14 本当に猫に似ていて
――翌日、いつもの昼休みになってもフェリスは待ち合わせ場所に現れなかった。
そのことを残念に思いながらも、どこか安堵を覚える。そんな自分をラフニカは思わず自嘲した。
今、彼を前に平静でいられる自信がない。少しだけ、猶予をもらった気分だ。その感覚が、いかにも臆病な自分らしい。
待ち合わせにフェリスが来ないこと自体は、特に心配にはならなかった。
騎士の仕事というのは突発的なものだ。頻度は高くはないけれど、これまでも連絡なしにフェリスがやって来ないことは何度かあった。
今回もきっとそうなのだろうと結論づけ、ラフニカは窓の外を眺める。
最初中庭だった待ち合わせ場所は、冬が深まるにつれて寒さを避けるため予備備品室へとその場を移した。
でも、部屋に差し込む光はそろそろ春を予感させるもの。また中庭に戻っても良いかもしれない。あの中庭で味わう風の音、柔らかな日差し、そして開放感がラフニカは好きだった。
そうして振り返ると、フェリスと過ごした時間は当初思っていたよりも随分長く続いている。
どうしてあの時間をもっと大切にしなかったのだろう。今更自分の感情に気がついたラフニカは、そんな後悔にぐっと奥歯を噛み締めた。
自分の体裁ばかりを考えて、ひねくれた態度ばかりとっていたこれまでの日々。彼に素直な言葉を伝えたのは、果たしてこれまでに何度あったことか。
(我ながら、なんて可愛げのない……)
呪いなんて関係なく、これはそもそもの性格の問題だろう。
でも、フェリスはそんなラフニカを見放さなかった。それどころか、素直じゃないラフニカの反応をいつも楽しそうに受け入れてくれていた。
(……多分。好かれてはいると思う)
これは自惚れではなく、理性的な結論だ。
これまでの彼の優しさと献身。それをこれだけ享受したうえで彼の好意を否定するのは、さすがに失礼というものだろう。
(でも、理由がわからない)
彼の好意がどういう種類のものなのか。そして、果たして何に由来しているのか。
自分に価値を見いだせないラフニカには、その理由が見当もつかなかった。だから自信なんて持てるわけもないし、この気持ちを育てる勇気も生まれない。
(……あ。また、だ)
いつの間にか胸元のロケットを強く握りしめていたことに気がついて、ラフニカはゆっくり手を開いた。
手のひらにコロリと転がる小さなロケット。これが本当に呪いに打ち克つ力を秘めているのだろうか。
最近、このロケットを無意識に触れることが増えていた。それはきっと、変わりたいという思いが芽生えた表れだろう。
それ自体はきっと良いことだ。でも。
(結局自分は変われずにいる……)
フェリスへの恋心も、ラフニカに呪いと対峙する覚悟を決めさせるほどではなくて。
所詮自分の恋心などその程度のものでしかない、人を好きになる資格などないのだと思い知らされるようで気分が落ち込む。
しばらく手のひらの上のロケットをぼんやりと眺めてから、ラフニカはゆっくりと拳を握り締めた。
(――せめて。せめて彼に会ったとき、わざと素っ気ない態度をとるのをやめよう……)
少しでも、前に進みたい。変わりたい。
たとえ想いは叶わなくても、自分の感情に誠実に向き合うことくらいはできるはずだとラフニカは決意する。
彼の叙爵が決まれば、二人の関係は終わってしまう。そのときに、後悔しないように。良い思い出で終われるように。それくらいは望んだって、良いはずだ。
——だが。その翌日、翌々日、さらにその次の日になっても。
フェリスは彼女の前に現れなかったのだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
(今日も、会えなかった)
誰も居ないがらんとした予備備品室を後にしながら、ラフニカは胸の内で呟いた。
早く食堂に向かわなければお昼を食べ損ねてしまうことになる——そう頭ではわかっているのに、なかなか歩き出す決心がつかない。
あの実家での顔合わせ以降、フェリスとは一度も顔を合わせることのないまま五日が過ぎてしまった。
これが彼の仕事の都合なのか、それとも単に避けられているだけなのかすら、ラフニカには判断がつかない。——もっと言えば、確かめるのが怖かった。
でも、今日もこのまま過ぎてしまえば、明日からは休日に入ってしまう。
(もしかしたら、彼はそうやって自然消滅を狙ってるのかもしれないけど……)
そんな後ろ向きな思考が脳裏をよぎる。
もし、フェリスがラフニカに興味を示したのが彼に靡かないラフニカの態度が理由だったとしたら。
そして、そのうえで今の彼女の感情に気づいてしまったのだとしたら——そんな出口のない思考は、思いがけない声によって遮られた。
「っと、失礼。ラフニカくん、探してたんだ。ちょっと良いかな」
聞き慣れない声に振り返ったラフニカは、その姿を見てハッと身体を硬直させた。——しかし、それも一瞬の間。すぐに気を取り直し、頭を下げて言葉を紡ぐ。
「お疲れ様です、スィーン第三騎士団長。何か御用でしょうか」
第五王子にして、フェリスの属する第三騎士団の団長をも務めるスィーン団長。突然の大物との邂逅に、ラフニカの心臓が跳ねる。
だが、その焦燥を表に出すような無様な真似はしなかった。相手が王族であることは百も承知しているが、ラフニカは敢えて正式な臣下の礼はとらず頭を下げるのみにとどめる。
その態度に、スィーンは満足げに唇を吊り上げた。
彼は王族として遇されるよりも、騎士団長という立場で扱われることを望んでいる。自らの力で勝ち取った騎士団長という座は、彼にとっての誇り。丁寧な臣下の礼は、むしろこの場において失礼に当たるのだ。
と知ってはいても、王族相手に畏まらず振る舞うのは却って緊張する。この対応で本当に良かったのだろうか……そんなラフニカの葛藤など意に解することなく、スィーンはにこやかに話を切り出した。
「いや、実は君の婚約者、フェリスのことなんだがね。休み明けから一向に姿を見かけんのだ。君なら何か事情を知らないかと思ってな」
「え、職場にも来ていないのですか? その、連絡などは……」
「そうか、君も知らないのか。いや、彼が身体の不調で時折休むことはあるからその関係だとは思うのだが。ただ、今回は随分と長いから……ああ見えてフェリスは真面目な男だ。連絡もなしにこれだけ休むとなると、何かあったのかと気になってなぁ」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
フェリスが職場に現れていないという状況、そして休みをとるほどの定期的な身体の不調……ラフニカの知らない事情の中で、何か悪いことが起きているような気がしてならない。
青い顔で黙り込んだラフニカを前に、スィーンは「そうだ」とのんびりした声をあげる。
「申し訳ないが君、フェリスの様子を見に行ってもらうことはできるかな。彼の住居は騎士団の借り上げの部屋だから、鍵も渡せるし」
「えぇと……」
「忙しいところ申し訳ないが、頼むよ。職場には私の方から伝えておくから」
穏やかだが有無を言わせない口調に、ラフニカは口を挟む余地もなく鍵を渡される。
「ラフニカ君が行ってくれれば、アイツもきっと大喜びだろう。なにせフェリスは、君と釣り合いが取れるようになりたいと必死で貴族籍を取得したほどだからなぁ」
「え……?」
「おっと、これは口止めされてるんだった」
しまった、とわざとらしく口を塞ぎ、スィーンは片目を瞑る。
「軽薄そうに振る舞ってはいるが、彼は誠実な男だよ。女性がアイツに騒ぐのだって、贔屓の役者を応援しているようなもんだ。ああ見えて、顔見知り以上の関係になった相手は一人も居ない」
「その、スィーン団長は彼の女性関係に懸念を抱かれてるのでは……」
「へぇ?」とラフニカの質問に片眉を上げ、スィーンはニヤリと笑った。
「アイツはそんなふうに言っていたのか」
「…………」
困惑のあまり言葉が出ないラフニカを前に、スィーンは楽しげに言葉を続ける。
「あんまり獣人の性格を動物に結びつけるのはよろしくないが……私は家で猫を飼っていてね。アイツ——フェリスは、本当に猫によく似ていると思うんだ。素直じゃないところなんか特に、ね」




