第十一話 カナさんがいない、いつもの朝
カナがいなくなってから、三ヶ月が過ぎた。
一三〇〇年分のエラーログが消え去った天平OSは
驚くほど静かに、正常に稼働を続けていた。
龍脈のパケット詰まりも、霊素の逆流もない。
晴れ渡った五月の京都の空を、アキトは眩しそうに見上げた。
「……あ。そうだ。レモン」
アキトは定食屋「あじさい」のカウンターで、
一人、唐揚げ定食を前にフリーズしていた。
以前なら、隣から
「今の唐揚げの配置に対して
そのレモンの絞り角は非効率よ。肉汁の表面張力を計算しなさい」と、
理屈っぽいノイズが飛んできたはずだ。
今日は、無造作に果汁を絞る。
0.1%の誤差を指摘されることもない、
完璧に自由な食事。
「…………。……なんか、酸っぱいだけだな」
アキトはボソリと呟き、冷めた味噌汁をすすった。
---
この三ヶ月、アキトは変わりつつあった。
晴臣から押し付けられた極秘資料を読み込み、
ガサツな出力はそのままに、
システムの「急所」を見極める勘を養った。
今や、現場の若手陰陽師たちを束ねるリーダー格だ。
「出来損ない」のレッテルは、
いつの間にか、誰も貼らなくなっていた。
そこへ、店の暖簾をくぐって
シワひとつないスーツ姿の晴臣が入ってきた。
「やあ、チビちゃん。
君の書いた今朝の報告書だが、
句読点の位置が黄金比から0.3ミリズレているね。
修正しておきたまえ。
『句読点の美学を語る・自叙伝風音声ガイド(全120時間)』を
君の職場に直送しておいたよ」
「……120時間!? 誰が聞くか!!
兄貴、サバ味噌定食食いに来たなら大人しく座れよ!」
「フン。相変わらずガサツな出力だ。
だが、その報告書のフォントサイズだけは……まあ、及第点だね」
晴臣は眼鏡をクイと上げると、アキトの隣に座り、
これ見よがしに「阿倍野家特製・抗菌ナプキン」を広げた。
アキトは——怒鳴らなかった。
「……兄貴。サバ味噌、俺のおごりでいいぞ」
「……ふん。珍しいね」
「たまにはいいだろ」
晴臣は何も言わなかった。
ただ、少しだけ——眼鏡の奥の目が、細くなった。
かつてのような激しい反発心は、
いつの間にか、日常へと変わっていた。
---
午後の事務所。
怜がデスクに足を投げ出し、大きく欠伸をしながら
アキトに一束の書類を投げた。
「アキトくん。今日から新人インターンが来る。
教育係、お前な。三条河原で待ち合わせだ」
「……俺が教育係?」
「そうだ」
「……まだ早くないっすか。
自分、まだ『レモンの絞り方』すら迷ってるレベルですよ」
怜は欠伸をしながら、アキトをちらりと見た。
「いいから行け。
……それと、お前のその、無駄に熱い霊素の垂れ流し。
今日くらいは、しっかり絞ってこいよ」
アキトは一瞬だけ足を止めた。
「……怜さん。もしかして」
「行け」
「……はい」
アキトは作業着の袖を捲り上げて、走り出した。
胸の中で、何かが——静かに、確かに、動き始めていた。
本日、最終話まで投稿します。
最後まで、楽しんでご覧頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします♪




