
「済んでいるとも。
お前さんが魂を初期化して転生を繰り返すたびに、
この筆を調整してきたのは私だ。……今回で、何度目になる?」
「ログが断片化していて不明よ。
……ただ、1300年前の『リリース日』の太陽の熱さだけは、
キャッシュに残っているわ」
アキトは黙って、二人のやりとりを聞いていた。
カナが「転生を繰り返している」——
アキトは何も言わず、黙って聞いていた。
---
その時。
店の入り口を塞ぐように、完璧なスーツ姿の晴臣が現れた。
「やれやれ。
そんな旧世代のデバイスを使い回すから、OSに『淀み』が出るんだよ。
お爺さん、その筆、最新のナノカーボン製に替えないか?
霊素の伝導率が300%向上するよ」
晴臣が高級な万年筆を差し出すと、老主人が低く笑った。
「若造。お前、阿倍野の家督を継ぐそうだな。
……だが、お前の術式は『綺麗すぎる』」
主はお茶を飲みながら、晴臣に言った。
「いいか、この国のOSはな、1300年分の泥と、血と、
人間の感情っていう名の『ゴミ』で動いてるんだ」
「ゴミ? 清掃すれば済む話だ」
晴臣が冷たく言い放つ。
「バカを言うな!
そのゴミこそが『重み』なんだよ!」
主の声が低くなる。
「お前の綺麗な数式は、このドロドロの現場じゃ一歩も動かん。
……お前の弟を見ろ。
あいつの『ガサツな馬力』は、そのドロドロを掻き回して
システムを走らせるための特注品だ」
「……っ、僕の計算が、現場に即していないと言うのか!?」
晴臣が、珍しく声を荒らげた。
「そうだ。お前は『仕様書』を読んでるだけだ。
あいつは『コード』を直接食ってるんだよ。……お前にこの筆は扱えん」
老人が筆を投げた。
アキトが、慌てて受け止める。
「……うっ」
思わず落としそうになった。
筆は、見た目よりずっと重かった。
1300年分の、何かが詰まっているような重さだった。
「アキト、持っていけ。お前なら、できるはずだ」
アキトは筆を握りしめ、兄を真っ直ぐに見た。
「兄貴。……計算通りにいかないのが、この街の仕様なんだ。
……俺にしか書けない『クソコード』、見せてやるよ」
晴臣は屈辱に震えながら、眼鏡をクイッと上げた。
「……ふん。いいかい、チビちゃん。
泥にまみれて汚れても、僕は知らないよ」
晴臣はそれだけ言うと、早歩きで店を出て行った。
---
5分後。
アキトのスマホに通知が届いた。
差出人:**阿倍野 晴臣(兄)**
『アキト。これで僕に勝ったことにはならないよ。
あと、さっきの老人に「筆のメンテナンス代」として
僕のプラチナカードを置いておいたから、好きに使わせなさい』
「……結局、金で解決しようとしてるじゃねーか!!
クソ兄貴!!」
アキトの叫びが、ならまちの夕暮れに響いた。
老主人が、奥でくっくっと笑っている。
カナは——少しだけ、目を細めていた。
---
論理を超えた「想い」が、1300年の筆に宿り始めていた。
——重さの正体を、アキトはまだ知らない。
ご覧頂き、ありがとうございますm(_ _)m
本日、第7話まで投稿します。
最後まで楽しんで頂けると嬉しいです(*^-^*)




